59 / 62
第四章
第五十八話
しおりを挟む
クリスマスの日に必ず雪が降り、必ず寒くなければならないという法はない。秋子と夏樹が海に行ったときむしろ妙な湿り気があって、コートではすこし暑かった。
秋子が望んだ海に着くまで、ふたつ駅を乗り継ぎ、二時間かかった。隣席の夏樹の横顔は強張り、決心じみたものを感じる。秋子は恋人の凝りをやわらげようといくつか冗談をいった。夏樹は気の利いた返しを出さなかった。
海は観光用とは言い難く、しかし穴場というわけでもなくて、相応にゴミがあり、相応に濁っていた。海は、深緑の毒々しい海面をしている。秋子はこの海に入ったときの、自らの細やかな肌の隅々にプランクトンやら奇怪な色の細菌が住みつくのを想像した。もしここで溺れたりしたら(あえて秋子はここで「溺れる」という言葉に留まった)、わたしの身体は宇宙人のような色で浮かび上がるんじゃないかしら。
海岸に着いたあと、ふたりはあてもなく歩いた。それは覚悟の儀式ではあったが、そのわりに秋子の心にはざわめきばかり湧き立ち、あれほど熱中したものがほろほろと崩れかけている。
しばらく儀式はつづいたが、夏樹は何も言わない。その沈黙が秋子の脳裏に浮かぶ宇宙人の溺死を確かなものにさせた。ああ、わたしは死ぬのだ、この人と一緒に。
秋子は童話や小説で聞く、火あぶりにあう聖女がその最期、清い顔をしたという逸話を嘘だと思った。火あぶりが光に満ちた教会でおこなわれるだろうか。そうではない。きっと火あぶりは路頭の、酔いの醒めるところでおこなわれる。それはちょうど秋子が徳之島の海で死ねないように。
秋子は聖女の自覚があった。秋子は神を信じていない。しかし秋子の半身が別の存在でできているという点では聖職者と似ていた。秋子は訊きたかった。神が自死を望んでいたとして、それを止めない聖職者がいるだろうか。
手垢混じりの海に秋子の白い脚が入った。冷ややかだったが、秋子はかろうじて反応を抑えた。なにかすこしでも反応すれば、この命を賭した計画のすべてが台無しになると思った。秋子は夏樹の手を握った。夏樹も恋人の手を握り返したようだった。ふたりはそれから自然のうちに足並みを揃えた。樹海のような海へふたりの恋人は奥へ々々入っていく。
秋子が望んだ海に着くまで、ふたつ駅を乗り継ぎ、二時間かかった。隣席の夏樹の横顔は強張り、決心じみたものを感じる。秋子は恋人の凝りをやわらげようといくつか冗談をいった。夏樹は気の利いた返しを出さなかった。
海は観光用とは言い難く、しかし穴場というわけでもなくて、相応にゴミがあり、相応に濁っていた。海は、深緑の毒々しい海面をしている。秋子はこの海に入ったときの、自らの細やかな肌の隅々にプランクトンやら奇怪な色の細菌が住みつくのを想像した。もしここで溺れたりしたら(あえて秋子はここで「溺れる」という言葉に留まった)、わたしの身体は宇宙人のような色で浮かび上がるんじゃないかしら。
海岸に着いたあと、ふたりはあてもなく歩いた。それは覚悟の儀式ではあったが、そのわりに秋子の心にはざわめきばかり湧き立ち、あれほど熱中したものがほろほろと崩れかけている。
しばらく儀式はつづいたが、夏樹は何も言わない。その沈黙が秋子の脳裏に浮かぶ宇宙人の溺死を確かなものにさせた。ああ、わたしは死ぬのだ、この人と一緒に。
秋子は童話や小説で聞く、火あぶりにあう聖女がその最期、清い顔をしたという逸話を嘘だと思った。火あぶりが光に満ちた教会でおこなわれるだろうか。そうではない。きっと火あぶりは路頭の、酔いの醒めるところでおこなわれる。それはちょうど秋子が徳之島の海で死ねないように。
秋子は聖女の自覚があった。秋子は神を信じていない。しかし秋子の半身が別の存在でできているという点では聖職者と似ていた。秋子は訊きたかった。神が自死を望んでいたとして、それを止めない聖職者がいるだろうか。
手垢混じりの海に秋子の白い脚が入った。冷ややかだったが、秋子はかろうじて反応を抑えた。なにかすこしでも反応すれば、この命を賭した計画のすべてが台無しになると思った。秋子は夏樹の手を握った。夏樹も恋人の手を握り返したようだった。ふたりはそれから自然のうちに足並みを揃えた。樹海のような海へふたりの恋人は奥へ々々入っていく。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる