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2巻 夏と花火とつながる思い

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 優しく微笑みながら、龍玄が瑠璃を覗き込むように首をかしげる。
 鋭いですね、と瑠璃は苦笑いをした。

河童かっぱさんのお皿が治るまで、彼がこの家にいてもいいか訊きにきました」
「本来ならお断りだが、瑠璃がそうしたいと思うのなら好きにするといい」

 それは突き放した言い方ではなく、すべて瑠璃に任せるという信頼から出てくる言葉だとわかる。

「ありがとうございます! さっそくみんなに伝えてきますね!」

 喜んで瑠璃は風呂場にとんぼ返りをし、事の次第を伝えた。河童かっぱのみならず窮鼠達や、フクからもわあっと喜びの声が湧く。

『ほらな、私が言うた通りやろ。瑠璃が頼んだら龍玄が頷かないことないって』

 なぜか桔梗が自慢げにしており、鼻高々な家鳴やなりに向かって盛大な拍手が送られている。

「じゃあさっそく、この家に住めるように河童かっぱさんの寝場所を作らないとね!」

 居候するとなると、いつまでも河童かっぱを浴槽に入れておくわけにもいかない。さすがにこの広い屋敷にも風呂は一つしかないのだ。
 河童かっぱに水は不可欠やからなあ、と申し訳なさそうに言う窮鼠たちに「いいものがあるかもしれないからちょっと待って」と、瑠璃は大急ぎで母屋の隣に建てられている別宅に向かった。
 離れは現在、倉庫のようになっている。龍玄の原画が置いてあるだけでなく、屋敷の前の持ち主だった書家の先生が残していった様々な道具類も積みっぱなしのままだ。
 バタバタしていたため、すっかり掃除が後回しになってしまっていたが、こまめに窓を開けたり道具類を見に行ったりはしていた。
 その時見つけたあるものが、今回役に立ちそうなのだ。

『なんや瑠璃、いいものって?』
河童かっぱさんが喜ぶものよ。夏にはうってつけのアイテムだと思う」

 瑠璃の頭上が定位置になっている桔梗に訊かれて、瑠璃は得意げに答える。離れに到着すると、一階の倉庫になっている横のドアを開けて電気をつけた。

「ええと。こっちだったかな?」

 瑠璃はあちこち探し回りながら、お目当てのものを引っ張り出す。折り畳まれたビニールの感触に思わず頬がほころんだ。

「あった!」
『ああ、これはええ。子ども用のビニールプールやな』

 夏の間遊びに来る孫と遊ぶために、書家の先生が用意していたのだろう。埃をかぶっているが、使用頻度が少なかったのか新品同様に見える。
 近くにあった空気入れも一緒に持って、瑠璃は再び母屋に戻った。ビニールプールの汚れを丁寧に洗い流してから、ポンプを使って膨らませていく。
 しばらくすると、あっという間に小さな一人用のプールが完成した。

「この中なら、河童かっぱさんも私達も困らないわ」

 半分ほど水を入れれば、頭を濡らさずに脚や身体は浸かっていられそうだった。

『いい案やな。ほな、すぐこっち移動してもらおか。伝えてきたるわ』

 桔梗が呼びに行ってくれている間、河童かっぱにちょうどいい滞在場所を探して瑠璃は屋敷の中をきょろきょろしながら歩く。すると一匹の窮鼠の声が耳の近くから聞こえてきた。肩に乗っているらしい。

『暑すぎないとこがええのやけど……』
「じゃあキッチンはどうかしら?」

 もののけをキッチンに案内すると、窮鼠が弾んだような声で許可を出す。

『うん、ここなら大丈夫!』

 瑠璃も一緒に嬉しくなって、窮鼠の指示を仰ぎながらビニールプールに水を張った。
 やがて河童かっぱが恐る恐るキッチンにやってきたようだ。

『こんなええとこに住まわしてもらってもええの?』
「もちろんよ。水加減はどうかしら?」

 子ども用プールの水面が動いたあとに、ホッとしたような声が響いた。瑠璃の耳に『ええ塩梅や』と河童かっぱの声が聞こえてくる。窮鼠達がこれで安心だと会話をしており、いったん治療は終わったようだ。
 河童かっぱが歩き回って家の中が濡れても困るので、プールの近くにバスマットを置いていると、様子を見に来た龍玄に声をかけられた。

「そこが河童かっぱの寝床か?」
「はい。しばらくは安静だそうです」
「そうか」

 言わないだけできっと河童かっぱを心配しているのだろう。憎まれ口を利くわりに、龍玄はもののけにとても優しい。現に今も、龍玄はビニールプールに視線を送り続けている。

『あのぉ、僕も残っていい? 急にお熱とか出ちゃうと、かわいそうだから』

 そこに窮鼠の声が聞こえてきて、瑠璃は龍玄に伝える。
 龍玄は少し驚いたように目を見開いたあと、楽しげな表情になった。

「専属の看護師付きとは、まるでお大尽だな河童かっぱの奴」
河童かっぱ、数少ないの。だから僕が面倒見るの。さっきお兄ちゃんたちにも聞いたら、残っていいって言われたから』

 事情を伝えると、龍玄は即座に頷いた。

「俺たちに河童かっぱの治療はできないからな。仕方ないから残留してもらおう」

 許可が下りるなり、五人兄弟の一番下の弟だという五つ尾の子を残し、窮鼠の兄達はまた別のもののけを救いにすぐ出発したそうだ。瑠璃はなんだかワクワクしてプールに向き直った。

「よろしくね。河童かっぱさんと……窮鼠くん?」
「また名前をつけたらどうだ? この家にいる間だけでも、呼びやすいほうが瑠璃も困らないだろう」

 龍玄に言われて、瑠璃は思案する。

「じゃあ、河童かっぱさんは緑色だって先生がおっしゃっていたから『緑青ろくしょう』は?」
『緑青なんてええ名前やん。ほなそれもらいますわ』
「窮鼠くんは五つ子だから、『いつ』はどう?」

 ひい、ふう、みい、よお、いつ。と瑠璃が指を折りながら説明すると、窮鼠は同意してプップッと鳴いた。了承かわからずにいると、フクの声が割り込んでくる。

『嬉しいねんて。面倒見はええけど、窮鼠は人のこと好きやないねん。ネズミと間違えられて追いかけ回されることが多かったからなあ』

 彼らが恥ずかしがり屋の理由に納得した。そのことを伝えると龍玄は口をへの字に曲げる。

「取って食おうとも、尾っぽをむしって筆にしようとも思わないから安心してくれ」
『僕、尻尾隠しとくわ……』
『龍玄は鬼みたいに怖い面しとるけどな、中身はギリギリ人やから安心しい』
「また俺の顔が怖いとか言ってるんだな、桔梗の奴……」

 桔梗がケラケラ笑う声が聞こえてきたと同時に、龍玄がムッとした表情になる。どうやら言葉だけでなく仕草でも龍玄をからかっているらしい。
 龍玄の子どもっぽい表情に、瑠璃はこらえきれず笑ってしまった。

「これからよろしくね。緑青、伍!」

 すると二人から気持ちのいい返事が聞こえてくる。姿は見えないが、まるで家族が増えたようで嬉しかった。
 その日の夜、部屋で作業をしている龍玄に、瑠璃はお茶を運んだ。
 すでに夕飯は食べ終わっており、各々が部屋でゆっくりする時間だ。といっても、龍玄は大抵、部屋で作業をしているのだが。
 襖を開けて入室すると、瑠璃は龍玄の隣に座って頭を小さく下げる。

「先生、急に怪我もののけを引き取ってくださってありがとうございます」
「ん、ああ……いいさ、別に。今さら一匹二匹増えたところで変わらない」

 本当は心配しているだろう龍玄の胸中を察し、瑠璃は笑みを漏らした。
 この屋敷には、たくさんのもののけ達が住んでいる。元々は龍玄の描いた原画に巣くっていたが、引っ越し先の六巻構成の巻物に移ってもらってからは、そこが彼らの住処だ。
 かの巻物は、桔梗やフクにせっつかれて応接間に飾られている。そういうわけで、応接間ではもののけ達がいつも好き勝手に出入りしていた。
 今日は河童かっぱのことがあったから静かだったけれど、と思って瑠璃はハッとした。

「……あっ、伍の寝る場所を作るのを忘れていました。もうどこかで寝てしまったでしょうか」

 寝床を作るなら、緑青のいるプールの側がいいかしらと考え込んでいる瑠璃に、龍玄はふうと息を吐いた。

「いや、瑠璃の肩の後ろにいるようだ。髪の毛に隠れているが、尻尾だけ見えているぞ。寝床はどういうのがいいか聞いてみるといい」

 龍玄の言葉に首を傾けてみると、耳元で遠慮がちに小さな声が聞こえてきた。

『緑青の近く。ふわふわがいいなぁ』

 伍のリクエストを叶えるべくいったん龍玄の部屋を出ると、瑠璃はベッドの材料を求めて家中を歩き回った。それから離れでちょうどいい大きさの木箱を見つけ、その中に綿を入れる。

「今日はこれで我慢してね。明日、お布団を縫ってあげるわ」
『これで大丈夫だよ、ありがとぉ』

 キッチンでそんな会話をしていると、龍玄が飲み終わったコップをキッチンに持ってきた。出来上がった伍のベッドと緑青のプールを見てふむふむと頷いており、瑠璃は疑問を投げかけた。

「先生、伍って手のひらサイズなんですよね?」
「ちょうどゴルフボールくらいだろうな」

 龍玄は手のひらを少しすぼめてくぼみを作る。そこにすっぽり収まるサイズ感というのがわかり、瑠璃は空っぽにしか見えない木箱を見つめた。

「きっと、可愛いんでしょうね……触れないのが少し残念です」

 龍玄が描いた小さなもののけを想像すると、思わず笑みがこぼれた。耳の近くから聞こえてくる、ぷぅ、という小さな返事すら愛らしくて嬉しくなる。
 振り返ると、龍玄の手の中のコップが滑り落ちそうになっていて、瑠璃は慌てて手を伸ばす。

「危ないですよ!」
「……おっと」

 床につく前にコップをうまくキャッチできて、龍玄はホッとした顔になった。さっきも作業を続けていたから疲れているのだろう。瑠璃は龍玄に近づいて手からコップを受け取った。

「先生、これは私が洗っておきますよ。もうお休みになりますか?」

 龍玄は神妙な顔で頷くと、「おやすみ」と呟いてキッチンを去っていく。

「緑青と伍もいるのよね。私達も寝ましょう。たくさん寝て、早く良くならなくっちゃね」

 瑠璃は誰もいないキッチンに向かって「おやすみ」と伝える。
 あちこちから聞こえてくる返事に頷くと、にっこり笑って電気を消した。


   *


 部屋に戻っている廊下の途中で、龍玄はフクに尾行されていた。

『……先生なんやその、むすぅとした顔は』

 フクは声をかけたのだが、もちろん龍玄には聞こえていない。
 龍玄はこっそり引っ付いてきたフクにああだこうだ言われているのも知らず、自室に戻るとばたんと後ろ手で襖を閉めた。
 はあ、と息を吐いて座椅子に座り込み、肘をついて目を閉じる。

「もののけに懐かれすぎているな、瑠璃は」

 どうやら新入りもののけ達は、すでに瑠璃に心を開いたようだった。
 つい先ほど、触れないのを悔しがる瑠璃に向かって、緑青は慰めるようにプールから身を乗り出して彼女のスカートの先をつまんでいた。
 残留した窮鼠の伍は、自分の前には姿を見せないくせに瑠璃にはすっかり気を許しているようで、見えないことをいいことに瑠璃の髪に埋もれている。しかも、尻尾までふわふわと振っていたのを龍玄は目撃していた。
 姿を見られるのが嫌な気持ちはわかるし、瑠璃が優しいのは龍玄ももちろん理解しているが、と、なんとも苦い気持ちが広がる。

「……はぁ……」

 わしゃわしゃと髪の毛を掻きむしってから目を開けて、龍玄は息を呑んだ。

「……なんだ、驚かすなよフク」

 近い距離から、大きな一つ目でフクが正面からじいっと龍玄を見つめてきていた。
 いつもぱっちり開けている瞳が少し閉じられており、何かを言いたいのは明白だ。龍玄は眉根を寄せてから、しっしと手で追い払う仕草をする。

「瑠璃のほうへ行け」

 しかしフクは覗き込んでくるのをやめない。右に身体をずらせばそっちに身体を伸ばし、反対方向に動かせば一緒になって動いてくる。
 龍玄はため息とともにフクの頭に手を乗せて撫で、羽が抜けて手のひらにたっぷりこびりついたのを見てギョッとした。

「……まさか、夏毛に抜け替わるのか?」

 その通りだったようで、数日後フクは茶色だったのが真っ白になって龍玄を心底驚かせたのだった。


   *


 緑青と伍が龍玄の屋敷に居ついて五日。

『治ったら、ワシは大仏池から引っ越しせなあかんかのぉ~』

 緑青はすっかり屋敷に馴染んでおり、瑠璃も空っぽの子ども用プールに話しかけるのが板についてきた。

「ずっと住んでいたところなのに、引越ししちゃうの?」
『考えとかな。また亀にかじられて怪我が増えても嫌やし』
「そうね……この辺りにはたくさん池があるから、近くにいい場所があるかしら?」

 ひびが入った皿は多少ましになったようだが、まだまだ水が沁みて痛いらしい。たまに渋い唸り声が聞こえてきていた。
 だが伍によると安静期間は終わったとのことで、瑠璃は洗い物をしていた手を止めるとプールに近寄ってしゃがみ込んだ。

「ねえ。お散歩がてら、ちょっとこの近くの池の様子を見に行かない? 物件探しは大事でしょう?」
『ええなあ! ほな、頭にラップでも巻いてもらおか』

 緑青の専属看護師である伍に、お出かけの許可を取ろうと声をかける。するとすぐに『自分で歩かないならいいよぉ』と返事が聞こえた。見えない瑠璃としては困ってしまったが、伍もついてきてくれるということで安心だ。

「わかった、それならショルダーバッグに入れて連れていってあげる。出かけることを龍玄先生に伝えてくるから、ちょっと待ってて」

 今日は散歩にうってつけの晴れ模様だ。
 部屋にこもっている龍玄も一緒に行けたらいいなと思ったのだが、忙しければ無理だろう。
 期待と諦め半分ずつで作業部屋に向かうと、あんじょう龍玄からは瑠璃だけ行くように言われた。

『こんな気持ちのええ日に出かけへんとか、脳にかび生えるで』

 散歩を断った龍玄に対して、呆れ返った桔梗がぶつくさ言うのは彼に聞こえていない。
 しかし表情や動きで自分のことを言われているのがわかる龍玄は、瑠璃の頭にいた桔梗を掴んで頬を引っ張り始めたようだ。

「桔梗、お前また俺の悪口言ったな?」
『いいい痛い痛い!』

 桔梗の反撃をかわす龍玄の仕草を見ながら、瑠璃は部屋をそっとあとにした。
 本当は一緒に外の空気を吸いに行きたかったが、無理やり連れ出すのは彼の敏感な性格を考えると良くない。
 気持ちを切り替えるように支度をパパッと終わらせると、瑠璃は緑青と伍を呼んだ。フクは一緒に行くが、桔梗は留守番だ。玄関から庭に出て龍玄の部屋の広縁に回る。すると桔梗と戦い終えたのか、ぐったりした龍玄の姿が見えた。
 悄然とした様子に思わず瑠璃が声をかけると、机の上に突っ伏していた龍玄がみるみる機嫌を損ねたような表情になった。

「……俺も行く」
「いいんですか!?」

 大喜びする瑠璃の脇で、フクがボソッと呟いた。

『鞄から顔出した緑青が、瑠璃の手ぇ掴んでるのが気に食わへんのや』
「なんでそれで、先生が気を悪くするの?」

 瑠璃が首をかしげると同時に、立ち上がった龍玄が準備を進める後ろ姿が見える。
 玄関近くでしばらく待っていると、龍玄は作業着の作務衣さむえに上着を引っかけて庭まで出てきた。

「緑青、お前は俺のほうだ」
『おっさんに持たれるの嫌やねんけど! って言うてくれ瑠璃ちゃん!』

 龍玄は瑠璃の鞄から引っ張って持ち上げるような動作をする。それから緑青がすぐさまぶつぶつ文句を言うのが聞こえた。
 掴みあげると同時に緑青のくちばしが動いたのを見て、龍玄が瑠璃に視線を向ける。その意図を汲んで、瑠璃は口ごもりつつも素直に通訳をした。

「……その、おっさんに持たれるのは、嫌だ、と……」
「誰がおっさんだ。次にそう呼んだら追い出すからな」

 瑠璃がそのままを伝えると、龍玄は眉間にくっきりしわを作り腕を組む。
 その組んだ腕と胸元の間に微妙に空間があいているのを見て、瑠璃はまさかと口を開いた。

「先生、そこに緑青を抱えているんですか?」

 瑠璃の質問に、龍玄は途端にばつの悪そうな顔になった。

「……仕方がないだろう。歩かせて怪我を悪化させても困る」

 先生、優しい……
 思わぬ行動に感動した瑠璃だったが、桔梗とフクは意味深に「ふん」と鼻を鳴らしたのだった。


 緑青を腕に抱えた龍玄と、フクと伍を乗せた瑠璃は、「行ってきます」と桔梗に告げてから家を出る。
 まだ春だと思っていたのに、気がつけば緑は深さを増していた。
 青空は美しく、若草山も爽やかな若葉に包まれている。

「さあ、どこの池を見に行こうかしら」
『皿開くからあんまり遠くまで行ったらダメだよぉ』

 伍に小さい声で言われて、それもそうかと頷く。
 龍玄との相談ののち、二人ともののけ達は、屋敷から程よい距離にある浮見堂まで行ってみることにした。浮見堂とは池の中央に浮かぶように建てられたかやぶき屋根のお堂で、景観が美しく観光名所としても有名だ。

「先生、やっぱりお外は気持ちがいいですね」
「そうだな。たまには歩くのもいいか」
「緑もきれいですし、新作のいいアイデアが浮かぶかもしれません」

 もののけ達の引っ越し先の巻物を描くことに集中していたせいで、龍玄は大きな絵を描くのを途中でやめてしまっている。構想を練っている最中なのはわかっているが、せっかくの外出だ。何かが龍玄の刺激になったら嬉しい。
 そんなことを考えつつお目当ての場所に到着すると、観光客がちらほら見える。二人と三匹のもののけは、池の周りを歩く形で水中の様子を窺った。
 澄んだ水は涼しげだが、河童かっぱの引っ越し先はどういう場所がいいのか、瑠璃には見当がつかない。安全で快適に暮らしてほしいが、その基準が人ともののけでは違っているだろう。

「緑青、どうかしら? やっぱり怖い感じの子がいる?」
『そおやなぁ……。もうちょい、あっちに行きたいなぁ』
「わかったわ、……あっ!」

 頷いて方向転換をしようとして、足を滑らせそうになったところを大慌てで龍玄に引き寄せられた。
 左腕に緑青を抱えたままの龍玄に、いとも簡単に片腕で抱きとめられてしまい、彼の力の強さに驚いた。

「ありがとうございます……」

 見上げると龍玄は狼狽をあらわにしている。瑠璃の視線に気づくなり、若干ふくれつつも心配そうに覗き込んできたので心臓が高鳴った。
 地面にそっと下ろしてもらってから、瑠璃は赤くなっているだろう頬を見られないよう、急いで俯きながらスカートの裾を伸ばす。

「池を見るのはいいが、足元も見てくれ」
「すみません。つい、気になってしまって。ありがとうございました」

 そう答えると、龍玄はふと目元を緩めてから、腕に抱え込んでいる緑青に視線を落とした。

「どうなんだ、ここなら次の住処になりそうか?」
『せやなぁ。ええっちゃええねんけど』

 今すぐには決められないと、緑青は悩ましげだ。

『今度はあそこ行ってもろらってもええか?』

 緑青が指さしたという場所へ向かい、橋を渡って浮見堂の中に入った。
 日差しが遮られるとすっと涼しくなり、お堂の周りを囲っている池の様子がよく見える。家族連れが数組、貸出ボートで楽しそうにしていた。子どものはしゃぐ声が和やかな空気に馴染んでいく。
 穏やかな気持ちになりながら、ぐるりと周囲を見回す。そして、瑠璃ははしゃいだ声を上げた。

「あっ、写生しているんだ!」

 池の周りでは、画材を持った人が各々違う場所で絵を描いている。その中でも、手元のスケッチブックにひときわ一生懸命に絵を描いている女性が瑠璃の視界に入った。
 何を描いているんだろう、と欄干から身を乗り出すと、隣に立っていた龍玄が仄かに口元を緩めた。

「行ってきたらいい。近くで待っているから」
『せやせや。ワシはここで先生と一緒に池の中観察してるわ』

 そんな龍玄と緑青に促され、瑠璃は絵を描いている人物の後ろから、そっとスケッチブックを覗き込む。

「わぁ、すごくきれい……」

 思わずこぼれた瑠璃の声に、その若い女性は手を止めて振り返った。

「ありがとう! どう、いい感じに描けてるでしょう?」

 こちらを向いた姿を見ると、瑠璃より少し年上だろうか。真っすぐな黒髪がきれいな美人だ。爽やかな笑顔とはつらつとした物言いに思わず元気が出てきて、初対面の相手だというのに瑠璃は大きく頷いた。

「はい。構図の取り方が素敵です」
「この場所って、どこから見ても完璧なのよね。だから、どこで描いても素敵な絵ができあがるの」
「そうなんですね」

 今までモチーフ画にばかり取り組んで、外で絵を描くことはあまりしてこなかった瑠璃にとって、それは新しい発見だった。
 瑠璃の声色に興味を感じ取ったのか、女性は隣に置いてあった鞄から紙を取り出して見せてくる。

「七月中旬に、市の美術館で一般参加の展覧会があるのよ」
「その展覧会に参加されるんですか?」
「そうなの。参加するなら早く取りかからなくちゃなんだけど、描くものを厳選したくって……」

 たしかに紙には大きな文字で『市美展、一般参加者募集』と書かれている。


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