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2 剣聖! バナナはおやつに入りますか

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 ――いつのまにか目の前にいた少女を、ワームはつぶらな瞳で見た。

 このリトルな生き物は、その細い小枝を動かして余に何かをしたようだが……。

 ワームはその図体の割にはバチクソ小さな脳みそで考えたが、出した結論は「どうでもいい」であった。

 竜種の例にもれず、ワームの自意識は尊大そのものである。同種以外の動くものは、ヤミーな食い物か、そうでなければ取るに足らない羽虫でしかない。ノミのように跳ねただけの、小さな生き物などにかまうほどの価値はなかった。

 まったく今日はなんたる日だろうか、とワームは嘆く。

 春の木漏れ日を浴びながら森の奥深くで安らかにまどろんでいたのに、それを邪魔する2匹の賊。余の財宝を盗み取ろうと忍び寄ってきた不埒者を、ちと懲らしめてやろうと追いかけまわしていたら、余のエレガントなお鼻に小石を投げつけるド阿呆のご登場である。

 ――そうであった! 余はあの黒い体毛のド阿呆をシバキ倒しにここまで来たのだ! 彼奴きやつは2度も余にペインな思いをさせた。いとファッキンである。踏みつぶし、かみつぶし、蹂躙してやらねば気が済まぬ。

 ――レッツ、ヌッ殺しである!!

 一歩前に出ようとしたとき、やっとワームは自分に起こっている異変に気付いた。いつのまにか大地は上に、空は下にある。なぜか世界がひっくり返っている。

 これはどうしたことか。それに余の瞳に映る小さき者が、いまや余を見降ろすほどにジャイアントだ。

 いったい余に何が……??

 しかし、その疑問が氷解することは永遠になかった。





 ――ワームの巨大な首がずるりと滑り落ちて大地を揺らす。重い地響きが過ぎ去ると、瑠紺は呆気にとられたまま少女を見た。

 一見すると品のいいお嬢さんのように見える。天蚕のシルクで編まれた若草色のマントを羽織っていて、一つくくりにした長いおさげを胸もとにたらしている。銀色の髪はマントに負けじとつややかで、不思議と淡い緑を帯びていた。

 日焼けとは無縁そうな肌と線の細さが相まって、どこまでも儚げな少女だったが、すっと伸びた背筋のせいか弱々しい印象はない。

 ……外見だけで判断するならば10歳かそこらだろう。しかし瑠紺の目には十分に成熟した女性のようにも見える。視線の運びや服の乱れを整える仕草が実にたおやかなのだ。

 まるで「人知れず凛と咲いた一輪の花」のようだ、と瑠紺は思った。

 瑠紺の視線を感じたのか、少女は会釈をひとつしてからリリィに話しかける。

あるじよ、怪我はないか?」

 ずいぶんと時代がかった喋り方だったが、堂に入っていて違和感がない。リリィは緊張した面持ちでうなずいた。

「は、はい。助けていただいてありがとうございます。……その、私の依頼を受けてくれた冒険者さん……ですよね?」

「ああ。私はレクル・エジャン。よろしく頼む」

 リリィはその名前を聞いたとたんにぴたりと動きを止めて、少女の顔をまじまじと見た。

「レクルって、あのレクル・エジャン……? 『魔将と剣聖』の?」

 そんな反応は慣れっこなのだろう。レクルは苦笑いを浮かべながら、マントの下から黒光りするギルドカードを取り出した。

「その『魔将と剣聖』とやらは知らないが、私の名前はたしかにレクル・エジャンだ」

 リリィは初めて見たであろうオリハルコン級Sランクのギルドカードに丸い目を白黒とさせながら、もっともな質問を返した。

「ど、どうしてそんな方が、私の依頼を……?」

 レクルはあいまいに笑うと、胸元にかかった銀髪を手すさびに触りながら答えた。

「プロスペルにしばらく逗留とうりゅうしようと思っていた矢先に、ギルドで主の依頼を見つけてな。住み込みの依頼だから一石二鳥と引き受けたわけだ」

「はぁ……。たしかに住み込みもできますとは書きましたが……」

 リリィが首をかしげると、レクルは片膝をついて胸に手を当てた。

「私を主の宿に置いてくれないか? 衰えはしたが、それでも一度は神樹の剣聖と呼ばれた身だ。雇ったことを後悔はさせない」

「わ、わわわ! そんな……。こちらこそ、よろしくお願いします。……ええと、剣聖さま」

「やりにくくてかなわない。名前で呼んでくれ」

 口の端から白くて堅そうな八重歯をのぞかして、外見相応な笑顔を見せるレクル。リリィはそれに答えるように微笑んで彼女の手を取った。

「よろしくお願いします、レクルさん」

 レクルもぐっと握り返す。

「こちらこそ。……ではさっそくだが、ひと仕事するとしよう」

 そう言うと、レクルは倒れているワームへと近寄り、前足の根元あたりに躊躇なく手を入れた。粘性のある体液まみれになるのもかまわず、容赦なく何かをまさぐる。

 げちゅげちゅと嫌な音が響く中、リリィは顔をこわばらせながら瑠紺にたずねた。

「なにか探しているようですが……だ、大丈夫でしょうか……?」

「ちょっと見てきますね」

 瑠紺がワームの下を覗き込むと、小さな顔がひょこっと出てくる。レクルの翡翠ひすいを思わせる瞳が、瑠紺の黒い目に鮮やかに映った。

「ちょうどいいところに来たな。右前足を持ち上げてくれないか」

「この腕ですね……。よいしょっ……と!」

 丸太を担ぐようにして前足を持ち上げると、レクルはその付け根あたりを手で探りながら瑠紺に聞いた。

「そういえばまだ君の名前を知らないな」

「失礼、申し遅れました。私は折原瑠紺です。瑠紺とお呼びください。リリィさんの宿で、コンシェルジュをさせていただいています」

「コン……?」

「雑用係のようなものだと思っていただければ。ところでレクルさんは何を……?」

 レクルは手を動かしながら答える。

「アビスワームはこう見えて竜の仲間だ。竜は金製品や宝石のような財宝を集める習性があるから、このワームも何か――」

 話の途中でふいにレクルは表情を変えて、腕を深く差し込んだ。

「む……! 何かある……!」

 さあ金の王冠か、それとも宝石の並ぶ首飾りか……いやいや、竜が守るにふさわしい宝剣かもしれない。胸を弾ませる瑠紺の前に現れたのは……

 何やら見なれぬ――いや、瑠紺も見たことはあるのだが、ともかく、長さは13㎝くらいで、直径は3.5㎝ほどの、平均サイズ的な何かであった。

「あ、あの……ソレ……は?」

 さすがは剣聖である。できるかぎりソレを見ないようにする軟弱者の瑠紺とは違い、レクルは動じることなくソレを顔の前にかざしてしげしげと眺める。

「なにやらまがまがしい力を感じるが……はっきりとはしないな。竜が後生大事に抱えていた代物だから、ただの棒ではないとは思うが……」

 たしかにタダの棒ではないが。瑠紺はおそるおそる、もう一度だけとソレを見た。ワームの皮膚をおおっていた粘液につつまれてぬらぬらと怪しく光るさまは、標準サイズながら何とも威圧的だ。

「瑠紺も手に取って見てみろ。何か感じるものがあるかもしれない」

「羞恥心しかないと思いますが」

 そういいつつも、瑠紺はおそるおそる手を伸ばした。正直、触るのもためらわれたのだが、拒否すれば逆にやましいことを考えていると思われるのではないかという疑心暗鬼に陥った結果の愚行であった。

「……ほひょ!?」

 ヘンな声が出た。ふにふにとしていて、人肌のように生暖かい。手触りもまさにアレである。果たしてこんなものが許されるのか。倫理的に大丈夫なのだろうかと考えながら握ってみると、ソレはうなずくようにぶるるんと揺れた。

 うん。完全にアウトですね。

 こんな危険なブツは可及的すみやかに返さなければならない。ほとんど押し付けるようにしてレクルに差し出したとき、最悪なタイミングで乙女が顔を出した。

「え――!? そ、それって……お――」

 ひとめ見るなり、リリィは頬を紅潮させ口元にてのひらをあてた。

 ――終わった……!

 社会的な死を覚悟した瑠紺だが、リリィの反応は実にピュアであった。

「――おおきなキノコですね!! かわいい!!」

 きゃっきゃと喜ぶリリィの無垢な尊さに、瑠紺は感涙を禁じ得ない。だが、次の瞬間にはその感動は驚愕へと変わる。

「ははっ。主は見たことがないのか? これはキノコじゃなくて、おちん――」

 その時の瑠紺の反応は、まさに雷光のごとくであった。一瞬にして背後に回り込んでレクルを羽交い絞めにすると、それ以上は喋らせまいとわめき散らす。

「困ります!! 困ります!! お客様!! R18タグをつけてないのに困ります!! あーっ!!」

「な、何をする!? あれはどうみても、おちん――」

 とにかく黙らせようと、瑠紺は手に握っていたモノをレクルの口にぶちこむ。

「なんとかなれーっ!」

「――ンン゛!?!?」

 瑠紺が無我夢中で繰り出した恐るべきイチモ……いや一撃は、剣聖から言葉のみならず、人としての尊厳すら奪ってしまったようだ。

 電気ショックを食らった猿のように白目を剥き、ぶくぶくと泡を吹きながら手足を痙攣させるレクル。その痴態を見てしまった瑠紺は心の中で過去の自分を殴りつける。このちんちくりんのなにが「人知れず凛と咲いた一輪の花」だ。へそで茶が吹き飛ぶわ!

 そんな瑠紺の胸の内も知らず、無垢なる少女が尋ねてきた。

「――おちんってなんですか?」

「お賃金です!! 給料日が待ち遠しいね! そうですよね、レクルさん!」

 瑠紺にゆさぶられて操り人形のように白目を剥いたままカクカクとうなずくレクル。剣聖も堕ちたものである。

「そ、それより! リリィさん! ……このレクルさんはそんなにも有名なお方なのですか?」

 露骨に話題を変える瑠紺だが、リリィは素直に答えた。

「はい。知らない人のほうが少ないのではないでしょうか。彼女の活躍は吟遊詩人のお話になるくらいですよ」

「まるで伝説のような扱いですね……! 吟遊詩人のお話というのも、ぜひ聞いてみたいです」

 自分が好きなものに興味を持ってもらえたことがよほど嬉しかったのか、リリィはいつになく饒舌になる。

「両親が生きていたころは、『マンダリンの木陰』のレストランに吟遊詩人が来ることも珍しくなくて。私も両親のお手伝いをしながら、吟遊詩人のお話をよく聞きました。特にレクルさんが主人公の『剣聖と魔将』のお話が大好きで……!」

「そういえば、さっきもレクルさんにその『剣聖と魔将』のレクルかと尋ねていましたね。どんなお話なのでしょう」

「ざっくりですけれど……」

 と、リリィがあらすじを話そうとしたとき、意識を取り戻したレクルが口からアレを抜いて言った。

「私も気になるな。その『魔将と剣聖』、よければくわしく聞かせてくれないか?」

「えっ……えーっ!? レクルさんは『魔将と剣聖』の主人公ですしっ……! とても聞かせられません……!」

 リリィのその言葉は「(私は下手なので)レクルには聞かせられない」という意味だったのだろう。しかし焦って言葉足らずになってしまい、正しく伝わらなかったようだ。

「そんなにひどい内容なのか……?」

 大いに勘違いしたレクルが肩を落とすと、リリィは慌てて手をぶんぶんと振った。

「ち、違います! 『魔将と剣聖』に登場するレクルさんはかっこよくて……! 凛々しくて……!」

「気を遣わなくていい。人のうわさというものは、多かれ少なかれ尾ひれはひれがついて拡がるものだからな」

 そう言ってレクルは穏やかながらどこか寂し気な笑顔をうかべた。人の愚かさに傷つきながらも、それもまた愛すべき世界であると悟ったような、儚げな微笑だった。

 ……もっとも、ぶるんぶるんと身悶えするアレを手に握っていてはド変態のニチャリ顔だが。

「う、うー……。そ、そうじゃなくて……っ」

 リリィが助けを求めて視線を送ってくると、瑠紺は半笑いで肩をすくめた。

「もう誤解を解くには、『剣聖と魔将』のお話をするしかなさそうですね」

「そ、そんなぁ……!」

 リリィはしばらくうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げて、大きく息を吸い込んだ。

 とたんに――いつものポンコツは消えて、ひとりの吟遊詩人がそこに現われる。

「――旅立ちの日から幾星霜。苦難の末に『堅牢なるレニア』を超えし勇者たち……。我らの英雄を待ち受けるは瘴気沸き立つ死の荒野」

 その声に聞きほれるように、風さえもが姿を隠して草原がしんと静まり返ると、空気を読めないトイペが瑠紺のポケットからひょっこりと顔を出した。

「お!? なんやなんや!?」

 突然の闖入者にも動じず、リリィは胸に手を当てて続ける。
 
「群れなす魔物に限りなく、三日三晩の戦いの果てに、ついに姿を見せし魔王の腹心、凍星いてぼしの魔将ニーフルヘイム。彼の者のあやつる槍は竜の牙のごとく、かまえる盾は竜の鱗のごとく、放たる眼差しは極夜に浮かぶ月に似て、ひとたび睨めば、雑兵どもはたちまち凍てつく……!」

「――いいぞぉ! んでんで!? その魔将と英雄たちはどう戦ったんや!?」

 リリィの語りはさらに熱を増す。道端にあった長い草をひとつ取り、剣のように構えた。

「相対する英雄たちのさきがけは、あの剣士において他になし。神樹の剣聖レクル・エジャン! 魔将の剛槍ごうそうするりとかわし、放つ剣閃は颶風ぐふうか激流。まさに天下無双、不足なしと凍星の魔将は一騎打ちを申し込む!」

「ど、どうなってしまうん……!?」

 お邪魔虫のトイペにも余裕たっぷりにウインクを返すと、リリィは表情と声をより研ぎ澄まされたものへと変えていく。

「双方名乗りを上げて、響く剣撃は百を数える。ついに魔将が放つは捨て身の一撃、誇り高き剣聖は、真正面から迎え撃つ! ――刹那! 後の先を極めし剣が魔将の胸を深く穿った!」

 えいやっ! と草の剣をふるうリリィ。エプロンスカートのすそがひるがえり、白いペチコートがちらりと見えた。

「敵といえど、その心はまさに武人。レクルは魔将の首をそのままに、槍を荒野に深く突き刺した……。その槍は、墓標となっていまも荒野の中に立つ――」

 最初はトイペが、つぎにレクルが拍手すると、すっかり魅了されていた瑠紺も我に返っててリリィを拍手で称えた。

 リリィは真っ赤になった両頬に手のひらをあてて、顔を隠すようにしてはにかむ。

「おそまつさまでした……」

「いえ……! すごかった! 瘴気の荒野で二人が戦う姿がありありと浮かびました……!」

 レクルも力強くうなずいて言った。

「王都でもいまのような見事な語りを聞いたことはない……! 主には天稟才能があるのかもしれんな」

 リリィは指の間から上目遣いでレクルを見る。

「そんな、大げさです。……それよりも、レクルさん。『魔将と剣聖』はどうですか……?」

「……まぁ、ニーフルヘイムがだいぶ美化されている感はぬぐえないが、大体は事実だ」

 興味を隠しきれないといった様子で、レクルにずいっと詰め寄るリリィ。

「で、では、実際のニーフルヘイムはどんな魔将だったのですか!?」

 レクルは何かを思い出すように遠い目になって、すこし遠慮がちに言った。

「そうだな……。勝利への執念が深い奴だった。私は確かに奴の心臓を貫いたが、奴はそれでも――」

 話の途中でレクルは急に口をつぐみ、銀色の髪を指に絡ませる。言葉に迷っているようなその姿に、ためらいながらも聞き返すリリィ。

「それでも……?」

「……いや。いくら敵でも、死者に鞭打つのはよくない。今の話は忘れてくれ」

 そう言われてはそれ以上聞けず、そこで魔将についての話はお開きになってしまった。

 なんとなく話がしにくい空気の中、レクルは遠くに見える『深き者どもの森』を眺めながらリリィにたずねる。

「主よ。これからの予定はどうなっている? モンスターを狩りに行くつもりか?」

「いえ。瑠紺さんにモンスターを見せたかっただけなので、今日はもう帰ろうと思います。レクルさんのお部屋も用意しないといけませんし……」

 レクルは嬉しそうにうなずいて少女らしく笑った。

「それはありがたい! では町にもどろう!」

 そう言って踵を返そうとしたレクルだが、ふと何かを思い出したかのように手元を見た。そこにあるのはレクルの唾液でさらにいやらしくなったアレである。

「宿に行く前に、この戦利品の鑑定をしておきたい。プロスペルには鑑定屋があったと思うのだが……。はてどこだったか……」

 リリィが顎先に指をあてながら答える。

「たしか……繁華街の外れだったような? 案内しましょうか?」

 たのむ、と言いかけたレクルを遮る瑠紺。

「リリリ、リリィさん! 鑑定屋なら私もわかります! 案内は私がしますので、リリィさんは先に宿屋で部屋の準備を!!」

「じゃあ、お任せしますね」

 ふぅ、とため息をつく瑠紺。もしとんでもない(ある意味まっとうな)鑑定結果だったらリリィに聞かせるわけにはいかぬと思っての申し出だった。
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