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第一章

第33話:入浴

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 森の中の街道では陽が暮れるのが早い。
 山ほどではないが、木々が深く高いほど陽が早く暮れる。
 だから夕食の時間が早く長い夜を過ごす事になる。

 食事に一時間かけて三時間ほど料理しても、まだ二十二時過ぎだ。
 これくらいになってようやく眠る気になれるが、その前に入浴だ。
 一度入浴すると、もう毎日入らないではいられない。

「座れる段差があって、全身を横にできて、溺れるほど深くなく、水を捨てるための排水口と蓋がある、上で暴れても壊れない頑丈な浴槽を造る。
 コンプレッスィヴ・ストゥレンサニング・ソイル・ビッグ・バスタブ」

もう岩浴槽を創るのは手慣れた。
周囲に人がいない事、魔術に巻き込んで死傷させない事を確認する。

「見晴らしの邪魔になるバスタブの周囲半径十メートルの木々を風魔術で伐採しろ。
 ツリー・ディフォレステイション・ウィンド・マジック」

 伐採した木々は全て亜空間魔術で保管する。
 放置しても森の養分になると思うが、自分が活用した方が良いと思う。

「俺の周囲に目に見えない不可侵の魔力防壁を展開しろ。
 ワイド・レンジ・トゥランスペラント・マジック・シールド」

 前回は風景を愉しみたくて何の防御もしなかった。
 だが、後であれは迂闊だったと反省した。
 サクラが見張ってくれているとはいえ、油断大敵だ。

 とはいっても、岩盤で防壁を造っては風情が壊れてしまう。
 だからこその透明の魔力防壁だ。

「浴槽一杯に水を貯めろ。
 ウォーター」

 魔力が多いと言うのは本当に幸せだ。
 こういう時に水をケチらなくていい。
 大型ジャグジーに匹敵する浴槽一杯に水を張る。

「俺が大好きな温度、四十度くらいになる火を入れる。
 ファイア」

 家庭ではまずかけ湯をしてから浴槽に入る。
 清潔好きな家庭や大衆浴場では、先に身体を洗ってから浴槽に入る。
 だが、この浴槽は完全に俺専用だから、先に身体を洗う必要がない。

 念のために浴槽に手を入れて温度を確かめる。
 火傷するような温度ではないのを確認して、かけ湯だけしてドボンと浴槽に入る。

「う~ん、極楽極楽」

 全身の疲れがお湯に沁み出す気がする。
 本気で思っている訳ではない。

 入浴が身体に負担をかける行為なのは重々承知している。
 あくまで気分の問題だ。
 五分ほど浸かって、湯温に不満を感じ始めたら。

「俺が好きな四十四度くらいまで、十分くらいかけてゆっくりと温度を上げろ。
 ファイア」

 しっかりと肩までお湯につかっていると、顔の汗が湧き出してくる。
 当然全身からもお湯に汗が出ているだろう。
 同時に老廃物や脂も毛穴から出ていると信じる。

 十分間しっかりと浸かってから浴槽から出る。
 イメージしていたから浴槽周りもしっかりと岩盤になっている。
 だから土や砂、落ち葉なんかが足の裏についたりしない。

「身体の洗うのに丁度良い椅子。
 バス・チェア」

 願い通りの椅子が浴槽の少し横に現れた。
 そこに座って体を洗う。
 硬めの糸瓜ブラシでゴシゴシと垢を掻き落とす心算で洗う。

「ミャアアアアオン」

「分かっているよ」

「俺を護ってくれている不可侵の魔力防壁、ありがとう。
 一部だけ解除して、ポルトスが入れるようにしてくれ。
 マジック・シールド・パーシャル・リリース」

 珍しく表情まで変わったポルトスが詰め寄ってくる。

「ショウ、これはなんだ?!」

「見たらわかるだろう、風呂だよ、風呂」

「何で風呂がこんな場所にあるのだ?!」

 無口、口下手なポルトスがどうしたんだ?

「俺が造ったからに決まっているだろう。
 こんなものが元から森にあるわけないだろう」

「なんでこんな物を造ったのだ?」

「あのなぁ、俺が風呂に入りたいからに決まっているだろう」

「それだけか、それだけにために、旅の途中でこんな強大な浴槽を創りだし、膨大な魔力を使って水を創り出し、多くの燃料を使って湯を沸かしたのか?」

「普段無口なポルトスがよくそれだけ話すな?」

「これが話さずにおれるか!
 風呂なんて王侯貴族しか入れないのだぞ。
 その王国貴族でも、こんな巨大な浴槽など持っていないぞ!」

「確かに、ここの生活水準は低いからな。
 森に燃料になる枯れ枝を拾いに行くのも命懸けだ。
 都市の中に井戸はあるようだが、水質が悪い。
 風呂ってのは、とんでもない贅沢なんだな」

「贅沢ですむレベルではない!
 それで、この後どうするのだ?

「どうするって、俺は使ったら用なしだから、壊すよ」

「だめだ、ダメだ、駄目だ、絶対に駄目だ!
 俺とオセール伯爵に入らせろ!」

「オセール伯爵は分かるが、お前も風呂に入りたいのか?」

「子供の頃から風呂に憧れていたのだ!
 こんな機会を二度とない、絶対に逃せん!」

 はっは~ん、何となくそんな気はしていたんだ。
 冒険者達や女子供への態度と、オセール伯爵へ態度が全く違う。
 ポルトスの奴、王侯貴族に憧れているな。

「わかった、分かった。
 だがこのお湯は俺が使ったから、伯爵に使ってもらう訳にはいかない。
 新しい浴槽を造って、周囲からも見えないようにするが、入られる気がないのに造っても魔力の無駄だ。
 入浴する気が有るのか無いのか、ポルトスが聞いてきてくれ。
 俺はその間に失礼のないように服を着ておく」

「分かった」

 驚きと興奮が収まって、自分の言動に気恥ずかしくなったのだろう。
 ポルトスが何時ものような寡黙に戻っている。
 それでも、どうしても風呂に入りたいのか、オセール伯爵を呼びに行った。

 もう少しゆっくり入っていたかったが、仕方がない。
 湯冷めしないようにもう一度熱いお湯に肩までつかる。

 ある程度温まったら、浴槽から出て手早くバスタオルで拭く。
 伯爵に失礼にないように、素早く服を着る。

「な、なんだこれは?!
 ショウ殿、こんな物を造っていたのか?!」

 何とか伯爵が来るまでに服を着る事ができた。

「私の故郷では毎晩風呂に入る習慣があるのです。
 さっきも申し上げたように、やりたい事は、迷惑をかけない範囲でやる事にしたのですが、迷惑でしたか?」

「いや、迷惑ではないのだが、たった一晩の入浴のために、莫大な魔力を使うのだと驚いただけだ」

「ポルトスが入浴したいそうなのですが、オセール伯爵に黙ってポルトスだけ入れるのは不敬だと思いましたので、知らせに行ってもらったのですが、入られますか?」

「入りたいのだが……」

「貴人である伯爵が、人前で肌を晒す訳にはいかない事は分かっています。
 座れる段差があって、全身を横にできて、溺れるほど深くなく、水を捨てるための排水口と蓋がある、上で暴れても壊れない頑丈な浴槽を造る。
 コンプレッスィヴ・ストゥレンサニング・ソイル・ビッグ・バスタブ」

「なんと?!」

 先に造ったバスタブからかなり離れた、森が残っている場所に浴槽を造る。
 伯爵は息を飲むほど驚いている。

「見晴らしの邪魔になるバスタブの周囲半径十メートルの木々を風魔術で伐採しろ。
 ツリー・ディフォレステイション・ウィンド・マジック」

「……」

 周囲の木々を伐採して収容する俺に呆れて何も言えなくなっている。

「浴槽一杯に水を貯めろ。
 ウォーター。
 俺が大好きな温度、四十度くらいになる火を入れる。
 ファイア。
 身体の洗うのに丁度良い椅子。
 バス・チェア」

「……常識外れにも程がある。
 敵の襲撃に備えて、魔力は残しておられるのですな?」

「千分の一も使っていません」

「ショウ殿に自分の常識を当てはめるのはもう止めます」

「最後に他人の目から隠す岩盤を造りますね。
 護衛の方々は伯爵から離れないでください。
 入浴している人を敵の襲撃や覗きから護る岩盤防壁を造る。
 コンプレッション・ロック・ラムパート」

 俺は伯爵と護衛に安心してもらえるように、ただの岩バリアにはしなかった。
 城壁をイメージして、使う呪文の単語も城壁にした。
 思った通りの厚く高く頑丈な城壁が浴槽を取り囲んでいる。

「これなら誰も伯爵の入浴を覗き見できません。
 護衛を側に残されてもいいですし、護衛が邪魔なら、俺と一緒のあの城門から出て行く事もできます」

 単語にはしなかったが、イメージはしていた城門が造られている。
 ただ、木や鉄で造られている城門ではなく、総岩盤製の城門だ。
 あれを開閉するには相当の力がいる。

「……ショウ殿だけは絶対に敵に回してはいけないと思い知ったよ。
 護衛はショウ殿と一緒に外に出ていてくれ。
 分かっていると思うが、これを突破して襲える者はいない。
 お前達もショウ殿に風呂を御馳走してもらえ」

「しかし閣下」

「ショウ殿なら私を襲えると言いたいのだろうが、そんな卑怯な手を使わなくても、正々堂々と決闘を申し込んで、政治的に私を殺すことができる。
 余計な心配は、ショウ殿に我が家に対する悪感情を抱かせる。
 それだけは絶対に避けなければいけない事、思い知っただろう?!」

「「「「「はい」」」」」

「だったら遠慮せずにお風呂を御馳走してもらえ」

「「「「「はい」」」」」

 やれ、やれ、ここにいる五人全員、いや、今見張りをしている者も合わせたら十人はいる。
 彼らが入浴を終えるまで眠れそうにない。
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