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八章 陽だまりの花園
13、無垢な問いかけ
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桃莉公主が、光柳を下敷きにするほんの少し前。
夕食をとり、未央宮に戻って来た翠鈴は、庭で遊んでいる桃莉を見つけた。
回廊の下げ灯籠には明かりが入っているので、庭も薄明かりではあるが。
どうやら桃莉は、綿毛になったたんぽぽを集めているらしい。
「綿毛を吹いて遊ぶんですか?」
「ううん。ジエホアおねえさまにおくるの」
見れば、左手に十本以上のたんぽぽを握っている。すべてが綿毛になっているので、白くてほわほわした球を持っているかのようだ。
「お届けするのは難しいと思いますよ」
「えぇー、そんなぁ」
巻いた手紙に添えることはできるが。潔華に届いた頃には、すべての綿毛が落ちてしまって、見るも情けない様子になるだろう。
「たんぽぽの花を、押し花にするのはどうでしょう」
「おしばな。おはなをおしたら、いたいよ」
桃莉は、自分の鼻を指さした。
門の外から話し声が聞こえた。子供は耳がいいのだろうか。桃莉は「あ、クアンリュウだ」と駆けだした。
(え? 桃莉さま。光柳さまと仲がよかったですか?)
というより、光柳の名を聞いて翠鈴はうろたえてしまった。
いけない。浮ついた気持ちは、休日だけにしないと。ここは未央宮、職場なのだから。
気持ちを引きしめて、桃莉の後を追う。
集めたたんぽぽが風に吹かれたのだろう。濃藍の宵闇へと、種が飛んでいく。
どうやら桃莉は光柳を倒さないといけないらしい。訳が分からないが、そういうものなのだろう。
だが、まさか皇帝が門の外にいるとは想像もしなかった。
(どういうこと? これは)
翠鈴は混乱して、立ちどまった。
地面に光柳が倒れているではないか。その背には、桃莉が座っているし。雲嵐が控えているが、光柳を助け起こすこともない。
それはともかくとして。皇帝とその護衛が、威圧感たっぷりに立っておられるのだ。
そしてその背後には、見覚えのある宦官。呉正鳴だ。
正鳴は、毒のある大芹で殺されそうになったが。愛する蔡昭媛が後宮を去っても、閨房渡りの記録係を続けているようだ。
翠鈴は左右の手を重ね、深く頭を下げて揖礼した。
たかが下女である自分が、陛下に口を利くなどあってはならない。直接、お姿を見てはならない。
観月の宴で、麟美として御前に出た時とは状況が違う。
麟美を演じた折の翠鈴は、顔を薄い紗の布で隠していた。だから、ばれることはない。そう思っていたのに。
「そなたの体つき、見たことがある」
(か、顔じゃなくて。体?)
皇帝に直に声をかけられて、翠鈴は固まってしまった。
「どこでだったか? ふむ。下女のなりをしているが。それは真の姿か?」
下女です。宮女です。ただの司燈です。
薬師はあくまでもお小遣い稼ぎで。身分を隠したり、欺いているわけではありません。
そう言えたらいいのに。相手は皇帝だ。直に訴えることもできない。
「彼女は司燈ですよ。陛下が興味を持つような妃嬪ではございません」
答えたのは光柳だった。立ちあがった光柳の後ろに、桃莉が隠れた。陛下は実の父親で、光柳は遠い親戚ではあるが、桃莉には血縁関係のことなど分からない。
「ところで桃莉。おてんばが過ぎるようだな」
「……ごめんなさい」
桃莉は、今にも消えそうな声で謝った。かわいそうに。両肩を落として、うなだれてしまっている。
「いや。叱っているわけではないのだが。護衛に跳ね飛ばされてしまったな、怪我はないか?」
皇帝の娘を案ずる言葉に、護衛は桃莉に何度も謝罪する。
「タオリィ、いい子じゃない?」
「うっ」
桃莉の無垢な問いかけに、皇帝、劉傑倫はひるんだ。
「タオリィ、わるい子?」
「う、ううっ」
潤んだ瞳で見あげられて、陛下は明らかにうろたえている。
「タオリィのこときらい?」
「き……きらってなど、おらぬ。むしろ……むしろ、何て言えばいいのだ?」
傑倫は光柳に視線で助けを求めた。
だが、光柳は見なかったことにした。
自分の言葉で、娘に愛情を伝えた方がいいに決まっているからだ。
「光柳、ひどいぞ。余を見捨てるのか」
相当、混乱しているらしい。傑倫の一人称が「朕」ではなくなった。
「娘に対して開口一番、お説教はいかがかと存じます」
いつまでも義兄から視線で訴えられるので。光柳は渋々答えた。
ただでさえ皇帝には威厳がある。相手を威圧するように教育されてきたのだから。
しかも後宮どころか、この宮城、はては新杷国においても陛下は最高位の身分であらせられる。
先帝や皇太后が存命のころは、違っただろうが。
皇帝の一言、あるいは雰囲気だけで周囲が望むように動いてしまう。
政に関して、諫言を受けれいることはあっても。私的な発言や行動を、わざわざ咎める者などいない。
(まぁ、皇后陛下は違うかもしれないが。主上に先んじて、ご自分の娘でもない桃莉公主の嫁入り先を決めるほど豪胆なのだから)
桃莉の他にも皇帝には娘がいるが。どの子も懐いてはいないだろう。
夕食をとり、未央宮に戻って来た翠鈴は、庭で遊んでいる桃莉を見つけた。
回廊の下げ灯籠には明かりが入っているので、庭も薄明かりではあるが。
どうやら桃莉は、綿毛になったたんぽぽを集めているらしい。
「綿毛を吹いて遊ぶんですか?」
「ううん。ジエホアおねえさまにおくるの」
見れば、左手に十本以上のたんぽぽを握っている。すべてが綿毛になっているので、白くてほわほわした球を持っているかのようだ。
「お届けするのは難しいと思いますよ」
「えぇー、そんなぁ」
巻いた手紙に添えることはできるが。潔華に届いた頃には、すべての綿毛が落ちてしまって、見るも情けない様子になるだろう。
「たんぽぽの花を、押し花にするのはどうでしょう」
「おしばな。おはなをおしたら、いたいよ」
桃莉は、自分の鼻を指さした。
門の外から話し声が聞こえた。子供は耳がいいのだろうか。桃莉は「あ、クアンリュウだ」と駆けだした。
(え? 桃莉さま。光柳さまと仲がよかったですか?)
というより、光柳の名を聞いて翠鈴はうろたえてしまった。
いけない。浮ついた気持ちは、休日だけにしないと。ここは未央宮、職場なのだから。
気持ちを引きしめて、桃莉の後を追う。
集めたたんぽぽが風に吹かれたのだろう。濃藍の宵闇へと、種が飛んでいく。
どうやら桃莉は光柳を倒さないといけないらしい。訳が分からないが、そういうものなのだろう。
だが、まさか皇帝が門の外にいるとは想像もしなかった。
(どういうこと? これは)
翠鈴は混乱して、立ちどまった。
地面に光柳が倒れているではないか。その背には、桃莉が座っているし。雲嵐が控えているが、光柳を助け起こすこともない。
それはともかくとして。皇帝とその護衛が、威圧感たっぷりに立っておられるのだ。
そしてその背後には、見覚えのある宦官。呉正鳴だ。
正鳴は、毒のある大芹で殺されそうになったが。愛する蔡昭媛が後宮を去っても、閨房渡りの記録係を続けているようだ。
翠鈴は左右の手を重ね、深く頭を下げて揖礼した。
たかが下女である自分が、陛下に口を利くなどあってはならない。直接、お姿を見てはならない。
観月の宴で、麟美として御前に出た時とは状況が違う。
麟美を演じた折の翠鈴は、顔を薄い紗の布で隠していた。だから、ばれることはない。そう思っていたのに。
「そなたの体つき、見たことがある」
(か、顔じゃなくて。体?)
皇帝に直に声をかけられて、翠鈴は固まってしまった。
「どこでだったか? ふむ。下女のなりをしているが。それは真の姿か?」
下女です。宮女です。ただの司燈です。
薬師はあくまでもお小遣い稼ぎで。身分を隠したり、欺いているわけではありません。
そう言えたらいいのに。相手は皇帝だ。直に訴えることもできない。
「彼女は司燈ですよ。陛下が興味を持つような妃嬪ではございません」
答えたのは光柳だった。立ちあがった光柳の後ろに、桃莉が隠れた。陛下は実の父親で、光柳は遠い親戚ではあるが、桃莉には血縁関係のことなど分からない。
「ところで桃莉。おてんばが過ぎるようだな」
「……ごめんなさい」
桃莉は、今にも消えそうな声で謝った。かわいそうに。両肩を落として、うなだれてしまっている。
「いや。叱っているわけではないのだが。護衛に跳ね飛ばされてしまったな、怪我はないか?」
皇帝の娘を案ずる言葉に、護衛は桃莉に何度も謝罪する。
「タオリィ、いい子じゃない?」
「うっ」
桃莉の無垢な問いかけに、皇帝、劉傑倫はひるんだ。
「タオリィ、わるい子?」
「う、ううっ」
潤んだ瞳で見あげられて、陛下は明らかにうろたえている。
「タオリィのこときらい?」
「き……きらってなど、おらぬ。むしろ……むしろ、何て言えばいいのだ?」
傑倫は光柳に視線で助けを求めた。
だが、光柳は見なかったことにした。
自分の言葉で、娘に愛情を伝えた方がいいに決まっているからだ。
「光柳、ひどいぞ。余を見捨てるのか」
相当、混乱しているらしい。傑倫の一人称が「朕」ではなくなった。
「娘に対して開口一番、お説教はいかがかと存じます」
いつまでも義兄から視線で訴えられるので。光柳は渋々答えた。
ただでさえ皇帝には威厳がある。相手を威圧するように教育されてきたのだから。
しかも後宮どころか、この宮城、はては新杷国においても陛下は最高位の身分であらせられる。
先帝や皇太后が存命のころは、違っただろうが。
皇帝の一言、あるいは雰囲気だけで周囲が望むように動いてしまう。
政に関して、諫言を受けれいることはあっても。私的な発言や行動を、わざわざ咎める者などいない。
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