134 / 147
16.新しい指輪
7
しおりを挟む俺は鏡の前で襟を正し、トイレを出た。そして、目を疑った。
二つのパイの前で、俯く女。
千尋――――。
俺はわざと彼女の背後に回り込むように、静かに近づいた。
「三時間経ってないじゃない……」
そう言った彼女の声が震えている。
よく見ると、走って来たのか肩を上下させて呼吸を整えているよう。
「なんなのよ、もうっ――!」
キレ気味にパイに手を伸ばした千尋は、それを自分の口に運び、俺はその手を掴んで、自分の口に入れた。
噛むと、サクッと気持ちのいい音がした。
「マジでサクサクしてんな」
噛んだ拍子に、生地がポロポロと千尋の肩に散り、俺はパイを味わいながらそっと払った。
「これ食えないとか、一生お前を恨むとこだった」
首を回して俺を見上げる千尋は、真っ赤な顔で、大きく見開いた瞳に大粒の涙を浮かべている。眉をひそめ、唇を震わせ、まつ毛が小刻みに揺れる。
「久し振り」
俺は、抱き締めたい衝動を抑え、笑って見せた。
「なに、飲む?」
彼女の正面、元いた席に座ると、千尋がズズッと鼻をすすり、おしぼりで涙を拭った。
それから、汗をかききった俺の水のグラスを掴むと、一気に飲み干した。
「何しに来たのよ」
憮然とした表情に、一瞬前の弱々しい彼女が嘘のようだ。
「指輪、まだしてんじゃない」
「ああ、これ」と、俺は右の親指と人差し指で、左手の薬指を撫でた。
それから、左手を広げて彼女の前に差し出す。
「奥さん、まだ離婚に――」
千尋が俺の左手を見つめ、言葉を飲んだ。
「――違う……指輪?」
「ああ」
今の俺の左手の薬指を占拠している指輪は、美幸との結婚指輪とは違う物。
細身で捻りのあった前のものとは全く違う、あれよりも幅のあるスクエアタイプ。
俺はジャケットのポケットからお決まりの、真っ白なベルベットの箱を出すと、蓋を開け、千尋に向けて置いた。
千尋はさっきよりもさらに大きく目を見開き、指輪を見つめる。
「指輪をしている俺を、愛しているんだろう?」
「なに、言って――」
「――離婚は成立した。一千万も渡した。まぁ、自宅の権利と交換したから、結局戻って来たけど」
あの後、祖母ちゃんに一千万を返すと口座番号を聞こうとしたら、『結婚祝いにあげるから、早く新しいお嫁さんを連れておいで』と言われた。
迷ったが、俺はその金で住宅ローンを返済した。
「――ってわけで、結婚しよう」
もっと、緊張するかと思った。
いや、緊張はしてる。しているけれど、不安はない。
千尋の姿を見た瞬間、不安は消えた。
「もう二度と、指輪を外すことはしない」
「……っ」
「だから、二度と俺から離れるな」
「えら……そうに――」
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる