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37. 愛の確認
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「まず、先程説明を先延ばしにしたクリフの件から話そうと思う」
意外なことにアイゼルが最初に切り出したのは伯爵家に潜入していたクリフの話だった。
アイゼルの気持ちが聞けると思っていたリースベットは少し意表を突かれた心地になる。
だが、次の一言でその認識を改めた。
「クリフを潜入させたのは、リースベットについて調べてもらうためだった。君に一目惚れをした俺のために情報を集めてもらっていたんだ」
「えっ……!?」
それは紛れもなく、アイゼルの気持ちに関する話だった。
冒頭から信じがたい言葉が飛び出し、リースベットは目を丸くする。
「クリフからもたらされた情報により、エイムズ伯爵家の家庭事情、そしてリースベットの処遇について知った。君があの家で使用人扱いを受けていたのも把握している」
「……知って、いたのですね」
「ああ。勝手に調べて悪かった……」
「いえ、それは今更ですから。それに他家の諜報員の潜入を許してしまっているエイムズ伯爵家の管理体制にも問題がありますので。……それよりも一目惚れ、って……?」
リースベットは自身の情報を勝手に嗅ぎ回られていたことはもはやどうでもよかった。
それよりも『一目惚れ』という耳を疑う言葉の方が気になった。
クリフが伯爵家に使用人として現れたのは二年前だ。
ということは、少なくともそれより前ということになる。
いつ、どこで、アイゼルは一目惚れしたというのだろうか。
リースベットにはまったく心当たりがない。
しかもその美貌から社交界で絶大な人気を集めていたアメリアならまだしも、地味で目立たないリースベットを見初めるなんて信じられない話だ。
その疑問に答えるようにアイゼルは少し懐かしそうな表情を浮かべて語り出す。
「今から約二年半前だ。当時リースベットは十六歳で社交界デビューをしたばかりだったと思う。その頃にあったある夜会で君に一目惚れしたんだ」
「でも……おそらくご存じの通り、当時の私はお姉様の付き人として夜会に出席していたので、目立たない存在でした。お姉様の背後に控える私を誰も認識していなかったと思うのですが……?」
「確かに俺も、夜会会場では認識していなかった。リースベットを初めて目にしたのは夜会会場近くにあった庭園でだ」
「庭園、ですか?」
アイゼルによると、その日リースベットは庭園で令嬢にアメリアのことで詰め寄られていたのだという。
ちょうど息抜きにその場に来ていたアイゼルはその揉め声を耳にしたらしい。
確かにそういう出来事は度々あったので、アイゼルはそのどの時かに出くわしたのだろう。
「令嬢が去って一人になったリースベットの姿を見た時、俺は一目惚れしたんだ。心の美しさがそのまま表れているかのような澄んだ瞳にぐっと心を掴まれた。そしてその後君のことを知れば知るほど好きになった」
そんな甘い言葉を、熱のこもった目でまっすぐ見つめて告げられ、リースベットは呼吸を忘れそうになった。
誰もが見惚れる端正な顔をしたアイゼルに真正面から見据えられると、それだけで胸が高鳴るのに、こんなふうに想いを語られ、心臓がドキドキしすぎて壊れそうだ。
しかしこれはまだまだ序の口。
ここからさらにアイゼルの熱い独白が加速していく。
「俺はすぐに決断した。リースベットを自分のものにしたい――つまり妻にしたいと」
「えっ!?」
「そこで先に述べた通り、クリフを潜入させて情報を集めた。そしてその結果、俺はリースベットを妻にするにあたり難問にぶつかることになった」
一目惚れにも驚いたリースベットだったが、アイゼルがこんなにも前から自分を妻にと考えていたことを知って再び目を丸くした。
公爵家当主としての責務からリースベットを選んだのではなく、リースベット自身が望まれていたなんて。
じわじわと胸に喜びが込み上げてくる。
義務的な夫婦関係ではなく、真実愛されていたのだと実感し、話はもうここまででも十分だと思ってしまうほどに、胸がいっぱいだった。
だが、もちろんここまででは終わらない。
アイゼルは続いて、自身が直面した難問について打ち明け出す。
「一刻も早く結婚したいと思ったがそれが難しかった。というのも、伯爵家に普通に結婚申込をすれば、リースベットではなくアメリアを押し付けられるだろことが明白だったからだ。君の境遇を把握したからこそ、そう思った」
その予想は正解だろうとリースベットも頷かざるを得ない。
実際にアメリアが嫁いだ後の結婚申込でさえ、本来はアメリアへ宛てたものだったとエイムズ伯爵家の面々は主張していたのだから。
「そこで俺はまず邪魔なアメリアを消す――いや、嫁がせようと計画した。当初は何もしなくてもすぐ結婚するだろうと待っていたのだが、あまりに動きがなかったから、ちょっとした裏工作などもさせてもらった」
「では、もしかしてドミニク様は……?」
「ああ。実は賭博好きで度々やらかしていた人物だったが、その悪評を握り潰して、エイムズ伯爵好みの好条件な男に仕立てあげた。あの性悪女にまともな男をあてがうのは躊躇われたからな」
「……そ、そうですか」
「アメリアのせいで、結局リースベットを妻にするのに二年もかかった。……これで俺が君が欲しくて、どれほど待ち焦がれたかが分かっただろう?」
吸い込まれそうな灰色の瞳に顔を覗き込まれ、リースベットは真っ赤になってコクコクと頷く。
ここまでくると、愛されているどころか、その想いはそれ以上に深く重いようだとリースベットも理解し始めていた。
でも怖いと感じるどころか、むしろここまで強く想ってもらえていて嬉しいとすら思う。
ただ、ここで一つの疑問が浮かんだ。
「あの……結婚申込で伯爵家に来られた時に、なぜ私なのかと聞かれて、両親に向かって答えられた理由は嘘だったのですか?」
「リースベットとの子が欲しい、と言ったことか?」
「はい。その後『多産の血筋』についても言及されていたので、私はてっきり……」
「子を産むことだけを求められていると思ったのか?」
「……はい」
盗み聞きであの台詞を聞いてしまったからこそ、毎夜のように身体を求められてもリースベットはまさか自分が愛されているとは思いもしなったのだ。
「あれは本心だ。愛するリースベットとの子が欲しいと思うのは当たり前のことだろう?」
「えっ」
「まぁ、エイムズ伯爵夫妻を納得させるために、『多産の血筋』が欲しいという、もっともらしい理由は付け加えたけどな」
……そ、それじゃあ、私が早とちりしてしまっただけ!?
アイゼルは隠すことなく、本心をそのまま最初に告げていたのだ。
付け加えられた理由の方にばかり気を取られ、リースベット自身が勝手にアイゼルの想いを解釈していたと言える。
とはいえ、アイゼルも誤解されかねない言い回しをしているため、リースベットが早とちりしたのも無理はなかった。
もしあの場にリースベットがいたならば、アイゼルももう少し言い方を変えていた可能性はある。
「……そうか、リースベットは最初から俺の想いを誤解していたんだな。だから俺が君を義務的に抱いていると思っていたのか……」
「……行為の後にお一人でされている姿を見て、さらに誤解したのです。義務的に相手をしなければいけない相手では満足できないのだろうと思って。……それにその頃のアイゼル様は私と目も合わせてくださいませんでしたし……」
当時のことを思い出したリースベットは、やや目を伏せてつぶやくように述べた。
ただ、ここまでの話を聞いた上で当時を振り返ると色々と不思議に思えてくる。
アイゼルはリースベットを妻に望んで結婚したはずなのに、なぜあれほど素っ気なかったのだろうか。
すると、アイゼルは少々バツの悪そうな顔を浮かべて、罪を告白するような声音で口を開いた。
「それに関しては…………全面的に俺が悪い。俺が不甲斐ないからだ」
「不甲斐ない、ですか?」
「二年も待ってようやくリースベットを妻にできたわけだが………間近で接すると、君が可愛すぎてまともに顔が見れなかったんだ」
「えっ!?」
「抱く回数を一回にしていたのは………そうでもしないと際限なく抱いてしまいそうだったからだ。本当は愛するリースベットを思う存分抱きたかった。でもやりすぎると抱き潰してしまうだろう? そうすると今のような身体の状態にしてしまうわけで……君に嫌われたくなくて我慢してた」
「そ、それでは、私の身体を気遣って……?」
「ああ。どうしてもリースベットを前にすると欲情させられて一度では治らなくなるから、その分は一人で処理するようにしていた」
……こ、これも私の誤解だったの……!?
満足させられないと悩んでいたのは見当違いだったと分かり、リースベットは呆気に取られた。
真相はまさかの真逆。
抱きたい気持ちを我慢するために一人で慰めていたとは予想外も予想外である。
「気づかれていたのは誤算だったが……それでもまさかリースベットに満足していないと思われていたのは俺も予想外だった。昨夜、君から言われて驚いたんだ」
「そう、だったのですか……?」
「俺は行動でリースベットへの好意を示していたつもりだったからな。回数は抑制していたが、頻度は毎晩だっただろう? 愛してるから、身体も求めていると伝わっていると思ってた」
「……それはてっきり子を成すためだと思っていました。アイゼル様はきっと当主として一刻も早い跡継ぎの誕生を願っているのだろうと思って」
「本当に俺たちは誤解し合ってばかりだったんだな……」
お互いの想いをすり合わせることで、いかに自分たちがすれ違っていたのかを実感し、アイゼルとリースベットは顔を見合わせて同時に深く息を吐き出した。
アイゼルは昨夜媚薬に侵されたリースベットが思わず零した本音を聞いて、自身の言葉が足りていなかったことを反省したという。
だから人が変わったように昨夜から甘い言葉を紡ぐようになったのかとリースベットは腑に落ちた。
そしてリースベットもまた、アイゼルの言動を勝手に解釈して、勝手に一喜一憂していたことを猛省していた。
ひと通りの話を終えた二人は、改めてお互いの顔を見つめ合う。
心を丸裸に曝け出した二人の間にもう壁はなくなっていた。
あるのはお互いに対する深い愛情だけだ。
「ここまでの話で十分に分かっただろう? 俺がリースベットに向ける愛が恐ろしく重く執着めいていることを。……怖くなったか?」
アイゼルの瞳が不安そうに翳る。
公爵家当主らしく、いつも余裕のある態度を崩さないアイゼルなのに、今は悄然とした面持ちをしていた。
他ならぬリースベットに拒否されるかもしれないと気を揉んでいるのだ。
その姿にリースベットはたまらなく胸がキュンと締め付けられる。
こんなにも深く愛を乞われて嫌なわけがない。
リースベットは愛しい人に重ねられた手をギュッと握り返し、目元を和らげ、まっすぐとアイゼルの瞳を見つめた。
「怖いだなんて、そんなことあるはずがありません。……むしろ嬉しいです。アイゼル様が二年も前から私を想っていてくださったなんて夢みたいです」
「リースベット……!」
「私もアイゼル様を愛しています。先程はシャロック公爵家の迷惑になるなら離れるとお伝えしましたが……アイゼル様と離れたくないです。ずっと一緒にいたい。こんな私の我儘を許してくださいますか……?」
「――ッ、ああ、もちろんだ! 世界で一番可愛らしく、愛らしい我儘だ! なにがあろうとも俺が絶対に叶える」
アイゼルは椅子から立ち上がると、溢れる想いをぶつけるように寝台の上に座るリースベットの華奢な身体をきつく抱きしめた。
すぐに抱擁だけでは足りなくなり、リースベットの顎に手を添え顔を上げさせ、その可憐な唇をゆっくりと塞ぐ。
その途端、寝室の空気は一気に甘いものへと気配を変えた。
「んっ……」
唇を通して愛情が伝わってくるようなキスは優しく温かい。
蕩けそうなほど甘く優しい笑みを浮かべるアイゼルの姿に胸の鼓動が高鳴り、リースベットはかつてないほど満たされた気持ちになっていた。
胸に込み上げてくる幸福感にうっとりと浸り、目には喜びの涙がじわりと滲む。
「リースベット、愛してる……」
「私も、アイゼル様を愛しています……」
言葉で愛を確認し合っていると、次第に口づけは舌が絡み合うような深いものへと移り変わっていく。
口の中まですべて余すとこなくリースベットは自分の物だと主張するかのように、アイゼルは口内の隅々まで丹念に舌で探った。
寝室には濃密な空気が流れ始め、アイゼルの骨ばった手がリースベットの顎から首筋を伝い、胸元へと滑り落ちていく。
だが、その時突然アイゼルの動きが止まった。
「……ダメだ。今日だけはダメだ。リースベットは自分で思うように動けないほど身体に負荷がかかっている。そんな中で無理はさせられない」
なけなしの理性を取り戻したアイゼルは、グッと唇を噛み締めた。
まるで生か死かの苦渋の選択を強いられたかのように、非常に苦しげに眉を顰めている。
そんなアイゼルの背中に手を回し、リースベットはギュッと抱きしめた。
男らしい胸板に頬を擦り寄せ、宥めるように優しくささやく。
「アイゼル様は私の我儘を叶えてくださるのでしょう? それなら私たちはこれからもずっと一緒です。今日じゃなくてもいつでもできます。………その、今度また一度と言わず二度、三度といっぱい愛してくださると嬉しいです」
「――――ッ!」
あまりに可愛らしいおねだりに、アイゼルは胸を撃ち抜かれた。
瀕死になりつつ、リースベットの首筋に唇を這わせる。
そして自身の存在を刻みつけるようにきつく柔らかな肌を吸い上げた。
「んっ!」
「ああ、リースベットの言う通りだな。今日はこれだけで我慢しておく。せめて君は俺の物だと所有印を刻みつけておきたい」
その後アイゼルは愛する妻の首筋と胸元にいくつもの赤い花を咲かせた。
リースベットも目に見える痕を付けてもらえることに喜びを感じてアイゼルに身を委ねる。
白く滑らかな肌に刻まれたその印は、アイゼルがリースベットに向ける深く執着めいた愛を如実に物語っていた。
なお、この数分後。
夕食の片付けに寝室へやって来たある人物は、即座にこのキスマークに気がつき、烈火の如く憤慨することとなる。
「もう、旦那様! 前にも言ったじゃないですかっ! 見えるところにキスマークを残すと、着れる服が限定されちゃうんですって! 奥様の美しい姿見たくないんですかぁ!? するなとは言いませんけど、見えないとこにしてくださいねっ! そして奥様! 奥様もちゃんと旦那様の手綱を握っててくださいねっ!?」
プンプンと腰に手を当てて怒るエルマにまとめて説教された二人は「すみません」とバツの悪い顔を同時に浮かべた。
それ以来、リースベットの白く美しい首筋や、鎖骨、胸元に赤い花が咲くことはなかった。
代わりに、隠れて見えないドレスの下の肌には、無数の痕が刻まれることとなった。
そんなところに愛を刻めるのは夫だけの特権と言わんばかりに――。
意外なことにアイゼルが最初に切り出したのは伯爵家に潜入していたクリフの話だった。
アイゼルの気持ちが聞けると思っていたリースベットは少し意表を突かれた心地になる。
だが、次の一言でその認識を改めた。
「クリフを潜入させたのは、リースベットについて調べてもらうためだった。君に一目惚れをした俺のために情報を集めてもらっていたんだ」
「えっ……!?」
それは紛れもなく、アイゼルの気持ちに関する話だった。
冒頭から信じがたい言葉が飛び出し、リースベットは目を丸くする。
「クリフからもたらされた情報により、エイムズ伯爵家の家庭事情、そしてリースベットの処遇について知った。君があの家で使用人扱いを受けていたのも把握している」
「……知って、いたのですね」
「ああ。勝手に調べて悪かった……」
「いえ、それは今更ですから。それに他家の諜報員の潜入を許してしまっているエイムズ伯爵家の管理体制にも問題がありますので。……それよりも一目惚れ、って……?」
リースベットは自身の情報を勝手に嗅ぎ回られていたことはもはやどうでもよかった。
それよりも『一目惚れ』という耳を疑う言葉の方が気になった。
クリフが伯爵家に使用人として現れたのは二年前だ。
ということは、少なくともそれより前ということになる。
いつ、どこで、アイゼルは一目惚れしたというのだろうか。
リースベットにはまったく心当たりがない。
しかもその美貌から社交界で絶大な人気を集めていたアメリアならまだしも、地味で目立たないリースベットを見初めるなんて信じられない話だ。
その疑問に答えるようにアイゼルは少し懐かしそうな表情を浮かべて語り出す。
「今から約二年半前だ。当時リースベットは十六歳で社交界デビューをしたばかりだったと思う。その頃にあったある夜会で君に一目惚れしたんだ」
「でも……おそらくご存じの通り、当時の私はお姉様の付き人として夜会に出席していたので、目立たない存在でした。お姉様の背後に控える私を誰も認識していなかったと思うのですが……?」
「確かに俺も、夜会会場では認識していなかった。リースベットを初めて目にしたのは夜会会場近くにあった庭園でだ」
「庭園、ですか?」
アイゼルによると、その日リースベットは庭園で令嬢にアメリアのことで詰め寄られていたのだという。
ちょうど息抜きにその場に来ていたアイゼルはその揉め声を耳にしたらしい。
確かにそういう出来事は度々あったので、アイゼルはそのどの時かに出くわしたのだろう。
「令嬢が去って一人になったリースベットの姿を見た時、俺は一目惚れしたんだ。心の美しさがそのまま表れているかのような澄んだ瞳にぐっと心を掴まれた。そしてその後君のことを知れば知るほど好きになった」
そんな甘い言葉を、熱のこもった目でまっすぐ見つめて告げられ、リースベットは呼吸を忘れそうになった。
誰もが見惚れる端正な顔をしたアイゼルに真正面から見据えられると、それだけで胸が高鳴るのに、こんなふうに想いを語られ、心臓がドキドキしすぎて壊れそうだ。
しかしこれはまだまだ序の口。
ここからさらにアイゼルの熱い独白が加速していく。
「俺はすぐに決断した。リースベットを自分のものにしたい――つまり妻にしたいと」
「えっ!?」
「そこで先に述べた通り、クリフを潜入させて情報を集めた。そしてその結果、俺はリースベットを妻にするにあたり難問にぶつかることになった」
一目惚れにも驚いたリースベットだったが、アイゼルがこんなにも前から自分を妻にと考えていたことを知って再び目を丸くした。
公爵家当主としての責務からリースベットを選んだのではなく、リースベット自身が望まれていたなんて。
じわじわと胸に喜びが込み上げてくる。
義務的な夫婦関係ではなく、真実愛されていたのだと実感し、話はもうここまででも十分だと思ってしまうほどに、胸がいっぱいだった。
だが、もちろんここまででは終わらない。
アイゼルは続いて、自身が直面した難問について打ち明け出す。
「一刻も早く結婚したいと思ったがそれが難しかった。というのも、伯爵家に普通に結婚申込をすれば、リースベットではなくアメリアを押し付けられるだろことが明白だったからだ。君の境遇を把握したからこそ、そう思った」
その予想は正解だろうとリースベットも頷かざるを得ない。
実際にアメリアが嫁いだ後の結婚申込でさえ、本来はアメリアへ宛てたものだったとエイムズ伯爵家の面々は主張していたのだから。
「そこで俺はまず邪魔なアメリアを消す――いや、嫁がせようと計画した。当初は何もしなくてもすぐ結婚するだろうと待っていたのだが、あまりに動きがなかったから、ちょっとした裏工作などもさせてもらった」
「では、もしかしてドミニク様は……?」
「ああ。実は賭博好きで度々やらかしていた人物だったが、その悪評を握り潰して、エイムズ伯爵好みの好条件な男に仕立てあげた。あの性悪女にまともな男をあてがうのは躊躇われたからな」
「……そ、そうですか」
「アメリアのせいで、結局リースベットを妻にするのに二年もかかった。……これで俺が君が欲しくて、どれほど待ち焦がれたかが分かっただろう?」
吸い込まれそうな灰色の瞳に顔を覗き込まれ、リースベットは真っ赤になってコクコクと頷く。
ここまでくると、愛されているどころか、その想いはそれ以上に深く重いようだとリースベットも理解し始めていた。
でも怖いと感じるどころか、むしろここまで強く想ってもらえていて嬉しいとすら思う。
ただ、ここで一つの疑問が浮かんだ。
「あの……結婚申込で伯爵家に来られた時に、なぜ私なのかと聞かれて、両親に向かって答えられた理由は嘘だったのですか?」
「リースベットとの子が欲しい、と言ったことか?」
「はい。その後『多産の血筋』についても言及されていたので、私はてっきり……」
「子を産むことだけを求められていると思ったのか?」
「……はい」
盗み聞きであの台詞を聞いてしまったからこそ、毎夜のように身体を求められてもリースベットはまさか自分が愛されているとは思いもしなったのだ。
「あれは本心だ。愛するリースベットとの子が欲しいと思うのは当たり前のことだろう?」
「えっ」
「まぁ、エイムズ伯爵夫妻を納得させるために、『多産の血筋』が欲しいという、もっともらしい理由は付け加えたけどな」
……そ、それじゃあ、私が早とちりしてしまっただけ!?
アイゼルは隠すことなく、本心をそのまま最初に告げていたのだ。
付け加えられた理由の方にばかり気を取られ、リースベット自身が勝手にアイゼルの想いを解釈していたと言える。
とはいえ、アイゼルも誤解されかねない言い回しをしているため、リースベットが早とちりしたのも無理はなかった。
もしあの場にリースベットがいたならば、アイゼルももう少し言い方を変えていた可能性はある。
「……そうか、リースベットは最初から俺の想いを誤解していたんだな。だから俺が君を義務的に抱いていると思っていたのか……」
「……行為の後にお一人でされている姿を見て、さらに誤解したのです。義務的に相手をしなければいけない相手では満足できないのだろうと思って。……それにその頃のアイゼル様は私と目も合わせてくださいませんでしたし……」
当時のことを思い出したリースベットは、やや目を伏せてつぶやくように述べた。
ただ、ここまでの話を聞いた上で当時を振り返ると色々と不思議に思えてくる。
アイゼルはリースベットを妻に望んで結婚したはずなのに、なぜあれほど素っ気なかったのだろうか。
すると、アイゼルは少々バツの悪そうな顔を浮かべて、罪を告白するような声音で口を開いた。
「それに関しては…………全面的に俺が悪い。俺が不甲斐ないからだ」
「不甲斐ない、ですか?」
「二年も待ってようやくリースベットを妻にできたわけだが………間近で接すると、君が可愛すぎてまともに顔が見れなかったんだ」
「えっ!?」
「抱く回数を一回にしていたのは………そうでもしないと際限なく抱いてしまいそうだったからだ。本当は愛するリースベットを思う存分抱きたかった。でもやりすぎると抱き潰してしまうだろう? そうすると今のような身体の状態にしてしまうわけで……君に嫌われたくなくて我慢してた」
「そ、それでは、私の身体を気遣って……?」
「ああ。どうしてもリースベットを前にすると欲情させられて一度では治らなくなるから、その分は一人で処理するようにしていた」
……こ、これも私の誤解だったの……!?
満足させられないと悩んでいたのは見当違いだったと分かり、リースベットは呆気に取られた。
真相はまさかの真逆。
抱きたい気持ちを我慢するために一人で慰めていたとは予想外も予想外である。
「気づかれていたのは誤算だったが……それでもまさかリースベットに満足していないと思われていたのは俺も予想外だった。昨夜、君から言われて驚いたんだ」
「そう、だったのですか……?」
「俺は行動でリースベットへの好意を示していたつもりだったからな。回数は抑制していたが、頻度は毎晩だっただろう? 愛してるから、身体も求めていると伝わっていると思ってた」
「……それはてっきり子を成すためだと思っていました。アイゼル様はきっと当主として一刻も早い跡継ぎの誕生を願っているのだろうと思って」
「本当に俺たちは誤解し合ってばかりだったんだな……」
お互いの想いをすり合わせることで、いかに自分たちがすれ違っていたのかを実感し、アイゼルとリースベットは顔を見合わせて同時に深く息を吐き出した。
アイゼルは昨夜媚薬に侵されたリースベットが思わず零した本音を聞いて、自身の言葉が足りていなかったことを反省したという。
だから人が変わったように昨夜から甘い言葉を紡ぐようになったのかとリースベットは腑に落ちた。
そしてリースベットもまた、アイゼルの言動を勝手に解釈して、勝手に一喜一憂していたことを猛省していた。
ひと通りの話を終えた二人は、改めてお互いの顔を見つめ合う。
心を丸裸に曝け出した二人の間にもう壁はなくなっていた。
あるのはお互いに対する深い愛情だけだ。
「ここまでの話で十分に分かっただろう? 俺がリースベットに向ける愛が恐ろしく重く執着めいていることを。……怖くなったか?」
アイゼルの瞳が不安そうに翳る。
公爵家当主らしく、いつも余裕のある態度を崩さないアイゼルなのに、今は悄然とした面持ちをしていた。
他ならぬリースベットに拒否されるかもしれないと気を揉んでいるのだ。
その姿にリースベットはたまらなく胸がキュンと締め付けられる。
こんなにも深く愛を乞われて嫌なわけがない。
リースベットは愛しい人に重ねられた手をギュッと握り返し、目元を和らげ、まっすぐとアイゼルの瞳を見つめた。
「怖いだなんて、そんなことあるはずがありません。……むしろ嬉しいです。アイゼル様が二年も前から私を想っていてくださったなんて夢みたいです」
「リースベット……!」
「私もアイゼル様を愛しています。先程はシャロック公爵家の迷惑になるなら離れるとお伝えしましたが……アイゼル様と離れたくないです。ずっと一緒にいたい。こんな私の我儘を許してくださいますか……?」
「――ッ、ああ、もちろんだ! 世界で一番可愛らしく、愛らしい我儘だ! なにがあろうとも俺が絶対に叶える」
アイゼルは椅子から立ち上がると、溢れる想いをぶつけるように寝台の上に座るリースベットの華奢な身体をきつく抱きしめた。
すぐに抱擁だけでは足りなくなり、リースベットの顎に手を添え顔を上げさせ、その可憐な唇をゆっくりと塞ぐ。
その途端、寝室の空気は一気に甘いものへと気配を変えた。
「んっ……」
唇を通して愛情が伝わってくるようなキスは優しく温かい。
蕩けそうなほど甘く優しい笑みを浮かべるアイゼルの姿に胸の鼓動が高鳴り、リースベットはかつてないほど満たされた気持ちになっていた。
胸に込み上げてくる幸福感にうっとりと浸り、目には喜びの涙がじわりと滲む。
「リースベット、愛してる……」
「私も、アイゼル様を愛しています……」
言葉で愛を確認し合っていると、次第に口づけは舌が絡み合うような深いものへと移り変わっていく。
口の中まですべて余すとこなくリースベットは自分の物だと主張するかのように、アイゼルは口内の隅々まで丹念に舌で探った。
寝室には濃密な空気が流れ始め、アイゼルの骨ばった手がリースベットの顎から首筋を伝い、胸元へと滑り落ちていく。
だが、その時突然アイゼルの動きが止まった。
「……ダメだ。今日だけはダメだ。リースベットは自分で思うように動けないほど身体に負荷がかかっている。そんな中で無理はさせられない」
なけなしの理性を取り戻したアイゼルは、グッと唇を噛み締めた。
まるで生か死かの苦渋の選択を強いられたかのように、非常に苦しげに眉を顰めている。
そんなアイゼルの背中に手を回し、リースベットはギュッと抱きしめた。
男らしい胸板に頬を擦り寄せ、宥めるように優しくささやく。
「アイゼル様は私の我儘を叶えてくださるのでしょう? それなら私たちはこれからもずっと一緒です。今日じゃなくてもいつでもできます。………その、今度また一度と言わず二度、三度といっぱい愛してくださると嬉しいです」
「――――ッ!」
あまりに可愛らしいおねだりに、アイゼルは胸を撃ち抜かれた。
瀕死になりつつ、リースベットの首筋に唇を這わせる。
そして自身の存在を刻みつけるようにきつく柔らかな肌を吸い上げた。
「んっ!」
「ああ、リースベットの言う通りだな。今日はこれだけで我慢しておく。せめて君は俺の物だと所有印を刻みつけておきたい」
その後アイゼルは愛する妻の首筋と胸元にいくつもの赤い花を咲かせた。
リースベットも目に見える痕を付けてもらえることに喜びを感じてアイゼルに身を委ねる。
白く滑らかな肌に刻まれたその印は、アイゼルがリースベットに向ける深く執着めいた愛を如実に物語っていた。
なお、この数分後。
夕食の片付けに寝室へやって来たある人物は、即座にこのキスマークに気がつき、烈火の如く憤慨することとなる。
「もう、旦那様! 前にも言ったじゃないですかっ! 見えるところにキスマークを残すと、着れる服が限定されちゃうんですって! 奥様の美しい姿見たくないんですかぁ!? するなとは言いませんけど、見えないとこにしてくださいねっ! そして奥様! 奥様もちゃんと旦那様の手綱を握っててくださいねっ!?」
プンプンと腰に手を当てて怒るエルマにまとめて説教された二人は「すみません」とバツの悪い顔を同時に浮かべた。
それ以来、リースベットの白く美しい首筋や、鎖骨、胸元に赤い花が咲くことはなかった。
代わりに、隠れて見えないドレスの下の肌には、無数の痕が刻まれることとなった。
そんなところに愛を刻めるのは夫だけの特権と言わんばかりに――。
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