その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

文字の大きさ
上 下
162 / 713
断章 7

 閑話 第一王子、執務室控えの間にて

しおりを挟む




 ウーノル第一王子 付侍従長 カービン=ビッテンフェルト宮廷伯は、そっと、執務室の扉を閉めた。



 控室に入り、ウーノル殿下からの要望を、纏め、各部署に伝達する。 その行動に澱みは無い。 伝令士に通達、指示、そして、依頼書を持たせ、早々に部屋を出る。


 更に奥の間に向かう。


 ウーノル殿下には専属の王宮侍女がお茶出ししている時間でもあった。 束の間の休憩時間。 しかし、カービンには、その時間すら取れない。 薄暗いこの部屋は、特別の指令を待つ者達が居る。 勿論、その姿は、様々な姿に偽装されていた。



 侍女、伝令士、衛士、侍従……



 また、姿が見えない者達も居る。 



 彼は、矢継ぎ早に、指示をその者達に与えていた。 落ち着いた低い声の命令は、時に厳しく、時に酷な事柄も話す。 報告も受ける。 彼が出した指令に対しての経過報告、そして、その始末を的確に淀みなく。

 組み上がった指令の数々は、ウーノル殿下の意志でもあった。 彼はそれを実態に即した形で、提供する事を目的とした組織の指揮官でもある。

 王宮諜報部隊。 俗に云う……



 ――― 王家の見えざる手 ―――



 王宮内の隠された思惑や、計画、善意、悪意、そして、殺意を、いち早く察知し、王族の宸襟を護る手の者。 王族に名を連ねる者に忠誠を誓い、命令を遂行する。 カービンの上司に当たるものは、長年この役職に就き、王家を見守っている。 

 カービンへの指示は、簡潔にして、重大であった。




 ――― 王宮にて、ウーノル殿下をお守りし、殿下のご意志を具現せよ。 人員には糸目をつけない。 他の方々の人員は縮小する。 必要な者をすべて使え。 王宮内において、玉体に如何なる『 傷 』もつけるな。 ―――




 次期国王にして、ファンダリア王国の輝ける未来に導いていけるであろう、ウーノル第一王子に懸ける、王国に忠誠を捧げる、王宮の者達の総意でもあった。 よって、カービンの配下は膨大な人数になり、その統率も優秀な彼が疲れを感じる程だった。

 即座に纏められる各種の指示に、その部屋に来ていた者達が散る。 やっと、一人きりになったカービンは、ふと溜息をもらす。

 小さく細い明り取りの窓の向こう側を見ながら、小さく言葉を紡ぎ出した。




「立太子の儀まで、ひと月を切った。 準備は…… 問題は無い。 だが、不安を感じる……」




 手を後ろ手に組み、細い窓から見える街並みに、鷹の様な視線を投げかけていた。 平穏そうな、街並み。 カービンはそこに住まう人々の姿が、好きだった。 なんの思惑も感じず、普通平穏の日々を送っている市井の者達が、好きだった。 彼らの平穏な生活を護る為には、彼が仕えるウーノル殿下が、何としても、王座に就くことが必要だと、感じても居た。



 コンコンコン



 忍びやかな、ノックの音がした。 視線を細い窓から外さず、その音に声をかける。




「何用か? 入って来い」

「殿下より、コレを…… ビッテンフェルト宮廷伯様にと」




 振り返り、入って来た侍従の持つ銀盆の上にある物を見た。 小さな皿の上に、焼き菓子が幾つか。 持って来た侍従は、カービンを真っすぐに見つめている。




「殿下が下賜されたのか」

「はい、ビッテンフェルト宮廷伯にと」

「……休めと、仰られたか」

「左様に御座います。 ” 疲労の色が濃い、夕刻までではあるが、休息を取れ ” との思召しに御座います」

「……ルークよ、良き主人に仕える事が出来たな、私達は」

「誠に……」




 二人の視線は絡む。 表情に笑みは無いが、誇らしげではあった。 ウーノル第一王子は、優秀で在り、傑物でもある。 記録に残る 先々代 ” 獅子王 ” 陛下の幼少の頃にとても良く似ている。 身近に使える者を大切にし、その能力に見合った仕事を常に与え続ける。 自身は考え行動する。 まさしく王者の片鱗とも言えた。


 ” がしかし ” と、カービンは思う。


 ウーノル殿下はあまりにも優秀。 とても、十二歳とは思えぬ考えと行動をする。 きたる立太子の儀も、通常執務の様にこなすことは、もはや既定の事実と云っても良い。 そして、なにより、彼は休むことをしない。 膨大な王子教育を易々とこなし、実際のファンダリア王国の執政の勉強にも、きわめて真面目に取り組んでいる。

 情報を集め、考え、そして、行動し…… あれでは、擦り切れてしまうと、心配もしていた。 周囲の者に休息を取らせるウーノル殿下自身は、休息も取らず、ひたすら勉強している。 



 まだ、十二歳なのに…… と、カービンは思う。



 野を駆け、友人たちと遊び、駄々をこね、我儘に振舞うべき年なのだと…… 立太子の儀が終われば、王太子としての職務も彼の小さな肩に乗る事になる。 今だけなのだと…… 今、子供らしくなければ、これから先、もう、どこにもその様な時間を取る事は出来ないのだと。 そう……嘆息する。




「殿下は?」

「先ほどお届けいたしました、税収の報告書を精査されておられます」

「……あの報告書か?」

「左様に。 南部辺境域において、税が増収している理由等が、記載されている物に御座います」

「特に……、アレンティア辺境侯爵の支配地域の事だったな」

「はい、ダクレール領においての、爆発的な経済の発展と、ベネディクト=ペンスラ連合王国との交易の成果。 さらには、南方領域において広範囲に実施されている、経理の刷新。 農地の拡大。 漁業の昂進。 南西部の森林開発の進捗…… これらのことを纏め上げられ報告されたのは、アレンティア辺境侯爵様に御座います」

「……本領においても、使える手が無いか、吟味されているという訳か」

「左様に。 ” しばらく、一人にせよ ” と、言われました」

「護衛騎士は?」

「扉に控えております」

「夕刻になれば、ご友人達が見えられる。 それまでの間に、書類を読まれるのだろうな」

「ビッテンフェルト宮廷伯様…… 殿下に休息を取る様に……」

「何度も『言上』申し上げている。 ルーク、私もお前と同じ思いなのだ。 殿下は、前しか見ておられぬ。 私達は、殿下の足元を固める。 ……そのお役目もまた、「見えざる手」の役割でもある」




 そう言う彼の言葉は苦く重い。 カービン自身もまた、ルークと同じ思いであった。 少しでも、少しでも休んで欲しい。 ウーノル殿下から、第一王子と云う重荷を下ろせる時間を取って欲しいと。 

 そして、思う。

 何が、殿下をして、そこまでさせるのかと。

 確かに国王ガングータス陛下は、聖堂教会の云うがままになっている。 王妃フローラル妃殿下は、豪奢を好み、王国の財政すら圧迫している。 大公家の当主達が諫め、留め、そして、巧妙に立ち回り、なんとか王国の権威を…… いや、王家の権威を保たさせていると云っても過言ではない。

 間近に見ているがこそ、ウーノル殿下の憔悴感は、ただならぬものなのであろうとも、思う。



 が……



 その様な重荷を、十二歳の子供に背負わせている事自体が異常なのだ。 それが故の、殿下の行動かと、思案する。 




「以前、ふと、漏らされた言葉が御座います」

「何か」

「表情を苦くされ、呟くように、王都を望む窓に向って、言われたのです。 ” 姉上であれば、どうするのか ”と」

「……姉上? ……ハッ! エスカリーナ様の事か!」

「おそらく…… あの方の「お披露目」の時の事ゆえのお言葉と……」

「傑物の御心には…… あのお方の影があるというのか……」

「御意に」




 突き動かされる様に、前へ前へと進む、ウーノル殿下。 殿下の視線の先には、他国より「悲劇の王女」と呼ばれている、エスカリーナ=デ=ドワイアル大公令嬢の姿があったのだと、まさに今、〈 理解 〉した。

 八歳にして、物おじもせず国王陛下に言上した、エリザベート前王妃の忘れ形見。 大人達を手玉に取り、彼女の望む物をすべて手に入れたあと、王宮より…… 王都より…… ファンダリア王国より…… 消えてしまった、エスカリーナ様。


 失ってから、狼狽した重臣達。


 今も語り継がれる、あの年の「お披露目」の物語……




「私たちの仕える御方には、導いてくれる方が居られたのだな」

「……左様に」




 カービンは、ルークの捧げ持つ銀盆の上の焼き菓子を一つ摘み、口に入れる。 小麦の薫りと、甘い口当たり。 

 その味をしっかりと噛みしめ、彼は思う。





 ” エスカリーナ様が、「光」が求める、優しき「闇」なのか…… ”





 と。





しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

甘い婚約~王子様は婚約者を甘やかしたい~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:385

攻略対象5の俺が攻略対象1の婚約者になってました

BL / 完結 24h.ポイント:390pt お気に入り:2,623

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,499pt お気に入り:4,185

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。