零式輸送機、満州の空を飛ぶ。

ゆみすけ

文字の大きさ
54 / 105
軍艦を拿捕と鹵獲の差とは?

戦利品は鹵獲なのだ。

しおりを挟む
 よく、ロシアに日本漁船が拿捕されたなんて聞くことがある。
そして、賠償金を支払って乗組員や船を返してもらったりする。
 それが、拿捕だ。
鹵獲は戦争に勝ったから・・・敵の兵器はオレのモノということである。
 負けた方は・・・文句なんて、言える立場ではないからね・・・
「隊長、ロシア軍の水兵らは?」
 「うむ、放置するわけにかいかん。」「全員で葬儀を執り行うぞ。」
「水葬ですか。」「うむ、ロシア国旗を用意しておけ。」
 船の遺体は腐敗による感染症の原因にもなりかねない。
早急の葬儀が好ましいのである。
 米軍も、神風特攻で胴体が半分の日本兵の遺体を水葬にしている。
そして、艦長が、「おまえら、これが軍人というものだ。」と、激を飛ばしたそうだ。
 米兵らは、神風に恐れおののいたという。(とても、オレ達は真似できないそうだ。)
だから、戦後になり神風攻撃はバカだったとか、戦果はなかったなんて嘘やデマを流してるのだ。
 確かに、死んで花実が咲くモノか、なんだが・・・
敗戦間際の日本軍は必死というか・・・国際法を無視した民間人攻撃ばかりする米軍には・・・なすすべがなかったのだ。
 まあ、米兵にとり日本人は黄色い猿だから・・・なんとも思ってないからね・・・
そして、500名余のロシア水兵の遺体は水葬で荼毘にふされたのである。
 もちろん、記録はとっておく。
そして、勇敢に抵抗したロシア水兵を葬る日本陸軍の図が・・・
 ある意味、プロパガンタだが・・・事実でもあるのだ。

 こうして、陸軍は標的にするロシア海軍の軍艦を手に入れたのである。
まあ、大連港の付近で偵察していたから・・・運が悪かったのである。
 さすがに、ウラジオの軍港まではいかないからね・・・
もちろん、日本のソ連大使館から抗議の嵐だが・・・
 そこは、満州国領海内での紛争に協力したまでだ・・・なんて、突っぱねた日本政府だ。
現在のような遺憾砲なんて、生易しい日本政府ではないのだ。
 なんせ、かつては国際連盟(スイスに本部があるヤツだ。)の常任理事国だったからね・・・
現在の弱腰外交ではなかったのだ。
 ロシア(ソ連邦)には、戦勝国として上から目線でモノをいっていたのだ。
そして、悔しがるが・・・領海侵犯といわれたら・・・何も言えないのだ。
 ロシア兵らが抵抗しなければ・・・拿捕で済んだのだが・・・と、加えることを忘れなかった陸軍である。

 海軍、陸軍とも大演習に華を添えることとなり、前評判は高く鯉の滝登りのごとくなのである。
最新の我が国の軍事技術公開も華を添えるのだ。
 大演習は陸軍と海軍で別々におこない、各国の武官などの採点の総計で採決することとなったのだ。
陸軍と海軍で直接に対決なぞ・・・したら、怪我ではすまないからである。
 下手すると・・・最後の1兵まで、戦いかねないからだ。
初日に、海軍が大連港の沖にある小島へ敵戦車をならべて・・・大演習を
 そして、2日めに、大連港沖で陸軍空挺部隊対敵の戦艦という・・・
まるで、ディズニーランドまがいのショーが開催される・・・
 そして、見物する来賓や市民らは大連港沖の小島や観覧船で見物することとなったのだ。
それが、大観衆が押し寄せることもなく、事故を防げるからである。
 そして、ソ連大使館からも・・・ごり押しの武官の見学が・・・
大演習が終了した後に軍艦の返還をもくろんでるらしい・・・
 そして、シナの軍閥や朝鮮の両班(朝鮮の貴族)までもが・・・見学することとなった。
抑止力として効果的だと・・・内地の政府の思惑らしいのだが・・・
 海軍の海兵隊は演習での訓練のリハーサルに余念がないようだ。
先ほどから・・・空中停止機が五月蠅い爆音をあげて飛翔しているからだ。
 普通の戦闘機より五月蠅いから・・・なんせ、4基もエンジンがあるからだ。
さあ、明日は大演習の初日だ!!!

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

 神典日月神示 真実の物語

蔵屋
歴史・時代
 私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。 この方たちのお名前は 大本開祖•出口なお(でぐちなお)、 神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。  この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。  昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。 その神示を纏めた書類です。  私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。  日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。 殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。 本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。 日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。 そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。 なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。 縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。 日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。 この小説は真実の物語です。 「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」 どうぞ、お楽しみ下さい。 『神知りて 人の幸せ 願うのみ 神のつたへし 愛善の道』  歌人 蔵屋日唱

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

処理中です...