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黒の帳 『一つ目の帳』

婉美な翡翠

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「はぁっ…はっ、…あっ…」
「待ってよ~」
「さーきちゃーんっ!」

私、紫川鈴。
先程ようやく隙を見つけ、不良さん達の拘束を抜け出しました。
不良さん達から逃げるべく、只今全力疾走しています。
ですが、

「あっ…、ふっ、ばかにっ…しっ…」
「頬っぺ赤いよ~、チーク要らないね♡」
「さきちゃんが足遅いだけだろ」

私を追いかけていた不良さん達が、並走しています。何でですか。完全に追いついてますよね。私を馬鹿にしてるんですか。

一年生の教室を通り過ぎ、その先は階段へ。止まったら絶対捕まる。少しでも執行の時間を遅らせるには、止まることは許されない。
階段前を通った時、私の左にいた遠藤君が、角から出てきた誰かにぶつかった。かなりの勢いでぶつかり、遠藤君は勢いよく転けた。ぶつかった相手の人と遠藤君が心配で私は足を止める。止まっちゃったなと頭の片隅で思うけど、足を挫いていたら一人で歩けない、確認しないと。息を切らしながら声をかける。

「っ…てぇ……」
「だっ…ぃ…じょーぶ…っ?」
「遠藤何やってんのー?」

「…………なあ」

ぶつかった相手の人の声がする。そうだ、謝らないと。でも、遠藤君は物凄い勢いで転んだのに、相手の人は無事みたいだ。体幹凄いなあ。階段の角から相手の人が出て来る。

「…ひっ」
「遠藤っ、逃げるぞ!!!鈴ちゃんもっ」
「えっ、え?」

その姿を見た途端、皆の顔が青ざめる。菊池君が急いで遠藤君を起こし、私の手を引こうとする。後ろにいたクラスメイトも後ずさる。
そう、階段の角から出てきたのは、

「待ってよ菊池君。えーっと、紅陵…零王さんですよね。番長さんですか?」
「へえ…俺のこと、知ってんの。嬉しーなァ…」

2m前後の長身に、赤髪で緑の目の二年生。
雅弘さんの言っていた紅陵零王さんに違いない。確か頭が良くて、雅弘さんの子分の氷川さんに、目をかけられている。でも、こんなに格好良い人とは思わなかった。彼の顔は世間一般でいう、イケメンの部類だろう。しかも私のような中性的なものではなく、気だるげなジト目、シュッとした顎、凛々しい眉毛、それらから醸し出される大人の雰囲気は、男らしい、と称するべきだろう。いいなあ。
私もあんな顔に生まれたかったなあ。

巻いているのか天然かは分からないけど、顎まであるスパイラルパーマで髪色は赤だ。左目を何故か隠している。龍牙みたいに傷があるんだろうか。翡翠のように煌めく緑の瞳も相まって、異国の雰囲気を醸し出している。

「逃げるぞっ…て、鈴ちゃんっ!」
「ぶつかったら謝らないと駄目だよ?」
「馬鹿っ、その人がどんな人か知らないでしょうが!!」
「人をさ、危険物みたいに言うのどうなんだよ。あ、そうだ、俺は番長じゃなくて裏番な。番長はな、何か涼しそうな名前で同い年の奴」

涼しそうな名前、番長になりそうな人。絶対氷川さんの息子さんだ。
それにしても、声まで格好良い。低めの声で、間延びした喋り方だけど、それがまたこの人の余裕さを感じさせる。マイペースな人なのかな。

「氷川さんですか?」
「おっ、そうそうソイツ。よく知ってんねぇ」

紅陵さんが話せば話す程、皆は私たちから離れていく。この人そんなに怖いの?でも、天野君よりは怖くなさそう。話してみた印象は全く悪くない。寧ろ好印象だ。

「さきちゃんっ、こっち、こっち来い!」
「そういやさあ、その髪、前見えてんの?」
「駄目っ、帰ってきて!鈴ちゃーん!!」
「見えてますよ」

ん?この会話、もしかして。
私は相当察しが悪いんだろうな。ぼーっとしていて反応が出来なかった。

紅陵さんの手が、私の前髪を上げる。
私の顔を見た途端、零王さんがその長身からか腰を折ってまで、私の顔をよく見ようと身を乗り出してくる。
イケメンが、近い!先程も教室で皆にまじまじと見られたが、こんなに顔面偏差値が高い人に見られるのとは訳が違う。
紅陵さんは見れば見るほど精悍な顔つきで、男らしい。彼とは違って、私は華奢で女の子のようだとよく言われる。何だか急に恥ずかしく、情けなくなってきて、顔に熱が集まっていく。それを見た紅陵さんは獲物を見つけたようにニマニマと笑う。宝石のように輝く翡翠の瞳が、やたらと近く見えた。

「…ん」
「鈴ちゃっ……ぇ……」
「あーーーーっ!!!」

あれ、唇に柔らかい感覚。
これは、もしかしなくても、

「…ちょっ、と、えっ!?今っ、紅陵さんっ!?」
「可愛い~、顔真っ赤。凄いなあ、今年の一年生にはこんな子が居るのかあ」
「…俺のさきちゃんが…」
「俺らの鈴ちゃん…」

前髪にかかっていた手が外され、また暗い視界が戻ってくる。
キスされてしまった。
別に初めてではないし、そこまでは騒がない。でも、紅陵さんとは会ったばかりだ。人もいる、それなのに…。紅陵さんという人はどこまでもマイペースみたいだ。
あと、そこの人達。私は誰のものでもないぞ。
紅陵さんは、慌てる私を見て今度は純粋な笑みを浮かべる。勿論、キスされて直ぐに離れようとしたけど、いつの間にか腰に回っていた紅陵さんの腕がそれを許してくれない。

「は、離して、くれませんか…?」
「…逃げるだろ?」

こてん、と首を傾げ、悲しそうな目をする。秀麗な顔でそんな表情をされたら文句が言えない。

「じゃあ質問です。何でキスしたんですか」
「甘そうだったから。俺な、甘いもん大好きなの。ほら」

紅陵さんが顎で何かを指す。その方向に目線を下げれば、あの有名な棒にチョコがついたスナック、ペッキーの箱が落ちていた。さっきぶつかった時に、紅陵さんが落としてしまったんだろう。
質問の答えになっていない気がするけど、まあいっか。

「美味しそうでも、勝手にキスはしちゃダメなんですよ?」
「…じゃあ可愛かったから」
「可愛くてもです!」

何でもないようにあっさり可愛いと言われ、また顔が熱くなっていくのを感じた。

「…ああ…恋人みたいな雰囲気になってるぅ…」
「鈴ちゃん…帰ってきてえぇ……」
「あれ?何あの集団」

不味い。後から来たクラスメイトを含めると、ここには十数人の人数が集まっている。それを見て気になった人が集まってくる。というか、そうか。抱きしめられながら、凄く近い距離で話していたら、そういう風に見えるよね。
多分、いや絶対、紅陵さんには既に恋人がいる。こんな格好良い人、世の中の女の子、いや、男の子もか、そんな人たちが放っておかない。私と恋人だとか噂されてしまったら困るに決まっている。

「こっ、恋人!?ねえ、紅陵さん、勘違いされちゃいますって!あの、離してくださいっ…、逃げませんから。ねえ、お願いします」
「…いいよ、はい」

懇願するように制服に縋れば、漸く私を離してくれた。でも紅陵さんはまだ話がしたいように見える。取り敢えず場所を変えないと。ああ、お腹空いた。そうだ、一緒にお昼とかどうかな。

「鈴ー?お前何して……って、あっ裏番!?」
「アイツはもうお前が居なくても大丈夫…って……あ!?何つった、裏番だと!?」

慣れ親しんだ二人の声がする。来るの遅いよ。
いつの間にか人混みにまでなっていた集団を、龍牙と光彦が掻き分けてやってくる。

「鈴っ、大丈夫か、何もされてないか!?」
「裏番か…、お前がボスだな?」

龍牙は私を引き寄せ、ぺたぺたと怪我が無いか触る。光彦はそんな龍牙を背に隠すように立ち、紅陵さんと対峙する。
それにしても本当に背が高い。光彦だって私と龍牙より頭一つ大きいのだから、180cmはあるだろうに、紅陵さんはそんな光彦より頭一つ分大きい。
それに、さっき抱き寄せられたときも感じたけど、凄い筋肉量だ。えげつない鍛え方をしてるんだろう。光彦よりマッチョかもしれない。

「…クーロちゃん、戻ってきて?」
「えっ、あ、あの…」

立ち塞がる光彦の上から紅陵さんが覗いてくる。身長高すぎないか。
私に触る龍牙を見ると、その目が鋭くなった。その目の変わりようは何かに似ている。何だっけ。目が急に細くなる生き物。

「龍牙、離して?」
「何であんな危ない奴のとこ戻るんだよ。アイツ気に入った人間老若男女構わず食うって噂だぞ。お前…まさか目ェ付けられてないよな?」
「いや、その…」

龍牙が守るように私を抱くものだから、紅陵さんの顔がどんどん怖くなる。もう彼氏面ですか。それとも私を自分のものとして見ているんだろうか。でも、怖い顔でもかっこいいなあ…イケメンってずるい。

「さきちゃんがちゅうされちゃったんだよおおお」
「可愛い鈴ちゃんが…」
「何でお前ら馴れ馴れしく…、って、え?……ちゅう、って」

遠藤君と菊池君の言葉を聞いた龍牙が、困惑したように紅陵さんを見る。紅陵さんは待ってましたとばかりに爽やかな笑顔を浮かべた。龍牙が絶望の表情を顔に浮かべて私を見てくる。

「クロちゃん教えてあげなよ」
「…鈴」
「ほ、本当だよ。紅陵さんから…急に」

思い浮かべて顔が熱くなる。急に、あんなことしてくるだなんて。やっぱりマイペース過ぎる人だ。

赤くなった私を見て、龍牙が、よく分からない表情を浮かべる。
どうしてそんなに悲しそうなの?友人として憤るのは分かるけれど、悲しいのは分からない。友達を取られて寂しい、といった心境なのかな。

「まあ合意じゃねえんだけどよォ!」
「お前っ、許さねえ!!」

遠藤君が合意じゃないと叫んだ途端、龍牙が豹変する。やはり、友人として憤る姿だ。だとすればさっきの悲しそうな顔は一体何だったんだろう。
今にも殴りかかりそうな龍牙の前に、光彦が立ち塞がる。

「龍牙、落ち着け。考えてもみろ。あいつの口に、お前が裏番に喧嘩を売る程の価値があるか?」
「お釣りがくるわ!!!」
「そうか……」

龍牙に怒鳴られて光彦がしゅんとする。光彦が子犬みたいだ。可愛くて、撫でようと手を伸ばしたら光彦にぺちんと叩かれた。痛い。
龍牙が光彦の前を通り過ぎ、紅陵さんの前に立つ。

「お前、俺のダチに何してくれてんだ」
「その態度でダチとかよく言えるな。…つーか俺こんなツリ目の金髪美人殴りたくねぇわ。そのロング可愛いね~」
「……鈴、俺マジでキレてんだけど。…いいよな、喧嘩して」

悠々としている紅陵さんからは、正直強さは感じられない。でもこの場の誰よりも大きい背で、先程触れた感覚からして相当な筋肉量もあると分かる。裏番というのは伊達じゃなさそうだ。
龍牙もこの人と喧嘩をすればただではすまないと分かっているのか、怪我をして欲しくないと言った私に了承を求めてくる。光彦も怪我をして欲しくないのか、断れという意志を込めて私を睨みつけてくる。

「…えっと、私は…」

ぐうぅ~。

お腹の音が響く。
周りの集団は紅陵さんと私たち三人を静かに見ていたし、目の前の三人は私の返事を待っていた。だから、この場で音を出すということはとんでもなく目立つわけで。
皆がぽかんとして私を見つめてくる。

「……」
「…………」
「…?」


「おっ、おなか、すいてたから、しょーが…ないじゃんっ…」


私、今日一番の赤面でした。
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