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23. 夢のような時間

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人生で初めて出席した舞踏会は、想像以上に華やかで煌びやかな場だった。

着飾った男女、優雅な音楽、様々な種類が用意された食事やお酒、シャンデリアが輝く豪勢な大広間――。

贅を尽くした貴族の宴に、私は上座の席に座りながら会場を見渡して内心面食らっていた。

なにしろ前世は衣食住に必死な貧乏暮らし、そしてリズベルト王国でもいない者として扱われていたため王女だというのにこういった場に出席することがなかったのだ。

舞踏会に出席する機会があった時に王女として最低限の体面を保ちリズベルト王国の恥にならないようにと、父から唯一与えられた夜会用の華やかなドレスに身を包んだ私は、必死に平静を装っていた。

ただでさえ、初めて公の場に現れた私に対する貴族たちの視線が突き刺さる。

そのほとんどが好意的なものではないことには気づいていた。

そんなことには慣れているものの、このような大勢の人から一度に浴びせられる機会はそれほどない。

この場にはこの国のほぼ全貴族が集まっている。

蛇に睨まれた蛙のように、上座で微動だにせず身を固くして座り、決して動揺は見せまいとギュッと手を握りしめた。

舞踏会が始まってしばらくすると、隣に並んで座っていたエドワード殿下とマティルデ様が連れ立ってダンスホールへと消えて行く。

そのことで、さらにその場にいる貴族たちの視線がこちらへ集まり、同時に私を嘲笑する声が密やかに囁かれ出した。

 ……言われなくても分かっているわ。私は王女としての身分しか価値がない、愛されないお飾り妃だってことは。

いつもなら気にしないのに、この日ばかりはこの場の雰囲気に気後れしていたこともあってか、やけに身に沁みた。

でもそんなカッコ悪いところを人に見られたくなくて、私は王女らしく平然を装う。

ベールを付けていて表情を悟られないのが救いだった。

そんな時だ。
私の前にロイドが颯爽とやって来たのは。

正装をしていつも以上に麗しい彼はその場で優雅に跪いて私に手を差し出した。

「アリシア様、私と踊って頂けますか?」

それはまるで前世で読んだ物語の王子様が姫に求婚するワンシーンのようだった。

ロイドの美しい容貌がより一層そのように感じさせるのだろう。

自然と胸がドキドキと高鳴るのを感じながら、私は先程まで感じていた重圧も忘れて微笑んだ。

「ええ、喜んで」

ロイドの手に自分の手を重ね、立ち上がる。

触れた手からは温かな体温が伝わってきて、舞踏会が始まってからずっとりきんでいた体がほぐれていくのを感じた。

ロイドにエスコートされながらダンスホールに赴く間、至るところから視線が突き刺さる。

だけど、不思議なことにロイドが隣にいると心強くて、その視線も気にならなかった。

 ……きっとロイドはエドワード殿下が私を一向に顧みないのを見かねて、気を遣って来てくれたのね。連絡係の任務の一環として。

思い返せば、この国に来てからもう7ヶ月以上経つが、その間ロイドはずっと私を気にかけていてくれた。

人質である私のことを見下すこともなく丁寧に接してくれて、色々なことを教えてくれた。

王宮を抜け出していることが露呈してからも、私の要望に耳を傾け黙っていてくれている。

この国でこんなに心穏やかに過ごせているのはロイドのおかげと言っても過言ではないだろう。

今日もずっと上座で座っているだけだろうと思っていたのに、こうしてダンスを踊る機会を与えてくれた。

舞踏会に出席する機会はなかったけど、教養としてダンスを学んでおいて本当に良かった。


「それにしても公の場でダンスなんて初めてだわ」

「私も数年ぶりですよ」

「あら? そうなの? ロイドならいつもたくさん女性から誘われるでしょうに」

「今まで踊りたいと思う女性なんていませんでしたから」


エスコートされながら小声で話していたら、急にロイドからベール越しにじっと見つめられた。

ルビーのような赤い瞳を熱く向けられ、体温が急に上がった感覚がして、心臓の鼓動が早くなる。

脳裏には先日のロイドの言葉が蘇ってきた。

――「どんなに容姿の整った女にも興味がないのに、顔を知らない人に惹かれるということもありますよ。私の経験談です」


あの時にも感じたドキドキを超える胸の高鳴りが私を襲う。

 ……私、一体どうしちゃったの⁉︎ こんなに多くの人の前で初めてダンスをすることに緊張してるのかしら?

感じたことのない動悸に動揺していると、ちょうどダンスホールへ到着した。

ゆっくりとした3拍子の音楽が流れ始めると同時に、流れるような動作でロイドに腰を引き寄せられ、一気に距離が近くなる。

心臓が飛び跳ねるのを自覚しながら、ロイドと向かい合い、ダンスのポーズを取ってステップを踏んだ。

ロイドのリードは実に上手く、踊り慣れていない私でもとても踊りやすい。

最初はものすごい注目を浴びていたから少し緊張していたのだが、だんだんと人々の視線も忘れて、私はダンスに夢中になった。

こんな華やかで煌びやかな場で自分が踊っているなんて、リスベルト王国にいた時では考えられない。

「舞踏会で踊っているなんて夢みたい。昔憧れていたの。だからロイド、誘ってくれて本当にありがとう。とても嬉しかったわ」

このような機会を与えてくれた感謝の気持ちが溢れてきて、間近にあるロイドの顔を見上げながら、私は想いを率直に口にした。

私の言葉を聞いて、ロイドの美しい顔に微笑みが浮かぶ。

握られていた手にも力がこもり、まるで「私も嬉しいですよ」と言われているようだった。

ちょうど一曲目が終わり、続けて私たちは二曲目も一緒に踊ることになった。

ロイドも今この瞬間を楽しんでくれているのかと思うと嬉しくなる。

「ふふっ。楽しいわね。人前でこんなに堂々と楽しんでいるのなんて本当に初めてだわ」

テンポが早くなった曲に合わせてステップを踏みつつ、私は心の底からこの時間を楽しんでいた。

先程の曲よりも相手との距離が近くなり、ロイドに包まれているような感覚に陥った私の心臓はさらに弾むように音を奏でる。

苦しいほどドキドキするのに、それは全然嫌なものではなくて、甘さすらある。

 ……さっきからこのドキドキが止まらないわ。もしかして、これって……噂に聞く異性に対する胸のトキメキかしら?

ふとそう思い至って思わずロイドを見上げれば、ベール越しに目が合った。

それによってまた胸の鼓動が飛び跳ねる。

体も火照ってしょうがない。

前世も含めて今まで恋をした経験はなかったが、これがそうだということは本能で感じた。

なにしろ二曲目が終わりに近づいている今、ロイドともっとこうして踊っていたい、彼に触れていたいという気持ちが止まらない。

同じ相手と三曲踊ること、それは婚約者か夫婦にしか許されないことだ。

私にはその資格はないということを頭ではちゃんと分かっているのに。

 ……エドワード殿下との婚姻まで残り数ヶ月。そんな時にロイドへの恋心を自覚してしまうなんて……。

いくら想いが芽生えたからといっても、この恋が成就することはない――ずっと秘めていく必要があるものだ。

ロイドはエドワード殿下の側近であり、公爵家の当主であり、この国の王位継承者第2位の人だ。

対して私はあと数ヶ月もすれば王太子妃。

これから先も臣下として近い立場で絶対に関わりがある。

 ……つまり、ロイドが妻を娶るのも見届けることになるのでしょうね。

家の継承のためにも公爵家の当主であるロイドが結婚しないということはないだろう。

となれば、これからも王太子妃と王太子の側近として関係が続くからには、その場面に直面することは容易に想像ができた。

でもそれもまだ先の話だ。

少なくとも私とエドワード殿下との婚姻はまだもう少しだけ時間がある。

それまではロイドも変わらず、エドワード殿下の連絡係として、そして人質の監視も兼ねて、私のところへ顔を出してくれるはずだ。

 ……残りの数ヶ月がますます貴重なものに感じるわね。今日も忘れられないとっても良い思い出になったわ。

その時ふと前世で読んだ童話であるシンデレラを思い出した。

家族から虐げられていた女の子が、ある夜魔女の魔法に助けられ舞踏会に繰り出し、王子様に見初められて魔法が切れるまでのほんのひととき王子様とダンスを楽しむのだ。

虐げられている女の子、限られた時間、舞踏会でダンスという点がまるで今の私みたいではないだろうか。

しくも、ちょうど二曲目が終わりを迎えようとしていた。


「夢のような時間はもうすぐ終わりね。まるでシンデレラの魔法が解けるみたい……」

思わず口からそんな言葉がこぼれ落ちた。

ほどなくして無情にも音楽は鳴り止み、私はロイドから体を離す。

すると、たちまち目をキラキラと輝かせた多くの令嬢にロイドは囲まれてしまった。

その様子を見て空気を読んだ私は、一人で元いた上座の席へ戻る。

上座からはフロア全体がよく見渡せるから、ロイドが令嬢たちに猛アピールを受けているのもよく見えた。

「ロイド様に踊って頂けて良かったですわね。ずっと座っていらっしゃる高貴な身分のアリシア様をお可哀想と感じられたのでしょうね。本当にロイド様は優秀なエドワード様の側近ですこと」

上座に戻ると、エドワード殿下がちょうど席を外していたようでマティルデ様が私に話しかけてきた。

その言葉には「あなたが王女でなければロイド様に相手なんかされないわよ」と言っているのが透けて聞こえる。

そんなこと言われなくても私だって十分理解していた。

「ロイド様と一度踊ったからと言って勘違いされない方がよろしいですわよ。あのロイド様の隣に立つのは皆に認められるような女性でないといけませんもの。誰が見ても美しいと思う愛される女性でないと。私はエドワード様のご寵愛を頂いていますから、ロイド様のお相手ができないのが残念ですわ」

まるで「私ならロイド様にふさわしい。誰にも愛されないあなたでは無理よ」と言っているマティルデ様の台詞に、眉を顰めてしまう。

この場にエドワード殿下がいないことをいいことに、彼女はかなり挑発的だった。

いつもなら気にも留めないマティルデ様の言葉が今日は胸に刺さった。

エドワード殿下がもし戻ってきたら面倒なことになるのは目に見えているから、彼女と言い合うつもりは毛頭なく、私はそのまま沈黙を貫いた。

 ……ああ、本当に魔法が解けちゃったみたい。


マティルデ様の言葉を聞き流しながら、ダンスフロアで令嬢たちに囲まれるロイドを視界に入れ、私は心の中で呟いたのだった。
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