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第二章 心の拠り所

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 それからすぐのことだ。スケジュール上で、予選の日程が最後まで明らかになった。決勝行きの学校が選ばれるまで、既に残されたゲームは数回だった。
 俺は、現状とこのゲームのルールを考慮して、事を起こすのは予選の最終日しかないと判断した。
 夕暮れの中で九条羽望と些細な矜恃の交換をしたあのとき、俺は決めたのだった。あの瞬間、大切な銀杏の樹の広場を守るための手段として、ゲームで勝つことを。あるいは、受け入れたといってもよかった。もはや有効な方法が、それしか残っていないということを。
 一度思い切って決めてしまうと、まるで初めからわかっていたことのようにも思えてしまう。初めから、優璃の指示したゲームでの勝利が、唯一最後の手立て。きっと俺には分かっていた。ただ迷っていただけだったのだ。
 だからもう、腹を括り、賭けるしかない。望み薄は先刻承知。茨の道も覚悟の上。可能性がゼロでないことだけを、奮起の材料にしている。精神一到何事か成らざらん、という意気込みだ。
 そのために俺は、一見すると非現実的だが、できる限り現実味のある勝利への筋道を考えた。つまりは作戦である。我ら弱小南校が、運とまぐれと、勝利の女神の微笑みの力を借り、優勝へと上り詰めるためのシナリオだ。
 ゲームでの優勝には、二つの勝利が必要になる。一つは、今続いている予選での勝利。そしてもう一つは、決勝での勝利。しかしこれは、裏を返せば、勝つのは二回だけで良いということにもなる。たった二回。予選の最後にフラッグを持つ側となり、あとは決勝で相手を下せば良い。
 つまり端的な話、予選の最後と決勝以外の成績は関係ないのだ。長々と予選の序盤でフラッグを取れずにいたとしても、最後の最後でフラグを奪い、そのまま決勝でも勝利を奪えばオールオッケー。
 普通はこのルールならば、序盤は遊びでも終盤はシビアな雰囲気になると予想するところだが、弱小かつ戦意なしの南校相手だからだろうか、敵にその様子はあまりなかった。
 だから俺は、予選の残りが数回になってからでも、ギリギリまで敵側の調査に徹することにした。予選の最終日まで、そこに合わせて情報を集め、勝ちの芽を育てる。人数の多い西校とは当たりたくないが、東校か、あるいは北校相手ならば、 勝利の確率に縋れるかもしれない。
 ただしこの立ち回り、アリア先輩の言いつけは、多少破ることになると思われる。いや、実はもう既に、わずかだが単独で動いたことはあるので、ちょっとばかり破っている。まあ、勝ちを目指す人と諦めた人の間には、自然と意見の相違が発生するものだ。理想的に事が運んだとして、それでも予選の終了と同時にはバレることになるわけだが……決勝進出を決めてしまえば関係ないだろう。仲間うちでの微妙な行き違いについては、そのときに考えればいいかな、なんて思っていた。
 そして今日も俺は、南校のお遊びに紛れて、敵校の視察に精を出す。
「先輩、大丈夫ですかー」
 数メートル先から、ソラが声を張った。
 ソラとルナが遊戯感覚で敵の偵察隊とやり合うのに、最近は俺も混ざっているのだ。
 交戦中の敵は二人だった。ちょうど今、俺が直接やり合っている。一人は右側上方から、重力に任せて降下気味に蹴りを構えている。もう一人は背後で、俺の回避する先に狙いを定めて追撃準備をしている。
 前者は当然かわす。問題はその次だ。空中に逃げれば、あとは慣性に委ねるしかないので却下。したがって俺は地に沿って平行に逃れた。
 ズシン、と破壊音が響く。一人目のダイブキックは、俺が離れたあとの場所に直径一メートルほどのクレーターを作った。
 二人目が迫ってくる前に、俺は二回ほど地を蹴って鋭角の軌跡を描く。けれども、敵ものろまではない。弧状の軌道で接近してくる攻撃を、俺はかわしきれないと判断した。
 防御に移る。目の前で腕をクロスさせ、盾を作って敵の拳を受け止める。同時に、衝撃で押し切られないよう、両の足先に力を込める。
 接近に際して、敵はもう一方の手を、俺の胸元に伸ばしてきていた。もちろん、シンボルペンダントをとるためだ。それが撃墜の証。とられた者はリタイアとなる。
 まずい。両腕をガードに回しているせいで、上手く防げそうにない。俺は焦った。
 しかし瞬間、聞き慣れた快活な声が高く響く。
「大丈夫じゃなさそうなんで、いきますよっ!」
「上手くよけてください!」
 俺は反射的に真横へ回転、そして受身。
 敵は仰角約六十度で空中へジャンプする。
 直後、俺と敵が二人でせめぎ合っていた場所を中心に、Xを描くかのような白と黒のビーム軌道が発生する。出力が相当高いのか、周りの空気がバチバチ鳴っている。
「おい危ねぇだろ! もろとも殺る気かお前ら!」
 俺は叫んだ。その先は、もちろんソラとルナだ。
 二人は俺の付近まで駆けてきて、標的に対しこちらとの距離が確実に開くように、息の合った追撃を行う。
「よけてって言ったじゃないですかー。ルナが」
 俺の抗議にはソラが、撃ちながらにして、しれっと返す。
「言えばいいってもんじゃないだろ。お前らの援護はいつもいつも、実は俺を狙ってるのかって疑うくらいだ」
「そんなことありませんよー。よく言うじゃないですか、敵を倒すにはまず味方からって」
「違えよそれ騙すときな! 間違えんなよ! あんな綱渡りみたいな援護、そのうちいつかマジで当たっちまう」
「えー、ちゃんとよけてくださいよー。アリア先輩やミュー先輩は、今まで一度も当ったことありません。いつも良い援護だって褒めてくれます。ね、ルナ!」
 ソラは同意を求めてルナに呼びかける。
 ルナは少し惑いながら「う、うん」とだけ頷いた。
 ほんとかよ。あんな乱暴な援護がいい援護なのか? アリア先輩やミューだって、ソラが忘れてるだけで何回か当たってそうなもんじゃないか。特にアリア先輩はお調子者だから、尚更そんな気がするのだが。
「ま、まあ……いいや。とりあえず戦況は立て直せたし。ここから一気に攻めに転じよう」
 俺は腑に落ちない想いを抱えながらも、無理矢理前向きに考えた。
 一通りの追撃のおかげで仕切り直しにはなったし、敵二人はこのまま徐々に後退に移るかもしれない。意外と押せている。少し奥まで踏み込めるチャンスだ。そうしたら、相手校の情報がもっと得られる。
 しかし意気込む俺の横で、ルナが射撃の頻度を緩めつつ言った。
「でも、そろそろ時間ですよ」
 ……時間?
「あ、ほんとだー。もう合流時間だね」
 ソラが時刻を確認して答える。
「待った。でも今は割といい感じだったし、このまま流れに乗っていけるところまで押し切った方が……その、面白いんじゃないか」
 面白い、もとい情報視察として有益。
 この二人は楽しいことに目がない。だから俺は、その性格に合わせて進軍を促した。けれども、二人は似つかわしくない冷静さで判断を下す。
「でも、やっぱり時間は守らないと」
「アリア先輩の決めたことですしねー。大丈夫ですよ、先輩! またそのうち、チャンスもありますから! リベンジはそのときにでも!」
 ソラの言うチャンスがある、というのは敵チームとの交戦のことだろう。その奥まで探るという行為は、この二人の頭の中にはない。
 俺たちのチームでは、たまに出会った相手チームの偵察隊なんかと、こうしてアトラクションのように戦闘を行う。そもそも戦意のない南校チームでは、通常なら喋っているだけで戦闘行為はないに等しいが、ソラやルナみたいなやつらの場合、たまには身体を動かしたくなるらしい。だからそれを考慮した末、たびたびお遊びのような戦いを行うのだった。アリア先輩の定めた、深追い禁止というルールの下で。
「せっかくいいところだったのに……」
 実にもどかしい。
 ソラとルナは、それなりには積極的に敵チームと交戦をする。はぐれ隊のようなやつらを見つけて、自慢のコンビプレイでドンパチやるのが大好きだ。二手に別れる場合、アリア先輩やミューといるよりは、格段にそういった行為に及ぶ確率が高い。
 けれども如何せん、二人は変にお利口さんだった。危なっかしいこともあるし、多少の融通は易々と受け入れるが、それでも決して無闇な深追いをしない。アリア先輩の決めた集合時間を、頑なに守るのだ。
 俺は引き返すソラとルナから拍子一つ分遅れて、仕方なくあとに続いた。敵はそれを見ても、追ってくる様子はなかった。まあ、わざわざ追ってまで俺たちを仕留める意味もないというのが本音だろう。
 その日は渋々、唇を噛む思いで集合場所まで戻ることになった。

 また何回かのゲームを経た。仕掛けるのは予選最後と決めていた俺にとって、その期間はいかに大人しく準備をするかを問われる期間だった。地理と敵戦力の把握は、できる限り正確になるように続けた。
 結果は、まあぼちぼちだ。敵にも味方にも悟られぬように気を配る必要があるため、どうしたって行動範囲に限度がある。歯がゆい思いは拭いきれない。
 そうこうしている間に今日は、予選最後の、一つ前のゲームである。
「あーあ、何だかあっという間に、もうこんな時期かー。今日と次で、今期のゲームも終わり。そのあとは、またみんなと遊べるまで少し時間が空くなー」
 アリア先輩がいつものように、独り言とは思えぬ声量で愚痴を吐いていた。
「決勝戦があって、文化祭があるんですよねー。戦績がリセットされて、また次が始まるまでには、確かに少し日がありますよねー」
 ソラがアリア先輩の横に並び、その愚痴に応答する。
「毎度毎度、行事ごとに区切りがついて仕切り直すときには、ちょっとだけここにこられなくなる。いっつも退屈なんだよなー」
「でもでも、文化祭です! すごく大規模だって聞いていますし、私は初めてだから、とっても期待してるんですよ!」
「そうだなー。まあ、例年通り文化祭もそれなりに楽しめそうだし、しばらくの間は我慢だなー」
 普段通りの光景だ。主に口を開くのは、アリア先輩とソラ。どうやらこれから先の話をしているようだった。
 しかしそこで、二人の会話に横槍を入れるかのごとく、ミューが告げる。
「行事ごとに区切られているんじゃなくて、定期考査ごとに区切られているんですよ、ここのゲームは。文化祭後の定期考査のことも、ちゃんと考えておいてくださいね」
 ピシャリと一言。俺としてもあまり聞きたくない単語を含んだ発言だった。
 実際は、行事とテストはだいたい同時期に行われるので、区切りとしてはどちら基準でも間違っていない。それでも厳密には、ミューの方が正しいというのはわかる。
 まあ……当然のように非難の声が上がるわけだが。
「あーーーー! なんでミュウミュウはいつもそうやって、思い出したくないことを思い出させるかなー! せっかく忘れてたのに!」
「そうですよ! そうですよミュウミュウ先輩! ひどいです! ちゃんと空気読んでください!」
「テストなんてなくなればいいんだ! 頭の良し悪しで個々人に順位を割り当てるなんて極悪非道!」
「そう、極悪非道! 極悪非道! テストなんてなくなればいいんです! なくなればいいんです!」
 アリア先輩とソラは、いきなり揃って喚き出す。土石流のようにドカドカとミューに反論を浴びせる。なくなれ、なくなれ、と騒ぐ姿はまるでどこぞのデモやストライキのようだった。
「ミュウミュウって呼ばないでください」
 対して、ミューはまったく動じない。またもピシャリと定例句を放つのみである。
「もうっ! ミュウミュウ先輩なんて知りません!」
 やがてソラがアリア先輩に抱き付いて言った。先輩もそれをひしっと受け止める。
「まったくだ! そんなことばかり言うミュウミュウは知らない! じゃあ、今日の偵察は私とソラとルナ! んで、残り二人はそっち! ミュウミュウはいじめるならレイにして!」
 二人は涙声で飛び退いてミューから距離を取り、セットになって何処かへと行ってしまった。去り際、ついでのようにルナは手を引っ張ってゆかれ、身体は川に流されるように無抵抗のまま共に消える。自由な方の手は表を見せて小さく振られ、こちらに向かってバイバイをしていた。
 そうやって騒がしい人々がいなくなり、反動のように周りは静かになる。
「ですって。じゃあ指示通り、私はあなたをいじめようかしら」
「おい」
 ドSかよ……。
「てか、どうすんだよ。集合の時間とか場所、決めてないぞ」
「別に、私たちはこのままここにいればいいじゃない。そのうち戻ってくるわよ」
 ミューは口だけを動かして答えた。なるほど。偵察どころか、ここから一歩も動く気すらないと。そりゃそうか。
 何やら気づけばいつの間にか、ミューと二人になってしまっている。最近の俺は、ソラやルナと組むように心がけていたのだが、今日は問答無用で別れ方を決められた。作戦決行の直前だし、俺としては最後まで相手方を探りたかったのだが……。
「じゃあ俺はちょっと、その辺を歩いてこようかな」
 だから、さり気なく一人になろうとする。
「あら、駄目よ」
 が、ノータイムで止められた。
「単独行動はいけないルールでしょう」
「あってないようなものだろう、そんなルール」
「アリア先輩が決めたルールよ。ここではアリア先輩がリーダーだもの。従うべきではなくて」
「リーダーも、あってないようなもんだろう」
 俺は呆れたように零した。ルールもリーダーも、ここでは何の意味もないと思った。たった五人の人間しかおらず、まともに活動すらしていないチームで、そんなものはないのと同じだ。
 ミューは黙った。黙ったまま、ただ俺の方を見ていた。知らぬ間に視線を、まっすぐ俺に固定している。そして一区切り置き、また口を開いた。溜息をつきながら「はっきり言った方が早いわね」と言った。
「あなた最近、一人で何かしているでしょう。おかしなことは止めておきなさい」
「…………何のことでしょう」
 瞬間、俺は彼女の言葉に、喉元を握られたような身震いを感じた。
「そのとぼけ方だと、スパイには向いてないみたいね。近頃あなたが一人で何かしてるの、ばれていないとでも思ったの」
「…………」
 ばれてないつもりだったんだけどな……。
「えっと……結構、前から?」
「そうね」
「それ、アリア先輩も、知ってるのか?」
「さあ、どうかしらね。あの人が知っていたら、すぐにでもあなたに言いそうだけど」
 まあ、確かに。ってことは、アリア先輩にはばれてないのかな。あるいは、敢えて見逃してくれてるってことも……。いや、ないか。どうだろ。
「ルールを破ってまでスパイの真似事なんかして、あなたはいったい何をしているの?遊んでいるわけではなさそうだけど」
「別に、大したことじゃ……」
「何をしてるか聞いているのよ。行為の規模が大きいかどうかを聞いているんじゃないの」
 質問は明確で、単刀直入だ。ぼやけた言葉で誤魔化そうとしても、ミュー相手には無意味だろうと思った。俺は少しだけ悩んだが、嘘はつかないことにした。
「……偵察だよ。相手の戦力とか、動き方とか」
「何のために」
「そりゃ、勝つためだろ。それ以外に何があるんだ」
「勝つ? 何を言っているの、あなた。今の私たちのチームを見て、そんなことを考えているんだとしたら、それは大した冗談だわ。幼稚園児でも失笑しそうよ」
 言葉を包むオブラートも何もあったものではない。ズケズケと遠慮のない感想を、ミューは立て続けに投げつけてきた。ただそれが彼女の悪意によるものではなく、明確な事実に基づく意見だというのが、こちらとしてはなお痛いところだった。
「う、うるさいな。一人でやってんだから、別にいいじゃないか。俺以外の四人に勝つ気がないことくらい、ちゃんとわかってる」
「まさか一人で勝とうとしてるの? 何それ。相手の戦力調査してるのに、そんなこと考えてるわけ?」
「おかしいか」
「おかしいわよ。あなたの思考回路か調査結果、もしくはその両方がおかしいわね」
 にしても、そこまで言うか。もう少し言葉を選んでもいいだろうに。
 俺の思考と調査は、ちゃんとまともなはずだ。
「……でも、ソラやルナがたまに相手とやりあっているとき、そんなに劣勢には見えなかった。あの二人はまだここへきて日が浅いって言っていたけど、それであんなに拮抗した戦いになるなら、上手くやれば相手も下せそうじゃないか」
 俺は、ソラとルナにひっついて考えてきたことを、ミューに伝えた。これに限っては贔屓目ではない。客観的に分析した結果のつもりだ。ソラとルナは、毎回のように割と良い戦いを見せている。
 けれども、それを聞いたミューは妙に納得したような雰囲気を漂わせ、相変わらず淡々と否定を述べた。
「ああ、なるほど。あなたの戦力調査は、そういう風に行われたのね。でも、だとしたら、それは間違いよ」
「どうして。実際に見て思った結果なんだけど」
「あの子たちは、ほら、毎回のように武器を使っているでしょう」
「武器って、あの銃のことか?」
「そう。あれはそれぞれのアカウントに一つだけ設定できる、自分だけの専用の武器みたいなものよ」
「それが、何か関係あるのか?」
「あるわよ。戦うのなら当然、丸腰よりは得物があった方が強いじゃない。ここでは、それを使うかどうかで個々人の戦力が激変するわ。たとえばあの子たちみたいに射程のある武器を使えば、それだけ楽にシンボルペンダントを狙える。ところで、あなたは相手の人たちが武器を持って戦っているところを、今までに見たことがある?」
 尋ねられて思い返すと、確かに俺は、一度も敵がソラとルナのような武器を用いているところを見たことはなかった。
「……ないけど」
「そうよね。私たち相手に、そんなの使わないわ。この世界でアカウント専用の武器を使うということは、自分の本気を見せるのと同じなの。三年間、何度も同じ相手と戦うここのシステムにおいて、自分の手の内を晒すことは、長い目で見て自殺行為と同義。たとえ使うとしても、それは本当に稀な窮地だけとか、わきまえてる人が多いと思うわ」
「そ、それって……。じゃあ、ソラとルナが結構まともに戦ってたのは……」
 専用の武器というものを、二人が常に使用していること。対して、相手は誰一人として一度もそれを用いていないこと。そういう理由があってのことだったのか。つまり俺の偵察は、前提として相手が大きなハンディを背負った状況下でのものだった、ということだ。
「理解できたかしら。あなたがコソコソ一人で動いたって、相手の本当の戦力なんて測れるわけないの。わかったら、変なことはよしておきなさい」
 どうやらそれは、俺を諦めさせるための嘘偽りではないみたいだった。明確な、れっきとした事実みたいだった。ミューはただ、本当のことを述べただけだ。
 けれども、なぜだろうか。俺は今の話を聞いても、全く頭を悩ませる気持ちにはならなかった。自然と口をついて出たのは、ませた子供のような、聞き分けのない感想だった。
「んなこと、言われてもなぁ」
 そんなこと言われても、おいそれと納得して、引き下がれなどしないのだ。別段これは、強がりなどではない。単純に俺が抱いた感想だ。
 だって、もう決めてしまっていたから。自分の矜恃のために、俺がここでどうするのか。とっくに決めてしまっていたから。
 駄目で元々、先刻承知。成功を確信しているわけでもなく、でも諦めているわけでもない。妙に泰然自若としている自分はおかしくも思えたが、一方ですっきりした心境でもある。むしろ、ちょっとくらいは悩んで見せた方がいいかな、なんて感じるくらいだった。
 ミューはそんな俺に、少し呆れた様子で問う。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という言葉があるのだけれど。私は今、ちゃんとあなたに助言をしたわ。あなたはどちらかしら」
「なんだよ、それ。頭いいやつは人に言われて諦めて、馬鹿は痛い目見て諦めるって?俺はたとえ痛い目見ても諦めないぞ。悪いがこっちにも、事情があるんでな」
 譲れないものがある。たとえそれが、子供の我儘みたいなものでも、譲れないことに変わりはない。
「あら、偉人も驚きの屁理屈ね」
「馬鹿は自分が馬鹿かどうかなんて、わかんないよ」
 確かに、俺は馬鹿なのかも、愚かなのかもしれない。でも、今はそれでもいい。諦める賢さよりも、貫き通す愚かさの方が、今の俺には崇高に思えた。
「……そう。察するに次回、事を起こす予定なのでしょうけど。でも、あなただって聞いているわよね。仮に予選で勝ったとしても、ここのルールでは決勝もあるのよ。二度もまぐれは起こらないわ。何でもかんでも、諦めなければ良いというものではない」
 無理なものは無理。彼女はそう、最後にはっきりと言った。
「でも、だとしても、やるだけやりたいんだ」
 俺が依然として変わらぬ答えを返すと、ミューは呆れた様子をさらに増しながら「好きにして」というように溜息をついた。
「あなたの事情とやらは知らないけれど……ただ、アリア先輩には、泣かれないようにしてよね。すっごく面倒だから」
 そしてその背を壁から離し、姿勢をまっすぐにして、小さな足音を鳴らしながら俺の方へと歩いてくる。何事かと俺は思ったが、無言で彼女は俺とすれ違い、やがてまた隅の方に新たな定位置を見つけて壁にもたれる。
「戻ってきたわよ」
 俺はその発言の意味がわからなかったが、直後背中と後頭部に強い衝撃を食らって得心した。
「やっほー少年! たっだいまー!」
「やっほー先輩! たっだいまー!」
 アリア先輩とソラだ。さきほどぷりぷり怒って飛び出していった二人が、戻ってきたのだった。
 彼女らの挨拶は、おなじみの豪快なダイビングハグだ。それを二人同時に、かつ背後から完全に不意打ちで貰った俺は、当然のように顔から床に激突した。
 こちらを見ていたミューは、今までしていた話の終了を悟ったのか、口を閉じる。
「ただいま戻りました、ミュー先輩。それとレイ先輩も……大丈夫ですか?」
 横では、ワンテンポ遅れて現れたルナが、律儀に帰還の挨拶をしていた。
 ミューは黙って頷く。
「いってーなおいっ! 何てことしやがる!」
 俺は上に重なったアリア先輩とソラを押し退けて起き上がった。
「危ねーから俺にその挨拶はするなって言っただろ!」
 冗談でなく、これは何度も言っていることだ。だって、いったい時速何キロで突っ込んでると思っているんだ。いくら装飾服の庇護があっても、痛いものは痛い。体の芯に思いっきり響く。
「いやー、楽しいじゃんこれ。ミュウミュウに飛びつこうと思ったんだけど、手前に君がいたからさー」
「私も、手頃な位置にいた方に飛びつきました!」
 そんなテキトーなチョイスで飛びついてんじゃねーよ。てか、ようやくわかった。ミューはこれを逃れるためにわざわざ立ち位置を変えて、俺を盾にしやがったのか。なるほど。なるほどなるほど……ふざけんな。
「それに、最近のミュウミュウは上手く避けちゃうからなー。飛びつこうとしても、すんでのところでかわされるし。だから、レイの方が飛びつきやすいもんな。なー、ソラ」
「ですよねー、アリア先輩」
「その拍子にシンボルペンダントがとれたらどうするんだ!」
 俺は立ち上がり、ケラケラ話す二人に向かって叫んだ。
「あー、大丈夫大丈夫。それ意外と頑丈だから」
「大丈夫です大丈夫です。たぶん頑丈ですから」
 二人は全く気に留めない。駄目だ。俺の言葉は既に彼女たちに対して抑止の力がない。おそらくルナが言っても同様だろう。
「おい、ミューからも何とか言ってくれ! お前も被害を受けたことあるんだろ」
「……あなたがきてから、私に飛びついてくることが減って、楽になったわ」
 こ、こいつ……。
「こーらレイ。ミュウミュウを味方に引き入れようとするなー。いつまでもぐちぐち言うなー。ほらほら、遊ぼー遊ぼー」
 ミューの突き放した返答にうなだれていると、アリア先輩は俺の腕をつかんで引っ張る。
「何する? 何する? みんなで追いかけっこでもするか?」
「あ、それならアリア先輩が鬼やってくださーい。前に負けた分のリターンマッチです!」
 アリア先輩の提案に、すかさずソラが乗っかって声を上げる。なぜかソラまで俺の腕に飛びついて、アリア先輩と二人で引っ張り出した。
「お、おい……。俺はいい。やるなら二人でやってくれ」
 腕を引っ込めようとしたが、二人はまったく離してくれない。
「駄目ですよー。レイ先輩も参加ですー」
「そーそー。みんなでやろう。五人でやるよー」
 みんなでって……。
 アリア先輩はそう言いながら、ミューにも視線を向けた。
 ミューは絶対やりたがるわけないと思ったのに、あっさりと無言で壁から背を離す。
 何だかなあ。何なんだろうなあ。結局、俺以外は反対しないんだよなあ。何でこうなるんだよ。俺はそう、独りごちた。
 今日は、作戦決行の前の回なのに。何もしてやしない。
 そしてそれから、ゲームが終了する最後まで、本当に鬼ごっこに付き合わされた。俺は、内心複雑な思いだったが、当たり前のようにどうすることもできなかった。

 まあ、色々あったが、本当に色々あったが、何はともあれ、茶番は終了である。
 本日は、予選最終日。俺にとっての一回目の本番だ。
 時刻は、十九時を過ぎて十分。
 会場となっている西校までやってきた俺は、ゲーム開始時刻から少しだけ遅れてサインインをした。
 時間をずらしたのはわざとだ。今回だけは、皆とは合流しない。顔を合わせれば何かと厄介だし、遊んでいる暇はないから。だから初めから、一人で動く。
 スケジュールによれば、予選最後の対戦相手は東校だった。おそらく単なる偶然だろうが、これは非常にありがたいことである。単純に人数差を戦力差と考えるならば、五人の南校と十人程度の東校は、比較的覆しやすい対戦カードだからだ。二十人ほどの総員を有するであろう現状トップの西校や、十五人程度の北校相手よりは、勝つ可能性があると言える。ま、それでも実際、こっちは五人どころか、俺一人なわけだけど。
 少しだけ歩いた。物音はない。
 しばらく見てみると、今日の舞台は廃墟だとわかった。西校の校舎が、その造りを基調として、ホログラムにより廃墟化されているのだ。あくまで演出、作り物だとわかってはいるが、どこまでもリアルな別世界は、しつこく細部を観察しても粗を見つけられないほどのものだ。
 西校の構造はそこそこ頭に入ってはいるが、今回に限っては多少、変則的な対応が要求されると思われた。まさに廃墟よろしく、幾つかの廊下が瓦礫で塞がっているのだ。壊そうとしてできないことはないだろうが、破壊には物音も伴うし、不用意に目立つのはよくない。まずは隠密行動で敵陣の位置を探る必要があるし、そういう行為は控えるべきだろう。
 俺は逐一、背後に人の気配がないか気を配り、曲がり角では壁に張り付いて先を確かめた。そうしてこれまでの経験から、フラッグの置かれそうな場所に目星をつけて探っていった。
 グラウンド、屋上、講堂、体育館……こうしたある程度空間の広いスポットが、よく陣地として設定される傾向にある。敵の人数が多ければ多いほど、この傾向は顕著だ。
 運がないと長々と敵陣が見つからないこともあるが、幸い今回は良好だった。始まってすぐということもあり、当てをつけたうち一か所の周囲に、偵察のため何人かの敵がうろついていたのだ。
 しばらく探れば、ほとんど確定的な推定ができた。おそらく敵陣はホール。特別教室棟四階、その最上階を全て占める、一番大きな空間だ。直接確かめるまでには近づけないが、位置や妥当性も考えると、間違いなさそうである。
 率直に言えば、敵の警備はザルだった。素人の俺が察知されないくらいだ。これには主に、二つの理由があるのだろうと思われる。
 一つはもちろん、敵が油断しているということだ。南校は完全に舐められている。
 そしてもう一つは、ここではそもそも単独行動自体が、ほとんどあり得ない行為であるということだ。考えてみれば当然だが、このゲームのルールでは、基本的に仲間と遠隔的な意思疎通をする手段がない。自陣付近ならまだしも、敵陣の周りで一人うろうろし、あわや何かの拍子にリタイアにでもなれば、得た情報どころか自分の安否すら誰にも伝えられないのだ。これまで見てきた限り、敵と出会うような場所では、最低でも二人一組で行動している人たちばかりだった。
 アリア先輩が言っていた単独行動禁止の指示は、そういう側面では割に、理にかなっているということだ。少しばかり耳が痛い。
 しかしそのためであろうか、今回の俺は敵に悟られずに、かなり動き回ることができた。
 得た敵の配置情報から、警備の体制を想像する。
 まず一目で、特別教室棟そのものが敵陣化していることがわかった。棟を拠点に、二組の偵察隊が周囲を守っている。この偵察隊は基本的に二人ずつで構成され、一方が遠方を、もう一方が近方を見張る。さらに一人が情報管理のため、定期的に行き来をするようだ。つまり、この偵察隊には五人の人員が割かれているわけである。そしておそらく、残りは直接ホールのフラッグを守っているのだろう。こちらも五人程度と思われた。
 できることなら、最後までばれずにフラッグまでたどり着きたい。なんてことも考えるが、もちろん甘いというのはわかっていた。特別教室棟の付近までは見つからずに忍び寄れても、それ以上はどう考えても無理だ。
 俺は端末で時間を確認した。相変わらずサインインをしている間は、何か処理でもしているのか、動きが遅い。画面は、鈍い動きで十九時三十分を示した。
 タイムリミットはこちらの負けだが、一時間半もあれば十分だろう。
 正直なところ、具体的に巧妙な作戦は思いついていなかった。敵の注意を逸らして棟内に侵入し、あとは全員無視して真っ先にフラッグへ飛びつくくらいが関の山である。
 そして、ここにきて俺が一人で乏しい頭脳を捻っても、勝利の確率を大きく引き上げる見込みはない。時間を潰すだけで、足掻きにもならない。なんて悲しい現実だ。仮想世界でも、現実は厳しいものらしい。
 となれば俺は、もうさっさと行くしかなかった。万が一でも、アリア先輩たちと遭遇する可能性がないとも言えない。早いに越したことはない。
 俺は、ふぅと息をついて、それから、パシンと両の手のひらで頬を叩いた。
 さあ、いよいよ捨て身の特攻である。躊躇を捨て、携えるは覚悟。勇気で恐怖を塗り潰せ。ここから駆け出せば、止まることは許されない。行くところまで行くだけだ。
「っし! まあ、それなりに人事は尽くすんで、あとは潔く天命頼み! 是非とも勝利の女神様よろしく!」
 強く地面を蹴って、俺は特別教室棟へ向かって駆けた。
 視界に映るのは、南北に一つずつ設けられた入口と、中間にある二つの人影。どうやら敵は、座り込んで見張りをしているみたいだった。
 そこで俺は、付近にあった三人がけベンチくらいの大きさの瓦礫を蹴り上げて、北口の方へすっ飛ばす。綺麗な放物線を描き、それが再び地面に接触すると同時、轟音が空気を、衝撃が地を伝った。
 狙い通り、見張り二人の視線は落下地点に集まる。驚いた彼らはすぐに何かしらの異変を悟り、辺りをキョロキョロと見回すが、もう遅い。
 こちらとしては、隙なんて一瞬あれば十分だった。コンマ五秒も敵の反応が遅れれば、気づかれたとしても、もはや追いつかれることはない。
 俺は轟音と衝撃に紛れて、南口に真っ直ぐ突き進んだ。入口をくぐって棟内に入るとき、外からは何かを叫ぶ声が聞こえたが、その内容まではわからない。敵の声までも置き去りにして、駆け続けた。
 侵入成功。目指すは最上階だ。俺は脇目も振らずに階段を見つける。吹き抜けの階段ではいちいち段を上るのがもどかしくて、壁や手すりを足場にしながら、ほとんど垂直に上階を目指した。
 いいぞ。早くもフラッグは目と鼻の先。直線距離では俺から数メートルも離れていない位置にある。それさえとってしまえば、戦いは終わりだ。
 今から俺は、五人ほどの敵が集団でいるホールの中に突っ込み、即座にフラッグだけを見定めて飛びつく。極限まで短い時間感覚での判断が要求されるだろう。もちろん失敗は許されない。一発で敵を出し抜いて勝利を奪還できなければ、それでアウトだ。残念ながら俺には、集団の敵を相手にできるような技術も経験もないのだから。
 緊張や不安が、まったくもってないと言えば、嘘にはなる。塗りつぶしたはずの恐怖も、もしかしたらまだ残っているのかもしれない。心配で少しだけ後ろを振り返ってしまいそうになったけれど、唇を噛んで我慢した。
 最上階まで駆け上がると、俺の視界はホールの入り口をとらえた。幾つかある扉の内から、最も近いものをキッと睨む。
 敵は待ち構えているだろうか。俺が東校に探りを入れていたという情報が、ここまで伝わっていることはないはずだが、さきほど外で大きな音を立てたこともあり、警戒態勢をとられている可能性は十分ある。
 それとも、所詮は南校だと見くびられているだろうか。個人的にはその方が都合がいいのだけれど。
 いやまあ、考えている暇すらないのも事実だ。突入を躊躇っていたら、後ろから偵察隊に詰められるわけだし。
 そういうわけで、俺は見据えた扉を左の拳で殴り飛ばし、ホールの中に突入した。大声で威嚇して、気合を入れるのも忘れずに。
 さあ、勝負だ!
「ぅおおぉぉぉーー!」
 一見したホール内は、少数の椅子や机が隅に寄せられており、教室の数倍広い室内がさらに広く見えた。ほとんどがらんとして、障害物らしいものは何もない。
 そのためか、敵の視線は全て俺へと注がれる。
 想定通り五人の敵影が、そこにはあった。窓際で雑談をしているのが二人。壁にもたれて腕組みをしているのが一人。ホールの奥の方をウロウロしているのが一人。そして中央にあるフラッグ付近で、怠そうに立っているのが一人だ。
 俺が見渡して探すまでもなく、堂々とした優勝旗のような形のフラッグは大きな存在感を放っていて、簡単に目についた。
 怠そうに立っている敵は、傍で見張り役をしているらしかった。一応の配慮として、近場に一人を配置していたということだろうか。全体的な雰囲気からすると、全く安心しているわけではないが、それほど警戒もしていないような、曖昧な態勢である。
 しかしそれも、俺の突入を境に、一瞬で変化する。驚きと動揺に突き動かされた彼らの間に、臨戦態勢の空気が伝う。
 俺は地を蹴る足の裏にありったけの力を込め、一直線にフラッグへと飛んだ。
 フラッグ近傍にいない四人はもはや度外視。あの反応速度では、邪魔されることはないだろう。問題は一人の見張り役だ。
 あっさりとフラッグに突撃して、同体で倒れながら手中に収められれば言うことはないのだが、さすがにそれも無理な話。見張り役が俺とフラッグとの間に立ちはだかる。敵は正面に腕を構えて防御の姿勢をとった。
 対してこちらは、右手に拳を握って引き、全力の拳打を試みた。押し切って抜けるならば、それで良し。俺とフラッグの間に今度こそ隔てるものはなくなる。
 ガッと鈍い音がする。俺の打撃は敵を幾らか後方へ押した。
 けれども、抜けない。まだ敵は後ずさりを続けているが、この勢いではフラッグまで届かない。潰される。根拠のない勝負勘が、俺の脳内でそう叫んだ。
 即座に俺はその敵の腕に足を突き立て、左上方へと跳躍して距離を取る。移った先には天井があり、逆さまになってコウモリみたいに着地した。そして天井から落ちる前に、すぐに体勢を鋭角に切り返して修正しつつ、狙うフラッグをまた見定める。
 もはやその進路に、障壁となる要素は見当たらなかった。傍にいなかった四人はもちろん、さきほど足場にしてやった敵も、対応してくる様子はない。このまま降下と同時に、頭からフラッグに突っ込んでやる。
 曲げた膝を、今度は思いっきり伸ばす。
 貰った、と思った。
 そして俺の眼前に、視界を埋め尽くすほどのフラッグが迫る。間違いなくそれほどに、俺は目的物まで接近した。
 しかし、勝利の予感は一瞬だった。直後にはその視界は閉ざされ、途切れてしまっていた。勢いよくフラッグに激突したから、というわけでもなさそうだ。
 ついでと言ってはなんだが、異変に気づいてから少しして、身体に激しい痛みが走る。主に腹部の辺り。感覚が事態に追いつくにつれて、痛覚が喚き出すのがわかった。
「……ッ」
 腹に熱がたまり、じわりと痛みが広がってゆく。なかなかに経験したことのない激痛だ。視界が暗いのは、いつの間にか俺が目を閉じてしまっていたからのようで、目を開けると、そこにはホールの天井が見える。俺は、仰向けになって倒れていた。
「あーあ、まさか南校が攻めてくるなんて、驚いた。でもそれ以上に、たった一人できたことにもっと驚いたな。それとも、もしかしてお前は囮なのか?」
 横たわる俺とフラッグの間に、誰かが一人、立っている。その誰かとはもちろん敵であり、俺がさきほどフラッグの前であしらったつもりの敵である。首だけを動かしてそいつを見ると、右手にフレイルのような武器を持っていた。どうやら一瞬のうちに武器を出して、フラッグへ至ろうとする俺を打ち落としたらしい。
「まあ、見る限りでは一人のようだな。見ないやつだが、舐めてもらっちゃ……ん?」
 声の調子からするに、おそらく男だろう。フレイル野郎は俺を見下ろして話したが、やがて語尾を引き上げた。
 すると、今度は別の方向から高めの声がする。
「ねえねえ、なーんか私さ。そいつの格好って、見覚えあるな。そのバカみたいに目立つ真赤な装飾服、初めて見る感じじゃないや」
 部屋の隅にいたうちの誰かだろう。ゆっくりと近寄ってくる足音がした。
 その発言を聞いて、フレイル野郎は納得した様子を見せる。
「ああ、なるほど。確かに、前にいたな。南校の真赤なやつ。化物みたいに強かったやつ」
「そうそう。もしかして、あの人の後釜なのかな? その割には、大して強くないみたいだけど」
「じゃあ、こいつが最近、南校に入った新人ってやつか。何を考えているのか知らんが、一人で勝てると思って突っ込んできた、と」
「そうなのかねえ。まあ、ならここらで、このゲームはそんなに甘くないって教えとくべきだよね」
 俺の上で様々な言葉を飛び交わせ、やがて結論が出たのか、フレイル野郎の方が一歩前へ出る。
「今回は組み合わせが良くてな。この通り、予選の最後が南校なんだ。おかげで決勝まで行けそうなんだよ。面倒だから邪魔とかすんな」
 頭上にフレイルを振り上げる。狙う先は、俺の胸のシンボルペンダントだろう。これを壊されると、その回のゲームはリタイアとなる。敗北だ。
 ああ……腹がいてえ……。結構、思いっきりやられたようだ。ちょっと動くのもしんどいレベル。
 俺は無防備な仰向け。周囲には敵が五人。手負いの中、フラッグに手を伸ばそうにも、今更届くわけはない。こうなってしまっては、もはや抵抗も無意味だ。一か八かの賭けである捨て身の特攻を潰されて、ここから俺に勝ち目があるとは思えなかった。
 つまりは、諦めなくてならない、ということだ。
 あれだけ諦めたくないと思っていたのに……今でも絶対、諦めたくなんかないのに。それでも実際、目の前に立ちはだかられてしまうと、どうにもならない。
 俺は、ここで負ける。
 そうなれば、守りたかったあの場所は……銀杏の樹の広場は消えてしまう。あっさり更地になってしまう。無慈悲にも新しい建造物に、とって代わられてしまう。
「………………」
 無意識に奥歯を噛み締めていた。覚悟を強制されることへの苦しさに、耐えかねていた。力んでしまって言葉は出ない。はねのけられない諦念が、胸中で燃える闘争の炎に降りかかっている。
 ゆっくりと、目を閉じる。
「もう少しまともに練習でもしてからこいよ」
 終わりの宣告が振り下ろされる。ゲームの終わり。そして俺の願いの終わりだ。
 ガインッ、と聞き慣れない高い音がしたのはそのときだった。胸のシンボルペンダントが破壊された音かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
 そして音とは対照的に聞き慣れた、しかし今日に限っては初めて耳にする、声が響く。
「なーんだ。言う割にはあんたらも、練習不足じゃないかよ」
 恐る恐る目を開くと、俺を見下ろしていたフレイル野郎の代わりに、アリア先輩の背中が目に映った。大きな槍を携えていて、ブンッと大仰にそれを一回転させると、軽々と片手で肩に担ぐ。
 俺を仕留めようとしていたフレイルの敵は、槍で吹っ飛ばされたようで尻餅をつき、右手で頭を抑えていた。
「う、ぐ……な、何が……」
 やがて状況に思考が追いついたのか、首をもたげて見上げながら、苦々しい声で言う。
「お前は……アーシャ……」
 アリア先輩はそれを見下ろし、明るく答える。
「どーも。その名前で呼ばれるのは、久しぶりだ。アーシャ・リーズ・アストライア、ここに見参!」
 なんてね。最後にそう付け足して、笑いながら。
「アーシャ……。随分と、ご無沙汰だったじゃないか。しかし……相変わらずの、狂った強さしてやがる」
「先輩たちの方が、もっと強かったよ。私なんかよりね」
「……けっ。それより、何でお前がここにいる。その強かった先輩が抜けて、落ちに落ちた南校が、五人になったところでまた勝ちを取りにきたってか。それで予選の最終日に奇襲かよ」
「別に、ルール違反じゃないはずだ。予選の最後が狙い目なのは、言わずと知れた周知の事実。卑怯でも何でもないよね」
「…………」
 敵は黙った。アリア先輩の言葉が正論だからこその沈黙だろうか。
 アリア先輩は続けて口を開く。
「とはいえ、一応謝っておくよ。悪いね。今回はゲームに勝ちにきたんじゃなくて、ちょっと出しゃばったうちの後輩を助けにきたんだ。まあ、結果的に同じになっちゃったわけだけどさ」
 未だ仰向けで横たわる俺に、先輩から一瞥の視線が注がれた。
 敵は、チッと舌打ちをして、顔を逸らす。
「ってわけで、私らはちょっと話したいことがあるんだよね。ここらへんで空気読んで、あんたたちは退場してくれないかな」
「もういい。好きにしろ。次は、こうはいかねえぞ」
 それを聞くと、アリア先輩は構えていた槍を振り上げて回転させ、その矛先を変えた。そうして、傍にあるフラッグを掴み取る代わりに、槍で横薙ぎに叩き落とす。支柱に立てかけられていたフラッグは、衝撃によって容易く倒れた。
 同時に東校の人間は全て、ドーム状の光に包まれて消える。アリア先輩がフラッグを倒したことでゲームに決着がつき、強制サインアウトによって校外へ送られたようだ。
 いっぺんにホール内の人数が減って、静寂が訪れる。
 倒れている俺は、直接見ることはできないが、入口付近に人の気配が少しだけあって、アリア先輩以外の南校のメンバーもこの場にいるのだとわかった。
 先輩が、手元に携えた槍を手品のように光で包み込んだかと思うと、その槍はたちまち霧散するこのごとく消え去る。手ぶらになると、先輩は回れ右をして、俺とのわずかな距離を詰めた。
「随分と無茶したねえ。このまま今期のゲームが終わってしばらく話せないのも嫌だから、思わず助けにきちゃったよ。さて、レイ。そういうわけだから、まずは弁明を聞こうじゃないか」
 俺を見下ろしながらそう言う。妙に平坦な口調が、その心情を読みにくくしている。何だか怖い。もしや、怒っているのだろうか。
「えと、あの……。アリア、先輩……?」
 けれども先輩の様子への不安もありながら、実のところまだ、俺の中で状況の整理をつけかねていたというのも事実であった。
 俺は助けられた。敵に囲まれて抵抗もできずに、リタイア必至だったあの状況から、アリア先輩に助けられたのだ。
 そんなことが、本当に可能か? あり得るのか?
 でも、現に俺は未だ、ここにいる。
 戸惑う俺に対し、先輩はなおも冷静に続きを述べた。
「単独行動は禁止だって、君にも言ってあったはずだよね。それを盛大に破った理由を、今なら聞いてやろうと言っているんだよ」
 弁明。理由。つまりそれは、俺が一人で勝手なことをした、言い訳だろうか。
「別に、そんなもの……。勝てば願いが叶えられるって聞いて、ちょっと興味が湧いたっていうか……」
「ふうん。でも君は、前に願いは何もないって言っていたよね。それなのに、わざわざ仲間に内緒でここまでするなんて、やっぱりちょっと引っかかるな」
「………………」
 動揺もあってか、上手い返しなど浮かばなかった。
「ねえ、だからさ。君にはやっぱり、何か叶えたい願いがあるってことなんじゃないかな。私はそう思うよ。もしそうなら、以前にはぐらかしたその願いを、今ここで、みんなに教えてよ」
 確かに以前、アリア先輩とはそんな話をした。俺がここへきたのは、何か目的があってのことなのではないか、ということを聞かれた。
 しかし、そのとき俺は答えなかった。先輩の言うように、はぐらかしたのだ。
「……それは、でも……あくまで俺の問題で、みんなには関係のないことで……」
 目的はある。叶えたい願いが、はっきりとある。俺の願い。そして優璃の願いでもある。
 けれども、やはりそれは、至極個人的な願いである。素姓も知らぬ人々に縋る道理はないと、思わなくもないのである。それにだいいち、俺以外の人間には勝ちを狙うメリットなどないわけだし、わいわい楽しくやっているアリア先輩たちに協力を強いるのは気不味い。新参の俺が頼めることではない。さらに付け加えれば、協力を仰いだところで、その戦力など知れているとも思っていた。まともに戦ってなんていないのだから、頼りになるほど強くなんてないと。
 だから、一人でやるつもりだった。
 だが、俺の弱々しい逃げの声は、その末尾を現す前に中断を受けた。
「関係なくなんてないよ」
 アリア先輩が穏やかに、しかしはっきりと言い放つ。
「チームなんだからさ。仲良くするのも当たり前だし、協力するのも当たり前だよ。もともとあんな時期に現れた君に、理由がないのもおかしな話だと思っていたんだ。そりゃまあ君からしたら、まともに戦おうともしない私らなんて役立たずに見えたかもしれないし、あるいは馴染みにくくて一人で動きたかったのかもしれないけどさ」
 うっ……。ばれてる。
「でも、私はここが、このチームが好きだからね。みんなで楽しいチームにしたいんだ。それに君は、リフィア先輩の後継なんだよ。つれないことしないでほしい。だからさ……何なら、頼まれてもいない助け舟を出しちゃったお返しにと思って、君の願いとやらを聞かせてくれたら、私は嬉しいんだけどな」
 話すうちに、アリア先輩の言葉はだんだんと優しくなっていった。どうやら初めから、俺に目的があることは察していたみたいだ。まあ、当然と言えば当然なのだろうか。
 けれども先輩は、今まではそれを、敢えて聞かないでいてくれた。俺が答えなかったあのときから……。普段はなんにも考えていなさそうにしているのに、そういった方向には気が回るらしい。もしかしたら、俺が単独で偵察を行っていたことにも、本当は気づいていたのかもしれない。
 意外と言えば意外に思えなくもないけれど、でもそれも、アリア先輩としての先輩らしさなのだろうか。全て知った上で俺を助けにきてくれたことに、いくらかそんな感情が見えた気がした。
 だから、ここでもう一度はぐらかすことは、俺にはできなかった。仰向けで無防備な俺は、今や去ってしまった敵だけでなく、アリア先輩や他の三人に対しても同様に、抵抗などできなかった。
「……守りたいものが、あるんですよ」
 結局、全部喋ってしまうことにした。白状を決めた俺の語りは、声量少なくたどたどしい意志の主張から始まって、ゆっくりと丁寧にこれまでを伝える。
 南校に、今や俺だけが足繁く通う、銀杏の樹の立つ広場があること。そこがもうじき、工事でなくなってしまうこと。阻止するには、ここでの優勝権限を用いるしかないということ。そしてそれは、俺の姉の願いでもあること。
 別に長々と語ったわけではない。俺がどのくらいその広場を好んでいるとか、そういうことは今は述べない。事実だけを伝えようと思えば、至ってシンプルな経緯だった。
 俺が語り終えて再び口を閉じると、アリア先輩はかがんで手を伸ばした。
「なるほど。リフィア先輩のやりそうなことだね。いい願いだと、私は思うよ」
 掴まれ、ということだろうか。「そうですかね」と呟きながら、俺は自分の手をそこに重ねる。
「うん。素敵な願いだよ、すっごく」
 すると先輩は、頼り甲斐のありそうな強い力で、俺を引っ張り上げる。
「そうか。君の願いは、リフィア先輩の願いでもあるんだね。なら、なおのこと私も叶えてあげたいよ」
 同じ目線になった俺へ、先輩は正面から同意の想いを示してくれた。先輩はきっと今、俺の後ろに優璃を見ている。リフィアとしての優璃を、見ているのだ。そう思った。
 俺たちの周りでは、光が生まれ始めていた。景色から光が湧き上がり、世界が終わろうとしている。サインアウトの兆候だ。勝利チームである俺たちにも、今夜の世界からの立ち退きが命ぜられている。
 頃合いだとばかりに、アリア先輩は改まって告げた。
「とりあえずさ、何にしても我々南校は、こうして決勝に出ることになったわけだよ。あそこにいるソラやルナは未だによくわかってなさそうだし、ミュウミュウは黙って壁にもたれているけどね。さて、そこでだ、レイ。もうすぐサインアウトの時間になる前に、君に一つ宿題を出しておこうかな」
「宿題……?」
「大事な銀杏の樹の広場を守るという願い。私は賛成だよ。ソラやルナも、多分反対はしないだろうね。でも、ミュウミュウはどうかな。ほら、あそこで不穏なオーラ出しながら、こっちをまじまじと見てるでしょ」
 先輩の指が差した方向、ミューの立っている方へ、俺は振り向く。すると確かに、黙ってはいるが何かを言いたそうにしている彼女の姿が目に入った。あるいは、わざわざ言うのも億劫だから察してくれ、という心持ちかもしれない。少なくとも、全面同意の意思表示ではなさそうだった。
「ミュウミュウは、個人の勝手な願いのために優勝権限を使うのは良くないと、いつも言っている。だからちゃんと説得しないと、あの子は協力してくれないかもよ」
 アリア先輩が、俺の耳元で助言を囁く。
「でも、決勝の相手は今の東校よりも、もっと強い。はなからこっちの勝機は薄いのに、南校が五人でぶつからなかったら到底勝てない戦いだ」
 そしてそこまで言い終えると、今度は全員に聞こえる声でさらに続ける。
「次回、決勝のために集まったときには、まず最初に、レイのスピーチでも聞くとしようかな。聞いて、南校チーム全員の胸に戦いの炎が灯ったら、本気で勝ちを狙いに行く。レイの宿題は、それを考えてくることだ」
 なるほど。要するに、ミューを説得し、皆を鼓舞するため、俺が演説でも何でもしろと。アリア先輩はこう言いたいらしい。
 そこまで告げると、先輩は「いいね」と残してすぐに消えた。俺が抗議をする暇もなく、スッと光に包まれて、サインアウトしてしまった。
 同時に俺を含めた他の四人にも、帰還の光は訪れる。今日のゲームはもう終わる。
 ただ、徐々に光に覆われて、世界が白んで消えていくその瞬間まで、ミューは俺の方をじっと見ていた。妙にへばりつくような彼女の視線が、光を越えて最後の最後まで、俺へと注がれ続けていた。
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