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金継ぎの青 下:ブルー編
隔たり
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喜一は役場に戻った。小さな町とはいえオーガの移民は増え、それに伴って整理すべき仕事はデスクに山脈を連ねている。人手不足のためガイドとして業務外の仕事をしたのは、結局教会へ案内するまでの数時間のみだ。確かに喜一が会話をした筈の大鬼は、シスターとリリスの戻ってくるのと同時にただの炭鉱夫へ姿を変えていた。シスターに訴えても疲労のために惑乱しているのだと休みを勧められてしまい、もう対処のしようがない。
部屋は綺麗に整えられ寝具も使った痕跡はなく、眠る妊婦の隣で炭鉱夫はだんまりを決め込んでいた。
たったさきほど縺れ合っていたオーガと兄は初めて見たときと同じ人間の夫婦にしか見えない。この状態で町の住人へ触れ回ったとして、気が狂ったとしか思われないだろう。或いは本当に気が可笑しいのは自分かもしれないという恐れが、胸中を蝕んでいく。
いくら片付けても終えられない仕事は昼を少し回ったところで中断となった。形式だけの退勤記録をつけ、喜一はデスクを立つ。
役場の入り口に行けば、田代の親父が顔を出している。酒焼けした真っ黒い顔を歪ませて、腕組みしながら喜一を待っていた。
「一丁前に働いてるみてえじゃねえか、坊主」
「……田代さん。あの」
「いいからよ、ほら、渡すモンあんだろ?」
こうなることはわかっていた。喜一は懐に入れていた茶封筒を男に手渡す。受け取るなり田代は封筒の中を改め、喜一にだけ聞こえる舌打ちをした。
「少ねえな」
「……すいません。今週は、まだありますから」
「…………」
嫌みな溜め息を吐き、男は役場を出て行った。いつものことだが、機嫌を損ねると後が面倒だ。これは仕方の無いことだった。給金の一部を割いて渡しさえすれば、あの親父は教会へごみを撒きにこない。田代が来たということは、他の隣人達も頃合いだろう。客人がいるうちは、「慰謝料」をせびる頻度が上がるに違いない。
「田代の爺も暇なようだな」
「課長……。ご迷惑おかけして」
「いい、いい。あの爺さんもさ。可愛がりに来てるんだ。立派になって、てな」
「はは……」
こうした会話もとうに慣れた。小さな町で厄介者とされているのは、喜一たち孤児院側の人間だ。町に来て間もない頃にスリをした孤児が、その慰謝料を払えるまでに成長して、手堅い役人になった。だからこれは、当然のことだ。いつまで払い続ければ良いかなんて聞くのは反省していない証拠で、みっともないことだから。喜一はいつまでも謝り続ける。そう考えるにも苦しさは感じなくなった。
「田代さんのところ、お孫さんが生まれるのはもうすぐですかね。……お祝いを持って行かないと」
役場の職員は怪訝な顔をした。何を言っているのかわからないといった表情であった。
「田代の爺さんは、ずっと独り身だろうが」
微妙な沈黙が流れた。喜一は思った。———、まただ。
「そ、うですよね。すいません、変なことを……、言って……」
「おいしっかりしてくれ。帰れないほど仕事は残ってるのに頭がいかれちまったのか」
具合が悪くたって、まだ帰してやれんぞ。そう野次が飛ぶ。誰かが笑った。
「また雪乃さんが来なきゃいいけどな。遅い仕事をフォローして、責められたらたまらんよ」
「そんなことは……、あの、」
「まあそう言うな。こいつは身内じゃないか」
上司に肩を叩かれると、そこから腐ってなくなって、心の臓まで毒が回るようだった。
身内。あの日、喜一は、こっち側について、この汚らしい世界の住人になった。
「お兄さんのことは残念だったが、よくやってくれたのは皆わかってる。そんな顔をするな、お前は身内だよ」
……だから、これは罰なのだ。口の端を懸命に持ち上げて、喜一は干からびた感謝を述べた。
部屋は綺麗に整えられ寝具も使った痕跡はなく、眠る妊婦の隣で炭鉱夫はだんまりを決め込んでいた。
たったさきほど縺れ合っていたオーガと兄は初めて見たときと同じ人間の夫婦にしか見えない。この状態で町の住人へ触れ回ったとして、気が狂ったとしか思われないだろう。或いは本当に気が可笑しいのは自分かもしれないという恐れが、胸中を蝕んでいく。
いくら片付けても終えられない仕事は昼を少し回ったところで中断となった。形式だけの退勤記録をつけ、喜一はデスクを立つ。
役場の入り口に行けば、田代の親父が顔を出している。酒焼けした真っ黒い顔を歪ませて、腕組みしながら喜一を待っていた。
「一丁前に働いてるみてえじゃねえか、坊主」
「……田代さん。あの」
「いいからよ、ほら、渡すモンあんだろ?」
こうなることはわかっていた。喜一は懐に入れていた茶封筒を男に手渡す。受け取るなり田代は封筒の中を改め、喜一にだけ聞こえる舌打ちをした。
「少ねえな」
「……すいません。今週は、まだありますから」
「…………」
嫌みな溜め息を吐き、男は役場を出て行った。いつものことだが、機嫌を損ねると後が面倒だ。これは仕方の無いことだった。給金の一部を割いて渡しさえすれば、あの親父は教会へごみを撒きにこない。田代が来たということは、他の隣人達も頃合いだろう。客人がいるうちは、「慰謝料」をせびる頻度が上がるに違いない。
「田代の爺も暇なようだな」
「課長……。ご迷惑おかけして」
「いい、いい。あの爺さんもさ。可愛がりに来てるんだ。立派になって、てな」
「はは……」
こうした会話もとうに慣れた。小さな町で厄介者とされているのは、喜一たち孤児院側の人間だ。町に来て間もない頃にスリをした孤児が、その慰謝料を払えるまでに成長して、手堅い役人になった。だからこれは、当然のことだ。いつまで払い続ければ良いかなんて聞くのは反省していない証拠で、みっともないことだから。喜一はいつまでも謝り続ける。そう考えるにも苦しさは感じなくなった。
「田代さんのところ、お孫さんが生まれるのはもうすぐですかね。……お祝いを持って行かないと」
役場の職員は怪訝な顔をした。何を言っているのかわからないといった表情であった。
「田代の爺さんは、ずっと独り身だろうが」
微妙な沈黙が流れた。喜一は思った。———、まただ。
「そ、うですよね。すいません、変なことを……、言って……」
「おいしっかりしてくれ。帰れないほど仕事は残ってるのに頭がいかれちまったのか」
具合が悪くたって、まだ帰してやれんぞ。そう野次が飛ぶ。誰かが笑った。
「また雪乃さんが来なきゃいいけどな。遅い仕事をフォローして、責められたらたまらんよ」
「そんなことは……、あの、」
「まあそう言うな。こいつは身内じゃないか」
上司に肩を叩かれると、そこから腐ってなくなって、心の臓まで毒が回るようだった。
身内。あの日、喜一は、こっち側について、この汚らしい世界の住人になった。
「お兄さんのことは残念だったが、よくやってくれたのは皆わかってる。そんな顔をするな、お前は身内だよ」
……だから、これは罰なのだ。口の端を懸命に持ち上げて、喜一は干からびた感謝を述べた。
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