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三章 湯泉宮と雲嵐の過去
2、お誘い
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「三千里の流刑だ。首枷をつけられて、労役を課される。しかも本来は一年間の労役だが。刑部は宇軒に三年を命じた」
かなり重い刑だ。翠鈴は息を呑んだ。
むろん、三年は陛下の意向だ。
宇軒が観月の宴の邪魔をしただけなら、一年の労役だったかもしれない。
やはり光柳を守るためだろう。
かつて後宮を去った光柳を、先帝が無理に呼び戻された。今の陛下は、父親の強制で義弟の人生を狂わせてしまったことを悔いておられるに違いない。
陛下には、他にも義弟がいらっしゃる。
光柳のように母親が女官ではなく、妃嬪という高い身分を母に持つ弟たちだ。
それでも、陛下は光柳をもっとも慈しんでおられる。
「丁宇軒は、もうこの杷京に戻ってこられませんね」
宇軒が就く労役が何かはわからない。
けれど辺境ならば、土木作業の可能性が高い。
楼も塔もない、広々とした空の下。宇軒は、杷京の方角を見つめ続けるのだろうか。
砂埃の舞う風に吹かれて。彼を信じて待つ、女官の雨桐の面影を追うのだろうか。
光柳を侮辱しただけではなく、雨桐を利用していたことに気づく日は来るのだろうか。
「そうだな、王都に戻るのは無理だろう。刑期を終えた後も、宇軒は辺境の地で暮らし続けることとなる」
光柳は静かに告げた。
彼は、義兄の愛情に気づいていないかもしれない。あるいは知っていて、気づかぬふりをしているのか。
光柳が碗を手にする。だが、口に運んだ時にそれが空であることに気づいたようだ。
すぐに雲嵐が、茶壺という急須から茶を注ぐ。
ふわりと湯気が立った。
光柳に礼を告げられて、雲嵐の表情が和らいだ。
(陛下も雲嵐さまも、光柳さまのことを大事になさっているよね)
後宮という閉鎖された空間なのに。身分を偽って、行動も制限されているのに。
それでも光柳はのびのびと、素直に育ってきたように思えた。
(まぁ、書令史ひとりに部屋をひとつ与えられている時点で、たいそう甘いんだけど)
雲嵐に礼を告げた光柳が、翠鈴に視線を向ける。
「今日の要件についてだが」
「丁宇軒の話ではないんですか? もう用事は済んだと思っていました」
「いや、それもあるのだが」と、光柳の歯切れは悪い。
「その、なんだ。観月の宴の礼がしたい」
礼? それはぜひ。と翠鈴は卓に身を乗りだした。
(給金を上げるのはさすがに無理かもしれないけど。時間外手当と月餅のほかにも、褒賞はもらえるということ?)
ああ、何を買おう。
このあいだ、蘭淑妃にいただいた香檳茶かなぁ。蜜の香りが高くて。おいしかったなぁ。
翠鈴は、うっとりと目を細めた。
今飲んでいるのも、おいしいけれど。
小さな碗に手を添えて、翠鈴はお茶を飲み干した。
「褒美は期待してくれていい」
「そんなに弾んでくださるんですか」
「そうだ。君を温泉に招待しよう」
「は?」
手にした碗を落としそうになってしまった。
おんせん、ってなに?
「帰省の時以外は、後宮から許可なく出ることも難しいだろう。なに、大丈夫。私が蘭淑妃と侍女頭に話を通しておこう」
「いや、その。おんせんって」
「私と一緒であれば、許可もすぐに下りる」
光柳は得意げだ。
翠鈴の側にすすっと寄った雲嵐が、腰を落として耳打ちする。
「温泉とは、地中から湧いた湯の風呂です」
井戸のこと? え、でも水じゃなくて湯? 湯の井戸なの? 沸かす必要がないのなら、お風呂がとても簡単なのでは?
疑問がふつふつと湧いてくる。
だが、さすがに問いかけることはできなかった。自分に常識がないのかもしれないと、珍しく不安になったからだ。
翠鈴は知らない。
新杷国の広い国土で、温泉地はたったの二か所しかない珍しいものであることを。
光柳が少年時代を過ごした南の離宮。その近くが温泉地であったことを。雲嵐は、主の護衛でその温泉の供をしたことがあることを。
「楽しみだな。そうは思わないか、翠鈴」
あの、別に行きたいとは一言も申しておりませんが。
断りたいのに。
翠鈴はすでに混乱していた。
側に立つ雲嵐が「我儘な主で申し訳ございません」とでも言いたげに、うつむいている。
かなり重い刑だ。翠鈴は息を呑んだ。
むろん、三年は陛下の意向だ。
宇軒が観月の宴の邪魔をしただけなら、一年の労役だったかもしれない。
やはり光柳を守るためだろう。
かつて後宮を去った光柳を、先帝が無理に呼び戻された。今の陛下は、父親の強制で義弟の人生を狂わせてしまったことを悔いておられるに違いない。
陛下には、他にも義弟がいらっしゃる。
光柳のように母親が女官ではなく、妃嬪という高い身分を母に持つ弟たちだ。
それでも、陛下は光柳をもっとも慈しんでおられる。
「丁宇軒は、もうこの杷京に戻ってこられませんね」
宇軒が就く労役が何かはわからない。
けれど辺境ならば、土木作業の可能性が高い。
楼も塔もない、広々とした空の下。宇軒は、杷京の方角を見つめ続けるのだろうか。
砂埃の舞う風に吹かれて。彼を信じて待つ、女官の雨桐の面影を追うのだろうか。
光柳を侮辱しただけではなく、雨桐を利用していたことに気づく日は来るのだろうか。
「そうだな、王都に戻るのは無理だろう。刑期を終えた後も、宇軒は辺境の地で暮らし続けることとなる」
光柳は静かに告げた。
彼は、義兄の愛情に気づいていないかもしれない。あるいは知っていて、気づかぬふりをしているのか。
光柳が碗を手にする。だが、口に運んだ時にそれが空であることに気づいたようだ。
すぐに雲嵐が、茶壺という急須から茶を注ぐ。
ふわりと湯気が立った。
光柳に礼を告げられて、雲嵐の表情が和らいだ。
(陛下も雲嵐さまも、光柳さまのことを大事になさっているよね)
後宮という閉鎖された空間なのに。身分を偽って、行動も制限されているのに。
それでも光柳はのびのびと、素直に育ってきたように思えた。
(まぁ、書令史ひとりに部屋をひとつ与えられている時点で、たいそう甘いんだけど)
雲嵐に礼を告げた光柳が、翠鈴に視線を向ける。
「今日の要件についてだが」
「丁宇軒の話ではないんですか? もう用事は済んだと思っていました」
「いや、それもあるのだが」と、光柳の歯切れは悪い。
「その、なんだ。観月の宴の礼がしたい」
礼? それはぜひ。と翠鈴は卓に身を乗りだした。
(給金を上げるのはさすがに無理かもしれないけど。時間外手当と月餅のほかにも、褒賞はもらえるということ?)
ああ、何を買おう。
このあいだ、蘭淑妃にいただいた香檳茶かなぁ。蜜の香りが高くて。おいしかったなぁ。
翠鈴は、うっとりと目を細めた。
今飲んでいるのも、おいしいけれど。
小さな碗に手を添えて、翠鈴はお茶を飲み干した。
「褒美は期待してくれていい」
「そんなに弾んでくださるんですか」
「そうだ。君を温泉に招待しよう」
「は?」
手にした碗を落としそうになってしまった。
おんせん、ってなに?
「帰省の時以外は、後宮から許可なく出ることも難しいだろう。なに、大丈夫。私が蘭淑妃と侍女頭に話を通しておこう」
「いや、その。おんせんって」
「私と一緒であれば、許可もすぐに下りる」
光柳は得意げだ。
翠鈴の側にすすっと寄った雲嵐が、腰を落として耳打ちする。
「温泉とは、地中から湧いた湯の風呂です」
井戸のこと? え、でも水じゃなくて湯? 湯の井戸なの? 沸かす必要がないのなら、お風呂がとても簡単なのでは?
疑問がふつふつと湧いてくる。
だが、さすがに問いかけることはできなかった。自分に常識がないのかもしれないと、珍しく不安になったからだ。
翠鈴は知らない。
新杷国の広い国土で、温泉地はたったの二か所しかない珍しいものであることを。
光柳が少年時代を過ごした南の離宮。その近くが温泉地であったことを。雲嵐は、主の護衛でその温泉の供をしたことがあることを。
「楽しみだな。そうは思わないか、翠鈴」
あの、別に行きたいとは一言も申しておりませんが。
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翠鈴はすでに混乱していた。
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