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1:状況を把握するだけの簡単なお仕事です[4]

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 元来た道を足早に戻り、部屋に入ってこようとする侍女を断って扉を閉める。自分の部屋に戻って来た途端、安心感で力が抜ける。



「冗談じゃない。こんな生活一ヶ月も続けられる気がしねぇよ。そもそもあいつは何なんだ。急に掴み掛かってきて……」



 ぽつぽつと文句を垂れながらベッドに横になる。起きたばかりだというのに既に疲労困憊、とてもではないが1ヶ月も耐えられそうにない。建国祭を待たずにこんな城さっさと出て行ってしまおうか。しかし、そうすると折角フォルティアの用意してくれた脱出計画が破綻するかもしれない。計画を円滑な成功に導くため、また保身のためにも一ヶ月は何とかここに留まる他ないだろうと辟易とする。


 それにしてもあの兄。どうもキナ臭い。先程の言動からルシウスとフォルティアの穏やかではない関係性が匂うが、フォルティアが明かしていないものは知りようがない。警戒心するに越したことはないが、変に探りを入れるのも避けたほうが良いだろう。


 そういえば、資料によるとフォルティアの年齢は16歳らしい。現代人の感覚だとその年齢は学生であり子どもという認識だが、この国での成人は18歳で、16歳ともなれば成人こそしていないもののほとんど大人の仲間入りを果たしているようなものらしい。またフォルティアは学校には通っていない。この世界における学園とは主に貴族のもので、王族となると一人一人に専属の家庭教師がつくため、基本的に学園には行かないという。フォルティアにも決まった時間家庭教師のつく学習が割り当てられているが、その必要がないくらい優秀だったためほぼ放任されているとのこと。


 学校もなく、これといった仕事もないとなると今日1日やることはかなり限られてくる。フォルティアの日課は魔術研究、実践練習、歴史研究に、行政研究。どこの大学院生だ、と聞きたくなるような生活だがこれをしない事には周囲から怪しまれるだろう。それにいくら指南書があるとはいえ勉強をしておくに越したことはない。この城を出た後に使える知識は一つでも増やしておきたい。


 渋々ベッドから起き上がると壁際にそびえ立った大きな本棚から目ぼしい本を2、3冊引っ張り出し広げる。この世界に来る際、同時に翻訳能力を授かったようで、不思議なことに文字は読め、言葉は解する事ができた。しかし、その代わりに本来の母国語を解する能力をごっそりと失っていた。初日からずっと思っていたことだがこれはいささか不思議な話である。自分の頭の中での思考は常に日本語で行われるのに、口から出るのはなじみのないこの国の言語。一体どう翻訳しているのか見当もつかない。


 物心ついたころから当たり前のように親しんだ言語が分からないのが不愉快で何度か紙に書き出してみたりもしたが、紙には何だかよく分からない記号のようなものが量産されただけで、どれも日本語とは程遠いものだった。文字が書けないどころか言葉を発することもできない。発音さえも分からない。この世界に来てすぐにこの国の言葉が分かるということは理解できたが、日本語が分からなくなるというのは盲点だった。






 ベッドに寝転び手に取った本の内容を読み込む。内容は1割ほどしか理解できなかったが、どうやら魔法について書かれているらしい。正直この分厚い本を読むよりもフォルティアの説明を読んだほうがよほど為になると思う。フォルティアは特に魔法の能力に優れていたらしく、発動条件や解説も、例の指南書に全て細かく記されていた。


 魔法などという非科学的なものを自分が扱えるとは全く思えないが、他人の体に入り込んでいる現状も十分に超常的な現象である。日本語を理解できなくなったように、この世界に適応する為の変化が見られていると思われる。つまり、フォルティアの能力はそのまま受け継がれ、おそらく魔法も使えると考えた方がいいだろう。


 本来、魔法には色々と長ったらしい詠唱が必要だそうだ。正しい人材が、正しい場所で、正しい手順を踏むことによりようやく魔法が発動するというのが通説である。しかし、フォルティアはそれらを必要としない。偽装をするために一応、発動条件をそろえ、詠唱の言葉を欠かすことはないが、詠唱がなくても十二分にその力を発揮することができるとのこと。この力は大変希少で人に知られると厄介だから気をつけろとしつこいくらいに書いてあった。現在この能力を知っているのは本人のみらしい。


 要するに人目のあるところで魔法を使う時の為に、詠唱の句は諳んじれるようになれ、ということだ。詠唱の暗記を最優先事項に認定しつつ、ほんの少し好奇心が騒いだ。



「少しくらい試してもいいよな……?」



 軽く目を閉じ、意識を集中する。不意に身体の熱が手元に集まっていくような感覚がして、指先がぼんやりと温まる感覚に目を開ける。瞼を開けた先、自分のすぐ目の前に直径20cmくらいの綺麗な水の玉が浮いていた。不思議な光景に思わず驚いてしまったその拍子に、ふわふわと宙に浮いていたそれは音を立てて破裂し床を濡らした。



「こ、れは……すごいな」



 茫然と呟いて濡れた床を指でなぞる。しっとりと濡れた感覚にそれが水であることは疑う余地もない。他には何ができるのだろうか。どんどん膨らむ好奇心に押されるまま、何度も色々な魔法を繰り返すうちに要領を覚えすぐに自由に操れるまでに上達した。


 そうなると自然に意識が向くのは例の鏡である。フォルティアはどうやら魔法を使い、この鏡を軸にして異なる世界同士を繋げたらしい。つまりもう一度繋げることが出来れば本人の元へ怒鳴り込みに行くことも可能ということだろう。


 それならば早速と姿見にに駆け寄りまじまじと観察する。どうやらこの鏡、元の世界の自分の部屋においてあったものと全く同じらしい。こんな城に置かれるような立派な鏡と同じものがどうして実家にあったのかは全く分からないが、これが世界を繋ぐ鍵であることは確かだ。


 手の込んだ彫刻が施されているフレーム部分にそっと手を当て、身体の中の温かいものを集め流し込むイメージで自分の中の魔力を注ぎ込む。こんな安直な方法で成功するとは思えないが物は試しだ、やれることはやる。


 どのくらい経っただろうか。体を流れていく暖かなものの感覚が途絶え、代わりに底冷えするような寒さが身体を包み込んだ。あまりの変わりように立っていられず座り込む。一体何がと考えて、すぐに結論に至る。


 魔力切れ、フォルティアの資料には確かそう書いてあった。新しい感覚に夢中になるあまり、限度を忘れて無茶してしまったことを後悔しながらゆっくりと床に倒れると、冷える身体を温めるように自分の腕でかき抱き瞼を下ろした。
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