うちのお猫様は、私に冷たい

こむぎダック

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7話

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「ねぇマーサ。オブシウス知らない?」

「あら?あの猫、また居なくなったんですか?」

「もう何日も帰ってこないの。また怪我をしていたらどうしよう」

 不安そうに腰に抱き着いて来るリーシャに、ラシール侯爵家、侍女長のマーサ・ファッジは苦笑を浮かべている。

 5年ほど前の事だ。
 リーシャが庭で遊んでいる時に、怪我をした黒猫見つけて来た。
 不潔だから、と猫を取り上げようとするマーサだったが、リーシャはこの黒猫を、自分が飼うと言って聞かなかった。

「パ~パァけがしてるよ。かわいそう」

 と可愛いリーシャに泣き付かれたエドモンドは、黒猫が死んでしまった時の、リーシャの嘆きを心配しつつも、可愛い娘の願いを叶えてやることにしたのだった。

 侯爵夫人亡き後、ラシール侯爵家の内向きの全てを取り仕切るファッジ夫人は、”野良猫なんて、どんな病気を持って居るかも分からないのだから、大事なお嬢様のペットとして、相応しくない!”

 と大反対したのだが、何事においてもリーシャに甘い当主が認めてしまえば、侍女長であるファッジ夫人に否やは無い。

 精々大事なお嬢様の、マシュマロのように柔らかい肌が、蚤に喰われないよう気を配るのが席の山だった。

 薬学の研究者であるエドモンドは、リーシャの為に傷薬を作ってやると、リーシャは嬉々として薬を受け取り、5歳の幼女に出来る限り、甲斐甲斐しく黒猫の世話をしていた。

 暖かいミルクと餌を与え、優しく話しかけながら、傷口に薬を塗ってやるリーシャの姿に、この猫を飼う事に反対していたマーサは、得も言われぬ感動を覚えた。

 マーサの2人の子供が、リーシャと同じ年の頃は、大事にしている人形の腕を捥いでしまったり、お気に入りのおもちゃを壊してしまったりと、力加減が分からず、大人から見ると、随分と残酷な事をしていたものだ。

 マーサの中で子供というものは、そのような生き物だ。との認識だったが、リーシャが傷薬を塗る手付きも、猫を怖がらせないようにと、話し掛ける声もとても優しかった。

「旦那様、リーシャお嬢様は、本当に特別なお子なのかもしれません」

 真剣な顔で、報告されたエドモンドはマーサの話しを聞くと、とても悲しそうな顔になった。

「リーシャは、病に倒れた兄上を見て居たからね。周りの大人達が世話をしていた様子を、覚えているのかも知れないね」

 しんみりと呟くエドモンドに、ファッジ夫人は、ハッとして、リーシャの心情を理解すると、目に涙を浮かべて頷き返した。

 ファッジ夫人も早くに夫を亡くし、二人の子供を育てる為に、アシンの乳母となった女性だった。夫人の2人の子供も、侯爵家で侍女や侍従のまねごとをしながら、エドモンドの計らいで、教育も受けさせてもらった経緯がある。

 エドモンドの妻が亡くなった後、マーサは侍女長として、王都の侯爵邸の内向きを取り仕切り、子供達も成人を迎えると、長男は家令見習いとして侯爵の領地へと赴き、今もそこで働いている。長女の方は成人と同時に、良縁が結ばれて嫁いでいった。

 しかし、リーシャを侯爵家に迎える前年、マーサの娘は、公爵夫人と同じ流行り病でこの世を去り。気落ちしたマーサは、しきりに宿下がりを願い出る様になっていた。

 大切な人を失う悲しみは、エドモンドとアシンも、痛いほどよく分かってはいたが、家族同然に過ごして来たマーサを手放す事も出来ず、欝々としながらマーサを引き留める日々が続いていた。

 そんな折、リーシャが迎えられると、暗かった侯爵邸の雰囲気は一変した。

 幼気で可愛らしいリーシャに、エドモンドとアシンは虜になり、笑顔を取り戻した。それはマーサも同じで、烏滸がましいとは感じながらも、幼いリーシャを、孫の様に可愛がったのだ。

 似たような境遇の者達の寄せ集めの中で、リーシャの存在は、希望の光りと言って良いだろう。

 そんなリーシャが心を込めて看病した黒猫は、死の淵から蘇った。

 傷が塞がった事を確認したマーサは、問答無用で湯を張った桶の中に黒猫を放りこみ、暴れ回る首根っこを押さえ付け、汚れた毛皮に、これでもかと石鹸を擦り付けて、ガシガシと丸洗いしたのだ。

 すると小汚い野良猫は、艶々とした毛並みの美しい黒猫へと姿を変え、キラキラと輝く美しい毛並みに、リーシャは「きれいな、ねこちゃん。ほうせきみたい」と大喜び。

 図鑑を引っ張り出して、猫の毛色と同じ宝石を見つけると、黒曜石に因んで、オブシウスと黒猫に名付けた。

 ただ、名付けたのは良いが、幼いリーシャは、オブシウスと発音する事が出来ず、黒猫の事はオーブと呼ぶようになった。

 オブシウスは、本当に美しい猫だった。
 美しい猫だったが、全く人に懐かない。
 可愛気のない猫だった。

 名を呼んでも近付いて来るどころか、顔を向ける事さえしない。
 機嫌が良ければ、返事の代わりに尻尾の先を揺らすだけ。
 餌はリーシャが用意したもの以外は、絶対口にしない。

 では、リーシャに懐いて居るのかと言うと、そうでも無く。

 一応リーシャの傍に居る事は多いが、リーシャの手の届くか届かない、ギリギリまでしか近付いて来ないのだ。

「猫は恩を忘れないって言いますけど、この猫は違うみたいですね」

「う~~ん?でも、たまになでさせてくれるよ?」

「お嬢様。普通の飼い猫はもっと懐くものなんです。やっぱり野良は野良なのじゃないかしら?」

 マーサは命の恩人である、リーシャにすら懐かないオブシウスを、小憎たらしい猫だこと!と苦々しく思っていた。

 そんなマーサの不満を知らぬリーシャは、微妙に離れた所に居るオブシウスに、何くれと無く話しかけては、楽しそうに笑うのだ。

 マーサの話しを聞き、飼い猫と言うには、素っ気ない態度のオブシウスを観察したエドモンドは、マーサに気にしないようにと命じた。

「あの猫の傷を見たが、あれは猫同士の喧嘩で出来た傷じゃない。刃物で出来た傷だと思う。あの猫は、誰かに斬り付けられたんだよ。だから人間を警戒するのは当然だと思うし、そう考えれば、リーシャの傍から離れないだけでも、信頼の証かも知れないよ?」

 エドモンドの話しを聞いたマーサは、成る程。と納得し。そういう事なら時間を掛ければ、お嬢様に懐くかもしれない。と無礼な黒猫を許す事にしたのだった。

 そんなある日のこと、リーシャが屋敷中のテーブルやタンスの下を覗き込んでいるのを、マーサは目にする事になる。

「お嬢様?何をなさっているのですか?」

「マ~~サァ~~」

 目に涙を溜めたリーシャが、マーサに抱き着いて来た。

「まあまあ。どうしたのですか?」

「オーブがいないのぉ。どこにもいなぁい」

「あらまあ。どこに遊びに行ったのかしら?」

「オーブさがしてぇ」

 縋り付いて来るリーシャを抱き上げたマーサは、二人で屋敷中を探して回ったが、可愛気のない黒猫を見つけることは出来なかった。

 その日から、リーシャはエサ皿を持って、庭を歩き回り、植え込みの下を覗き込み。雨の日には、窓から外を眺める日々が続いた。

 しかし黒猫が戻ることは無く。
 1週間が経ち、2週間が過ぎ。
 漸くリーシャはオブシウスは帰って来ないのだと諦めたのか、庭を歩き回る事を止めたのだ。

 それでも、空っぽのエサ皿と、オブシウスがお気に入りだったクッションを片付ける事だけは、リーシャは嫌がった。

 そして黒猫が居なくなって半年が過ぎた頃、突然黒猫は戻って来た。

 しかも、最初にリーシャが庭で見つけた時と同じように、全身傷だらけで、お気に入りのクッションの上で丸くなっていたのだ。

「パ~パ。オーブなおせる?」

「大丈夫だよ。直ぐに元気になるからね」

 そう言って娘の頭を撫でたエドモンドだったが、前回同様、剣で斬られた傷を負った猫の姿に、眉を顰めたエドモンドは、動物を虐待するような危険人物が、近隣に住んでいるのかも知れない、と警備を強化させたのだった。

 その日から4年近く、黒猫はリーシャの傍を離れなかった。

 相も変わらず、可愛げのない態度で、リーシャとの距離も縮まらなかったが、それでもリーシャの愛猫である事に変わりはなかった。

 その黒猫が、またも姿を消してしまったのだから、リーシャが不安になるのは当然の事だった。
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