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二章
7、いい加減にしてください
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驚きました。
あまりにも情報が多すぎて、わたしは頭が混乱して固まってしまったのです。
初めての恋に混乱して、さらに王太子妃などという畏れ多いお話を伺い。
そして飛び込んできたビルギット。
妹と会うのは一年ぶりのこと。眉間にしわを刻み、わたしを睨みつけるその様子は淑女とはとうてい思えません。
やたらと鼻をつく香水の濃い匂いが、室内に漂います。
さらにビルギットを押さえつけるクリスティアンさまの護衛。
憐れ、ビルギットは床に肩をつけさせられてうずくまっています。手には紙を握りしめた状態で。
「ビルギット。この方は隣国の王太子でいらっしゃるのよ」
「何を言ってるの? 姉さん、頭は大丈夫? こんなボロ小屋に王子さまがくるわけないじゃない」
でも、あなたは現に護衛に取り押さえられているわ。
普通の人は護衛などつけないものよ。
「ところで何の御用なの?」
「はーぁ? 呑気に遊びに来たわけじゃないわよ」
ビルギット。レディはそんな言葉遣いをするものではないわ。そう言いかけて、結局口を閉ざしました。
これはお母さまが、ビルギットが少女の頃によくたしなめていた言葉ですもの。
その度に、ビルギットは口を尖らせて「うるさいわね」とお母さまに食ってかかり。お父さまは「こんな可愛い子にきついことを言うべきではない」と躾を放棄し。さらにビルギットは「姉さんだけ怒られないのは、贔屓されてるからよ。わたしの方が可愛いのに、姉さんなんて地味なのに」と、さらに喧嘩をふっかけてきていたのです。
思えば、次女であるビルギットは責任もなく、その可愛さだけを愛でられるだけだったのでしょう。
「この十日間で、残っていた使用人が全員いなくなってしまったのよ。信じられないわ、主であるお父さまとわたしを放って出ていくだなんて」
「ちゃんと以前通りのお給金は払っていたの?」
「お父さまが調度品を売り払って、給金に充てていたわ。収入が減ってるのに、これ以上どうやって捻出するのよ」
「慰労は? 使用人舞踏会や贈り物は節目ごとにしていたの?」
「そんなお金、どこにあるのよ!」
わたしが質問を重ねるごとに、ビルギットの顔は意地悪く歪んでいきます。
自分では「愛らしい」と思っているはずの顔が、今では醜悪にしか見えません。
「なんで使用人ごときに気を遣わなきゃいけないのよ。一年前から徐々に人は減っていたわ。みんな、忠誠心がないのよ」
ビルギットは口の端を歪ませました。
何をどうすれば、たった一年でそこまで堕ちることができるのかしら。
わたしはため息をつきつつ天井を仰ぎました。
かつて暮らした屋敷とは比べ物にならないほどに低い天井。
シャンデリアもなく、梁は剥きだしです。壁には愛らしい小花模様の壁紙が張ってある筈もなく、優雅な腰壁があるわけでもないのです。
こんなにも質素で古びた小屋に住むわたしに、何をねだろうというのでしょう。
お父さまは資金繰りが本当に下手で、数字に疎い人です。
これまでは家令が屋敷や土地など財産の管理をしてくれていました。でも、今はその家令すらもいないのですね。
「誰も掃除をしないから、屋敷は汚いし。庭師はとうにいなくなったから、庭は荒れ放題だし。洗濯をする者も、料理を作る者もいないのよ。硬くなったパンや保存瓶に入っているピクルスを食べなきゃいけないなんて。ゆで玉子のピクルスしか、まともなものがないじゃない」
「オートミールがあるでしょう? 牛乳がないならお湯で煮込んで、ジャムを載せればいいわ。塩漬け肉も保管してあるし、燻製のニシンや鮭もあるわ」
うちの料理人たちは、冬に向けてアーティチョークやカリフラワー、キノコのピクルスも漬けていたはずです。「ピクルスは二年もつんですよ」と、わたしに教えてくれたこともあります。
「……火も熾せないのに、どうやって調理するのよ。いつもいつも酸っぱい物ばかり。まともに暮らしていけないじゃないの、どうしろっていうのよ。お湯だって沸いていないし、お風呂にも入れないわ」
「ああ、だから香水でごまかしているのか」と、ぽつりとクリスティアンさまが呟きました。
その言葉を耳にしたビルギットは、クリスティアンさまから顔をそむけます。
気にしていたのね。甘い香水のその奥に、隠し切れない臭いがあることを。
あまりにも情報が多すぎて、わたしは頭が混乱して固まってしまったのです。
初めての恋に混乱して、さらに王太子妃などという畏れ多いお話を伺い。
そして飛び込んできたビルギット。
妹と会うのは一年ぶりのこと。眉間にしわを刻み、わたしを睨みつけるその様子は淑女とはとうてい思えません。
やたらと鼻をつく香水の濃い匂いが、室内に漂います。
さらにビルギットを押さえつけるクリスティアンさまの護衛。
憐れ、ビルギットは床に肩をつけさせられてうずくまっています。手には紙を握りしめた状態で。
「ビルギット。この方は隣国の王太子でいらっしゃるのよ」
「何を言ってるの? 姉さん、頭は大丈夫? こんなボロ小屋に王子さまがくるわけないじゃない」
でも、あなたは現に護衛に取り押さえられているわ。
普通の人は護衛などつけないものよ。
「ところで何の御用なの?」
「はーぁ? 呑気に遊びに来たわけじゃないわよ」
ビルギット。レディはそんな言葉遣いをするものではないわ。そう言いかけて、結局口を閉ざしました。
これはお母さまが、ビルギットが少女の頃によくたしなめていた言葉ですもの。
その度に、ビルギットは口を尖らせて「うるさいわね」とお母さまに食ってかかり。お父さまは「こんな可愛い子にきついことを言うべきではない」と躾を放棄し。さらにビルギットは「姉さんだけ怒られないのは、贔屓されてるからよ。わたしの方が可愛いのに、姉さんなんて地味なのに」と、さらに喧嘩をふっかけてきていたのです。
思えば、次女であるビルギットは責任もなく、その可愛さだけを愛でられるだけだったのでしょう。
「この十日間で、残っていた使用人が全員いなくなってしまったのよ。信じられないわ、主であるお父さまとわたしを放って出ていくだなんて」
「ちゃんと以前通りのお給金は払っていたの?」
「お父さまが調度品を売り払って、給金に充てていたわ。収入が減ってるのに、これ以上どうやって捻出するのよ」
「慰労は? 使用人舞踏会や贈り物は節目ごとにしていたの?」
「そんなお金、どこにあるのよ!」
わたしが質問を重ねるごとに、ビルギットの顔は意地悪く歪んでいきます。
自分では「愛らしい」と思っているはずの顔が、今では醜悪にしか見えません。
「なんで使用人ごときに気を遣わなきゃいけないのよ。一年前から徐々に人は減っていたわ。みんな、忠誠心がないのよ」
ビルギットは口の端を歪ませました。
何をどうすれば、たった一年でそこまで堕ちることができるのかしら。
わたしはため息をつきつつ天井を仰ぎました。
かつて暮らした屋敷とは比べ物にならないほどに低い天井。
シャンデリアもなく、梁は剥きだしです。壁には愛らしい小花模様の壁紙が張ってある筈もなく、優雅な腰壁があるわけでもないのです。
こんなにも質素で古びた小屋に住むわたしに、何をねだろうというのでしょう。
お父さまは資金繰りが本当に下手で、数字に疎い人です。
これまでは家令が屋敷や土地など財産の管理をしてくれていました。でも、今はその家令すらもいないのですね。
「誰も掃除をしないから、屋敷は汚いし。庭師はとうにいなくなったから、庭は荒れ放題だし。洗濯をする者も、料理を作る者もいないのよ。硬くなったパンや保存瓶に入っているピクルスを食べなきゃいけないなんて。ゆで玉子のピクルスしか、まともなものがないじゃない」
「オートミールがあるでしょう? 牛乳がないならお湯で煮込んで、ジャムを載せればいいわ。塩漬け肉も保管してあるし、燻製のニシンや鮭もあるわ」
うちの料理人たちは、冬に向けてアーティチョークやカリフラワー、キノコのピクルスも漬けていたはずです。「ピクルスは二年もつんですよ」と、わたしに教えてくれたこともあります。
「……火も熾せないのに、どうやって調理するのよ。いつもいつも酸っぱい物ばかり。まともに暮らしていけないじゃないの、どうしろっていうのよ。お湯だって沸いていないし、お風呂にも入れないわ」
「ああ、だから香水でごまかしているのか」と、ぽつりとクリスティアンさまが呟きました。
その言葉を耳にしたビルギットは、クリスティアンさまから顔をそむけます。
気にしていたのね。甘い香水のその奥に、隠し切れない臭いがあることを。
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