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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「城を乗っ取られ、お前達は処刑される。それを変えられる力はない。だが、それでも戦場にいたかったのかもしれない。俺は、あの時代の人間だった。通り過ぎ、置き去りにされたあとも、そう思う。俺の仕事も、俺の矜持も、願いも、あの時代にあり、あの時代にしか成し得なかった。それが叶わなくなった今も、もう一度機会に恵まれるのではないかと、死人に鞭打つように生きている」
長い長い廊下に行き当たる。こんな場所、どこにもなかったはずだ。
恐る恐る遠くを見ると、真っ赤に染まった旗が風もないのにはためいていた。
人形師が語ったようにその旗は死体の顔の一部に突き刺さっているように見えた。
「取り残され、時代遅れになる醜さは、筆舌に尽くし難い。そうなる前にあの戦火に巻き込まれ、呪詛を吐き続けて死ぬべきだった」
「後悔しているの?」
声に出したが、何だか違う気がした。後悔。苦悩。そういうものではないのだと思う。だが、何だろう。言葉を探しながら、人形師を見つめた。彼は瞬きを一度して、どうだろうと小さく答えた。
「俺に後悔するべきことがあったわけじゃない。ルコルスのように裏切ったわけでも、カリオストロのように弄ばれていたわけでもないからな。妄執というには侮蔑的で、哀愁というには情がない」
冷徹な言葉で、男はそう言って自分を評した。
よく分からない男だと思っていたが、さらに分からなくなる。
老いへの恐怖。取り残される苦痛。そんなものも感じられない。
置いて行かれた虚しさ。素晴らしい日々だったと過去に陶酔する様子さえない。
さらりとして、水のようなのに、何らかの情念が込められている。
カリオストロはとんでもない男だったが、私に対しては守ると一貫していた。けれど、この人形師はどうだろう。感情がないようなのに、私へ向ける視線はときより、甘く、寂しげだ。ただ、その視線も夢だったように、溶けて色を失くす。
冷たくて、優しくて、突っぱねて、でも近付いてくる。気まぐれな猫のような、それでいて、先の読めない嵐のような、不可思議な存在。
「結局のところ、夢見がちな願望だ。……お前の求める答えを俺は答えられたか?」
急に向けられたのは、嘲りの視線だった。
「俺を試して、確かめて、殺すか決めるつもりか? お前の求める解答の何割を俺は満たせた? それとも、有能さを見極めていたのか」
「ち、ちが」
「まあ、構わないがな。誰かに品定めされるのは慣れている。殺すときは言え。この男をお前に渡してやる」
「……殺さないわよ。少なくとも、こうやって歩いているときは。私一人では、クロードは運べないもの」
「きちんとした認識が戻って来たようで何よりだ……。ん?」
廊下が急に終わった。目の前に突然現れた扉は、太陽の色に似た黄色で血みどろな廊下と対極にあるようだった。
恐る恐る扉を開くと、目を瞠った。
――目の前に、『塔』がある。
天を突かんばかりの巨大な塔だ。その姿に、見覚えがあった。『聖塔』だ。
だが、こんなに大きく、長いものではなかったはずだ。太陽に尖塔があたりそうなほどだった。首を直角に曲げてもなお、よくその全容が見えない。
「『聖塔』」
「な、なぜ? さっきまでたしかに王宮のなかにいたのに」
「誰かに誘われているのか、はたまた、これは俺の見ている夢なのか」
「か、勝手に夢の住人にしないで!」
人形師も予想外だったのか、顎を見せてずっと上を見上げていた。驚愕に見開かれたその瞳は、何度も瞬きを繰り返す。
そのたびに瞳に膜が張ったように煌めく。探究を喜ぶ学者のような顔つきになる。
「誰が術で王宮とここを繋いだ。カリオストロのような力の強い術師か、あるいはお前が言葉を交わしていたような未知の力を持つ何者かがいるのか。――領域術式の可能性もあるか」
興味深いと、熱のこもった声が響く。
イルの血は点々と塔に続いていた。だが、入るための門もなければ扉もない。ぐるりと外周をまわったが、入口が見当たらない。
周辺には目や口に旗が刺さった死体があった。死体の腐敗が酷く、腐臭がする。
しかも、彼らは時々、起き上がり歩き出そうとするのだ。けれどすぐに頽れて嘆きながら伏す。死んだことを思い出しように。
「どうやってなかに入ったんだ、あの貧民は」
息を吐き出し、汗をこぼしながら、それでも人形師は好奇心に満ちた声で呻いた。
塔を見上げ、よく観察する。バルコニーのようなものはないが、窓がある。一番近くても王宮の尖塔より高そうだが、そこまで駆け上がることが出来たら入れるのかもしれない。
人形師もその可能性に気がついたのだろう。私をじろじろと探るように見つめた。
きっとよく見れば、イルの血が壁に垂れているのだろう。イルはギスランの剣奴だ。曲芸のような真似が出来る器用な男。
「術は使えなかったか」
「使えないわ」
「……あそこまで蜘蛛のように駆け上がることは?」
「出来るわけないでしょう!」
「それもそうか。だが、困ったな。どうする。中に入るのは諦めるか」
……諦められるわけがない。
あたりを見渡して、梯子になれるものを探す。
けれどすぐに無駄だと思い、塔に寄りかかった。あたりには死体しかない。
遠くの方に王宮がある……ように見えるだけで判然とはしない。もやがかかったように王宮のシンメトリーな尖塔が見える。太陽の色によく似た扉は既にないし、王宮にはもう戻れそうにない。
「……ん?」
背中にごつごつとした感触があり、振り返って手を滑らせる。目を凝らさなければ見えなかったが、真っ白な外壁には文字が彫られていた。
「我は飢えたり、神の寵愛と恵みを。我らの神は水底から至る……。何これ」
「表面に刻まれているな。碑文のようなものでは。文言からして、死に神を指しているように思えるが」
「そもそも『聖塔』は、神のいとし子をいれる場所だと聞いているけれど。実際は、何のためのものなの? 人をいれて、閉じ込めるための建物? それとも、本当に神に捧げられる人柱を保護しておくためのもの?」
「俺は知らない」
人形師の言葉は硬質だった。知らないと突き放すのではなく、なぜ疑問に思わなかったのだろうかという自分への疑念がそこにはあるような気がした。
「お前の方が知っているのでは? 愛人がいただろう。――あいつが死んでから、すっかり『聖塔』も廃れたはずだ。あの男一人が入っていたのだろうな」
「愛人なんかいないわよ! ……よく知られていないの?」
「知らん。女神教の信者でなければ、入ることも許されなかった。見学などもってのほかだ。なかにいるのが男か、女か、ということまで知らなかった。そもそも、人がいたこともな。てっきり、何か動物でも飼っているのだとばかり思っていた」
「どうして?」
「毎夜、唸り声が響いていたのでな。地を這う獣のそれだ。今思えば、カリオストロの術だったかもしれないが」
何ともあやふやな解答だ。だが、数百年前に『聖塔』に男がいたのは事実らしい。私と親しく、気心の知れた男。蘇らせてと懇願したような……。
――私とだなんて。酷い間違いだ。同一化するべきじゃない。私とこいつらがいうカルディアは別物だ。
「だが、俺は知る限り、死に神を讃える文字は彫られてはいなかった。他の神を崇めることは神への非礼にあたるのだろう? 俺は知らんが」
「この『聖塔』はじゃあ、信者が建てるものなの?」
「……さあ? 俺が王都に来た時にはすでに建立されていた。ずっと前からあるものだと思うが」
「お前、今まで疑問に思わなかったの?」
長い時間を生きてきた人間の苦悩をみせたくせに、全く周りに意識を向けていない!
周りに興味が薄いのだろう。人にも、物にも、淡白で関わろうとしない。
「思ったことがない。……『聖塔』は当たり前だったんだ。そこにあるのを、誰も疑いもしない。塔に向かって祈りを捧げる聖職者を見たことがあるが、あいつはいったい何に対して祈っていたのだろうな。……『聖塔』の中の人間は神聖なモノーー女神信仰における巫女のような存在だとばかり思っていたが。実際には人柱のような存在だったのかもしれんな」
「ぼんやりとして……。その男が死んだあと、代わりは用意されなかったの。人柱だったとしたら、かわりが用意されたのではないの」
「よく、知らん。俺は、お前からあの男を蘇らせてくれと言われるばかりだったからな……」
そう言いながら、ちらりと人形師が周りへ視線を投げた。
つられて、視線を人形師と同じ方向へ向けた。
遠くに見える王宮の尖塔が手で叩き潰されたようにぐちゃりと曲がり、崩れていく。
呆気に取られながら、崩れ落ちていく姿を凝視する。ずっと父王様がいらっしゃった場所がぼろぼろとお菓子のように酷く崩れ去っていく。王宮は私にとって遠く、恐ろしい場所だった。
顔を合わすことがほとんどない父王様。社交場は皆が煩わしくて、私の悪口ばかりを言う。気狂いの姫様。カルディア様。
けれど、こうやって崩れていく王宮を見ると、心臓がナイフで刺し貫かれたように痛む。
あんなに、大きな広い建物も、崩れるときは一瞬なのだ。
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