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翡翠挽回 上:グリーン編
リスノワの用心棒
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清一はギレオが好きだ。素直に気の良い男で勤勉かつおおらか、人として尊敬している。そもそも経験則として、オーガ族は概して大らかで豪気、懐の広い種族だ。大酒飲みの彼らと話をするのは楽しい。しかし清一が好むのは彼らの武勇伝の聞き手に回ることであり、決して己の黒ずみのような過去を根掘り葉掘りされることではなかった。
もうだいぶできあがったギレオの昂揚した声が恐ろしい。
「……っでさァ!!そん時こいつが言ってやったわけよッ!!『クツワの縫い目がぁ~あ――ほつれぬ、うちに――。』ってな!!!」
キャー!と黄色い悲鳴が酒場の空気を否応なく盛り上げてしまう。ここまで泥酔しておいて、一般の魔族に聞かれてはまずい詳細のみぼかして話せるギレオは何なんだろう。だいたい終業前であるのにわらわらと卓に集まってくるサキュバスたちにも納得いかない。これも仕事よと言い含められカクテル作りを強いられる腕は腱鞘炎を起こしそうだった。「産業廃棄物X」と名付けられたかわいそうな毒酒が磨き抜かれた黒檀のバーカウンターを滑っていく。
「う……ぅう!!ギレオさん!飲み過ぎですよ!!」
カウンター内へ椅子まで持ち込んで絡み始めた友人に哀れなバーテンが悲鳴をあげる。嘉名ことグリーンを追い返した直後から彼の様子がおかしい。オーガ族は荒事の話題になるとテンションが空高く上昇して、戻ってこれなくなる。
「あんだよいいだろぅオ~ッ!?だいたい、飲みんとき俺ばっか!話してんじゃねえか!!なァ!教えてくれよもっとお前のことをよぉ!!!」
「臭い!重いッ!!み、水を……水をのんで……」
「あ?なに?……そうだ!皆聞いてくれよ、こいつすっげえふたつな?があってさ!!二つ名!!マジすげえの!!そんなん誰も言われたことないじゃん!?ってやつ!!なア!!!言ってやれよアオイッ!!!こいつらに俺は鬼狩り清一ですって!!!!教えてやろうぜッ!!!!!」
「もうやめてェ……ッ!!」
赤恥を晒すことに耐えきれなくなった清一は救いを求めるよう店の大時計を見た。あとさんじかん。半分白目を剥いてわくわくと腕を振り上げるギレオの首にヘッドロックをかけようか思案して、結局断念する。全く純粋な善意から彼なりの賛美を向けてくれているのに手荒なことはできない。そう、ただギレオは自慢してくれているだけ。コイツすげえんだぜと。……同僚と、その恋人たちに。
「見ってみったい!!ブルーのいいとこ見てみたい!!ハイ!!ハイ!!ハイハイハイハイ!!」
客がカウンターに向けて投げた色とりどりの果物が宙を舞う。清一が諦めてバースプーンを一振り、落下した切片をキャッチしたギレオが目にも留まらぬ速さで皿に盛り付けだす。
「真空切りフルーツパフェ一丁、お待ちィ!!」
「キャーッ!!すっご~い!!断面が瑞々しい!」
「内側からさくっと砕けて食感が楽しいわね~!」
大盛り上がりである。ギレオの創作メニューは同僚とその顧客を等しく虜にした。彼の守備範囲は広い。クリームたっぷりアラモード、生ハムのせ、カプレーゼ、白和えに果物入りポテトサラダまで大盛況だ。全くフルーツが関係ないオムライスなど注文されているが、ギレオは全ての無茶ぶりを実現させてしまう。ひっきりなしのリクエストに頭がくらくらする。カウンター奥の小っちゃいコンロ、そんなに火力あったんだ……。
食堂と化した酒場へとオーナーが入ってきた。ライブクッキング会場の渦中で清一の脳裏に解雇の二文字がよぎる。リリスは目を丸くしたあとくるくると辺りを見回し、贅沢にレースのあしらわれた夜会ドレスをはためかせ、常設されたグランドピアノの前に腰を下ろした。
――大魔族直々のロイヤルな演奏が皆様の御食事に華を添えます――。
演奏好きのサキュバス数名が手持ちの楽器を持ち出してきたとき、リリスは黙々果物を刻み続ける清一へ熱いウインクを贈った。「許す。続けろ」……そういうことだろう。清一は諦めて遠くを見た。飾り切りの精度が想定外の速度で上がっていく。その日、飲食メニューの売り上げは過去百年で最高額に到達した。
「あなたたち最高よ!!」
産業廃棄物Xをジョッキで飲み干してリリスはご満悦だ。右手には利益勘定用の銀盤、高級店ならではの価格設定とはいえ一日ではありえない売り上げが計上されている。
「す、すいません……勝手にメニュー増やしちゃって……」
疲弊し切った新米バーテンダーが頭を下げる。
「いいわよ、臨時メニューってことにすればいいもの。全部このドリンクみたいじゃ店の評判に関わるけど……軽食メニューは商品としての水準を随分上回ってるわ。料理が単純に美味しい。彼、技術があるのね。あとこの、果物メニュー強いわね……。歯触りが楽しい。なんで内側から破砕されてるのかはわからないけど」
リリスが人形のような小顔にホイップクリームをつけながら食べているのはシンプルなフルーツサンドだ。
「……適当な道具で切ると、そういう傷ができてしまうんです。刃先を振った振動を利用して……。果物の内側に真空を作って、対象が破裂寸前で脆くなった表面まで一気に切り崩します」
「ふぅん!!理屈はわかったようで全然わかんないけど。面白いわ!!味が濃くなったような気がする。貴方のこれも、すごい才能ね」
上機嫌の雇用主を前に清一は居住まいを正す。この人の評価にはてらいがないので、時折言葉の受け取り方がわからない。足下でいびきをたてている友人の功績を掠め取らないように、清一は苦笑する。
「…………ギレオさんがいたから。俺は何も」
リリスは宝石のような瞳をぱちくり、青年を見つめる。思案顔で視線を散歩させ、また笑顔で清一を見た。
「貴方は少し、怖がりね」
「…………」
「自分への評価はそのまま受け取っていいのよ。誰かのものにしてしまうと、どこを向いて進んでいいのかわからなくなるわ。……貴方の剣は、技術は、とても尊いもの。ヒトという種族では辿り着き得ないほどに。きっと、その人生全てを注ぎ込んで磨いたものでしょう。誇っていいのよ」
「……そうでしょうか」
「そうよ!」
「……この技で、多くの魔族を殺していても?」
青年の声は落ち着いていた。怒りも悲しみもあらゆる感情を抑え込んだ、自責の静けさ。
「刃先が潰れても。あなた方魔族の分厚い皮膚を両断できるように考案された技です。……こういうものを、俺は幾つも知っています。今も……やろうと思えば、いつだって。――そういうニンゲンが貰っていい言葉かどうか、わかりません」
卑屈になっているわけではなく、事実として清一は人殺しだ。魔族はヒトとなんら変わらない種族だとわかってしまった日から、己の為したことを思い返し続けている。血で贖わなければならない暮らしがあった。魔界と人間界の継ぎ目にも、都市から弾き出された人々の村があったのだ。しかしそれは、魔族にも同じことである。
仕方なかった?本当に?……もっとうまくことを収める方法があったのではないだろうか。
腕、脚や首を落とした者達のその後を、清一は知らない。それは間違いなく罪だ。だけれど、旗印としてもちあげてくれた人間達への責任の果たし方も、今以て尚わからない。都市部の防衛のためは当然として、ああしていなければ潰れた村が幾つもあった。同時に奪わずに済んだものも、数え切れないほど思い起こされる。
「進むことを決めました。俺には何よりも優先すべき家族がいる。……だけれど時々、目を背けたつけが息子に降りかからないか、ひどく不安になります。本当に身勝手な、自分本位な話ですが」
澱んだグリーンの瞳が思い出される。あれは間違いなく降りかかる火の粉だ。かつての仲間と対峙した際、清一の頭に浮かんだ選択肢は対話だけではなかった。形ばかりの謝罪をしながら、胸の内ではチョーカーの輪郭を刃先で横断してやろうか思案していたのだ。まだ生々しく、清一の中には『人殺し』が息づいている。
それらを抱えたまま———果たしてやり直せるだろうか。真っ当な職業につく資格はあるだろうか……。グリーンがどう仕掛けてくるかわからない現状、このまま働き続ければ店に迷惑をかけることは明白だ。
昏く濁る翡翠の瞳を思い出し、青井はグラスを磨く手を止める。
「店長……やっぱり俺、このお店……」
———リリスは黙って話を聞いていたが、やがて澄んだ瞳で頷いた。
「……私ね!こういうの、できるの!!」
「えっ」
細い指先が打ち鳴らされる。火花が瞬きを許さない速度で鼻先に飛来し、被弾寸前で赤い花びらを散らして爆発した。熱と空気の振動が鼻っ柱に伝わってくる。
「うわッ!!な、なに……」
「えっとね。この火球に当たると魔女の呪いがかかるのね。古典的な方法を掛け合わせてるから解除はほぼ不可能で、末端から心臓部に向かって身体が分解されるわ。じわじわとね、花びらの山ができるの」
「そんな危険な技を人に向かって撃たないでください!」
熱を感じた鼻を押さえて抗議する。微塵も殺気を感じなかったために受け身が取れなかった。可憐な彼女はというと、そうよねえと穏やかに笑っている。
「そう思うわ。……誰かを傷つけようと思うから危険なのよ。技術は使いようだから……。これもねえ、私が身動きできない頃に考えたの。近づいてくる子達を片っ端から挽肉にしちゃうのに、それを片付けに行くこともできなかった頃」
二千年は前の話だという。周りを埋め尽くす腐乱した死肉に耐えかねて、リリスはこの技を編み出した。
「その内淫魔としても魔女としても、パワーマックスのリリスちゃんになって、自由の身になれたんだけどね。この魔法、『赤子ちゃん』って呼んでるのよ。空中に撃っても大気中の魔素を花びらに変換できるから、生まれたてのサキュバスに見せてあげると喜ぶんだ~」
指を鳴らす度、深紅の花びらが空中に舞い上がる。カウンターテーブルを美しい花弁が彩り、その向こうでリリスが微笑む。
「復讐はね!されるわよ!!」
青年が息を呑む。花のような彼女は笑い飛ばした。
「でも殺されてやらない!!まだまだやりたいことがいっぱいあるの!眷属達全員ひっくるめて、魔界で一番幸せに生きてやるわっ!!
――精一杯やってきたんでしょ。それで、ブルーちゃんはまだ生きてる!!林檎ひとつで皆を笑顔にできたんだもの。もっと色んなこと、やってみたらいいわ。昔やらかしたことが追いかけてきたんなら、順繰りにやっつけていけばいい。だってそうするしかないんだもの!!」
「そ、……そういう……ものですか」
「そうよ!!見てなさい、赤子ちゃん。すぐにわかっちゃうんだから!!」
だから安心して、私の店で働いてね。清一は戸惑いながら、がっちり捕まえられた両手を握り返した。確かに……そういうものかもしれない。魔界に引き渡された以上、ヒーローとして自分ができることはなくなってしまった。償う機会さえ与えられない。立場上の責任はそこで取り上げられてしまって、あとはどうやって。誰のために生きていくか。
陽光を受けた海原に星屑を撒いたような瞳が、清一を見ていた。自分のような小僧では到底計れない御仁である。
「なんとかならなかったら、誰が何をしてきたって従業員特典でなんとかしてあげる。産業廃棄物X、おかわり頂戴」
「……。……店長になら、いくらでも」
リスノワのバーテンダー兼用心棒がバースプーンを握る。毒酒が煙をたてるテーブルの下、気持ちよく酔い潰れたオーガが寝言をこぼしている。もっとおしえろよ、おまえのこと。清一はしゃがみこみ、フライパンを振り続けてくれた友の身体に上着をかける。もう少し経ったら、迎えが来る筈だから――。せめてそれまでは、ゆっくり休んでもらおう。
もうだいぶできあがったギレオの昂揚した声が恐ろしい。
「……っでさァ!!そん時こいつが言ってやったわけよッ!!『クツワの縫い目がぁ~あ――ほつれぬ、うちに――。』ってな!!!」
キャー!と黄色い悲鳴が酒場の空気を否応なく盛り上げてしまう。ここまで泥酔しておいて、一般の魔族に聞かれてはまずい詳細のみぼかして話せるギレオは何なんだろう。だいたい終業前であるのにわらわらと卓に集まってくるサキュバスたちにも納得いかない。これも仕事よと言い含められカクテル作りを強いられる腕は腱鞘炎を起こしそうだった。「産業廃棄物X」と名付けられたかわいそうな毒酒が磨き抜かれた黒檀のバーカウンターを滑っていく。
「う……ぅう!!ギレオさん!飲み過ぎですよ!!」
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「臭い!重いッ!!み、水を……水をのんで……」
「あ?なに?……そうだ!皆聞いてくれよ、こいつすっげえふたつな?があってさ!!二つ名!!マジすげえの!!そんなん誰も言われたことないじゃん!?ってやつ!!なア!!!言ってやれよアオイッ!!!こいつらに俺は鬼狩り清一ですって!!!!教えてやろうぜッ!!!!!」
「もうやめてェ……ッ!!」
赤恥を晒すことに耐えきれなくなった清一は救いを求めるよう店の大時計を見た。あとさんじかん。半分白目を剥いてわくわくと腕を振り上げるギレオの首にヘッドロックをかけようか思案して、結局断念する。全く純粋な善意から彼なりの賛美を向けてくれているのに手荒なことはできない。そう、ただギレオは自慢してくれているだけ。コイツすげえんだぜと。……同僚と、その恋人たちに。
「見ってみったい!!ブルーのいいとこ見てみたい!!ハイ!!ハイ!!ハイハイハイハイ!!」
客がカウンターに向けて投げた色とりどりの果物が宙を舞う。清一が諦めてバースプーンを一振り、落下した切片をキャッチしたギレオが目にも留まらぬ速さで皿に盛り付けだす。
「真空切りフルーツパフェ一丁、お待ちィ!!」
「キャーッ!!すっご~い!!断面が瑞々しい!」
「内側からさくっと砕けて食感が楽しいわね~!」
大盛り上がりである。ギレオの創作メニューは同僚とその顧客を等しく虜にした。彼の守備範囲は広い。クリームたっぷりアラモード、生ハムのせ、カプレーゼ、白和えに果物入りポテトサラダまで大盛況だ。全くフルーツが関係ないオムライスなど注文されているが、ギレオは全ての無茶ぶりを実現させてしまう。ひっきりなしのリクエストに頭がくらくらする。カウンター奥の小っちゃいコンロ、そんなに火力あったんだ……。
食堂と化した酒場へとオーナーが入ってきた。ライブクッキング会場の渦中で清一の脳裏に解雇の二文字がよぎる。リリスは目を丸くしたあとくるくると辺りを見回し、贅沢にレースのあしらわれた夜会ドレスをはためかせ、常設されたグランドピアノの前に腰を下ろした。
――大魔族直々のロイヤルな演奏が皆様の御食事に華を添えます――。
演奏好きのサキュバス数名が手持ちの楽器を持ち出してきたとき、リリスは黙々果物を刻み続ける清一へ熱いウインクを贈った。「許す。続けろ」……そういうことだろう。清一は諦めて遠くを見た。飾り切りの精度が想定外の速度で上がっていく。その日、飲食メニューの売り上げは過去百年で最高額に到達した。
「あなたたち最高よ!!」
産業廃棄物Xをジョッキで飲み干してリリスはご満悦だ。右手には利益勘定用の銀盤、高級店ならではの価格設定とはいえ一日ではありえない売り上げが計上されている。
「す、すいません……勝手にメニュー増やしちゃって……」
疲弊し切った新米バーテンダーが頭を下げる。
「いいわよ、臨時メニューってことにすればいいもの。全部このドリンクみたいじゃ店の評判に関わるけど……軽食メニューは商品としての水準を随分上回ってるわ。料理が単純に美味しい。彼、技術があるのね。あとこの、果物メニュー強いわね……。歯触りが楽しい。なんで内側から破砕されてるのかはわからないけど」
リリスが人形のような小顔にホイップクリームをつけながら食べているのはシンプルなフルーツサンドだ。
「……適当な道具で切ると、そういう傷ができてしまうんです。刃先を振った振動を利用して……。果物の内側に真空を作って、対象が破裂寸前で脆くなった表面まで一気に切り崩します」
「ふぅん!!理屈はわかったようで全然わかんないけど。面白いわ!!味が濃くなったような気がする。貴方のこれも、すごい才能ね」
上機嫌の雇用主を前に清一は居住まいを正す。この人の評価にはてらいがないので、時折言葉の受け取り方がわからない。足下でいびきをたてている友人の功績を掠め取らないように、清一は苦笑する。
「…………ギレオさんがいたから。俺は何も」
リリスは宝石のような瞳をぱちくり、青年を見つめる。思案顔で視線を散歩させ、また笑顔で清一を見た。
「貴方は少し、怖がりね」
「…………」
「自分への評価はそのまま受け取っていいのよ。誰かのものにしてしまうと、どこを向いて進んでいいのかわからなくなるわ。……貴方の剣は、技術は、とても尊いもの。ヒトという種族では辿り着き得ないほどに。きっと、その人生全てを注ぎ込んで磨いたものでしょう。誇っていいのよ」
「……そうでしょうか」
「そうよ!」
「……この技で、多くの魔族を殺していても?」
青年の声は落ち着いていた。怒りも悲しみもあらゆる感情を抑え込んだ、自責の静けさ。
「刃先が潰れても。あなた方魔族の分厚い皮膚を両断できるように考案された技です。……こういうものを、俺は幾つも知っています。今も……やろうと思えば、いつだって。――そういうニンゲンが貰っていい言葉かどうか、わかりません」
卑屈になっているわけではなく、事実として清一は人殺しだ。魔族はヒトとなんら変わらない種族だとわかってしまった日から、己の為したことを思い返し続けている。血で贖わなければならない暮らしがあった。魔界と人間界の継ぎ目にも、都市から弾き出された人々の村があったのだ。しかしそれは、魔族にも同じことである。
仕方なかった?本当に?……もっとうまくことを収める方法があったのではないだろうか。
腕、脚や首を落とした者達のその後を、清一は知らない。それは間違いなく罪だ。だけれど、旗印としてもちあげてくれた人間達への責任の果たし方も、今以て尚わからない。都市部の防衛のためは当然として、ああしていなければ潰れた村が幾つもあった。同時に奪わずに済んだものも、数え切れないほど思い起こされる。
「進むことを決めました。俺には何よりも優先すべき家族がいる。……だけれど時々、目を背けたつけが息子に降りかからないか、ひどく不安になります。本当に身勝手な、自分本位な話ですが」
澱んだグリーンの瞳が思い出される。あれは間違いなく降りかかる火の粉だ。かつての仲間と対峙した際、清一の頭に浮かんだ選択肢は対話だけではなかった。形ばかりの謝罪をしながら、胸の内ではチョーカーの輪郭を刃先で横断してやろうか思案していたのだ。まだ生々しく、清一の中には『人殺し』が息づいている。
それらを抱えたまま———果たしてやり直せるだろうか。真っ当な職業につく資格はあるだろうか……。グリーンがどう仕掛けてくるかわからない現状、このまま働き続ければ店に迷惑をかけることは明白だ。
昏く濁る翡翠の瞳を思い出し、青井はグラスを磨く手を止める。
「店長……やっぱり俺、このお店……」
———リリスは黙って話を聞いていたが、やがて澄んだ瞳で頷いた。
「……私ね!こういうの、できるの!!」
「えっ」
細い指先が打ち鳴らされる。火花が瞬きを許さない速度で鼻先に飛来し、被弾寸前で赤い花びらを散らして爆発した。熱と空気の振動が鼻っ柱に伝わってくる。
「うわッ!!な、なに……」
「えっとね。この火球に当たると魔女の呪いがかかるのね。古典的な方法を掛け合わせてるから解除はほぼ不可能で、末端から心臓部に向かって身体が分解されるわ。じわじわとね、花びらの山ができるの」
「そんな危険な技を人に向かって撃たないでください!」
熱を感じた鼻を押さえて抗議する。微塵も殺気を感じなかったために受け身が取れなかった。可憐な彼女はというと、そうよねえと穏やかに笑っている。
「そう思うわ。……誰かを傷つけようと思うから危険なのよ。技術は使いようだから……。これもねえ、私が身動きできない頃に考えたの。近づいてくる子達を片っ端から挽肉にしちゃうのに、それを片付けに行くこともできなかった頃」
二千年は前の話だという。周りを埋め尽くす腐乱した死肉に耐えかねて、リリスはこの技を編み出した。
「その内淫魔としても魔女としても、パワーマックスのリリスちゃんになって、自由の身になれたんだけどね。この魔法、『赤子ちゃん』って呼んでるのよ。空中に撃っても大気中の魔素を花びらに変換できるから、生まれたてのサキュバスに見せてあげると喜ぶんだ~」
指を鳴らす度、深紅の花びらが空中に舞い上がる。カウンターテーブルを美しい花弁が彩り、その向こうでリリスが微笑む。
「復讐はね!されるわよ!!」
青年が息を呑む。花のような彼女は笑い飛ばした。
「でも殺されてやらない!!まだまだやりたいことがいっぱいあるの!眷属達全員ひっくるめて、魔界で一番幸せに生きてやるわっ!!
――精一杯やってきたんでしょ。それで、ブルーちゃんはまだ生きてる!!林檎ひとつで皆を笑顔にできたんだもの。もっと色んなこと、やってみたらいいわ。昔やらかしたことが追いかけてきたんなら、順繰りにやっつけていけばいい。だってそうするしかないんだもの!!」
「そ、……そういう……ものですか」
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「……。……店長になら、いくらでも」
リスノワのバーテンダー兼用心棒がバースプーンを握る。毒酒が煙をたてるテーブルの下、気持ちよく酔い潰れたオーガが寝言をこぼしている。もっとおしえろよ、おまえのこと。清一はしゃがみこみ、フライパンを振り続けてくれた友の身体に上着をかける。もう少し経ったら、迎えが来る筈だから――。せめてそれまでは、ゆっくり休んでもらおう。
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