幸薄令嬢リースベットは絶賛困惑中 〜拗らせ公爵の滾る愛は分かりにくい〜

美並ナナ

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35. 知らされた顛末

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「さて、何から話すべきか……」

 二人きりになると、アイゼルは少し困った顔をして、考えを巡らせるように天井の方に視線を彷徨わせた。

 これから何の話が始まるのか、まったく見当がつかないリースベットは、ただじっと静かにその様子を見守る。

「……そうだな、まずは昨夜の件の顛末から話そう。クリフのことも気になるとは思うが、構わないか?」

「はい、それはもちろん。アイゼル様の話しやすい順番で大丈夫です」

「分かった。昨夜の件だが、リースベットは媚薬を二人の令嬢に飲まされて休憩室へ連れて行かれたんだろう? それで何かしらの危機を察知して逃げ出した」

「その通りです。ナディア様とルージェナ様が去り際に企みを口にされたため、このままでは危険だと思いました。でも……正直なところ、お二方にそれほど恨まれるような心当たりがなくて……」

 昨夜も思ったが、改めて考えてみてもリースベットには二人の動機がいまいちピンと来なかった。

 リースベットのことを面白くないと思っていたとしても、嫌味を言うだとか、ドレスにワインをかけるだとか、それくらいがせいぜいな気がする。

 あそこまでやるだろうか、と疑問に思うのだ。

 するとその疑問に答えを与えるようにアイゼルが事の真相を話し出した。

「その勘は正しい。あの二人はただの協力者だ。主犯はリースベットの異母姉・アメリア嬢だったんだ」

「えっ!?」

 アイゼルはすでにすべてを聞き出しているらしく、リースベットにアメリアの企みの内容を教えてくれた。

 まさか自分の夫にリースベットを襲わせるつもりだったとは驚いた。

 しかもそれをアイゼルと一緒に目撃する段取りだったなんて、その状況を想像するだけでゾッとする。

 ……アイゼル様にそんな姿を見られたとしたらきっと死にたくなるわ。

 あの時、必死に逃げ出して良かったとリースベットは心の底から安堵した。

 それにしても、この件に異母兄まで協力していたとは、これまた驚きの事実だった。

 エイムズ伯爵家の面々にリースベットは家族として見做されておらず、疎まれているのだと、重々分かってはいたが改めて実感した。

「次にリースベットに報告しておかなければならないのが、君の生家であるエイムズ伯爵家のことだ」

「エイムズ伯爵家、ですか? 昨夜のことと何か関係があるのでしょうか……?」

 リースベットは繋がりがよく分からず、軽く首を傾げる。

 確かに異母姉が主犯、異母兄が協力者なのだから、エイムズ伯爵家が関わっているといえば関わっているが、父や義母は無関係のため少々違和感があるように思う。

 しかし、アイゼルははっきりと頷くと衝撃の事実を告げた。

「ああ、関係がある。使われた媚薬を売り捌いていたのがエイムズ伯爵家だった」

「えっ……!」

「しかもあの媚薬は、違法薬物として王宮でも問題視して売人を探っていたんだ。複数回使えば意識障害を引き起こす代物だからな」

「そ、そんな……」

 まさか国がマークするような違法薬物に実家が関わっていたとは気づきもしなかった。

 自分が気づかなかっただけで長年に渡って悪事を働いてきたのだろうかとリースベットは顔を青ざめさせる。

 ……もし私がもっとよく家のことに目を配っていれば食い止められた? 被害者を出さずに済ませられた……?

 罪悪感が募って、リースベットは項垂れるように顔を俯けた。

 そんなリースベットの頬をアイゼルの手が包み込み、優しく顔を上へ向けさせる。

「リースベット、君は何も悪くない。罪の意識を感じる必要も、そんな苦しそうな顔をする必要もないんだ」

「でも……もし私が伯爵家にいる頃に……」

「いや、それは無理だ。なぜなら彼らが違法薬物に関与し始めたのは、リースベットが俺と結婚して伯爵家を出た後だからな」

 アイゼルによると、エイムズ伯爵家は金に困窮していたという。

 結納金もすぐに使い切ってしまったようだ。

 父の補佐をしていたクリフは、リースベットが家を出たすぐ後に使用人を辞めたらしく、そのことも影響したそうだ。

 ……確かにここ最近はカミロ、いえクリフが伯爵家の帳簿関係を見ていたはずだものね。

 優秀な使用人がいなくなり、もともと散財癖のある面々の金遣いが荒くなったのも頷ける。

 でも不思議なのはクリフのことだ。

 リースベットが嫁いだ後に辞めているということは、伯爵家に潜入していた理由はこの違法薬物の調査ではなかったのだろうか。

 疑問符が浮かんだが、その疑問は結局そのままとなってしまった。

 というのも、尋ねるより前に、より一層大きな驚きが到来し、それどころではなくなってしまったからだ。

 その驚きはまずこんな質問から始まった。

「リースベットは貴族夫人の間で噂になっている『おまじない』を知っているか?」

 そう問われて、最初リースベットはいきなり話題が変わった気がしていた。

 ただ、『おまじない』自体は知っている。

 以前、公爵領でアイゼルとデートをした時にカフェで耳にしたものだ。

 あの時、リースベットもつい興味を引かれてしまい、自分を一喝したのでよく覚えていた。

「はい。詳しくは知りませんが、噂程度でしたら耳にしたことがあります」

 リースベットは正直に答える。

 するとアイゼルは軽く頷くと、続いてまたエイムズ伯爵家の話に戻る。

「実は、リースベットが伯爵家を出た後、あの家にはある商人が逗留していたんだ。その商人が『おまじない』と称して媚薬を売ることを儲け話として勧めたらしい」

「……ということは、『おまじない』で混ぜるあるものというのが媚薬、つまり違法薬物だったのですか?」

「ああ、その通りだ」

 あの『おまじない』の話が、国が問題視している違法薬物に繋がるなんて意外すぎた。

 ……アイゼル様が以前おっしゃっていた通りね。なにがどう繋がるか分からないものだわ。だから幅広く情報を集めるのが大切なのね。

 今になってアイゼルの言葉が腑に落ち、心の底から理解できた気がする。

 そして一連の話はいよいよ核心に迫る。

 アイゼルは逡巡するように一瞬だけ目を伏せると、意を決した顔をしてリースベットの目をまっすぐに見つめ口を開く。

「その商人なんだが、隣国の工作員だと判明した」

「!?」

「もうリースベットなら察していると思うが………エイムズ伯爵家の者たちは国家転覆罪で先程捕縛された。今は王宮内にある牢獄の中だ」

「……………ッ」

 今までの比ではない驚愕の事実に、リースベットは思わず言葉を失った。

 あの媚薬が、国家転覆という国を揺るがすような大事件に繋がっていた真相にもびっくりであるし、それに家族が関与していた事実にも唖然とする。

 先程自分は家族と見做されていないと痛感したばかりではあったが、それでも血縁であり、十八年同じ家で過ごした身近な人物であることに変わりはない。

 アイゼルは続けて、現時点で予想されるエイムズ伯爵家の面々に下されるだろう罪状と処遇についても説明をしてくれた。

 狼狽しつつも、リースベットは身じろぎ一つせずにその話を受け止める。

 すべてを聞き終えた時。

 わなわなと唇を震わせたリースベットは、今にも消えてしまいしそうなか細い声で、一つだけアイゼルに尋ねた。


「エイムズ伯爵家の娘である私がここにいると……アイゼル様の迷惑に、なりませんか……?」

 それは離縁を問う言葉だった。

 リースベット自身に罪はなくとも、大罪人である家の娘である事実は変わらない。

 きっと周囲からもそういう目で見られるだろう。

 そうなればシャロック公爵家だって色眼鏡を向けられてしまうかもしれない。

 愛するアイゼルに迷惑がかかる。

 自分に良くしてくれた公爵家の人々――ルイズ、エルマ、ローザリア、クリフにも。

 ……それだけは絶対にダメ。そうなるくらいなら、私がここからいなくなった方がいい……!

 本音を言えば、離れたくない。

 せっかくアイゼルに求めてもらえたのに。

 あの幸福感を一度知ってしまった自分は、もうアイゼルがいない人生を想像できない。

 けれど、自分のせいで愛する人たちに迷惑をかけるくらいなら……。

 そんな苦渋の想いで告げた問いだったが、それを聞いた途端、リースベットの手を握るアイゼルの力が強まった。

 痛いくらいにギュッと握り締める。

「それは……俺から離れたい、そう言いたいのか?」

「……私は、アイゼル様やシャロック公爵家に迷惑をかけたくないのです。そうなるくらいなら、とは思っています」

「ダメだ。それだけは許さない!」

「でも……」

「リースベット、たぶん君は分かってない。俺がどれほど君を愛しているか。君を手に入れるためにどれほど手を尽くし、どれほど待ち焦がれていたのかを」

「えっ? それはどういう――……」

 その時、ぐぅぅっというやけに間抜けな音が辺りに鳴り響いた。

 リースベットの言葉を遮ったその音は、他ならぬリースベットのお腹から鳴っている。

 思わずパッとお腹に手を当てたリースベットは、情けなくてたまらず、耳まで真っ赤になった。

 深刻な話をしていたためすっかり忘れていたが、朝から何も食べていなかったリースベットは相当に空腹だった。

「ふっ」

 これにはたまらずアイゼルも笑みを漏らす。

 先程までの張り詰めた空気も一気に霧散した。

「すまない、話が長くなってしまった。まだ話したいことはあるが、一旦休憩にしよう。これ以上リースベットを腹ぺこにさせるのは可哀想だからな」

 込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、アイゼルはリースベットの髪を優しく撫でると、テーブルの上に置かれたベルを鳴らした。

 呼び出しの音を聞いて即座に入室してきたエルマは、状況を把握して、素早くリースベット用の夕食を運び込み始める。

 その仕事ぶりは、さすがプロと感心するような手際の良さだ。

 ほどなくして、夕食の準備は完了し、仕事を終えたエルマは寝室を速足で出て行った。

 再びこの場にはリースベットとアイゼルの二人きりになる。

「では夕食にしよう」

 準備された夕食は、温かなスープ、サラダ、フルーツ――リースベットの身体の状態を考慮した胃に優しいメニューばかりだ。

 スープのいい匂いが鼻孔をくすぐり、リースベットの食欲をかき立てる。

 さっそく食べたい。

 空腹を満たしたい。

 そう思っているのにもかかわらず、リースベットは困惑して、寝台の上に座ったまま固まっていた。

 ……こ、これは、どうやって食べればいいの?

 身体を動かせないリースベットは寝台の上。

 しかし食事は寝台横のテーブルに置かれていた。

 寝台に座ったままでは手が届かない。

 すると、おもむろにスプーンを手に取ったアイゼルがスープをすくう。

 そして……

「ほら、リースベット。口を開けて」

「えっ」

 なんとそのスプーンをリースベットの口元へ近づけてきたのである。


 それが、真剣な話から一転、味が分からなくなるような、恥ずかしくも甘やかな夕食の時間の始まりだった。
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