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第五章 抱く者と切る者
The One Who Holds
しおりを挟むsideミスティアス
リビングでは、夜の静けさの中、暖炉の火だけが淡く揺れていた。
薪の爆ぜる音が、時計の針みたいにゆっくりと時間を刻んでいる。
ルアルクはソファに腰かけ、膝に広げた本を閉じた。
ページの上には、彼が復帰してから書き続けている魔力記録のメモ。
その横顔を見ていると、胸の奥がざわめいた。
「……ルアルクさん」
呼ぶ声が、少し掠れた。
「どうしたんだい、ミスティアス」
その穏やかさが、逆に胸に痛い。
「……守れなかった。
自分が、です。
セレスが怪我をしたのは、俺のせいなんです」
言葉を吐くたびに喉が締まる。
暖炉の熱が痛いほど熱いのに、心はずっと冷たかった。
「油断しました。
……俺がもう少し早く気づいていたら、あんな……」
拳が震える。
その手を、ルアルクが静かに包んだ。
「……怖かったろう」
それだけで、涙がこぼれた。
否定も励ましもない。ただ、肯定。
その重みが、かえって胸を突いた。
「……やっぱり、あなたってズルい」
「そうかな?」
「そうです。
父さんよりも、こういう時の言葉、ずるいくらい優しい」
ルアルクが困ったように笑って、ミスティアスの髪を軽く撫でた。
「君がそう思うなら、それでいい。
それでまた、明日、前を向けるなら」
暖炉の炎が小さく揺れ、ふたりの影が壁に重なった。
「……“守る”って、難しいですよね」
ミスティアスの声が、泣き笑いのように揺れた。
ルアルクは微笑んで、ゆっくり首を横に振る。
「難しいさ。
でも、難しいからこそ――人は“守りたい”と思うんだ」
彼の声は、低く、あたたかかった。
「守れなかったと感じるのは、守ろうとした証拠だよ。
君が本気で“彼女”を想っていたからこそ、そう感じるんだろう」
ちょうど、リビングに入ろうとしたユリカが、ルアルクの声にピタリと動きを止めた。
扉の隙間から彼女は驚いてルアルクを見ていた。
ルアルクがちらりと視線を送り、人差し指を唇にあてた。
“黙っていて”という合図。
その仕草だけで、ユリカはすぐに察し、静かに目を伏せ、音もなく扉を閉めた。
ミスティアスは気づかない。
ただ、その言葉の中に滲んだ優しさに、少しだけ肩の力を抜いた。
「……“彼女”、か」
小さく呟いたあと、顔を伏せる。
頬が少しだけ赤くなっているのを、ルアルクは見なかったふりをした。
「僕は昔も今も、守ることの意味を考え続けているよ。
でも、本当に大切なのは――傍に居続けることだ」
「傍に……」
「そう。
誰かが倒れても、傷ついても、その時に手を伸ばせるように。
君にはその力がある。
だから、もう責めなくていい」
言葉が胸の奥に沁みていく。
涙の代わりに、息が静かに抜けた。
「……ルアルクさんって、ずるいですよ」
「またそれかい?」
「慰めてるようで、ちゃんと突き放すから」
「導くって言ってくれた方が、僕は嬉しいな」
少し笑って、ミスティアスは彼の肩にそっと寄りかかった。
抱きしめてもらうのではなく、自分から寄る。
その距離を、ルアルクは受け入れる。
それは、“子どもに戻る”ための一歩だった。
「……少しだけ、このままで」
「うん」
その返事は、まるで子守唄のようだった。
やがて、ミスティアスの呼吸が穏やかになる。
眠りに落ちる寸前、彼は小さく呟いた。
「……ルアルクさん」
「なんだい?」
「……ありがとう」
「おやすみ、ミスティアス」
その声に、ナーバの囁きが微かに重なった。
『……いいな、ミス。
今夜のお前は、ちゃんと子どもで“守られてる”顔してるぜ』
焔がひときわ高く揺れて、部屋にやわらかな光が広がった。
sideセレスタン
淡い光が瞼を透けて、意識が浮かび上がった。
視界に映るのは見慣れない天井――ナーバ家の客室。
体を動かそうとすると、背に鈍い痛みが走る。
「……目が覚めた?」
柔らかい声。
視線を向けると、ミスティアスが椅子に座ったままこちらを見ていた。
その顔には、徹夜明けのような疲労と、少しの安堵が混ざっている。
「よかった……」
そう呟いた彼の声は、息のように小さかった。
「……ごめん、迷惑かけた」
「謝るなよ。俺の方こそ守れなかった」
「そんなこと――」
言いかけて、彼の手が自分の手を包み込んだ。
その指先が、わずかに熱を帯びている。
「……魔力、あふれてるんだ。
制御しきれない。放っておくと部屋が壊れるかもしれない」
セレスは瞬きをした。
「……どうすればいい?」
「――良かったら、もらってくれ」
静かな声。
でも、その目の奥にあるのは焦りではなく、
もっと切実な“渇き”のような光だった。
(……ああ、これは、ただの魔力交換じゃない)
セレスはそのことを理解して、けれど拒む理由を探せなかった。
「……わかった」
頷くと、彼はそっと身をかがめた。
手が、頬に触れる。
唇が触れる。
触れた瞬間、温度が溶け合った。
熱が、光が、静かに混ざっていく。
ただの魔力の流れなのに、心臓の鼓動まで相手に伝わるようで。
(……あたたかい)
長い。
いつもより、ずっと。
お互いに離れ方がわからなくなっていた。
息を分け合うように、魔力が流れる。
そのたびに胸が高鳴って、理性の奥が静かに揺らいでいく。
どちらが先に目を閉じたのか、もうわからなかった。
「……ミスティアス」
彼女の声は震えていた。
でも、その声は拒絶ではなく、ただの戸惑い。
唇が離れたあとも、距離は戻らなかった。
ふたりの息が重なったまま、静寂だけが満ちる。
その時――
扉の取っ手が音を立てて回った。
「ミスくん、おは――」
言葉が止まる。
フィリアが立っていた。
目を丸くして、口元を押さえた。
「……あ、あの、これは」
「っ、違う! これは魔力交換で……!」
「いやいやいや! どこからどう見てもキスでしょ!?!?」
セレスが固まった。
ミスティアスも、顔がみるみる赤くなる。
フィリアが真っ赤な顔で頬をかく。
思案するようにしばらく目を閉じ、そして再び開けたときには彼女はどこか覚悟を決めた顔だった。
「……もういいよ、ミスくん」
いつもより静かな声だった。
「言い訳、しなくて」
彼が言葉を飲み込んだ瞬間、フィリアはふっと微笑んだ。
「やっと、本気で好きになれる人が見つかったのね」
その笑顔は、少し寂しそうで、でもどこか誇らしげで。
「……今まで、どんな女の子でもダメだった理由がわかったよ」
「フィリア?」
彼が顔を上げた時、
彼女はさらに頬を赤くして、言いにくそうに口を開いた。
「――ミスくん、男の子が好きだったんだね!」
その瞬間、ミスティアスが硬直した。
あらゆる意味で。
「ま、待っ……!」
「うわあああ!恥ずかしいこと言っちゃった!もう知らないっ!」
フィリアは真っ赤になって走り去る。
遠くから「……お父さーん……!ミスくんが……!」という声が聞こえてきた。
「最悪だ……」と彼が呟く。
沈黙。
数秒ののち、セレスの肩がふるえた。
「……っふ、ふふ……」
「笑うな……!」
「ご、ごめんなさい……!
でも、あなた、顔が……ふふっ……!」
堪えきれず、彼女は笑い出す。
ミスティアスは耳まで真っ赤になってそっぽを向く。
「……何がおかしい」
「だって、“男の子が好き”って言われて否定もできない顔するんですもの……!」
「……否定できないんだから、」
彼はゆっくり息を吐いた。
「仕方ないだろ」
その小さな呟きに、セレスの笑いがふっと止まる。
(この人は、私に『キス』をした。)
……ただの魔力交換。
それなのに、彼女の心臓は、今、彼を『愛しい』と感じていた。
(――これは、『償い』でも『優しさ』でもない。)
(私が、彼に 『人間として触れてほしい』 と願っている証拠だ。)
二人の間に、わずかに息を詰めるような沈黙が落ちた。
フィリアが慌ててドアを閉めて逃げたあと、しばらく部屋には、沈黙と呼吸だけが残った。
「……なぁ、セレス」
意を決したような、ミスティアスの声。
彼の碧の目が真剣な光を湛え、エメラルドのようにきらりと輝いた。
(ああ、これは――……)
彼女の指先が、彼の唇に触れた。
「……言わないで」
声は、震えるほどやさしかった。
ミスティアスは息を呑み、
言葉を飲み込むように目を閉じる。
(――言葉にしたら、壊れてしまうから。)
代わりに、彼はそっと彼女の手を包んだ。
それだけで、十分だった。
彼女が息を震わせて笑う。
もう、どちらの手が温かいのかもわからなかった。
sideセレスタン
日差しが眩しくて、息を吸い込むたびに胸がざわめく。
体はもう軽いのに、世界の色がまだ少し遠い気がした。
庭のベンチに腰を下ろし、膝の上で指を組む。
鳥のさえずりが聞こえるたびに、胸の奥の痛みがほんの少しだけずれる。
「外に出て大丈夫なのかい?」
振り返ると、ルアルクが柔らかい笑みを浮かべて立っていた。
いつもと変わらない穏やかな声。
けれどその奥には、どこか懐かしさに似た温度があった。
「……もう痛みはありません。
なのに、どこか現実じゃないような気がして」
「生き返った後の世界は、少し“透けて”見えるものだよ」
彼はそう言って、手にしていた紅茶を差し出し、自分も隣に腰を下ろした。
湯気の向こうに見える横顔は、どこまでも静かだった。
しばらく沈黙が流れたあと、セレスはぽつりと口を開く。
「……彼を、傷つけました」
「君が生きているなら、それで彼は報われてる」
「……でも、守られるだけなんて、情けない」
「そう思えるなら、もう立ち上がってる証拠だよ」
言葉のひとつひとつが、冬の陽だまりみたいに柔らかく染みてくる。
セレスは小さく息を吸い、瞳を伏せた。
「“彼女”を守るためなら、あの子は何だってする。
でも、それを重荷にしてほしくはない。
……頼ることも、強さのひとつだからね」
セレスは思わず顔を上げる。
「……どうして、“彼女”って……?」
ルアルクは軽く笑って、カップを口に運んだ。
「言葉の綾さ」
その一言で終わらせるように、彼はそれ以上を言わなかった。
けれど、その沈黙の中に“理解”があった。
セレスはなぜか、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……守られたままでは、終われません。
私も、あの人の隣に立てるように強くなりたい」
「なら、大丈夫。君はもう“その先”を見ている」
冷たい風が髪を揺らす。
短くなった髪が赤の光を反射し、ルアルクの瞳の中にやわらかく溶けていく。
「……彼女は、強いね」
「今のは、きっと本音ですね」
セレスがそう言うと、ルアルクは少し照れたように笑った。
その笑い声に、小鳥のさえずりが重なり、庭の白い椿が風に揺れた。
静かで、穏やかな午後の光だけが残った。
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