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二章
14、国に来てほしい
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「マルガレータは照れる姿も愛らしいなぁ」
「仰らないでください」
わたしは恥ずかしくて、顔を上げることも出来ません。
クリスティアンさまの言葉に、背中がもぞもぞするんです。恥ずかしくて、逃げたくて。でも再会できたクリスティアンさまと、離れたくなくて。
こんな気持ち、初めてなんです。
「怒っている姿も凛々しかったぞ」
「本当にもう仰らないで。あれは、自分でもどうかと思っているんですから」
頬が熱くて、いえ、耳まで熱くて。きっと真っ赤になっていることでしょう。
もしかしてわたしはクリスティアンさまのことを、好きになってしまったの?
クリスティアンさまは、わたしの顔をじっと見つめていらっしゃるの。
だめ、もう耐えられません。
ヒースと婚約した時にはこれっぽっちも感じなかったドキドキが、一斉にわたしを飲み込むんです。
心臓が痛いほど鼓動を打つから、苦しくて。
ぎゅっと瞼を閉じたのですが。クリスティアンさまは許してくださらないの。
何かふわりとそよ風が瞼をかすめて、わたしは驚いて目を開きました。
やっぱり目の前にクリスティアンさまのお顔があって。とても柔らかく微笑んでいらして。
しかも護衛の方はなぜか「どうぞ殿下、続きを。私は床にこぼれたジャムの掃除をしていますので」なんて言いながら、雑巾を手に取るんです。
「さぁ、お掃除お掃除」と、まるで舞台の脚本を棒読みのような口調で。
何がどうなったの? 訳が分からずにいると、クリスティアンさまがわたしの手の甲にキスをなさったんです。軽く触れるほどの、そう、そよ風が撫でるようなキス。
まさか、さっきの瞼のも。キスだったの?
耳が千切れてしまいそうに熱いんです。なのにクリスティアンさまはわたしの手を離してくださらなくて。
護衛の方は、わたし達に背中を向けて鼻歌まじりで、掃除をなさっていますし。
「マルガレータ。どうか共に国に来て、私の花嫁になってほしい。子爵家を追い出されたあなたの行方を、ずっと捜していたんだ」
「あ……あの」
「自国ではないから、一年もかかってしまった。遅くなって申し訳ない」
クリスティアンさまに謝られる理由なんて、これっぽっちもありません。なのに……。
「愛しい人。やっと見つけた。もう離さない」
どうしたらいいの? お母さまは、こんな時の対応を教えてくださらなかったわ。家庭教師も何も言っていなかったわ。
「わたし、こういうのに慣れていないんです」
「うん。あなたが求婚に慣れていると、つらいなぁ。マルガレータの魅力に他の男性が気づいていなくて、なによりだ」
「で、返事は?」とクリスティアンさまはにっこりと微笑みます。
窮地です。たぶん、この方のことを好きだと気づいたのは先刻なんです。
なのにもう求婚なんて。
一年間過ぎていたとはいえ、あまりにも急すぎます。
でも、クリスティアンさまが微笑みながらも、わたしの手に触れる指先が、僅かに震えているのが伝わってきて。
ああ、緊張しているのはわたしだけではないのだわ。この方は、本当に心を寄せてくださっているのだわ、と分かったの。
そして、わたしは「はい」とお返事をしたのです。
◇◇◇
のちに知ったことですが、ビルギットがクリスティアンさまに不敬を働いたことを知ったお父さまは、その場に崩れ落ちるようにへたりこんだそうです。
娘の行状の悪さが、冗談では済まないところまで来たとようやく気づいたのでしょう。
地に足のついていない自分達の生活。そこに固執することで、没落した現実を受け入れてなかったのですね。
お供の方に、クリスティアンさまに対する非礼を深く詫び、お父さまはよろよろと、厩舎に残された馬に乗り、お医者さまを呼びに行ったらしいです。
お供の方は、小さくなっていく馬を見送りながら泣きじゃくるビルギットに付き添っていました。
その時の、妹の感情は何だったのかわたしには分かりません。
後悔なのか、それとも悔しさなのか。お父さまに抱いた感情が何だったのか。叱られるかもしれないという恐怖だったのか。
それが判るほどには、わたし達姉妹は親しくはなかったのです。
ええ、哀しいことに他家の姉妹や兄弟のように親しい時期など、なかったんです。
「仰らないでください」
わたしは恥ずかしくて、顔を上げることも出来ません。
クリスティアンさまの言葉に、背中がもぞもぞするんです。恥ずかしくて、逃げたくて。でも再会できたクリスティアンさまと、離れたくなくて。
こんな気持ち、初めてなんです。
「怒っている姿も凛々しかったぞ」
「本当にもう仰らないで。あれは、自分でもどうかと思っているんですから」
頬が熱くて、いえ、耳まで熱くて。きっと真っ赤になっていることでしょう。
もしかしてわたしはクリスティアンさまのことを、好きになってしまったの?
クリスティアンさまは、わたしの顔をじっと見つめていらっしゃるの。
だめ、もう耐えられません。
ヒースと婚約した時にはこれっぽっちも感じなかったドキドキが、一斉にわたしを飲み込むんです。
心臓が痛いほど鼓動を打つから、苦しくて。
ぎゅっと瞼を閉じたのですが。クリスティアンさまは許してくださらないの。
何かふわりとそよ風が瞼をかすめて、わたしは驚いて目を開きました。
やっぱり目の前にクリスティアンさまのお顔があって。とても柔らかく微笑んでいらして。
しかも護衛の方はなぜか「どうぞ殿下、続きを。私は床にこぼれたジャムの掃除をしていますので」なんて言いながら、雑巾を手に取るんです。
「さぁ、お掃除お掃除」と、まるで舞台の脚本を棒読みのような口調で。
何がどうなったの? 訳が分からずにいると、クリスティアンさまがわたしの手の甲にキスをなさったんです。軽く触れるほどの、そう、そよ風が撫でるようなキス。
まさか、さっきの瞼のも。キスだったの?
耳が千切れてしまいそうに熱いんです。なのにクリスティアンさまはわたしの手を離してくださらなくて。
護衛の方は、わたし達に背中を向けて鼻歌まじりで、掃除をなさっていますし。
「マルガレータ。どうか共に国に来て、私の花嫁になってほしい。子爵家を追い出されたあなたの行方を、ずっと捜していたんだ」
「あ……あの」
「自国ではないから、一年もかかってしまった。遅くなって申し訳ない」
クリスティアンさまに謝られる理由なんて、これっぽっちもありません。なのに……。
「愛しい人。やっと見つけた。もう離さない」
どうしたらいいの? お母さまは、こんな時の対応を教えてくださらなかったわ。家庭教師も何も言っていなかったわ。
「わたし、こういうのに慣れていないんです」
「うん。あなたが求婚に慣れていると、つらいなぁ。マルガレータの魅力に他の男性が気づいていなくて、なによりだ」
「で、返事は?」とクリスティアンさまはにっこりと微笑みます。
窮地です。たぶん、この方のことを好きだと気づいたのは先刻なんです。
なのにもう求婚なんて。
一年間過ぎていたとはいえ、あまりにも急すぎます。
でも、クリスティアンさまが微笑みながらも、わたしの手に触れる指先が、僅かに震えているのが伝わってきて。
ああ、緊張しているのはわたしだけではないのだわ。この方は、本当に心を寄せてくださっているのだわ、と分かったの。
そして、わたしは「はい」とお返事をしたのです。
◇◇◇
のちに知ったことですが、ビルギットがクリスティアンさまに不敬を働いたことを知ったお父さまは、その場に崩れ落ちるようにへたりこんだそうです。
娘の行状の悪さが、冗談では済まないところまで来たとようやく気づいたのでしょう。
地に足のついていない自分達の生活。そこに固執することで、没落した現実を受け入れてなかったのですね。
お供の方に、クリスティアンさまに対する非礼を深く詫び、お父さまはよろよろと、厩舎に残された馬に乗り、お医者さまを呼びに行ったらしいです。
お供の方は、小さくなっていく馬を見送りながら泣きじゃくるビルギットに付き添っていました。
その時の、妹の感情は何だったのかわたしには分かりません。
後悔なのか、それとも悔しさなのか。お父さまに抱いた感情が何だったのか。叱られるかもしれないという恐怖だったのか。
それが判るほどには、わたし達姉妹は親しくはなかったのです。
ええ、哀しいことに他家の姉妹や兄弟のように親しい時期など、なかったんです。
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