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三章

1、あなた、と【1】

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 森の小屋でクリスティアンさまと再会してから、八か月ほど経ちました。春の夜明け前、東の空の端は曙の色に染まっていますが、中天はまだ夜の名残を残しています。

 わたしはヴァーリン王国の王宮にあるお庭で、薔薇を摘んでいました。
 白いブラウスと淡い水色のスカートは、とても動きやすい上に、肌触りも上質で滑らかです。
 
 わたしが生まれ育った国では、貴族は一日に何回もドレスを着替えていましたが。
 こちらの国では、そのような無駄な慣習はないのだと伺いました。
 そのせいでしょうか、宮殿も派手な装飾がありません。

 母国の宮殿は、それはそれは壮麗で。高い門柱にも金色のレリーフがあしらわれ、宮殿は美術品のように豪奢でした。

 でも、この王国の宮殿はとても簡素で落ち着きます。
 削ぎ落した美とでもいうのでしょうか。
 目に眩しい金ではなく、ここでは丁寧に磨き上げられた木の調度品が置かれています。
 
 うちの子爵家でもそうでしたが、故郷では他の貴族の屋敷でも、肖像画や風景画が華美な金色の額に入れて飾ってありました。それも何枚も。

 こちらの宮殿では、色ガラスを嵌めた窓が目立ちます。
 白い石の廊下に、色とりどりの澄んだ光がさしている様は、まるで黄水晶シトリンや碧玉、橄欖石ペリドット、それに薔薇水晶などの宝石を散り敷いたかのようで、わたしは時折見とれてしまうんです。

 それから、お庭に咲き誇る薔薇。一重の薔薇も、蔓薔薇も、ふんだんに柔らかな花弁をつける優しい薄紅の薔薇も。
 どれもが美しくて、それになんていい香りなの。

 ぜひ薔薇のジャムを作ってほしいというクリスティアンさま……殿下のお願いで、わたしは今朝は早朝からお庭に出ています。

 籠にいっぱいの花は、少し息を吸うだけでも夢見心地になりそうな香りです。

「早いな。マルガレータ」
「おはようございます、クリスティアンさま」

 お庭にやってきたクリスティアンさまも、やはり早起きです。名前は存じませんが、すっと伸びた葉には朝露が宿り、仄かな朝の光に水晶のように煌めいています。

「貸してごらん。私も摘もう」

 わたしの手から籠を取り上げると、クリスティアンさまは薔薇を摘んでくださいました。
 朝日が昇る前の薔薇が香りが高いので、お花は開ききる前の時季には、かなり早起きなんです。

「いい香りですね」
「そうだな。だが、マルガレータ。あなたは少し間違っている」
「はい?」

 わたし、粗相をしてしまったのでしょうか。王族の方々も、使用人も優しくしてくださいます。もしかして、自分でも知らぬ内に増長してしまったのかしら。

「確かに薔薇のジャムを作ってほしいと頼んだ。だが、早朝に薔薇を摘むなら、まずは私を起こしなさい」
「でも……そんなことのためにクリスティアンさま……いえ、殿下のお部屋を訪ねるなんて、申し訳なさすぎます」

 わたしは狼狽えました。だって、結婚もまだなんです。
 他国から来たわたしが、戸惑わないように。王太子妃になる為に、この国のことを学んでいるのが今の状況です。
 当然のことですがお部屋も別々ですし、お休みのところをお邪魔してはいけません。
 王宮の使用人でも起きているのは、ほんの少し。それくらい早いんですよ。

「それから、そろそろ『クリスティアンさま』ではなく『あなた』と呼んでもらってほしいのだが。無論人前では『殿下』でもよいが、二人きりの時はさすがにな」
「そ、それは夫婦になってからと考えて……いるのです、が」
「ん? 本当にちゃんと呼べるかな?」
「呼べます。呼びますっ」

 うわぁ、クリスティアンさまのお顔が近いです。
 わたしは薔薇が盛られた籠で顔を隠しました。
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