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22. 羨望と嫉妬(Sideロイド)

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ゆっくりとした3拍子の音楽が流れ始め、私たちは向かい合い、音楽に合わせて踊り出す。

私は右手でアリシア様の腰を支え、左手でアリシア様の手を握りリードする。

そのリードに合わせながら、アリシア様は軽やかにステップを踏んでいる。

護身術を習得しているアリシア様は体を動かすことは得意なようで、流れるように華麗な動きだ。

「お上手ですね」

「ロイドのリードが上手いからよ」

スローテンポの曲でゆったりとした動きのため、ベールはわずかに揺れるだけだ。

時折形の良い唇だけが見え隠れしていた。

「舞踏会で踊っているなんて夢みたい。昔憧れていたの。だからロイド、誘ってくれて本当にありがとう。とても嬉しかったわ」

お互いの息づかいを感じるこの距離で、アリシア様はうっとりとした声を上げ、私にお礼を述べてくる。

リズベルト王国で王族扱いされていなかったという話を聞いていただけに、アリシア様には舞踏会に出席するような機会がなかったのだろうと察した。

一緒にダンスを踊っただけで、まるで高価な宝石やドレスを貰ったように喜ぶアリシア様が愛しくてたまらなくなった。

 ……本当にこの方には不思議なほど簡単に心を持っていかれる。このままこの手を離したくないな。

思わず握っていた手に力が籠った。

だが、私がこのようにアリシア様に触れられるのはダンスを踊るほんのひと時だけ。

それ以外の時に触れる権利はエドワード様だけのもので、私にはないのだ。

そう思った刹那、初めてエドワード様に対して激しい羨望と嫉妬に満ちた感情を覚えた。

 ……なぜエドワード様がアリシア様の婚約者なのだろう。政務を放り投げ、側妃との情事に溺れるだけのエドワード様にはもったいない方だ。私ならこんなふうにアリシア様を放置しない。幸せにして差し上げられる。

ついにはこんな邪な気持ちまで芽生えてくる始末だ。

臣下の身でありながら、王族を批判するなど私は一体何を考えているのか。

思わず頭の中で考えたことを否定していたところ、ちょうど一曲が終わる頃に差し掛かっていた。

「もう一曲、いかがですか?」

「ええ、ぜひ。私も踊りたいと思っていたの」

私たちはそのままダンスフロアに留まり、次の曲が流れ始めると、再びステップを踏み出す。

先程よりもテンポが早く情熱的なこの曲は、ダンスも体の密着度が高くなる。

自然と距離が近くなり、まるでアリシア様を抱きしめているような感覚に陥った。

触れたところからは、じんわりと体温を感じる。

もちろんダンス中だからということもあるだろうが、アリシア様も私に触れられるのを厭う様子はなく、身を預けてくれている。

「ふふっ。楽しいわね。人前でこんなに堂々と楽しんでいるのなんて本当に初めてだわ」

アリシア様の弾むような声が聞こえてきて、ベールで顔が隠れているのが残念でならない気持ちになった。

この距離感でアリシア様の綻ぶ笑顔を見ながら踊りたい。

「でも夢のような時間はもうすぐ終わりね。まるでシンデレラの魔法が解けるみたい……」

アリシア様がポツリと呟いた”シンデレラ”という単語が何のことかは分からなかったが、言いたいことは痛いほど分かった。

もう二曲目が終わろうとしているのだ。

貴族の常識としては、同じ相手と三曲連続で踊ることは特別な意味を持つ。

婚約者、夫婦などの間柄であることを指す。

つまり、私とアリシア様では踊ることができないのだ。

 ……もう少し、もう少しだけ。

そんな想いも虚しく、無情にも音楽が鳴り止み二曲目は終わりを迎えてしまった。

同時に私たちの体も離れ、感じていた体温は遠ざかっていく。

そして踊り終わるのを待ち構えていたように、私はたちまち複数のご令嬢に囲まれてしまった。

「ロイド様、私とも踊ってください」
「いいえ、ぜひわたくしと!」
「わたくしが先ですわ!」
「私はずっとロイド様と踊れる日を夢見てましたのよ!」

長年踊らなかった私がアリシア様と踊ったことで、これはチャンスと勝手に解釈した女たちがギラギラした目で詰め寄せてきたのだ。

アリシア様はその様子を見て状況を素早く察すると、「私のことは気にしないで」と言わんばかりに一人でそそくさと上座へと引き上げて行ってしまった。

先程までの時間はまるで幻だったかのような現実に、私はため息を吐かずにはいられなかった。


◇◇◇


「ブライトウェル公爵は、あいかわらず女性に大人気ですな。それほどの器量を持ち合わせておられるのですから全く不思議ではないですがな」

ようやく面倒な女たちを振り切り、舞踏会の会場を抜け出して人気ひとけのない庭に逃げてきた私は、突然背後から男に話しかけられた。

聞き覚えるある野太い声に「もしや」と思いながら振り返ると、案の定だ。

そこには歴戦の猛者であることを物語るような厳つい面持ちに、鍛え抜かれた体を誇る40歳過ぎの男がいた。

反乱の首謀者として警戒しているノランド辺境伯だった。

「……ノランド辺境伯か。久しいな」

「久しぶりですな。私からは何度も手紙を差し上げましたが、フラれてばかりですからな」

ノランド辺境伯は私が無視している手紙についてあえて触れてきた。

このような人気のないところで接触してくるあたり、何か意図があるのだろう。

やっとしつこい女たちを振り切ったと思えば、次は警戒対象者と対峙しなければならないとは、全く気の休まる時間がない。

私は言質を取られないように口をつぐみ、視線だけを彼に向けた。

「先程のダンス拝見しましたぞ。アリシア王女殿下と踊られるとは驚きました。お親しいのです?」

「エドワード様のご婚約者であるし、側近として接する機会も多いからな」

「さようですか。だが、聞くところによると王太子殿下はずいぶんとあの王女殿下を蔑ろにしているらしいですな。先程ブライトウェル公爵が踊られたのも、王太子殿下が気にかけておられない様子を見かねてフォローなさったのでは?」

実際はフォローというより腹が立ったのがキッカケであり、私自身がアリシア様と踊りたかっただけというのが本音だ。

とはいえ、私の想いを知らない第三者から見ればそのようにあの状況は写っていたらしい。

「政務もブライトウェル公爵が王太子殿下の肩代わりをされているとか。一方で王太子殿下は側妃の離宮に籠もりきりらしいですな」

「……何が言いたい?」

「いえ、まあブライトウェル公爵はずいぶんとご苦労されているのだろうと心配しているのですよ」

「それはご心配どうも」

「ご自分は政務を押し付けられ大変な思いをされているのに、王太子殿下は女に夢中……となるとさすがのブライトウェル公爵も思うところがあるのでは? ご不満もありましょうぞ?」

そこで言葉を切ると、ノランド辺境伯は探るような鋭い目を私に向けてきた。

明らかに王家への反感を持っている言葉だが、まだ決定的なものではない。

気持ちを押し測っただけで私はそのようなことは思っていない、と何とでも言い逃れできるレベルだ。

 ……思うところや不満、か。

その言葉に先程アリシア様とダンスをしていた時に感じたエドワード様に対する羨望と嫉妬を思い出す。

あれは詰まるところ、エドワード様への不満と言えなくもないだろう。

私が先程の出来事を脳裏に描き、わずかに眉を動かしたのを見て、ノランド辺境伯は何か確信を得たのかもしれない。

視線に熱がこもり、真剣さを帯びてくる。

「今の王族は腐り切っているとブライトウェル公爵も心の底ではお思いなのでは? 公爵ほどの能力と実力がおありなら、王位を簒奪さんだつされたらいい。その方がみんなが幸せになると思いますな。もちろん助力は惜しみませんぞ」

そしてついにノランド辺境伯は、決定的なことを述べたのだ。

王位簒奪、つまりは反乱の意思を見せたのだ。

「すでにブライトウェル公爵の耳にも入っておりますことでしょう。私が発起人となり、王家に反感を持つ者は反乱をくわだてております」

「……それをなぜ私に今言う? 私は王太子殿下の側近なのだが?」

「もちろん存じておりますとも。ですが、私は確信を持ちました。ブライトウェル公爵も思うところがあられるのだと」

「…………」

「それに私ども反乱を企てる者は別に国に混乱をもたらしたいわけではありませんぞ。むしろその逆ですな。この国のために立ち上がるのです。その点においても、ブライトウェル公爵が私どもに付いてくだされば円滑だと思っています」

「……円滑、か」

「そうですとも。なにしろブライトウェル公爵は王位継承権第2位のお方。しかも数々の実績もおありで、周囲からの信望も絶大。反乱が成功したのち、王位につくのがブライトウェル公爵であれば誰も文句を言わないでしょうな。正当な継承者であられるのだから国が大きく乱れることもないでしょうぞ」

 ……つまりノランド辺境伯は、私を旗頭はたがしらにしたいわけか。


ただ王家に反感を持って闇雲に王位を簒奪するのではなく、その後のことまで考えているようだ。

確かにノランド辺境伯の言う通り、私を旗頭とすらなら摩擦は少ないであろう。

なかなかにしたたかな企てをしたうえでの、私への接触だったことが窺えた。


「どうですかな? 考えてくださいませんかな?」

「…………」

「もちろん今すぐに回答を得たいわけではありません。ただ、残念ながら時間はそれほどないのです。王太子殿下がアリシア王女殿下と正式に婚姻されれば、隣国も絡んだ問題になってきますしな。ですから、あと数ヶ月で行動しなくてはなりませんゆえ、1ヶ月以内にはお答えをお聞かせ願いたい。良い回答を期待しておりますぞ。では私は今日はここで失礼いたします」

ノランド辺境伯は、自分より身分が高い私に一礼すると、その場を音もなく去って行った。

残された私は今聞かされたことを反芻する。

以前の私なら全く相手にしなかった話だ。

むしろこのような決定的な企みを耳にしたからには、そのままノランド辺境伯を去らせるなんてことはしなかっただろう。

だというのに、この時の私はいつもとは違っていた――心が揺れ動いていたのだ。

 ……アリシア様が正式に婚姻される前までのあと数ヶ月以内に、か。


脳裏に思い浮かぶのは、何も望まず自分の希望も述べない無欲なアリシア様の笑顔だ。

私は思わずチラリと考えてしまったのだ。

もしこの話に乗れば、アリシア様を私のモノにすることができるのではないだろうか、そして自らの手で幸せにして差し上げられるのではないか――と。

それは王族に仕える臣下として、エドワード殿下の側近として、非常に罪深くよこしまな考えだった。
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