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瀬戸一弥

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「つまり……『僕も共犯者になれ』ってことだよね?」
 

 久遠が尋ね返すと、一弥は満足そうな笑みを浮かべた。


「察しが良くて助かるぜ。俺も手間が省けるからな。おい!」
 

 一弥が声を掛けると、彼の手下である男子二人が綾乃をフックから下ろし、久遠の前に放り投げた。投げ出された綾乃は久遠の前に倒れ込むが、それでも彼女は声一つ漏らさない。
 
 久遠がそんな彼女を見下ろしていると、一弥は突然肩に手を回してきた。


「くく、心配すんなよ。今日はまだ誰も使ってねえ。お前のためにとっておいたんだ。さあ、遠慮はいらねえから好きなように楽しんでくれ」
 

 一弥はそう言って、久遠の背中をぽんと押す。
 
 それが「この場で三崎綾乃を犯せ」という意味であることを、久遠は瞬時に理解した。
 
 先ほど、綾乃を放り投げた手下二人は、いつの間にか久遠の背後に回っている。
 
 他のクラスメイトたちも、久遠と綾乃を取り囲むように位置を移動していた。
 
 逃げ道はない。
 
 もし断ったら……そう考えると、嫌な想像が頭の中に膨らんだ。
 
 無言のプレッシャー。刺すような視線。息苦しさすら感じる空気。それら全てが『恐怖』を増幅させる舞台装置のようだ、と久遠は思った。


(この瀬戸一弥という男……人の心――その縛り方をよく心得ているな……)
 

 恐怖で追い込み、快楽で落とす。しかも、その過程で自分は一切手を下さない。相手に付け入る隙を全く与えず、罪の意識で心を支配するやり方だ。
 
 久遠はちらりと綾乃に視線を送る。
 
 彼女は彼女で、これから強姦されるかもしれないというのに、抵抗するどころか身動き一つ取らない。仮に久遠が手を出したとしても、彼女はきっと涙一つ流さないだろうことが、容易に想像できてしまった。


(はあ……なんか色々と末期だな……。まあ、だからこそ僕がここにいるんだけど)
 

 久遠は小さく息を吐き、再び一弥に向き直る。そして、


「僕は遠慮しておくよ」
 

 と、告げた。
 
 その瞬間、一弥の目の色が変わる。浮かんだのは言うまでもなく怒りと敵意。それに呼応するようにして、久遠を取り巻くクラスメイトたちの雰囲気も不穏なものへと変貌した。


「ほう。それはつまり、俺たちの好意を踏み躙るってことだよな?」
 

 強姦を唆しておいて好意も何もない。
 
 久遠はそう思うが、勿論口には出さない。


「勘違いしないでよ。僕は別に君たちに反逆しようってわけじゃないんだ。ただ、僕はビビリのヘタレだから、レイプまがいのことなんてできないって言ってるだけ。それによく考えてみなよ。そんなチキン野郎が、リスクを負って誰かに告げ口なんてできるわけがないでしょ? 僕はやっぱり我が身が一番かわいいよ」
 

 久遠はさらりと言ってのける。健人に、そして優子に言われた通り「自分は見て見ぬ振りを貫きますよ」と。
 
 それでも、一弥の目は依然として厳しいまま。
 
 だが、久遠も彼から視線を外すことはしなかった。
 
 すると、僅かな沈黙の後、一弥は右手で顔を覆い「ククク」と小さな笑い声を漏らした。


「ハハハ、なるほどな。お前もここにいないクラスの連中と同じ日和見主義者ってわけか。カッコわりい……が、確かにそれはそれで賢い選択かもしれねえな」
 

 一弥は久遠を見下したように笑う。
 
 だが、先ほどまであったピリピリと緊迫した空気は霧散した。その場にいた全員が、久遠のことを『無害な臆病者』と判断したからだろう。
 
 久遠に彼らと争う意思はない。
 
 けれど、コケにされっぱなしも癪だったので少々反撃を試みることにした。


「ねえ、一つ訊いてもいいかい?」
 

 久遠は一弥に尋ねる。


「なんだ?」
「どうして瀬戸君は三崎さんのことをいじめているの?」
 

 一弥の眉が、ぴくんと上がる。質問が質問だけに、一弥の気分が害されたことは一目瞭然だった。それでも久遠が強気に問い掛けたのは「瀬戸一弥は絶対に自分の手を汚さない。故に、多少生意気なことを言っても大丈夫だろう」という考えがあったからだ。
 
 しかし、それが思い込みであったことを久遠は直後に思い知ることになる。
 
 一弥は久遠の質問には答えず、倒れている綾乃に歩み寄った。
 
 そして、全く何の躊躇もなしに彼女の腹部を蹴り上げた。


「うぐっ……げえっ! ごほっ、ごほっ……」
 

 綾乃は胃液を吐き出し、苦しそうにむせ返る。
 
 久遠にしてみれば全く想定外の行動だった。
 
 驚愕する久遠に対し、一弥はニヤリと笑う。「勘違いしてんじゃねえぞ、転校生」と言わんばかりに。


「お前、俺のことを『自分の手は汚さない腰抜け』だと思ってただろ?」
「……まあ」
「ハハ、正直な奴だな。そういう奴は嫌いじゃねえ。でも、大目に見るのはこれが最後だ。次、舐めた口をきいたら、その綺麗な顔を二度と鏡で見られないようにしてやるよ。でも、まあ、せっかくだ。お前の質問には答えてやる」
 

 そう言いながら、一弥は綾乃の身体を踏み躙る。


「勉強、スポーツ、芸術、あるいは喧嘩でも恋愛でも何でもいい。何かの分野で自分が望む結果を出したいと思ったら、最も必要になってくるものは何だと思う?」
 

 思ってもいなかった質問に、久遠はしばし考え込む。


「……難しい質問だけど、一般的には『努力』じゃないかな?」
「ハハハ、何とも優等生な解答だな。まあ、勿論それも必要なんだろうが、成功を左右する最大の鍵は『自信』だ」
「自信をつけるために努力をするんだと思うけど?」
「自信っつうのは言い換えるなら『優越感』だ。努力っつうのも、言葉を変えるなら『俺は誰よりも多くやった』という他者に対する見下しに過ぎない。お前みたいなお利口さんは認めたくねえだろうが『俺はこいつらよりも上。底辺で蠢いている奴とは違う』という優越感が人間に幸福をもたらすのさ」
 

 耳触りは悪いが、一弥の言っていることも分からなくはない。
 
 しかし、だからといって「自らが優越感に浸りたいから」という理由だけで他者を虐げていいわけがない。そんな事を許してしまえば、この世界の秩序はメチャクチャになってしまう。


「……随分と身勝手な幸福論だね」
「クク、そう思うか? それがそうでもねえのさ。お前も気付いているだろ? ここにいないイジメを黙認している連中。あいつらの顔にもニタニタした優越感が張り付いていることを。目を背けつつ、腹ん中じゃ他人の不幸を生きる糧にしているのさ。実際、俺たちのクラスは学年で最も優秀な成績を誇っているんだぜ」
 

 一弥はさらに続ける。


「俺はよお、イジメっつうのは最高に効率的な『システム』だと思ってんだよ。だから絶対に無くならねえし、歴史がそれを証明してるよな? 身分制度っつうのは、市民権を持った連中の下に『人あらざるモノ』を作る。なぜそんな存在を作るのかっていやあ、それが集団の発展のために必要不可欠だからだ。人が上を目指せるのは、下を見て安心できるからなんだよ」
「言ってることは分からなくもないよ。人間はそんなに上等な生き物じゃないからね。でも、例え『下』が必要だとしても、その役を三崎さんが担わなきゃいけない理由はないんじゃないかな?」
「言ったろ、『システム』だって。ちゃんと集団にとって最も要らない人間、害を及ぼす人間、あるいは最大リターンのある人間が選ばれるようにできてんだ。電卓が出した答えに『こんなの違う! 間違ってる!』なんて言わねえだろ? それと同じで、イジメに理由なんて必要ねえし、その理由を考えるなんてのは時間の無駄だ。だが、まあ――」
 

 一弥はそこで足蹴にしている綾乃を見て、ニタリと笑う。


「これだけ痛めつけておいてなんだが、俺はお前に結構感謝してたりするんだぜ、三崎。それに正直な話をすると、お前に同情する部分も無くはねえ。でも、仕方ねえよな。お前一人が沈んでくれれば、他の二十九人は救われるんだ。こういうのって確か、最大多数の最大幸福っていうんだったか? まあ、俺はこれからもお前への感謝を欠かさないようにするよ。だから、お前も俺たちのために犠牲になり続けてくれ。ハハハハハハハハ!」
 

 頭の痛くなるような笑い声を聞きながら、久遠は「それは違う」と心の中で思う。
 
 最大多数の最大幸福は、その前提に『全員の幸福』という目指すべき絶対的な理念がなくてはならない。その理念が実現不可能な場合に限り、犠牲もやむなしとする考えだ。
 
 彼、いや、三年二組には、始めから「全員が幸福になる」という理念も目標も欠如している。都合のいい解釈と自己正当化。久遠はそう思ったが、この状況でそれを口にすることはできなかった。
 
 それにしても、この瀬戸一弥という男は性質が悪い。彼は心の中で「イジメ=悪」と認めている。認めつつも、それは「必要悪」だとして、イジメそのものに価値を見出してしまっているのだ。
 
 そして、あながち、そんな彼の考えは間違いだと言い切れない。大多数の人間が幸せになるために、少数の人間を切り捨てる。勝ち組・負け組という言葉が声高に叫ばれる今の社会では、どこでも普通に行われていることだ。『イジメは社会の縮図』と言われるが、彼の考えを否定することは、そのまま自分たちが生きる社会をも否定してしまうことに繋がるのかもしれない。
 
 久遠がそんなことを考えていると――。



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