17 / 171
三章 湯泉宮と雲嵐の過去
1、沙汰
しおりを挟む
雪がちらついている。
昼が短くなってきたので、夕刻の司燈の仕事の時間も日に日に早くなる。
翠鈴は回廊で、火種のついた棒を上げた。下げ灯籠の明かりが灯り、ぽわっと蜜柑の色が宙に並ぶ。
東の空は群青や濃藍。西の空はまだ昼の名残を留めて、薔薇色に染まっている。
ほんの一瞬の美しい時間だ。
昼と夜のあわいに、翠鈴は立ちどまった。吐く息がすでに白い。
「翠鈴ーっ。ご飯たべに行こうよ」
静寂を打ち破って、由由の声が響く。
室内や未央宮の門の明かりを灯し終えたようだ。回廊に向かって、手覆をはめた手を振りながら走ってくる。
そういえば今夜は、光柳が来ると聞いている。
(厄介な相談じゃなければいいけど)
けれど、最近の自分は少し変だと翠鈴は感じている。
光柳は面倒くさい相手だ。
きらきらと煌めいていて、感受性も鋭くて繊細だ。人には弱いところを見せないのに、翠鈴にだけは妙に甘えてくる。
そんな光柳のことを、わずらわしいと思っていた。
なのに。
(なんでかな。前ほど、光柳さまのことが嫌じゃないんだよね)
そういえば最近は「人を射殺すような目だ」と、翠鈴のことを酷評しない。
あれは失礼だった。年頃の女性に向かって、言っていい表現ではない。
(どんな心境の変化なんだろ。大人になったってことなのかな)
食堂で夕食をとっていると、離れた席に座る陳燕と目が合った。
甘露宮の侍女だ。以前は翠鈴に張り合って、ケンカをふっかけにきていたが。最近はおとなしい。
むしろ、ぺこりと頭を下げる始末だ。
「明日は雨かもしれない。むしろ嵐かも」
料理の載った盆を、卓に置いた翠鈴は呟いた。とろみのついた汁物の羹から、湯気が立っている。
「えっ! そうなの? 沓も服も濡れちゃうし、困るわ」
由由は、翠鈴の向かいの席に着いた。
献立は肉の細切りと青菜の入った羹。今日は贅沢に茹でた羊肉だ。発酵させた韮の醤がかかっている。
じっくりと茹でた羊肉は、箸でほろりと崩れるほどの柔らかさだ。
韮の醤はショウガや黒酢が入っており、複雑な味がする。
「おいしいねぇ」
肉好きの由由は満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
夕食後。雲嵐を伴って光柳が未央宮を訪れた。
女官や宮女たちのはしゃぐ声が聞こえてくるので、光柳が来たのだとすぐに分かる。
「仰ってくだされば、応接室を用意いたしますのに」
未央宮の侍女頭である梅娜が、光柳と雲嵐を空いた部屋に通す。
さすがに梅娜は立場をわきまえている。光柳が傍にいても、浮ついた様子を見せない。
調度品もほとんどない簡素な部屋に、黒檀の卓と椅子が運び込んである。
「いや。蘭淑妃がお使いになっている応接室は、私には分不相応ですから」
光柳は柔らかく微笑んだ。
何の用なのか。問題でも起こったのかと、翠鈴は身構えながら部屋に入ったが。そうではなかった。
「陛下の観月の宴の邪魔をした丁宇軒のことだが」
お茶を出した侍女が部屋を出ていってから、光柳は話を切りだした。
「沙汰はどうなりましたか?」
光柳が麟美の代理と見抜いて、詩を書いた紙に毒を塗ったこと。陛下の宴をめちゃくちゃにしたこと。
釈放はありえないだろう、と翠鈴は推測した。
「流刑だ」
光柳は、持っていた碗を卓に置いた。コツン、と硬い音がした。
昼が短くなってきたので、夕刻の司燈の仕事の時間も日に日に早くなる。
翠鈴は回廊で、火種のついた棒を上げた。下げ灯籠の明かりが灯り、ぽわっと蜜柑の色が宙に並ぶ。
東の空は群青や濃藍。西の空はまだ昼の名残を留めて、薔薇色に染まっている。
ほんの一瞬の美しい時間だ。
昼と夜のあわいに、翠鈴は立ちどまった。吐く息がすでに白い。
「翠鈴ーっ。ご飯たべに行こうよ」
静寂を打ち破って、由由の声が響く。
室内や未央宮の門の明かりを灯し終えたようだ。回廊に向かって、手覆をはめた手を振りながら走ってくる。
そういえば今夜は、光柳が来ると聞いている。
(厄介な相談じゃなければいいけど)
けれど、最近の自分は少し変だと翠鈴は感じている。
光柳は面倒くさい相手だ。
きらきらと煌めいていて、感受性も鋭くて繊細だ。人には弱いところを見せないのに、翠鈴にだけは妙に甘えてくる。
そんな光柳のことを、わずらわしいと思っていた。
なのに。
(なんでかな。前ほど、光柳さまのことが嫌じゃないんだよね)
そういえば最近は「人を射殺すような目だ」と、翠鈴のことを酷評しない。
あれは失礼だった。年頃の女性に向かって、言っていい表現ではない。
(どんな心境の変化なんだろ。大人になったってことなのかな)
食堂で夕食をとっていると、離れた席に座る陳燕と目が合った。
甘露宮の侍女だ。以前は翠鈴に張り合って、ケンカをふっかけにきていたが。最近はおとなしい。
むしろ、ぺこりと頭を下げる始末だ。
「明日は雨かもしれない。むしろ嵐かも」
料理の載った盆を、卓に置いた翠鈴は呟いた。とろみのついた汁物の羹から、湯気が立っている。
「えっ! そうなの? 沓も服も濡れちゃうし、困るわ」
由由は、翠鈴の向かいの席に着いた。
献立は肉の細切りと青菜の入った羹。今日は贅沢に茹でた羊肉だ。発酵させた韮の醤がかかっている。
じっくりと茹でた羊肉は、箸でほろりと崩れるほどの柔らかさだ。
韮の醤はショウガや黒酢が入っており、複雑な味がする。
「おいしいねぇ」
肉好きの由由は満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
夕食後。雲嵐を伴って光柳が未央宮を訪れた。
女官や宮女たちのはしゃぐ声が聞こえてくるので、光柳が来たのだとすぐに分かる。
「仰ってくだされば、応接室を用意いたしますのに」
未央宮の侍女頭である梅娜が、光柳と雲嵐を空いた部屋に通す。
さすがに梅娜は立場をわきまえている。光柳が傍にいても、浮ついた様子を見せない。
調度品もほとんどない簡素な部屋に、黒檀の卓と椅子が運び込んである。
「いや。蘭淑妃がお使いになっている応接室は、私には分不相応ですから」
光柳は柔らかく微笑んだ。
何の用なのか。問題でも起こったのかと、翠鈴は身構えながら部屋に入ったが。そうではなかった。
「陛下の観月の宴の邪魔をした丁宇軒のことだが」
お茶を出した侍女が部屋を出ていってから、光柳は話を切りだした。
「沙汰はどうなりましたか?」
光柳が麟美の代理と見抜いて、詩を書いた紙に毒を塗ったこと。陛下の宴をめちゃくちゃにしたこと。
釈放はありえないだろう、と翠鈴は推測した。
「流刑だ」
光柳は、持っていた碗を卓に置いた。コツン、と硬い音がした。
68
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。