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思惑(しわく)は交わる
疑惑の【チョコレート】
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【メシア教】の粛清(しゅくせい)から数十日後。リーゾナルド家のハルディンド当主からお礼の報告がしたいとあったが、私は丁寧にそれを断った。
何故か全て私の功績と言うことになっているが、そもそも事実は真逆なのだ。私は彼らを殺すつもりなんて微塵(みじん)もなかった。むしろ仲間にさえ入りたいと望んだ。
だけどどこであの悪魔達に漏れたのか、目的はついぞ叶えられず、無意味な犠牲ばかりを払ってしまったのだ。
どちらもお互いの存在を認識していることぐらい薄々感じ取っていた。あからさまなヒントも出してたし、あれで気づかない程頭は弱っていない。
だけどまさか、あの二人が手を組むなんて予想だにしていなかった。それはそうだろう。元々最初から外していた選択肢に向ける目など、ないのだから…。
オルカも、ラクロスも誰かの下につく人間でもなければ対等な存在を作る人間でもない。自分が頂点だと信じて疑わない、その強さから来る絶対的な自信を事実として受け止める男達だ。
一体どうやったらあの二人が皮肉(ひにく)りあいながらも殺さない仲になったのか、答えがあればぜひ聞かせてほしいが今はもはやそのようなことを言っている場合ではない。
起きてしまったことは仕方がないのだから、早く次の手を進めなければならない。このままほんの一時でも足を止めれば、次に喰われるのは私だ。
震える手にぐっと力を入れて抑える。まだ怖がっている臆病な自分が女々(めめ)しい。
手を取り支え合える仲間がいればどれ程心強いことだろうか。それを望むことすら、身の程知らずだというのに…。横に並んで、背中を任せて、前に出て守ってくれる存在なんて全部まやかしだ。
みんなみんな、自分のことだけで精一杯で他人(ひと)のことなど構ってられない。それはもう仕方のないことなのだろう。そう割り切ってしまえば少しはこの言いようもない気分が救われる。
私とオルカで始めた【ゲーム】。【原作】を忠実に再現し、死という脱出を果たせば私の勝ち。
【原作】を潰し、私を完璧に壊すことができればオルカの勝ち。明確な勝負(しょうはい)をつけた訳ではないけれど、事実私達の関係はそういうゲーム性を持って成り立っていた。
第一条件である【原作】の始動を見届けた時点で既に勝利を確信していたはずの私も、今やどうしようもないぐらいに追い詰められている。
私が不在時に皇帝とヒロインの謁見があったと聞いた。だけどそれは、【原作】とは掛け離れた内容で信じられないし信じたくもなかった。本来愛されるべきヒロインは、その輝くべき第一歩から踏み堕ちた。
これで私の勝ち筋はまた0、いや、マイナスからのスタートとなったのだ。まるで本物のゲームのような規則性を持って進むこの勝負に、果たして終わりなどあるのだろうか。
臆病風(おくびょうかぜ)でも吹いたか、最近はめっきり意思が弱まっているのを感じる。
自分一人では何一つ出来やしないという無力さが、嫌でも痛感させられたのが原因か本当は無様に泥を啜(すす)っても逃げ出したいというのに…。
そんな自分の惨(みじ)めさからか、無意識に視線は書斎机の位置からよく見える戸棚の右上の小さな引き出しへと向かっていた。そこに募(つの)るのは、やりきれない怒りと憎しみだ。
あまり見ないよう意識していても、手元に集めている限り必ず私の心を掻き乱す物たちに、私はゆっくりと歩きを進めて引き出しを専用の鍵で開けた。
そこまで小さい引き出しでもなかろうに、既に溢れ出そうなほどに溜(た)めこまれたのは本来この世界にあるはずのない物ばかりだ。
一つ、適当に手に取ったそれは数年ほど前爆発的にヒットした【ハンドクリーム】だった。平民をターゲットにし、男女問わず愛用されているこれは一時期神殿の信者を激減させるほどの魔法の機能を兼ね備えていた。
前世のようなただ肌荒れを治すものとは比べ物にならない。異世界ならではの簡単な傷ならば数日も経たない内に治り、効能の高い物に拘れば若返りの効果も期待できるそれは、既に【転生者】の前兆(ぜんちょう)を予見していたのだ。
その後すぐに魔物暴走(スタンピード)で神殿の派遣隊が大活躍したことによりその名声を取り戻したが、一時期は安価で出回るハンドクリームに神殿は心底手を焼いていたものだ。
下級ポーションでさえ足元を見る神殿は【聖女】という広告塔(こうこくとう)を置いて平民の信仰を集めながらも金を稼ぐことに目がなかったのだからバチが当たったと思えばそれまでだろうが、その商品名と効能に嫌な予感がした私はそれからその商会が取り扱う商品をくまなく意識していた。
単純にハンドクリームだけだったのならば、【転生者】という疑いは晴れたのかもしれない。知識さえあれば誰でも作れるのは確かだったし、これ一つでその可能性を疑うのはあまりに無謀(むぼう)過ぎたからだ。
だけどその考えはあっさりと覆(くつがえ)された。ある日の夜。いつも通りラクロスが私のもとへ訪れると《ある手土産》を持ってきたのだ。
「はい、シルちゃんにご褒美」
「…なに、これ?」
両手の上に載せられた布の包み。リボンの包装が高級感溢れたそれからは、ほのかに懐かしい甘い匂いがした。
「んー? 最近帝国で人気のお菓子。一番美味しいやつだから、ほら」
そう言ってリボンを取って布が開け、中身が露(あら)わになった。思わず失笑(しっしょう)しそうになったのを我慢して、どこの商会のものかと聞けば当然《あの商会》のものだと答えが返ってきた。
これで確信できた。布に包まれた黒い塊。ミルクの甘い香りが漂って食指(しょくし)をそそる、見事に再現された【チョコレート】だった。
前世ではよく好んで食べていたものが、今こうして手元にあることがとても不思議で、それでいてこうも腹立たしい。
別に異世界転生で知識無双することに異論はない。右も左も知らないこの世界で自身の地位を確率するための手段としては正しいのだろう。ただそれが私の歩む道を邪魔するのだけは、いただけない。
ただでさえ拙(つたな)い情報網を使って【グラニッツ商会】の後援がグラニッツ公爵家であること、商会長を務めるのがその嫡女エディス・テナ・グラニッツであることが分かった。
【原作】中盤で命を落とす悪役令嬢。彼女の存在は少なからず【原作】に影響していた。正確に言うのなら彼女の《家柄》が、だ。
初恋の相手であるミシェル・ラド・ウィリアムズを奪われた嫉妬心から社交界で皇女の出自を理由に面目(めんもく)を潰そうとするが全く相手にされなかった彼女は、その後あらゆる手を用いてヒロインの行動を邪魔する。
しかしそれら全てを返り討ちにされ、遂に実の父からも見放されたエディスは秘密裏に腐敗した高位神官らと手を組みヒロインの正当性を訴える賭けに出る。
もちろんそんな浅はかな考えはあっさりと打ち砕かれるがこの行動が神殿と皇室の軋轢(あつれき)に完全な溝(みぞ)を作ったのだ。
その為だけにわざわざ高位神官の中で腐敗を行った人間数名を現状隔離してきたというのに、このまま彼女が暴走し【原作】から逸脱(いつだつ)してしまえば全てが無意味に終わってしまう。
きっと彼女は【原作】通り悪役令嬢としての死を回避するために神殿との接触も避けるだろう。それが一体【原作】にどれほどの影響を与えるのか、私にも分からない。ただそれが、私にとって決して有利に働くことはまずないということは分かっている。
苦い顔でチョコレートを見つめていた私の口に、ラクロスがひょいっとチョコレートを押し込む。
舌に乗ってゆっくり溶けるチョコレートは甘くて、蕩(とろ)けて、まるで【罪】の味がした。
きっとこれが私の業(ごう)に始まりを告げるものなのだろうと、確信できる味だった…。
何故か全て私の功績と言うことになっているが、そもそも事実は真逆なのだ。私は彼らを殺すつもりなんて微塵(みじん)もなかった。むしろ仲間にさえ入りたいと望んだ。
だけどどこであの悪魔達に漏れたのか、目的はついぞ叶えられず、無意味な犠牲ばかりを払ってしまったのだ。
どちらもお互いの存在を認識していることぐらい薄々感じ取っていた。あからさまなヒントも出してたし、あれで気づかない程頭は弱っていない。
だけどまさか、あの二人が手を組むなんて予想だにしていなかった。それはそうだろう。元々最初から外していた選択肢に向ける目など、ないのだから…。
オルカも、ラクロスも誰かの下につく人間でもなければ対等な存在を作る人間でもない。自分が頂点だと信じて疑わない、その強さから来る絶対的な自信を事実として受け止める男達だ。
一体どうやったらあの二人が皮肉(ひにく)りあいながらも殺さない仲になったのか、答えがあればぜひ聞かせてほしいが今はもはやそのようなことを言っている場合ではない。
起きてしまったことは仕方がないのだから、早く次の手を進めなければならない。このままほんの一時でも足を止めれば、次に喰われるのは私だ。
震える手にぐっと力を入れて抑える。まだ怖がっている臆病な自分が女々(めめ)しい。
手を取り支え合える仲間がいればどれ程心強いことだろうか。それを望むことすら、身の程知らずだというのに…。横に並んで、背中を任せて、前に出て守ってくれる存在なんて全部まやかしだ。
みんなみんな、自分のことだけで精一杯で他人(ひと)のことなど構ってられない。それはもう仕方のないことなのだろう。そう割り切ってしまえば少しはこの言いようもない気分が救われる。
私とオルカで始めた【ゲーム】。【原作】を忠実に再現し、死という脱出を果たせば私の勝ち。
【原作】を潰し、私を完璧に壊すことができればオルカの勝ち。明確な勝負(しょうはい)をつけた訳ではないけれど、事実私達の関係はそういうゲーム性を持って成り立っていた。
第一条件である【原作】の始動を見届けた時点で既に勝利を確信していたはずの私も、今やどうしようもないぐらいに追い詰められている。
私が不在時に皇帝とヒロインの謁見があったと聞いた。だけどそれは、【原作】とは掛け離れた内容で信じられないし信じたくもなかった。本来愛されるべきヒロインは、その輝くべき第一歩から踏み堕ちた。
これで私の勝ち筋はまた0、いや、マイナスからのスタートとなったのだ。まるで本物のゲームのような規則性を持って進むこの勝負に、果たして終わりなどあるのだろうか。
臆病風(おくびょうかぜ)でも吹いたか、最近はめっきり意思が弱まっているのを感じる。
自分一人では何一つ出来やしないという無力さが、嫌でも痛感させられたのが原因か本当は無様に泥を啜(すす)っても逃げ出したいというのに…。
そんな自分の惨(みじ)めさからか、無意識に視線は書斎机の位置からよく見える戸棚の右上の小さな引き出しへと向かっていた。そこに募(つの)るのは、やりきれない怒りと憎しみだ。
あまり見ないよう意識していても、手元に集めている限り必ず私の心を掻き乱す物たちに、私はゆっくりと歩きを進めて引き出しを専用の鍵で開けた。
そこまで小さい引き出しでもなかろうに、既に溢れ出そうなほどに溜(た)めこまれたのは本来この世界にあるはずのない物ばかりだ。
一つ、適当に手に取ったそれは数年ほど前爆発的にヒットした【ハンドクリーム】だった。平民をターゲットにし、男女問わず愛用されているこれは一時期神殿の信者を激減させるほどの魔法の機能を兼ね備えていた。
前世のようなただ肌荒れを治すものとは比べ物にならない。異世界ならではの簡単な傷ならば数日も経たない内に治り、効能の高い物に拘れば若返りの効果も期待できるそれは、既に【転生者】の前兆(ぜんちょう)を予見していたのだ。
その後すぐに魔物暴走(スタンピード)で神殿の派遣隊が大活躍したことによりその名声を取り戻したが、一時期は安価で出回るハンドクリームに神殿は心底手を焼いていたものだ。
下級ポーションでさえ足元を見る神殿は【聖女】という広告塔(こうこくとう)を置いて平民の信仰を集めながらも金を稼ぐことに目がなかったのだからバチが当たったと思えばそれまでだろうが、その商品名と効能に嫌な予感がした私はそれからその商会が取り扱う商品をくまなく意識していた。
単純にハンドクリームだけだったのならば、【転生者】という疑いは晴れたのかもしれない。知識さえあれば誰でも作れるのは確かだったし、これ一つでその可能性を疑うのはあまりに無謀(むぼう)過ぎたからだ。
だけどその考えはあっさりと覆(くつがえ)された。ある日の夜。いつも通りラクロスが私のもとへ訪れると《ある手土産》を持ってきたのだ。
「はい、シルちゃんにご褒美」
「…なに、これ?」
両手の上に載せられた布の包み。リボンの包装が高級感溢れたそれからは、ほのかに懐かしい甘い匂いがした。
「んー? 最近帝国で人気のお菓子。一番美味しいやつだから、ほら」
そう言ってリボンを取って布が開け、中身が露(あら)わになった。思わず失笑(しっしょう)しそうになったのを我慢して、どこの商会のものかと聞けば当然《あの商会》のものだと答えが返ってきた。
これで確信できた。布に包まれた黒い塊。ミルクの甘い香りが漂って食指(しょくし)をそそる、見事に再現された【チョコレート】だった。
前世ではよく好んで食べていたものが、今こうして手元にあることがとても不思議で、それでいてこうも腹立たしい。
別に異世界転生で知識無双することに異論はない。右も左も知らないこの世界で自身の地位を確率するための手段としては正しいのだろう。ただそれが私の歩む道を邪魔するのだけは、いただけない。
ただでさえ拙(つたな)い情報網を使って【グラニッツ商会】の後援がグラニッツ公爵家であること、商会長を務めるのがその嫡女エディス・テナ・グラニッツであることが分かった。
【原作】中盤で命を落とす悪役令嬢。彼女の存在は少なからず【原作】に影響していた。正確に言うのなら彼女の《家柄》が、だ。
初恋の相手であるミシェル・ラド・ウィリアムズを奪われた嫉妬心から社交界で皇女の出自を理由に面目(めんもく)を潰そうとするが全く相手にされなかった彼女は、その後あらゆる手を用いてヒロインの行動を邪魔する。
しかしそれら全てを返り討ちにされ、遂に実の父からも見放されたエディスは秘密裏に腐敗した高位神官らと手を組みヒロインの正当性を訴える賭けに出る。
もちろんそんな浅はかな考えはあっさりと打ち砕かれるがこの行動が神殿と皇室の軋轢(あつれき)に完全な溝(みぞ)を作ったのだ。
その為だけにわざわざ高位神官の中で腐敗を行った人間数名を現状隔離してきたというのに、このまま彼女が暴走し【原作】から逸脱(いつだつ)してしまえば全てが無意味に終わってしまう。
きっと彼女は【原作】通り悪役令嬢としての死を回避するために神殿との接触も避けるだろう。それが一体【原作】にどれほどの影響を与えるのか、私にも分からない。ただそれが、私にとって決して有利に働くことはまずないということは分かっている。
苦い顔でチョコレートを見つめていた私の口に、ラクロスがひょいっとチョコレートを押し込む。
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