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11 渇望
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しおりを挟む堀藤さんを『ばばあ』と言った総務部の京本さんには、嫌悪しか感じなかった。
彼女が俺に好意を持ってくれていることは知っている。
食事に誘われたこともあるし、バレンタインにもチョコとプレゼントを渡された。受け取らなかったが。
つい数分前までの俺には、彼女の気持ちに応えられない申し訳なさがあったろうけど、今は微塵もない。
「堀藤さん。デスクの資料、急ぎでまとめてください」
俺が出て行くと、その場が静まり返った。
振り返った堀藤さんは驚き、そして、少し申し訳なさそうに視線を落とした。
堀藤さんは何も悪くない――!
俺は、あまり負の感情を抱かない。
楽天家だし、争いは嫌いだ。言い換えれば能天気で、よく『お前、悩みある?』と聞かれる。
そんな俺でも、さすがにコレは怒る。許せない。
そして、俺が怒っていることに、誰もが気づいたろう。
壁の向こうにいる溝口課長と、宮野さんも。
堀藤さんは小さく息を吐き、顔を上げた。
「――はい」
彼女のことだ。この場を取り成そうと考え、不可能だと知ったのだろう。
堀藤さんは俺の横を通り、デスクに戻った。
俺の好きな、甘くて柔らかい香りがした。
俺は、三人の女性に一歩近づいた。
「勤務時間中に、何をしてるんですか」
三人、特に京本さんが頬を引き攣らせ、肩を震わせた。
「俺が誰を好きかなんて、仕事より大事なこと?」
京本さんが唇を噛んだのがわかった。それから、小声で言った。
「好き……なんですか」
さっきまでの威勢はどうしたのか。
好きな男の前だからと寛容になれる程度ではない。猫をかぶってるどころか、二重人格ではないかと思える。
「好きです」
どうして堀藤さん以外の人に、自分の気持ちを告白しなければならないのか、わからない。だが、うやむやにしては解決もしない。
ついでに、はっきりと宣言しておくのもいいだろう。
「何を勘違いして彼女にあんな事を言ったのか知らないけど、俺が、彼女を好きになったんだ」
彼女たちに言い返した堀藤さんには、少し驚いた。穏やかで優しいイメージしかなかったから。
だからと言って、知らなかった彼女の一面に失望したり、好意が揺らいだりはしない。
むしろ、興奮した。
芯の強い女性だとは思っていたけれど、あんな風に毒を吐く一面があるとわかって、背筋が寒くなった。
俺の知らない彼女を、もっと知りたいと思った。
そういえば、亮君が言っていた。
『お母さん、怒ったらめっちゃ怖いよ。兄ちゃんも泣いちゃうんだから』
確かに、めっちゃ怖いな。
「――というわけで、俺の恋路を邪魔するのはやめてもらいたい」
「本気ですか?」と、京本さんが言った。
「本気です」
「どこがいいんですか?」
面倒臭いな、と思った。
彼女が毒づいたのも頷ける。
「そんなことを君たちに言う必要はないよね」
「けど――」
「強いて言うなら、仕事に不真面目で、人を貶めるような人間は大嫌い、なんだ」
京本さんの目を真っ直ぐに見て、言った。正確には、睨んで、かもしれない。
とにかく、彼女はたじろぎ、目を逸らした。
俺は背後に意識を向けた。
溝口課長はまだ、聞いているだろうか。
「俺は本気で彩さんが好きで、諦める気なんてないから――」
正面を見ながら、背後に向かって言った。
「――邪魔するなら容赦はしないからな」
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