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第一幕 一節
どんちゃん騒ぎ宴会騒ぎ2/2
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六つの目に見つめられ、言葉に詰まった。聞きたいこと、聞きたいこと、頭の中で反芻する。
「――ここは、一体どこで、主様とは、どういうことなんでしょうか」
おそるおそる、口にした。小さい声はもしかしたら聞こえなかったかもしれない。ふ、と顔を上げた依弦が目にしたのはしんと静まり返った宴会場に、こちらを見つめる百八の瞳。「ひっ」と息を呑んで後ろへ手をつく。
「ふむ、ここはどこ、私は誰、といった感じか?」
「あぁ、主様ったら記憶喪失?」
「ち、違う、記憶喪失なんかじゃ、」
「あいや、わかっておるよ。どこ、なぁ……楼閣塔、としか言えないな」
ゆるりと首を傾げた夢浮橋がそっと耳もとで囁く。
「主様は初めから俺の主様であろう?」
どろり、と甘やかで恐ろしい声だった。顔を青く染め、息ができない。
「夢浮橋」
「……はは、すまんすまん」
嫉妬に駆られて鬼になってしまいそうだ、と。朗らかに笑って言うが、依弦にしてみれば笑えぬ冗談だった。口を引き結び、奥歯を噛み締めて恐怖に耐える。顔色は青いままだ。
「ここがどこか、主様はそれが知りたいと仰る」
「なかなかに難しい質問だなぁ。ここは楼閣塔、五十四柱の神の居住区としか言えないんじゃない?」
「……主様は、どうしてここにいるのかを知りたいのでございましょう?」
静謐な瞳が依弦を見つめた。
神様の居住区の楼閣塔――果て無い海のように広い天駆ける神の領域の一角にある、一等高い建物だと、桐壺は言う。領域の東の一角を担う神が住まう居住区、それが楼閣塔である。同じように西南北にもそれぞれの領域を担う神々の住まう社だったり城だったりがあるようだが、基本不干渉のため今現在どのような形と成っているかはわからない。
依弦を見つけたのは夢浮橋だ。塔の周辺を異常がないか見回りをしていたときのこと。深き森から常ならばありえない清浄な気が放たれており、気を辿ってみれば頑是ない愛らしい童女が意識なく倒れているではないか。
大慌てで、どこか気の昂った様子で依弦を抱えて塔へと夢浮橋が帰ってきたのを迎えたのが紅葉賀だったと言う。「どたどたって足音立てて、面白いくらいだったよ」と笑う紅葉賀を扇子の角で叩く夢浮橋は遠いところを見つめる目で口を開いた。
「柄にもなく、運命だと思った」
淡い紫に依弦だけが映る。まっすぐすぎる、情愛の籠った瞳から顔を背けた。ほんの一瞬、沈黙が訪れる。
「……頑是ない、童女?」
紡がれた言葉の違和感に目を瞬かせた。頑是ない――あどけない無邪気な子供、という意味だと理解していたが、まさか自分のことを差しているのだろうか。戸惑いの表情で言い淀んでいる依弦に桐壺が心配そうに言葉をかけてくる。
「……、……あ、その、……皆様に、私はどのように見えているのでしょう?」
歯切れが悪く要領を得ないことを言っているとは理解している。けれど、わかりたくないことでもあった。着物の袖を握る手は小さくて肉付きの良い、それこそ幼い子供のような手だった。
問いかけに三柱の神様は顔を見合わせて、桐壺が口を開く。
「大変愛らしゅう女の子に御座いましょうか。そういえば裳着は済んでらっしゃるのでしょうか? まだで御座いましたら腰結の役目は是非わたくしに」
目の前が暗くなる。あぁ、最悪に最悪が重なっているとしか考えられない。
裳着だなんて久しぶりに聞いた。現世で言う成人の儀と同じだ。平安時代から安土桃山時代にかけて成人を示すものとして行われていた通過儀礼である。行う年齢は一定していないが、大抵の女児は十二から十五の間に裳着をしている。
つまりは、そういうことなのだろう。神様たちには依弦がその位の年頃か、それよりも幼い位に見えている。
最悪だ――訳の分からない場所に飛ばされたかと思えば、若返っているだなんて誰が思うだろう。
精神的に限界が来てしまった依弦は、ゆっくりと暗く黒く塗りつぶされていく視界の隅で嗤う神様を見た。
「――ここは、一体どこで、主様とは、どういうことなんでしょうか」
おそるおそる、口にした。小さい声はもしかしたら聞こえなかったかもしれない。ふ、と顔を上げた依弦が目にしたのはしんと静まり返った宴会場に、こちらを見つめる百八の瞳。「ひっ」と息を呑んで後ろへ手をつく。
「ふむ、ここはどこ、私は誰、といった感じか?」
「あぁ、主様ったら記憶喪失?」
「ち、違う、記憶喪失なんかじゃ、」
「あいや、わかっておるよ。どこ、なぁ……楼閣塔、としか言えないな」
ゆるりと首を傾げた夢浮橋がそっと耳もとで囁く。
「主様は初めから俺の主様であろう?」
どろり、と甘やかで恐ろしい声だった。顔を青く染め、息ができない。
「夢浮橋」
「……はは、すまんすまん」
嫉妬に駆られて鬼になってしまいそうだ、と。朗らかに笑って言うが、依弦にしてみれば笑えぬ冗談だった。口を引き結び、奥歯を噛み締めて恐怖に耐える。顔色は青いままだ。
「ここがどこか、主様はそれが知りたいと仰る」
「なかなかに難しい質問だなぁ。ここは楼閣塔、五十四柱の神の居住区としか言えないんじゃない?」
「……主様は、どうしてここにいるのかを知りたいのでございましょう?」
静謐な瞳が依弦を見つめた。
神様の居住区の楼閣塔――果て無い海のように広い天駆ける神の領域の一角にある、一等高い建物だと、桐壺は言う。領域の東の一角を担う神が住まう居住区、それが楼閣塔である。同じように西南北にもそれぞれの領域を担う神々の住まう社だったり城だったりがあるようだが、基本不干渉のため今現在どのような形と成っているかはわからない。
依弦を見つけたのは夢浮橋だ。塔の周辺を異常がないか見回りをしていたときのこと。深き森から常ならばありえない清浄な気が放たれており、気を辿ってみれば頑是ない愛らしい童女が意識なく倒れているではないか。
大慌てで、どこか気の昂った様子で依弦を抱えて塔へと夢浮橋が帰ってきたのを迎えたのが紅葉賀だったと言う。「どたどたって足音立てて、面白いくらいだったよ」と笑う紅葉賀を扇子の角で叩く夢浮橋は遠いところを見つめる目で口を開いた。
「柄にもなく、運命だと思った」
淡い紫に依弦だけが映る。まっすぐすぎる、情愛の籠った瞳から顔を背けた。ほんの一瞬、沈黙が訪れる。
「……頑是ない、童女?」
紡がれた言葉の違和感に目を瞬かせた。頑是ない――あどけない無邪気な子供、という意味だと理解していたが、まさか自分のことを差しているのだろうか。戸惑いの表情で言い淀んでいる依弦に桐壺が心配そうに言葉をかけてくる。
「……、……あ、その、……皆様に、私はどのように見えているのでしょう?」
歯切れが悪く要領を得ないことを言っているとは理解している。けれど、わかりたくないことでもあった。着物の袖を握る手は小さくて肉付きの良い、それこそ幼い子供のような手だった。
問いかけに三柱の神様は顔を見合わせて、桐壺が口を開く。
「大変愛らしゅう女の子に御座いましょうか。そういえば裳着は済んでらっしゃるのでしょうか? まだで御座いましたら腰結の役目は是非わたくしに」
目の前が暗くなる。あぁ、最悪に最悪が重なっているとしか考えられない。
裳着だなんて久しぶりに聞いた。現世で言う成人の儀と同じだ。平安時代から安土桃山時代にかけて成人を示すものとして行われていた通過儀礼である。行う年齢は一定していないが、大抵の女児は十二から十五の間に裳着をしている。
つまりは、そういうことなのだろう。神様たちには依弦がその位の年頃か、それよりも幼い位に見えている。
最悪だ――訳の分からない場所に飛ばされたかと思えば、若返っているだなんて誰が思うだろう。
精神的に限界が来てしまった依弦は、ゆっくりと暗く黒く塗りつぶされていく視界の隅で嗤う神様を見た。
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