あのチョコレートの甘さは、まだ口の中に残っている。

音央とお

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「こっち」

先生の服の袖を引っ張り、リビングに案内した。

ママは綺麗好きだから、いつでも整理整頓された空間だった。生活感がないとも言えるけど。

「ソファに座って待っていて」とそう言って、対面式のキッチンでやかんに火を熾した。
先生は室内をぐるりと見回している。

「……広瀬は」

「ん?」

「大切に育てられた子の、匂いがする」

「そんな風に見える?」初めて言われた。

否定はしないけど肯定もできない。。単純に基準が分からないからだ。

「お前の母親は、夜に男を誘い込んだなんて知ったら泣くんじゃないか?」

その冷たい言い方に、暖房をつけたはずのリビングの空気がひんやりとした。

「……なんで、そんな意地悪言うの?」

「広瀬が男は危険って分かっていないから」

「……分かってる。分かってるから、先生を誘ったんだよ」

やかんの火を止める。
まだお湯は沸いてなんていなかった。

無言で視線を交わせば、先生のほうが先に動いた。
キッチンへとやって来て見下される。

「お前、俺を帰さない気か?」

「コーヒー飲み終わるまでは、いてくれるんだよね?」

「……ああ」

そっと軽く、先生の胸に触れた。
表面上は感情の見えない顔をしているくせに、心臓はうるさいくらいに動いている。

「私のこと好きだよね?」

「好きじゃない」

「嘘つき。いい加減に認めたら?」

胸に耳を当ててみても、先生は拒絶しなかった。

「もっと聞けば」なんて言って、腰に回した手で私の身体を引き寄せられた。うん、よく聞こえるよ。
逃げられない力加減に笑みがこぼれる。

「悪いことしてるみたい」

「……みたいじゃない」

顔を見合わせ、くすくすと二人で笑った。

先生は完全に教師の顔じゃなくなっていた。ここは学校じゃないから、プライベートの先生を独り占めしても咎められない。

……そんなことが、ふと頭によぎった。




*   *   *




春休みを終えて、高校二年生になった。

クラス分けの発表を見に中庭に行けば、先生は担任じゃなかった。
……あんまり期待していなかったけど、残念。

「広瀬さん、同じクラスだよ。よろしく」

「困ったことがあったら言ってね」

「みんなで連絡先を交換しない?」

声をかけてくるのは、男の子ばかりだった。

「あんなに美人だったっけ?」

「春休みになんかあったのかな?」

「大人っぽくなった気がする。……男の影響?」

こそこそ話しているけど、全部聞こえている。

「えっ、こっち見た」

「どうするんだよ」

嫌だなと思って視線を向ければ、男の子たちは慌てふためく。
その様子がおかしくて頬を緩めていると、軽く頭を叩かれた。

「こらっ。……無差別に誘惑するな」

スーツを着た先生が立っていた。
いつもは無造作な前髪がセットされていて、今日だけなんだろうけど面白くなかった。

「鉄ちゃんってあんなに格好良かった?」なんて女子が騒いでいる。
彼に狂わされる覚悟もないくせに。

「新しいクラスで友達作るんだぞ」

先生はそう言うけど、苦笑するしかない。
私に話しかけようとする女の子がいても、別の子が止めていて、友達はできそうになかった。
別に何のトラブルも起こしていないのに、変だよね。

……まあ、いいか。
男の子たちがいるから。
彼らは女の子と違って扱いやすいから、好き。

「じゃあ、先生。また後でね」

周りから見えないように手の甲を撫で、本当は名残惜しさを伝える。
先生はその一瞬だけ目を細め、熱っぽく息を吐いた。

「……待ってるから」

囁きに、身が焦がされそうだった。
数日前に、先生に覚えさせられた熱がまだ燻っている。

相瀬の約束に浮かれながら、私は教室に向かった。
隣の席の人とはペアになったりするだろうから仲良くしないとね。

「あれ? まだ来てないの?」

春の暖かい陽射しを感じながら、隣がやって来るのを待つ。
チャイムが鳴ってからやって来たその人は、こちらを見ようとしない。
緊張が伝わってくるけれど、一年間お世話になるだろうからと、私は上目遣いで微笑んだ。

「柾木くん、よろしくね」

「……うん」

ましゃは、虚ろな目をして私を見ていた。


――ほんの少しだけ先生の目を思い出させるから、捨てたの勿体なかったかな、と思った。


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