京助さんと夏生

神谷レイン

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14 何も言わずに……

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 ――――誕生日祝いから数日後の夕方。
 遠くで響く雷鳴の音と夕立が来そうな空を見上げつつ、足早に家へ帰ると玄関先に父さんの靴があった。

 ……父さん、帰ってきてるんだ。

 俺は父さんのくたびれた靴を見ながら、自分もスニーカーを脱いで家に上がった。そして廊下を抜けてリビングに入ると父さんはクーラーの効いた部屋で椅子に座って涼んでいた。おかげで俺も涼しさにありつく。

「おー、夏生。おかえり、母さんのところはどうだった?」
「おばあちゃん、元気にしてたよ。あとお土産に桃を貰ったよ」

 田舎のばあちゃんの家に二泊三日してきた俺は、桃が入った紙袋をテーブルの上に乗せた。

「そうか、俺も帰りたかったんだがなぁ」
「ばあちゃんが父さんも年なんだから、あんまり無理しないようにって言ってた」

 俺がばあちゃんに言われた通り伝えると父さんは渋い顔を見せる。

「あー、まあ後で電話でもかけとくよ。それより向こうは楽しめたか?」

 何気なく聞かれて俺は答えにちょっと詰まる。確かにばあちゃん家は楽しかった。おじさんやおばさんもいたし、従兄弟やその子供達だっていたから。
 みんなとワイワイできて楽しかったのは間違いない。

 でも、みんなといても心のどこかでは京助さんの事ばかり考えて。心の奥底から楽しめたかと言えば、そうではなかった。

「うん……まあ、楽しかったよ」

 俺が間を少々開けて言えば、父さんは首を傾げた。

「何かあったか?」
「ううん、何もなかったよ。……ところで父さん。このお菓子、どうしたの?」

 テーブルに置かれた高そうな菓子折りに目が行き、俺は父さんに尋ねた。
 一瞬、病院で貰って来たのかな? と思う。けれど、父さんから返ってきた言葉は俺を心底驚かせた。

「ああ、それ、二軒隣の大嶋さんがくれたんだよ。引っ越すから今までのお礼でって」

 あまりに衝撃的な言葉で、俺はすぐには理解できなかった。

 ……大嶋さんが引っ越す? 大嶋さんって京助さんの事だよな? 引っ越すって?

「え、父さん、大嶋さんが引っ越すって?」

 俺が戸惑いながら尋ねれば、父さんは怪訝な顔を見せた。

「ああ、そう言って昨日渡しにきてくれたぞ? 夏生、何も聞いてなかったのか?」
「昨日? 引っ越すなんて、一言も」

 そう呟いた時、京助さんがあのレストランで、田舎のばあちゃん家に行く日をやたら俺に確認する様に聞いてきたことをなぜかしら思い出した。

『それより夏生は週末に祖母の家へ行くって言ってたよな?』

 そして京助さんがあの日、俺に最後に告げた言葉の意味。

「……まさか」

 俺は慌てて自分の部屋に入り、机の引き出しに入れている京助さんの家の鍵を手に取った。そしてそのままの勢いで家を飛び出し、京助さんの家に向かう。
「夏生?」と心配そうに呼びかける父さんの声を無視して。

 俺はスニーカーのかかとを踏んだまま二軒隣の京助さん家の前に立ち、すぐさまインターホンを鳴らした。でも返事はない。
 だから貰っていた合鍵でドアを開けようとするけど、鍵はいつの間にか替えられていて開かない。

「そんな……っ」

 俺は呆然とするが、すぐさまズボンのポケットに入れていた携帯を取り出し、京助さんの連絡先にメッセージを送り、電話をかける。しかし、こちらもいつの間にか繋がらないようになっていた。
 そしてあの日から気まずくて連絡出来ないでいた俺は、繋がらないことに今気がついたのだった。

「なんでっ」

 俺は京助さんに繋がらない携帯の画面を見ながら呟く。
 そしてぽつぽつと雨が降り出し、湿気を含んだ空気をいくら吸い込んでも胸に渦巻くのは『どうして?』の言葉ばかり。

 ……俺、京助さんに何かしちゃった?

 俺は自分が何かしてしまったのかと考える。でも誕生日を祝ってくれた京助さんのあの姿が演技とは思えない。嫌っている相手をあんな風に優しく祝うことなどできないだろう。

 ……なら、どうして?

 俺は開かないドアを見つめて、ただ問いかけた。
 なぜ京助さんは何も言わずに、こんなにも計画的に俺の前から消えたのか。
 そして耳に蘇るのは京助さんの最後の言葉。

『夏生……許せ』

 ……あれは、別れの言葉だった? 京助さん。

 俺はあの日と同じように開かないドアの前に立ち尽くす。そして、額から落ちる汗を拭いもせずに悲しさと怒りでぐっと唇を噛んだ。

「こんな風に消えるなんて……許せるわけないじゃないか!」



 俺の悲痛な叫びは京助さんには届かず、雷鳴と共に強く降り出した夏の夕立に掻き消されてしまったのだった。





 ◇◇◇◇





 ―――そして、京助さんが突然消えたその日から俺は。
 不動産や出版社に京助さんの事を尋ねてみた。でも、京助さんの個人情報を他人である俺に誰も教えてくれるわけもなく。

 繋がらないとわかっていても俺はまるでストーカーのように何度も京助さんの携帯にメッセージや電話をかけた。けれど、やっぱり京助さんと連絡は取れることはなかった。

 繋がらない電話を見る度に俺は思い知った。俺と京助さんがただの二軒隣の隣人という関係だったという事に。
 だって、こうして京助さんが離れてしまった今、俺は京助さんの居場所を知ることも叶わない!

 そしてその事実は俺を打ちのめし、この数年間京助さんの一番側にいるのは自分だと思っていた事は思い上がりで、本当は一方が切ってしまえばこんなにも簡単に切れる繋がりなのだと気づかされた。

 なにより、京助さんから最後のバイト代として振り込まれたお金はいつもより少し多くて。まるで手切れ金のようだった。

 ……京助さん。俺の、何がいけなかった? 

 胸のど真ん中にぽっかりと開いた穴が毎日呪いのように俺に問いかけ、その周りを失望と悲しみばかりが駆け走る。
 けれど誰にも相談することもできず、こんな時、一番に話したい相手は去ってしまった。俺にこの難解な感情だけを残して。

 だから暑い夏が段々と涼しくなり、木の葉が色づき始めた頃になると、行き場のないこの気持ちは大きくなりすぎて、京助さんに対する悲しさは怒りへと変わっていった。

『京助さんなんか大嫌いだ! こんな勝手な事をする奴の事なんて! 最低最悪だ! 俺をこんな惨めな気持ちにして、一生恨んでやる!! 絶対に許さない!』

 そう心の中で何度も何度も京助さんを罵った。そうしないとやり切れなかった。
 けれど、どんなに心の中で罵倒しても、どんなに心の奥底から恨みたいと思っても。それでも京助さんに似た人を見かける度に目が、足が追いかけて。違うと気がついたら、悲しくって。

 やっぱり俺はあの人が、大嶋京助という男が好きなんだと嫌ほど自覚させられた。

 そして俺はどこかで信じていたかった。
 あの優しい人がこんなことをするのには必ず何か理由があるはずだって。
 でも、それがわからなくて『お前は嫌われただけだよ、夏生』と悪い心が俺に囁き、何度も胸を引き裂いた。けれど、それでも俺は。

 ……京助さん、あなたの事を心から嫌いになって、恨んで忘れられたらどんなにいいか。俺はいつか貴方の事を忘れられるんだろうか。

 そんな未来を思い浮かべてみるけど、全然見えなくて。

 その頃にはもう、色づいた木の葉は枯葉となって地面に落ち、寒々しい木々と冷たい風が冬の訪れを俺に知らせようとしていた。
 京助さんのことをなにひとつ、忘れられずに。




 ――――けれど、夏も秋も過ぎたのに京助さんの事を未だ引きずっていたある日。
 俺は一冊の本に巡り合う。それは春野秋雪の新刊で、初めての恋愛小説。



 タイトルは『君に贈る告白』

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