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三章 湯泉宮と雲嵐の過去
6、親に売られた雲嵐
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「わぁ。賑わってますね」
馬車から降りた翠鈴は、町を貫く道を見まわした。
人通りが多い。馬車も荷車も多い。
大通りの左右には酒楼や茶館が並んでいる。
土埃が立っているが、露店では構わずに菜包を売っている。
蒸籠の蓋を取ると、ふわぁぁぁといい匂いの湯気が立った。
「うわぁ、おいしそう」
頭の悪そうな言い方になってしまい、翠鈴はあわてて手で口を押えた。
いけない。いい年をした大人なんだから。
いや。でも十五歳としては普通かな?
「確かにうまそうだな」
光柳が、翠鈴の隣で蒸籠を覗きこむ。店主が「蒸したてだよ。食べるかい?」と威勢よく声をかけた。
「おふたりとも。茶館に入りますよ」
ぐいっと腕を掴まれる。
見れば、雲嵐が翠鈴と光柳の腕をとって引っぱっていた。
「なんでだよ。お前、昔からああいうの食べさせてくれないよな」
「茶館で頼んでください」
雲嵐は、光柳に言わせれば「体力馬鹿」なので。ふたりは、ずるずると引きずられる。
女性の翠鈴と、女装の光柳。ふたりを引っぱる体格のよい雲嵐。
どうやら目立ってしまったのだろう。
通行人が足を止めて、眺めている。
「包子は外で食べるから、おいしいんだろ」
「風もあるので、菜包に土埃がついてしまいます」
「それが風情があるんじゃないか!」
いったいどんな風情だろう。翠鈴は突っ込みたくなった。
でもまぁ、蒸したてで湯気が立っているのをほおばるのは、やはりおいしい。臨場感というか。
「はいはい。菜包は、内でいただきましょう」
背後にまわった雲嵐が、光柳と翠鈴の背を押して店に入った。
茶館の天井から、いくつもの紅灯籠が吊るされている。
まだ後宮を出て半日も経っていないのに。翠鈴は由由や桃莉公主のことを思いだした。
「あちらの席にしよう」と、光柳が席を選ぶ。
見れば、窗の近くの卓だ。開いた窗から風が入ってきている。
「やっぱり外で召し上がるのに憧れるんですか?」
「なんでだ」
翠鈴の問いかけに、光柳は不満そうに眉根を寄せた。
美形は眉をしかめても美しさが際だつ。でも、女性はそんな荒い言葉を使わないんじゃないかな。
ふと、鼻先を煙草のにおいがかすめた。
見れば、風下の席で男性客が煙管を吹かしている。
(もしかして、煙草の煙が届かない席を選んでくれたのかな)
煙のにおいは、お茶の香りも味も台無しにする。
優しさなのか。思いやりなのか。
それとも他に理由があるのだろうか。
「どうした?」
ふり返った光柳が問いかける。
「いいえ。なんでもありません」
嘘だ。なんでもなくない。
けれど、自分の内に生まれた感情につける名前を知らない。
水底から泡のように、湧き上がってくる気持ちだ。
◇◇◇
三人でひとつの卓を囲むのは、初めてだ。
いつもなら雲嵐は、立って光柳の側に控えている。あるいは、お茶の給仕をしてくれる。
お茶と菜包、肉包、ひまわりの種、干した果実が運ばれてくる。
軽い昼食代わりだ。
「馬車でのお話を伺ってもいいですか?」
手に持つのも熱い菜包を、翠鈴はふたつに割った。
なかは野菜が多いが、豚肉も入っている。ほのかに甘い香りが、湯気と共に立つ。
さらに小さくちぎり、口に運ぶ。
蒸したてなので、柔らかくてとてもおいしい。
「私の子供の頃の話など、つまらないだけだ」
「わたしは、雲嵐さまに伺ってるんですよ?」
口を挟んできた光柳に、翠鈴は反論した。
「私はもともと騎馬民族です。西の方の」
雲嵐が静かに話しだした。
なるほど。だから、観月楼でも馬で偽の麟美を追ったのか。
あの夜。雲嵐は軽やかに二階から飛び降り、軍人でもないのに鮮やかに馬を駆った。
身体能力が高いのだろう。
翠鈴は納得した。
「ですが。異民族はこの新杷国での地位は低い。古い杷国では、奴隷扱いでもあったので。その当時に比べればマシなのですが」
雲嵐は、子供の頃に親に売られたのだという。
宦官になるために。
国が新しくなろうとも、古い体制が刷新されようとも。身分が覆ることはない。
たとえ日々の暮らしがきつかろうとも。平原での暮らしを捨てることを余儀なくされた騎馬民族は、もう故郷へは戻れない。
まるで羊を売るかのように、子を売るしかない。
「私は、家族の一年分の食事の値段にはなったのでしょうか。それとも、たったの数か月ぶんでしょうか」
雲嵐の声は、かすかに震えていた。
ほかにも兄弟はいただろう。けれど、売られたのは雲嵐だった。
宦官として選ばれ、子としては選ばれなかった。
「しょうがないですね。兄は父の仕事を手伝っていましたし。姉は、水汲みや料理、洗濯に掃除を母と一緒にしていました。弟はとても小さくて。私を手放すのが、ちょうどよかったんですよ」
けれど、親の心が痛まないはずはない。
好悪の感情で、子を選別したのではない。
雲嵐が条件に合致しただけだ。
だからなのだろう。雲嵐は、両親のことを悪く言わない。
ただ、かばうことも擁護もしないのは、理解はしていても納得したくないからだ。
かつての異民族の生きづらさを雲嵐が知ったのは、きっと長じてからだろう。宦官になってからだろう。
「私は南の離宮に送られました。そこに住んでいらっしゃる貴人のお世話をするためです」
それが松麟美(ソンリンメイ)と、まだ幼い光柳だった。
馬車から降りた翠鈴は、町を貫く道を見まわした。
人通りが多い。馬車も荷車も多い。
大通りの左右には酒楼や茶館が並んでいる。
土埃が立っているが、露店では構わずに菜包を売っている。
蒸籠の蓋を取ると、ふわぁぁぁといい匂いの湯気が立った。
「うわぁ、おいしそう」
頭の悪そうな言い方になってしまい、翠鈴はあわてて手で口を押えた。
いけない。いい年をした大人なんだから。
いや。でも十五歳としては普通かな?
「確かにうまそうだな」
光柳が、翠鈴の隣で蒸籠を覗きこむ。店主が「蒸したてだよ。食べるかい?」と威勢よく声をかけた。
「おふたりとも。茶館に入りますよ」
ぐいっと腕を掴まれる。
見れば、雲嵐が翠鈴と光柳の腕をとって引っぱっていた。
「なんでだよ。お前、昔からああいうの食べさせてくれないよな」
「茶館で頼んでください」
雲嵐は、光柳に言わせれば「体力馬鹿」なので。ふたりは、ずるずると引きずられる。
女性の翠鈴と、女装の光柳。ふたりを引っぱる体格のよい雲嵐。
どうやら目立ってしまったのだろう。
通行人が足を止めて、眺めている。
「包子は外で食べるから、おいしいんだろ」
「風もあるので、菜包に土埃がついてしまいます」
「それが風情があるんじゃないか!」
いったいどんな風情だろう。翠鈴は突っ込みたくなった。
でもまぁ、蒸したてで湯気が立っているのをほおばるのは、やはりおいしい。臨場感というか。
「はいはい。菜包は、内でいただきましょう」
背後にまわった雲嵐が、光柳と翠鈴の背を押して店に入った。
茶館の天井から、いくつもの紅灯籠が吊るされている。
まだ後宮を出て半日も経っていないのに。翠鈴は由由や桃莉公主のことを思いだした。
「あちらの席にしよう」と、光柳が席を選ぶ。
見れば、窗の近くの卓だ。開いた窗から風が入ってきている。
「やっぱり外で召し上がるのに憧れるんですか?」
「なんでだ」
翠鈴の問いかけに、光柳は不満そうに眉根を寄せた。
美形は眉をしかめても美しさが際だつ。でも、女性はそんな荒い言葉を使わないんじゃないかな。
ふと、鼻先を煙草のにおいがかすめた。
見れば、風下の席で男性客が煙管を吹かしている。
(もしかして、煙草の煙が届かない席を選んでくれたのかな)
煙のにおいは、お茶の香りも味も台無しにする。
優しさなのか。思いやりなのか。
それとも他に理由があるのだろうか。
「どうした?」
ふり返った光柳が問いかける。
「いいえ。なんでもありません」
嘘だ。なんでもなくない。
けれど、自分の内に生まれた感情につける名前を知らない。
水底から泡のように、湧き上がってくる気持ちだ。
◇◇◇
三人でひとつの卓を囲むのは、初めてだ。
いつもなら雲嵐は、立って光柳の側に控えている。あるいは、お茶の給仕をしてくれる。
お茶と菜包、肉包、ひまわりの種、干した果実が運ばれてくる。
軽い昼食代わりだ。
「馬車でのお話を伺ってもいいですか?」
手に持つのも熱い菜包を、翠鈴はふたつに割った。
なかは野菜が多いが、豚肉も入っている。ほのかに甘い香りが、湯気と共に立つ。
さらに小さくちぎり、口に運ぶ。
蒸したてなので、柔らかくてとてもおいしい。
「私の子供の頃の話など、つまらないだけだ」
「わたしは、雲嵐さまに伺ってるんですよ?」
口を挟んできた光柳に、翠鈴は反論した。
「私はもともと騎馬民族です。西の方の」
雲嵐が静かに話しだした。
なるほど。だから、観月楼でも馬で偽の麟美を追ったのか。
あの夜。雲嵐は軽やかに二階から飛び降り、軍人でもないのに鮮やかに馬を駆った。
身体能力が高いのだろう。
翠鈴は納得した。
「ですが。異民族はこの新杷国での地位は低い。古い杷国では、奴隷扱いでもあったので。その当時に比べればマシなのですが」
雲嵐は、子供の頃に親に売られたのだという。
宦官になるために。
国が新しくなろうとも、古い体制が刷新されようとも。身分が覆ることはない。
たとえ日々の暮らしがきつかろうとも。平原での暮らしを捨てることを余儀なくされた騎馬民族は、もう故郷へは戻れない。
まるで羊を売るかのように、子を売るしかない。
「私は、家族の一年分の食事の値段にはなったのでしょうか。それとも、たったの数か月ぶんでしょうか」
雲嵐の声は、かすかに震えていた。
ほかにも兄弟はいただろう。けれど、売られたのは雲嵐だった。
宦官として選ばれ、子としては選ばれなかった。
「しょうがないですね。兄は父の仕事を手伝っていましたし。姉は、水汲みや料理、洗濯に掃除を母と一緒にしていました。弟はとても小さくて。私を手放すのが、ちょうどよかったんですよ」
けれど、親の心が痛まないはずはない。
好悪の感情で、子を選別したのではない。
雲嵐が条件に合致しただけだ。
だからなのだろう。雲嵐は、両親のことを悪く言わない。
ただ、かばうことも擁護もしないのは、理解はしていても納得したくないからだ。
かつての異民族の生きづらさを雲嵐が知ったのは、きっと長じてからだろう。宦官になってからだろう。
「私は南の離宮に送られました。そこに住んでいらっしゃる貴人のお世話をするためです」
それが松麟美(ソンリンメイ)と、まだ幼い光柳だった。
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