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第二章

3 彼の想い人

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「——では、各部代表の皆さん。本日は、よろしくお願いします」
 生徒会長の声かけに返事をした各部の面々が散開していく。
「おい、高城香椎。教室って、こっちの三階だろ?」
「そうだよ。三階の五年一組」
 僕と桧山も担当クラスの教室へと足を向ける。予め配布されていた校内の案内図は隅々までチェック済みだから、迷うことは無い。

「おっ、来たな。香椎と桧山、待ってたぞ」
「秀次くんっ」
 階段を上がり、廊下へと曲がった途端、大好きな声が僕たちを出迎えた。
 秀次くんだ!
 五年一組の教室前に立ってる。やっぱり、同じ班なんだ。やったぁ! 嬉しいなぁ。
「秀次く……」
はな先生、班のメンバーが揃いました」
「はーい」
 はぁ? はな、せんせ……。

「うちの部の桧山と、コーラス部の高城です。では、早速、開始してよろしいですか?」
「待って、待って。秀次くん、先に私からも自己紹介をさせてもらえる?」
 何だ、このやり取り。〝華先生〟に、〝秀次くん〟?
「桧山くん、高城くん、はじめまして。五年一組の担任、湯川華ゆかわはなです。本日はよろしくお願いします」
「よろしくおねしゃす」
 桧山が棒読みの挨拶返しをして、その言い方は何だ、と秀次くんに頭を小突かれてる横で、僕は目前で起きたことの情報処理とその解明に忙しい。
 ボランティア活動のために初めて訪れた学校。その教室で担任だと名乗った女性が、秀次くんと下の名前で呼び合う仲だと知った。知らされた。どういうこと?

「香椎? ぼーっとしてないで、お前も挨拶しろ。すみません、華先生。こいつ、いつもはちゃんと出来るヤツなんですけど」
「……高城です。よろしくお願いします」
 大好きな秀次くんが、知らない女の人になぜか僕の代わりに謝るということをしてる。
 なんで? 横目で見上げた笑顔は、初めて見る、ヘラヘラ、チャラチャラしたものだ。なんで、こんなものを見せられてるんだ?
 わかんない。何もわからないけど、僕の後頭部に触れた秀次くんの手が『すみません、華先生』と言った時に意外な力強さでそこを押したために強制的に挨拶させられることになった、〝いつもはちゃんと出来るヤツ〟の心がその瞬間にミシミシッと軋んだことだけは、わかった。

「……んだよ。ざけんなよ」
 声にならない言葉を、唇が紡ぐ。
「ふざけんな。よりによって、今日、〝それ〟を教えなくてもいいだろっ」
 誰にも聞こえない、唇の動きだけで零したこれは、誰への言葉か。僕だけが知ってる。
 この罵倒は、この憤りは、僕の運命への叫びだ。
 ずっと、『来るな』と願ってた。この日が来ることを恐れてた。その当人だから、知ってる。
 でも、知りたくなかったよ。好きな人と一緒に過ごせる最高に幸せな日だとウキウキしてたその朝に、秀次くんが想いを寄せる相手と出会う運命だったなんてことは。

 突然、現れた綺麗な人。サラサラの長い髪と清楚な佇まい、高校生の俺たちに美しいお辞儀で丁寧に挨拶してくれた大人の女性を横目に、『あの日』に意識を飛ばす。

 ——何? また俺に恋愛相談したい? お前、忘れたのか? 俺、絶賛、片想い中なんだぞ。その俺に何を……え? どんな片想いかを知りたい? マジか……じゃあ、ちょっとだけな。その人は、すごくしっかりしてて、とにかく可愛いんだ。一見、繊細な美術工芸品のような近寄りがたい美しい人がさ、笑うと花が咲いたみたいに場が明るくなるんだよ。俺はそれが嬉しい反面、苦しい。俺なんかじゃ恋愛対象にすら、なれないから。華やかで綺麗なその人の名前をそっと呼ぶだけのつまんない毎日をもう五年も続けてる俺の片想い、まだ聞きたいか?

 恋愛相談したいって名目で聞き出した秀次くんの想いを息苦しく思い出し、絶望的な断定に僕は唇を噛みしめる。
 彼の心に住み続けてる綺麗な名前を持つ黒髪美人。この人が、湯川華がその相手だ。
 間違いない。五年前、秀次くんが教えてくれた。当時、家庭教師だった人物が『ユカワ先生』だと僕は知ってるんだ。
 まさか、ほんとに秀次くんが言った通りの知的美人だったなんて……。

「てめぇ、高城香椎。いい加減にしろ。ちゃんと歌えよ。さっきから俺ばっかが声張ってんじゃねぇか」
「あ……ごめん」
「何、手ぇ抜いてんだよ。お前がセレクトした童謡だろ? 自慢の喉でチャキチャキ歌ってみせろって」
「ひ、桧山。あのさ……」
「あ? 何?」
「えーと……あ、そうだ! 僕、合唱のための小道具を持ってきてたのに玄関に忘れてきたから、取ってくる!」
「いや、お前、俺と会った時は手ぶらだっ……おい、待てよ! 高城!」
 桧山ってば、こういう時は『高城香椎』じゃなく『高城』呼びにできるのかぁ。
 そんな感想を抱きつつ、僕は教室から飛び出した。

 そこに、居たくなかった。
 嬉しそうにニパニパ笑って『華先生』と優しく呼ぶ秀次くんの姿をもう見ていたくなくて、その場から逃げ出したんだ。
 ごめん、桧山。ごめん、五年一組の生徒たち。
 僕なんかに懐いて一緒に合唱してくれた子どもたちは可愛かった。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。けど、もう戻れない。

 片想いに慣れてるつもりでいた。
「弱くて、ごめん」
 でも、『好きな人が幸せなら、それだけでいい』と思ってた僕は、実はどこにもいなかった。
 叶わない恋を認めたくなくて、挫けたくなくて見てた、都合のいい幻覚だったみたいだ。


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