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六章 出会い
8、手紙【1】
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「あなたは厳しく育てられたのね」
「はい?」
思わぬ皇后の言葉に、蘭淑妃は顔を上げた。てっきり罵倒されると思っていたのだ。
「でも、ここは後宮。豪奢な泥の世界よ」
皇后が、蘭淑妃に顔を寄せた。
「立ち続けなさい。折れてはだめよ。あなたなら、どんな汚泥の中でも清く咲くことができるでしょう」
蓮の花びらが一枚、葉の上にこぼれた。
蘭淑妃が皇后と親しくなった朝。そして麟美の詩を知った初めての朝だった。
皇后にとって蘭淑妃は、他の四夫人よりも近しく思えたのだろう。蘭淑妃の人柄に惹かれたのかもしれない。
実際のところ、皇后の真意は蘭淑妃には分からない。「わたくしをどうして気にかけてくださるのですか」とも問えないので、知りようもない。
それでも桃莉のことを、ご自身が可愛がっている甥の未来の嫁にと考えてくれた。
いずれ桃莉公主を手放すことになる蘭淑妃が、寂しがらないようにと。
◇◇◇
数日後。未央宮に手紙が届けられた。
施家からだという。
「ねぇねぇ。ツイリン。おてがみ、きたの」
折りたたまれた紙を手に、桃莉公主が走ってくる。
作業部屋で、宮灯に油を注していた翠鈴は、床に座ったまま顔をあげた。
「タオリィね。おてがみもらったの、はじめて」
桃莉は興奮気味で、ふだんよりも声が大きい。
もちろん、寿華宮で出会った施潔華からだろう。
「よんでー」
「いいですけど。お母さまにお見せしましたか? まずは蘭淑妃から、ですよ」
「お母さまには『みせて』っていわれたけど。『あとで』っていったよ。じゅんばんなの」
順番って。宮女が一番という順は、この世には存在しない。
とはいえ、桃莉公主も初めてできた友人のことを、母親にすべて知られることが恥ずかしいのかもしれない。
「うーん。困りましたね」
「ツイリンも、よむのむずかしい? タオリィといっしょに、おべんきょうする? タオリィね、ちょっとはもじ、かけるよ」
「読めますが。わたしが読んでいいものかどうか」
その時、扉の陰に人の気配がした。
翠鈴が視線を向けると、侍女頭の梅娜が立っていた。
「いいから、読んであげて」と、梅娜の唇が動く。
「読んだ後に、淑妃さまに教えて差しあげて」と、小さな声が届いた。
「桃莉さまに、手紙を見せてもらえなくて。淑妃さま、泣いておしまいになったのよ」
風が吹きこんで、梅娜の声が散らされたが。それでも、目もとを手で押さえるそぶりをしたので、なんとか意味は汲み取れた。
これは順番どころではない。桃莉公主は、手紙を母親に見せるつもりがないのだろう。
(桃莉さまは蘭淑妃に手紙の内容を話すのが、お恥ずかしいんだ)
母親に対して秘密ができるのを、成長だと喜んでいいのだろうか。翠鈴は公主とは親しいが、他人であるから。ちょうどよい距離感なのだろう。
とにかく責任重大だ。
「なんてかいてあるの?」
「そうですね。わたしの次に、淑妃さまに手紙を見せるとお約束してくだされば。読んでさしあげますよ」
「えーっ」
桃莉公主が頬をふくらませる。やはり、だ。
「お約束がないと、翠鈴の目は文字が読めなくなるのです」
「ずるーい、ツイリン」
「簡単ですよ。桃莉さまがお約束をして、それを守ってくださればいいだけなんですから」
確かにずるいよなぁ、と翠鈴は思った。
だが、さすがに四夫人を差し置いて、自分だけが公主の私的な事情を知るわけにはいかない。
「ああ、ほら。瞼が閉じてきました。早く約束なさってください」
「えぇー、まって。だめよ、おきて。ツイリン」
「ねむいです。桃莉さま。この哀れな翠鈴をお助けください」
もはや趣旨が代わっている。だが、まだ五歳の桃莉はそれに気づかない。必死に翠鈴の肩を揺すり、瞼に手を伸ばして開こうとする。
「わかった。お母さまにちゃんとみせるから」
ぱちっと翠鈴が目を開いた。
「では、読んでさしあげましょう」
「わぁい。よかったぁ。翠鈴の目が覚めて」
桃莉が、満面の笑みで翠鈴の首にしがみついてくる。
ちくりと翠鈴の良心が咎めた。
「はい?」
思わぬ皇后の言葉に、蘭淑妃は顔を上げた。てっきり罵倒されると思っていたのだ。
「でも、ここは後宮。豪奢な泥の世界よ」
皇后が、蘭淑妃に顔を寄せた。
「立ち続けなさい。折れてはだめよ。あなたなら、どんな汚泥の中でも清く咲くことができるでしょう」
蓮の花びらが一枚、葉の上にこぼれた。
蘭淑妃が皇后と親しくなった朝。そして麟美の詩を知った初めての朝だった。
皇后にとって蘭淑妃は、他の四夫人よりも近しく思えたのだろう。蘭淑妃の人柄に惹かれたのかもしれない。
実際のところ、皇后の真意は蘭淑妃には分からない。「わたくしをどうして気にかけてくださるのですか」とも問えないので、知りようもない。
それでも桃莉のことを、ご自身が可愛がっている甥の未来の嫁にと考えてくれた。
いずれ桃莉公主を手放すことになる蘭淑妃が、寂しがらないようにと。
◇◇◇
数日後。未央宮に手紙が届けられた。
施家からだという。
「ねぇねぇ。ツイリン。おてがみ、きたの」
折りたたまれた紙を手に、桃莉公主が走ってくる。
作業部屋で、宮灯に油を注していた翠鈴は、床に座ったまま顔をあげた。
「タオリィね。おてがみもらったの、はじめて」
桃莉は興奮気味で、ふだんよりも声が大きい。
もちろん、寿華宮で出会った施潔華からだろう。
「よんでー」
「いいですけど。お母さまにお見せしましたか? まずは蘭淑妃から、ですよ」
「お母さまには『みせて』っていわれたけど。『あとで』っていったよ。じゅんばんなの」
順番って。宮女が一番という順は、この世には存在しない。
とはいえ、桃莉公主も初めてできた友人のことを、母親にすべて知られることが恥ずかしいのかもしれない。
「うーん。困りましたね」
「ツイリンも、よむのむずかしい? タオリィといっしょに、おべんきょうする? タオリィね、ちょっとはもじ、かけるよ」
「読めますが。わたしが読んでいいものかどうか」
その時、扉の陰に人の気配がした。
翠鈴が視線を向けると、侍女頭の梅娜が立っていた。
「いいから、読んであげて」と、梅娜の唇が動く。
「読んだ後に、淑妃さまに教えて差しあげて」と、小さな声が届いた。
「桃莉さまに、手紙を見せてもらえなくて。淑妃さま、泣いておしまいになったのよ」
風が吹きこんで、梅娜の声が散らされたが。それでも、目もとを手で押さえるそぶりをしたので、なんとか意味は汲み取れた。
これは順番どころではない。桃莉公主は、手紙を母親に見せるつもりがないのだろう。
(桃莉さまは蘭淑妃に手紙の内容を話すのが、お恥ずかしいんだ)
母親に対して秘密ができるのを、成長だと喜んでいいのだろうか。翠鈴は公主とは親しいが、他人であるから。ちょうどよい距離感なのだろう。
とにかく責任重大だ。
「なんてかいてあるの?」
「そうですね。わたしの次に、淑妃さまに手紙を見せるとお約束してくだされば。読んでさしあげますよ」
「えーっ」
桃莉公主が頬をふくらませる。やはり、だ。
「お約束がないと、翠鈴の目は文字が読めなくなるのです」
「ずるーい、ツイリン」
「簡単ですよ。桃莉さまがお約束をして、それを守ってくださればいいだけなんですから」
確かにずるいよなぁ、と翠鈴は思った。
だが、さすがに四夫人を差し置いて、自分だけが公主の私的な事情を知るわけにはいかない。
「ああ、ほら。瞼が閉じてきました。早く約束なさってください」
「えぇー、まって。だめよ、おきて。ツイリン」
「ねむいです。桃莉さま。この哀れな翠鈴をお助けください」
もはや趣旨が代わっている。だが、まだ五歳の桃莉はそれに気づかない。必死に翠鈴の肩を揺すり、瞼に手を伸ばして開こうとする。
「わかった。お母さまにちゃんとみせるから」
ぱちっと翠鈴が目を開いた。
「では、読んでさしあげましょう」
「わぁい。よかったぁ。翠鈴の目が覚めて」
桃莉が、満面の笑みで翠鈴の首にしがみついてくる。
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