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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むこの声はケイの声だ。足早に近付いて来て、ケイは力任せに私を引き上げた。テウの腕の力よりも、ケイの力が強かったのだろう。テウは苦々しげな表情で私を見上げた。
「このまま鼻を踏み付けて鼻血でも出させてやりたいですね……」
明らかにテウを見下ろしながらケイがぼやく。
「ケイ!」
「冗談です。バロック卿、お手伝いしましょうか」
「……いい、立ち上がれる」
ちらりとサリーの方を見ると、彼女はラドゥに組み伏せられていた。ぎょっとしてしまう。どうして、そんなことに。
「ラドゥ、もう離していいよ」
「かしこまりました」
テウの一声でサリーが解放される。脇目も振らずにサリーが走り寄って来て全身をくまなく検分された。
「カルディア姫、お怪我は? どこか痛い場所はございませんか?」
「大丈夫。サリーこそ体は平気?」
全身で心配でたまらないと表現されるとむず痒い。
彼女の体を軽く見つめる。外傷は見当たらない。押し付けられて少し赤くなっているところがあるぐらいだろうか。
「ご心配いただけるだなんて! ……い、いえ。体に問題はございません。ケイ、ありがとう」
「――はあ。サリー、一人で護衛が出来ない場合は連絡を。貴女だと男には負ける」
「分かっています! ケイは口うるさいわ。……でも、姫を守れなかったのは本当です」
潤んだ瞳に嫌な予感がよぎる。
サリーは自分を罰すると言って、口を裂いてきたことがある。また罰をと言って自分を痛めつけることがあるかもしれない。
「気にしなくていいわ。自分を罰してもだめ」
「寛大なお心に感謝いたします」
本当に分かっているのだろうか。熱心に見つめてくる潤んだ瞳にはとろけるような親愛の情がのっている。私を何か別のものとして捉えているような、熱狂的な視線だ。
サリーは表面的にしか私の言葉を吸収しないような、そんな気がする。
きちんと話すべきだろう。いつ、この間の二の前になるとも限らない。――でも、その先に。
大きな問題が残っている。
「――座って、テウ。きちんと話をしましょう」
分からなくても分かって。そんなの傲慢だ。だいたい、テウの怒りは別のものだと思う。トーマだけを構っていただけで、自傷行為に及ぶはずがない。
「あ、いや、駄目ね。まず手当てをしないと。サリー、清族を呼んできて」
「お姉さんが手当てをして」
子供のように、テウは言った。戸惑っているうちにラドゥが治療道具を押しつけてきた。
おずおずと、テウに近づく。椅子を譲られ、目の前に跪かれた。額をぐりぐりと押し付けようとしてきて困った。痛くないのだろうか。
この際だからと、瞳を覗き込む。焦点は合っている。酒や薬で正気を失っているということではないらしい。
「クスリはやってないよ。お姉さんの料理にいれる分の味見だけ。吐くのは得意だし」
「……サンドイッチにも入っていたの?」
「ソースにね。だから、普通の人が食べるとまずい。……というかお姉さんのための料理は根本的に薬に近い味がする。美味しいと思う舌を疑った方がいい」
むっとして嫌がらせのために水を染み込ませたガーゼで傷口をおさえる。
だが、テウは眉一つ動かさなかった。
「――この間、蘭王が来たんだ。お姉さんの情報を売ってくれって」
「何ですって?」
「断ると、報酬の話をされた。珍しい金細工。女、男、麻薬、魔薬、稀少な食材――金」
ガーゼを持つ手が震える。あの、男。
何のつもりだ? 私の従者を懐柔して情報を得て何をするつもりだ。
「断ると、表面的に驚いた顔を浮かべて、困った客を見るようにこう言ったよ。じゃあカルディア姫――お姫様ならどうですかって」
息の仕方を忘れた。報酬として、私を与える?
何を言っているんだ。そんなこと、蘭王に出来るわけない。はったりだ。
なのに、否定できなかった。テウの目は真剣で、偽りを口にしていないのは嫌でも分かった。蘭王は言ったのだ。私をやると。
「馬鹿なことを」
「そうだよ、馬鹿なことだ。断ったよ、欲しいものなんかないって。でも蘭王が、意地汚いランファの、阿婆擦れ花の連中が、そう簡単に諦めるわけなんかない。あいつら金になれば死体だって売り捌くんだ」
「……?」
どうしたのだろう。テウの口汚く、蘭王を、ランファを罵るのを見るのは初めてだった。ランファという人種自体を毛嫌いしているような、そんな物言いだった。
「そうだ、お姉さん。自動車を買ったんだ」
いきなり行われた話題転換に、困惑する。まるで子供だ。あっちこっちに話が飛ぶ。
「運転手も雇ってさ。馬車なんかより早くて、体がきつくないんだよ、あれ。エンジン音は慣れるまで時間がかかるけどね」
ガーゼを変えて、消毒液に浸す。指が眼鏡に当たった。よく見れば、額を打つときに巻き込まれたのか、レンズにヒビが入っていた。眼鏡の縁を小指でつつくと、今気がついたと言わんばかりに目を丸くしていた。
「自動車に乗って、王都のどんな店にも行ったよ。皆、車を見るなりお辞儀をして愛想いい笑みを見せてくれた。人気者になった気がしたな」
眼鏡を外して、ヒビ割れた部分を爪の先で引っ掻いている。
浸したガーゼを傷口にあてる。やっぱり、痛みに顔を歪めたりしない。
「でも、屋敷に帰ると思い出すんだ。俺がどんな人間だったか。どんなに醜いか、気持ち悪い存在なのか。俺が吐いた吐瀉物の味。鞭の痛み、笑顔の練習で見た六面鏡」
言葉がだんだんと上擦っていく。早口になって、聞き取りづらい。それでも何とか言葉を咀嚼して意味を考える。
「市場にこの間行ったんだ。夏だから、市場の人達もどんよりしていて、何だか面白かったな」
また話題が変わった。
「猫を見たよ。飼いたいけど、飼い方を知らないんだ。死んでしまったら心が砕ける気もする」
また、変わった。
「夏の夜の星が好きだな。からりと乾いていている空に浮かぶ綺麗な月も好き」
また。
「お姉さんは、辛くない? 朝の汗ばむ肌が嫌だな。トーマはいつ起きるんだろう。鳥の声が聞こえる。美味しいご飯を作れるようにならなくちゃいけないね」
テウの声は、震えている。
「テウ」
「駄目、聞いて。そうだ、俺の髪を切ったらどうかってラドゥが言っていたんだ。切るのは面倒くさいけど、切った方がいいのかな。でも髪の毛が長い方が貴族って感じがしない?」
おもちゃ箱をひっくり返したようにテウはしゃべり続ける。静止しても止まらない。けほけほと咳き込んで、それでも、舌が動き続ける。
「テウ!」
「お姉さんがお話をしようって言ったんだよ。俺に、ここに座れって。手当てをするのが先だって。望みをかなえてる。誰よりも従順に。何故、責めるの。俺が悪い子だから?」
「違う。でも、お前は今、普通じゃない」
「普通なんて知らないくせに」
眼鏡を持つ手を掴む。じいっとつかんだ手を見つめている。テウの体温で、溶けそうになるぐらい熱かった。
「普通の人間は誕生日の日に自分が死んでいたら良かったなんて言わない。お姉さんみたいに自分のことを無価値のように扱わないし、食事が極端に細かったりしないし、毒味がないと食べられないなんて言わない」
「そ、それは関係ないじゃない! そもそも、そういう意味じゃない。正常じゃないって意味よ。様子がおかしい」
「お姉さんが俺の何を知ってるって言うの」
何なんだ、こいつ!?
いや、落ち着け。テウは苛立ちを向けているだけだ。同じように感情を押し付けたら、収集がつかなくなる。
「俺はお姉さんが思っているよりろくでもない人間かもしれない。人殺しをしていたら? 強請をしていたら? 俺の普通が、泥を吐くほど陰惨なものだったらどうするの? お姉さんに見せている姿が、綺麗な上澄みだったら、それは普通じゃなくて異常だ。俺は異常な心持ちでお姉さんに会って、笑って、怒って、泣いて。なんだか酷く偽物めいた感情を垂れ流しているんだ」
テウの額の血が止まった。惰性のように、ガーゼで血の跡を拭いてやる。
「俺達は似たもの同士で傷を舐め合っているだけに過ぎないのかな。それでもいいと思うぐらい、好きだ。だってお姉さんと一緒にいると料理が上手いって褒められる、俺がなりたかった誰かになれる」
「お前がなりたかった、誰か」
テウがなりたかったのは自分の料理を食べてくれる、家族を持つ人間だ。
けれど、血が繋がった人間には拒絶された。代用品として、私達が料理を食べた。私達がいれば、テウは満たされたのだろうか。空っぽの心に、安らぎが注がれたのか。
私はテウ達との食事を確かな繋がりだと感じた。テウは傷の舐め合いだと言った。けれど、悪くはなかったのだろう。それでもいいと妥協するぐらいには。泣きそうなのに、笑いたくなる。
「でも、お姉さんが言ったんだよ。俺は家族に名前を呼ばれない。もう誰も呼ばない。この関係ははりぼてで、いつ崩れてもおかしくないんだ。それなのに、あぁ、くそ!」
従者になる人間は切り捨てられる人間がいいと思っていたはずなのに、目論見は大外れ。お互いに情を持ってしまった。最悪だ。
「俺はお姉さんを、家族として考えているんだよ。だって、おいしいと笑ってくれるから。食べてくれるから、テウって、名前を呼んでくれるから!」
ふいに、テウの手を掴む自分の手を見た。
テウを従者にしたとき、手の甲に噛み付かれた。けれどもう傷一つない綺麗な手になっている。
視線を上げるとテウの首筋がちらりと見えた。赤い跡があった。長い紐のようなものの跡。ぐっと奥歯を噛み締める。この跡は。
襟ぐりを無理矢理開いて、跡を指でなぞる。テウは首筋を晒して少女のように恥じらった。
「これ、何にをしていた跡?」
「目敏いなあ」
大きな瞳が潤む。気恥ずかしそうに目を合わせる。
「首を吊っていたときにイルが来たんだよ。数秒意識が飛んで、気が付けば床に落ちてた。イルがロープを切ったんだ。お姉さんがお腹が空いてるから、食事を持ってきてくれって言われた」
ぶるぶると体が震えた。怒り? 悲しみ? 私にもよく分からなかった。ただ、条件反射のように心の底から感情が溢れだして、その感情のままに体がいきり立つ。
急に力が抜けた。大きな袋が破裂したように。椅子に体が沈んでいく。腕が落ちて、顎が外れたように口が開いた。
「お姉さん?」
「――――っ」
ぐっと拳に力を入れる。全然力が入らないが、痺れる舌を動かす。
「お前――勝手に死のうとしたの? 誰が、そんなことを、許したの?」
「うん」
「うんじゃない。お前は私のものなのに、勝手にーー勝手に!」
歯で舌を噛んだ。口の中は血の味がする。もう嫌だと逃げ回りたくなる。どうしてこんなことになるんだ。テウに何も言わなかったから? でも、誰が自殺未遂するなんて思う?
私の一挙一動で、テウは簡単に死にたくなるのか。
ぞっとした。手の上にどくんどくんと鳴る心臓を握っている気分だ。
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