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群青懐胎:ブルー編
虜囚回復:青井清一
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魔界五大幹部がひとり、怪人バルドの帰りは遅い。
そもそも幹部ほどの重役であれば仕事の量もそれなりである。紫色の陽射しが昇る前に屋敷を出て、沈んだのちに帰宅する。出立の支度や日中の家事をこなす使用人は意外ながら存在しない。そこは捕虜兼居候たる青井の仕事とされていた。
「出てこいブルーゥウ!ご主人様のお帰りだぞ!」
「わめくな馬鹿!……おかえり。飯はできてる、先に着替えたらどうだ」
巨大な玄関先で喚き散らす巨漢はその日いたく不機嫌だった。抱えてきた分厚い羊皮紙の束を三和土に放り投げると、深紅に金縁のとてつもなく悪趣味な外套を脱ぎ捨て、顔を顰めてがなりたてる。
「なあにが着替えだ……風呂で酒だ!!今日は倍飲むぞ!付き合え糞餓鬼!!」
「うわっ!おい、我が侭言うな!」
くたくたの部屋着にエプロン姿の青井青年は、首根っこを掴まれて風呂の方向へと引きずられていく。
流石に厨房のガス(魔界では代替として瘴気が使用される)火は消してきたものの、折角作りたてである飯が冷めてしまう。
……しかし、どうにも今日の家主は調子がよろしくない。抗議しても無駄だろう。青年は大人しく首を垂れ、主人の無茶に従うことにした。
———人間界から魔界に身売りに出され、今やかつてのライバルの家で居候と化している青井は三日前の健診で完全回復を言い渡された。監視役なしで暮らしても大丈夫。日がな一日青井の後ろをついてまわっていたバルドは、この日を境に軍運営へ復帰することになった。
専属の医師として人間界から出張してきたというこの翁は、簡単な触診と問診を終えて青年にこう言った。
「青井さん、全くの健康体です。どこか悪かったところはありますか?」
「え、ええと……悪かったというか……その、薬漬け状態だったというか……」
強めの鎮痛剤。興奮剤。薄い黄色と水色の輸液パック。指示されるままに飲み下した錠剤は名前もわからないものばかりだ。
「本当に?……確かに手術と針のあとは多いけど。ヒーローさんは無理し過ぎだからね、薬で痛みを紛らわせるのも戦時下ならではだよねえ」
持参した白紙のカルテに読めない癖字をサラサラ書いていき、医者は眼鏡を光らせる。
「禁断症状は?あるの?眠れなかったり、何か依存したり」
「いえ……今のところはありません」
「最後に薬打ってからどのくらい経つ?」
「半年も経ってないんですが……」
「そりゃすごい。強靱な精神だ!というか、それは本当に薬物だったのかい?傷が酷いから打った抗生剤とかじゃないの。お兄ちゃんの体、どこもかしこも健康そのものだよ」
青井は唖然として医者の言葉に首をぐらつかせた。
確かにここ一週間、無呼吸状態に陥ることも突然の体調不良に襲われることも無い。慢性化していた食道炎と胃炎はなりを潜め、霞んだ視野はもとの明るさを取り戻した。
味覚も塩気だけではなく、甘さと辛さを感知できるまでに回復している。ここ数年でかつてなく、身体の調子が良い。青井は劇的に過ぎる回復の理由を考えた。
「……その、最近体が軽いんですが、これは魔界の食物が原因だったりするんでしょうか?」
「原因というと」
医者の眼鏡が興味深げに光る。
「えー、魔族の食事には特別な栄養価があったり、とか」
「はっはっは!オモシロイね青井くん!」
別に何も面白か無いんだが。笑う老人に内心返しながら、青井は愛想笑いを浮かべ頭をかいた。染め直していないため群青と黒のまだらになった髪は、少し邪魔になってきたので後ろでくくっている。
バルドの屋敷に髪ゴムの買い置きなどあるわけがない。いっそ切り落としたいところなのだが、バルドがしばらく伸ばせとうるさいのだ。
『あ?ゴム?避妊具なんかねえっつったろ』
『馬鹿!違う!髪ゴムだ!ばーか!』
『髪ィ?そこらの紐でくくっとけよ。しかし……元気に喚くようになったな!もう一発ヤるか』
思い出しかけて青井は頭を軽く振る。色魔のことは今関係ない。
「でもねえ」
広い額をペンの頭で擦り、医者はため息をついた。青井の手をとって、手のひらの中央にとぐろを巻いた黒点を指さす。
「これはちょっといただけないね。お兄ちゃんの体の一部って訳じゃ無いから、切除しちゃえば問題は無いわけだけど。神経がふかーく絡んでるから、手術もきっついね。絶対に痛いよ」
「増設神経管ですか。今のところ問題はないんですが…」
「本当に?言ってみりゃ神経が剥き出しの状態だから、ものを触るのにも激痛が走るはずだけど」
「あー……最近触らないようにしてたんで……。そういえば妙に感覚が鋭くなったような……」
元々増設神経管は、度重なる肉体改造で触覚が麻痺しかけていたからこそ、局所的に感度を上げるセンサーとして埋め込まれたものだった。青井の両手足のひらを貫通する形で杭打たれている。
———バルドの家に厄介になり始めてから、徐々に触覚自体が蘇ってきた。健康な人間としての感覚を取り戻しつつある今、同時に増設神経管の高い感度は生活の邪魔になり始めている。
「痛みに鈍い性質?でも我慢はよくないよ。年寄りの意見としちゃ、さっさと切開してこんな杭抜いちゃうのをお勧めするね」
それではまた来週。そう言い残した医者はバルドの部下に送られ、キメラがひく馬車に乗り人間界へと帰って行った。
そもそも幹部ほどの重役であれば仕事の量もそれなりである。紫色の陽射しが昇る前に屋敷を出て、沈んだのちに帰宅する。出立の支度や日中の家事をこなす使用人は意外ながら存在しない。そこは捕虜兼居候たる青井の仕事とされていた。
「出てこいブルーゥウ!ご主人様のお帰りだぞ!」
「わめくな馬鹿!……おかえり。飯はできてる、先に着替えたらどうだ」
巨大な玄関先で喚き散らす巨漢はその日いたく不機嫌だった。抱えてきた分厚い羊皮紙の束を三和土に放り投げると、深紅に金縁のとてつもなく悪趣味な外套を脱ぎ捨て、顔を顰めてがなりたてる。
「なあにが着替えだ……風呂で酒だ!!今日は倍飲むぞ!付き合え糞餓鬼!!」
「うわっ!おい、我が侭言うな!」
くたくたの部屋着にエプロン姿の青井青年は、首根っこを掴まれて風呂の方向へと引きずられていく。
流石に厨房のガス(魔界では代替として瘴気が使用される)火は消してきたものの、折角作りたてである飯が冷めてしまう。
……しかし、どうにも今日の家主は調子がよろしくない。抗議しても無駄だろう。青年は大人しく首を垂れ、主人の無茶に従うことにした。
———人間界から魔界に身売りに出され、今やかつてのライバルの家で居候と化している青井は三日前の健診で完全回復を言い渡された。監視役なしで暮らしても大丈夫。日がな一日青井の後ろをついてまわっていたバルドは、この日を境に軍運営へ復帰することになった。
専属の医師として人間界から出張してきたというこの翁は、簡単な触診と問診を終えて青年にこう言った。
「青井さん、全くの健康体です。どこか悪かったところはありますか?」
「え、ええと……悪かったというか……その、薬漬け状態だったというか……」
強めの鎮痛剤。興奮剤。薄い黄色と水色の輸液パック。指示されるままに飲み下した錠剤は名前もわからないものばかりだ。
「本当に?……確かに手術と針のあとは多いけど。ヒーローさんは無理し過ぎだからね、薬で痛みを紛らわせるのも戦時下ならではだよねえ」
持参した白紙のカルテに読めない癖字をサラサラ書いていき、医者は眼鏡を光らせる。
「禁断症状は?あるの?眠れなかったり、何か依存したり」
「いえ……今のところはありません」
「最後に薬打ってからどのくらい経つ?」
「半年も経ってないんですが……」
「そりゃすごい。強靱な精神だ!というか、それは本当に薬物だったのかい?傷が酷いから打った抗生剤とかじゃないの。お兄ちゃんの体、どこもかしこも健康そのものだよ」
青井は唖然として医者の言葉に首をぐらつかせた。
確かにここ一週間、無呼吸状態に陥ることも突然の体調不良に襲われることも無い。慢性化していた食道炎と胃炎はなりを潜め、霞んだ視野はもとの明るさを取り戻した。
味覚も塩気だけではなく、甘さと辛さを感知できるまでに回復している。ここ数年でかつてなく、身体の調子が良い。青井は劇的に過ぎる回復の理由を考えた。
「……その、最近体が軽いんですが、これは魔界の食物が原因だったりするんでしょうか?」
「原因というと」
医者の眼鏡が興味深げに光る。
「えー、魔族の食事には特別な栄養価があったり、とか」
「はっはっは!オモシロイね青井くん!」
別に何も面白か無いんだが。笑う老人に内心返しながら、青井は愛想笑いを浮かべ頭をかいた。染め直していないため群青と黒のまだらになった髪は、少し邪魔になってきたので後ろでくくっている。
バルドの屋敷に髪ゴムの買い置きなどあるわけがない。いっそ切り落としたいところなのだが、バルドがしばらく伸ばせとうるさいのだ。
『あ?ゴム?避妊具なんかねえっつったろ』
『馬鹿!違う!髪ゴムだ!ばーか!』
『髪ィ?そこらの紐でくくっとけよ。しかし……元気に喚くようになったな!もう一発ヤるか』
思い出しかけて青井は頭を軽く振る。色魔のことは今関係ない。
「でもねえ」
広い額をペンの頭で擦り、医者はため息をついた。青井の手をとって、手のひらの中央にとぐろを巻いた黒点を指さす。
「これはちょっといただけないね。お兄ちゃんの体の一部って訳じゃ無いから、切除しちゃえば問題は無いわけだけど。神経がふかーく絡んでるから、手術もきっついね。絶対に痛いよ」
「増設神経管ですか。今のところ問題はないんですが…」
「本当に?言ってみりゃ神経が剥き出しの状態だから、ものを触るのにも激痛が走るはずだけど」
「あー……最近触らないようにしてたんで……。そういえば妙に感覚が鋭くなったような……」
元々増設神経管は、度重なる肉体改造で触覚が麻痺しかけていたからこそ、局所的に感度を上げるセンサーとして埋め込まれたものだった。青井の両手足のひらを貫通する形で杭打たれている。
———バルドの家に厄介になり始めてから、徐々に触覚自体が蘇ってきた。健康な人間としての感覚を取り戻しつつある今、同時に増設神経管の高い感度は生活の邪魔になり始めている。
「痛みに鈍い性質?でも我慢はよくないよ。年寄りの意見としちゃ、さっさと切開してこんな杭抜いちゃうのをお勧めするね」
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