2 / 7
2
しおりを挟む
バレンタイン当日ということで、校内のあちらこちらで一喜一憂する男子の姿、友チョコを交換する女子の姿が見受けられていた。
私は休み時間になるたびに逃げ回っていた。
「怜花ちゃんはどこに行ったんだろう? ……素直じゃない、照れ屋さんだからなぁ」
なんて、ドア一枚を隔てた向こうで呟かれた時には寒気がした。
ましゃに見つかるとまずい。
顔はいいから、チョコレートを渡したい女子はいるのに、義理チョコすら拒絶しているらしい。
ましゃは私と別れていることを周囲に伝えていないようで、喧嘩中という状態なんだと広められていた。
私が別れたと言っても、みんな信用していない。
説明したところで、犬も食わない話だからやめてくれと笑い飛ばされるだけだった。
「じゃあ、出席番号でペアになってお互いの顔をデッサンしてみて」
ジャージにサンダルという姿の先生は、生徒たちに指示を出した。
私とペアになった子が描いている間、じっと先生のことを見つめた。
前髪があると幼さがあるし、表情豊かで笑顔には親しみやすさがある。
――昨日は、怪しい雰囲気に包まれていたのに。
あれから何度も、あの無感情な黒い目を思い出している。
「はあ」と吐息を漏らせば、周囲からの視線が刺さるようだった。みんなこっちを見過ぎ。
私が視線を返せば、みんなバツが悪そうに目を伏せる。何も見ていないフリをするかのように。
ただ考え事をしていただけなのに、私の何が、そんなに気になるんだろう。
授業が終わり、昼休みになった。
生徒たちがそれぞれバラけていくのを見送り、私は誰にも見られないように美術準備室に潜り込んだ。
後ろ手にドアを閉める。
「……先生」
購買のパンと牛乳をデスクに置いて、先生はご飯を食べるところだったみたい。
人好きのする顔で「ん?」と聞き返される。
……違う、これじゃないのに。
「昨日のことなんだけど」
引きずり出したくて、その話題を出す。
けれど先生は仮面を剥がなかった。
「柾木がうろついているみたいだな。大丈夫か?」
こちらを気遣うような優しい声。
何もする気がないくせに、心配していますと言いたげで腹が立つ。
「大丈夫じゃないって言ったら、助けてくれますか? ……先生、助けてよ」
「それは……」
話を遮るように、ドアがノックされた。
「はい」と先生は返事をした。
「あら? お取り込み中でしたか?」
数学担当の早本先生だった。
……一瞬、ましゃが来たのかと焦った。
早本先生は私を見つけ、顔色を曇らせた。
「大丈夫ですよ。どうしましたか?」とパンを食べながら先生は話を促した。
「えっと……」と言い淀む早本先生の手元には、小さなショッパーがあった。
……高級チョコレートだ。
「これみんなに配っているんですけど、先生も食べてくださいね」
「わざわざありがとうございます」
「じゃあ、また」なんて後ろ髪を引かれるようにして、早本先生は出ていく。
チラリとこちらを見る表情は浮かないものだった。
机の上に置かれたショッパーを見る。
「それ、本当にみんなに配っていると思う?」
「……まさか」と先生は笑った。
スイッチが切り替わったように、あの冷たい目をして。
「配らないって言ってたじゃん、先生同士でも」
「義理チョコは、な。……でも、本人が言うんだからみんなに配っているんだろう」
そう扱うのだと、宣言されているようだった。
「そのチョコ、食べるの?」
「……」
「もったいない。高いのに」
そう責めれば、先生はショッパーを手に取り、中に入っていたチョコの包みをおもむろに開け始めた。
丸いトリュフをつまみ上げたかと思えば、「広瀬」と呼ばれた。
その目は「来い」と言っているようで、吸い寄せられていく。
「ほら」と言って、私の唇にチョコレートが差し出された。
口を開かずにいると、じとっとした目が促してきた。ぱくりとかじりつけば、チョコレートの香りが口の中に広がった。
「美味いか?」
「……自分で食べないんだ」
「残りも全部やるよ」
ショッパーを押し付けられた。悪い大人だな。
「先生からバレンタインのチョコをもらっちゃった」
「嬉しいだろう?」
「……何もしていないくせに」
早本先生の想いを踏みにじっているようで、それは先生と共犯になるようだった。
* * *
「うーん……」
早本先生のチョコレートを持ちながら、教室へと帰っていた。
さっきのやりとりが刺激的で、脳を焼かれたような気分だった。
だから、ぼんやりしすぎていたと思う。
「怜花ちゃん」
後ろから声を掛けられ、飛び上がった。
慌ててブレザーの中にチョコレートを隠した。
「……ましゃ」
にこにこと笑いながら、ましゃは立っていた。
「やっと会えて良かった」と言われて、同意しかねる。
「どこに行ってたの? ……今日は怜花ちゃんとかくれんぼしていたみたいだった。本当にあなたって男を焦らすのが上手だよね」
「そんなこと、したつもりはない」
「その拗ねたような上目遣い、大好き」
こんなこと言う人じゃなかった。
ずっとそんな風に思っていたの?
別れてからの豹変具合に驚いていると、スンッとましゃが鼻を鳴らした。
「……チョコレートの匂いがする」
「……」
口の中には、早本先生のチョコレートの甘さが残っていた。それを嗅ぎ取ることに戦慄を覚える。
「俺の分は?」と首を傾げながら、ましゃは笑顔を深めた。
「人から貰ったものを食べたの」
「ねえ、俺の分は?」
「……ましゃにも分けようか?」
それで納得してくれるならと、隠していたチョコレートを差し出す。
しかし、ましゃの目は冷たかった。
「いらない。そんな誰かの手垢の付いたもの。あなた以外のものなんて、汚らしい」
はっきりと切り捨てられた言葉。
一切の迷いを見せない思考に、足が震えそうになった。
「……ましゃ、チョコレートは用意してないの。昨日も言ったと思うけど……」
「鉄ちゃんは、ちゃんと“教育”してくれなかったんだね」
忌々しそうに、ましゃは言った。
教育って、何。
「大人なんて信用できないな。もう鉄ちゃんに近づいたら駄目だよ、怜花ちゃん。俺が全部教えてあげるから安心していいよ」
恍惚とした表情で、ましゃは視線で私を舐めまわした。頭から足の先まで見られている。
その感覚が全部伝わってきて、気持ちが悪い。
「チョコレートのことは、ちゃんと反省してね。恋人である俺に用意していなかった。それは怜花ちゃんが悪いことだからね」
もう恋人じゃないのに。
いつの間にか復縁させられていた。
……でも、私はそれを止めることをやめた。
先生の「お前もこっち側の人間なのに、無自覚でいる」という言葉を思い出したからだ。
人を狂わせる側だという、先生が見ている世界。
ましゃといれば、知れるのかな?
唇を舐める。
ほんのりとチョコレートの味がしたような気がする。
あのチョコレートを食べた瞬間みたいに、先生と共犯になってみたいと、魔が差したんだ。
私は休み時間になるたびに逃げ回っていた。
「怜花ちゃんはどこに行ったんだろう? ……素直じゃない、照れ屋さんだからなぁ」
なんて、ドア一枚を隔てた向こうで呟かれた時には寒気がした。
ましゃに見つかるとまずい。
顔はいいから、チョコレートを渡したい女子はいるのに、義理チョコすら拒絶しているらしい。
ましゃは私と別れていることを周囲に伝えていないようで、喧嘩中という状態なんだと広められていた。
私が別れたと言っても、みんな信用していない。
説明したところで、犬も食わない話だからやめてくれと笑い飛ばされるだけだった。
「じゃあ、出席番号でペアになってお互いの顔をデッサンしてみて」
ジャージにサンダルという姿の先生は、生徒たちに指示を出した。
私とペアになった子が描いている間、じっと先生のことを見つめた。
前髪があると幼さがあるし、表情豊かで笑顔には親しみやすさがある。
――昨日は、怪しい雰囲気に包まれていたのに。
あれから何度も、あの無感情な黒い目を思い出している。
「はあ」と吐息を漏らせば、周囲からの視線が刺さるようだった。みんなこっちを見過ぎ。
私が視線を返せば、みんなバツが悪そうに目を伏せる。何も見ていないフリをするかのように。
ただ考え事をしていただけなのに、私の何が、そんなに気になるんだろう。
授業が終わり、昼休みになった。
生徒たちがそれぞれバラけていくのを見送り、私は誰にも見られないように美術準備室に潜り込んだ。
後ろ手にドアを閉める。
「……先生」
購買のパンと牛乳をデスクに置いて、先生はご飯を食べるところだったみたい。
人好きのする顔で「ん?」と聞き返される。
……違う、これじゃないのに。
「昨日のことなんだけど」
引きずり出したくて、その話題を出す。
けれど先生は仮面を剥がなかった。
「柾木がうろついているみたいだな。大丈夫か?」
こちらを気遣うような優しい声。
何もする気がないくせに、心配していますと言いたげで腹が立つ。
「大丈夫じゃないって言ったら、助けてくれますか? ……先生、助けてよ」
「それは……」
話を遮るように、ドアがノックされた。
「はい」と先生は返事をした。
「あら? お取り込み中でしたか?」
数学担当の早本先生だった。
……一瞬、ましゃが来たのかと焦った。
早本先生は私を見つけ、顔色を曇らせた。
「大丈夫ですよ。どうしましたか?」とパンを食べながら先生は話を促した。
「えっと……」と言い淀む早本先生の手元には、小さなショッパーがあった。
……高級チョコレートだ。
「これみんなに配っているんですけど、先生も食べてくださいね」
「わざわざありがとうございます」
「じゃあ、また」なんて後ろ髪を引かれるようにして、早本先生は出ていく。
チラリとこちらを見る表情は浮かないものだった。
机の上に置かれたショッパーを見る。
「それ、本当にみんなに配っていると思う?」
「……まさか」と先生は笑った。
スイッチが切り替わったように、あの冷たい目をして。
「配らないって言ってたじゃん、先生同士でも」
「義理チョコは、な。……でも、本人が言うんだからみんなに配っているんだろう」
そう扱うのだと、宣言されているようだった。
「そのチョコ、食べるの?」
「……」
「もったいない。高いのに」
そう責めれば、先生はショッパーを手に取り、中に入っていたチョコの包みをおもむろに開け始めた。
丸いトリュフをつまみ上げたかと思えば、「広瀬」と呼ばれた。
その目は「来い」と言っているようで、吸い寄せられていく。
「ほら」と言って、私の唇にチョコレートが差し出された。
口を開かずにいると、じとっとした目が促してきた。ぱくりとかじりつけば、チョコレートの香りが口の中に広がった。
「美味いか?」
「……自分で食べないんだ」
「残りも全部やるよ」
ショッパーを押し付けられた。悪い大人だな。
「先生からバレンタインのチョコをもらっちゃった」
「嬉しいだろう?」
「……何もしていないくせに」
早本先生の想いを踏みにじっているようで、それは先生と共犯になるようだった。
* * *
「うーん……」
早本先生のチョコレートを持ちながら、教室へと帰っていた。
さっきのやりとりが刺激的で、脳を焼かれたような気分だった。
だから、ぼんやりしすぎていたと思う。
「怜花ちゃん」
後ろから声を掛けられ、飛び上がった。
慌ててブレザーの中にチョコレートを隠した。
「……ましゃ」
にこにこと笑いながら、ましゃは立っていた。
「やっと会えて良かった」と言われて、同意しかねる。
「どこに行ってたの? ……今日は怜花ちゃんとかくれんぼしていたみたいだった。本当にあなたって男を焦らすのが上手だよね」
「そんなこと、したつもりはない」
「その拗ねたような上目遣い、大好き」
こんなこと言う人じゃなかった。
ずっとそんな風に思っていたの?
別れてからの豹変具合に驚いていると、スンッとましゃが鼻を鳴らした。
「……チョコレートの匂いがする」
「……」
口の中には、早本先生のチョコレートの甘さが残っていた。それを嗅ぎ取ることに戦慄を覚える。
「俺の分は?」と首を傾げながら、ましゃは笑顔を深めた。
「人から貰ったものを食べたの」
「ねえ、俺の分は?」
「……ましゃにも分けようか?」
それで納得してくれるならと、隠していたチョコレートを差し出す。
しかし、ましゃの目は冷たかった。
「いらない。そんな誰かの手垢の付いたもの。あなた以外のものなんて、汚らしい」
はっきりと切り捨てられた言葉。
一切の迷いを見せない思考に、足が震えそうになった。
「……ましゃ、チョコレートは用意してないの。昨日も言ったと思うけど……」
「鉄ちゃんは、ちゃんと“教育”してくれなかったんだね」
忌々しそうに、ましゃは言った。
教育って、何。
「大人なんて信用できないな。もう鉄ちゃんに近づいたら駄目だよ、怜花ちゃん。俺が全部教えてあげるから安心していいよ」
恍惚とした表情で、ましゃは視線で私を舐めまわした。頭から足の先まで見られている。
その感覚が全部伝わってきて、気持ちが悪い。
「チョコレートのことは、ちゃんと反省してね。恋人である俺に用意していなかった。それは怜花ちゃんが悪いことだからね」
もう恋人じゃないのに。
いつの間にか復縁させられていた。
……でも、私はそれを止めることをやめた。
先生の「お前もこっち側の人間なのに、無自覚でいる」という言葉を思い出したからだ。
人を狂わせる側だという、先生が見ている世界。
ましゃといれば、知れるのかな?
唇を舐める。
ほんのりとチョコレートの味がしたような気がする。
あのチョコレートを食べた瞬間みたいに、先生と共犯になってみたいと、魔が差したんだ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる