後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
162 / 171
十一章 蓖麻子《ひまし》

11、うずら豆

しおりを挟む
 すぐに医者と二人の医官が来てくれた。医官の中には胡玲フーリンがいる。翠鈴と同郷で幼なじみであり、翠鈴が年を偽っていることを知っている。

「担架を持ってきました。医局まで運びますね」

 竹と毛布でできた担架を胡玲は地面に置いた。初老の医者は、横たわる鳩児から事情を聞いている。
 受け答えが明瞭なので、鳩児の貧血は少し治まっているようだ。

「陸翠鈴、君がいてくれて助かった。判断が速いな」
「恐れ入ります。でも当然のことをしたまでです」

 翠鈴は、鳩児ジウアーの脈を測っている医者に頭を下げた。
 頭を下げて、足を上げる。着衣を緩める。水分を取らせる。嘔吐に気をつける。どれも当たり前の対処だ。
「何を言ってるんだ」と、医者は呆れたような声を出した。声の大きさに鳩児の指がぴくりと動く。

「君にとっては普通のことかもしれんが。君が率先して動き、指示を出してくれたから、すぐに皆が動くことができたんだ」
「そ、そうですよ。私達じゃ何もできなかったもの。倒れている人を助けてあげたいって思っても、どうすれば正しいのか分からなくて」
「女炎……えっと翠鈴さんが教えてくれなかったら、ずっと『大丈夫?』って声をかけるだけだったわ」

 医者の言葉に、女官や宮女が賛同する。
 呆気にとられる翠鈴の隣に、胡玲がやってきた。

「おしゃべりしている暇はないので、もう行きますね。でも、翠鈴姐ツイリンジェはこの後宮に必要な人なんですよ」

 さらに翠鈴に近寄った胡玲は、耳もとに口を寄せた。

「今後、ここから出ていく日が来ても、たまには医局に顔を見せてくださいね。いえ、しょっちゅう訪れてくれないと困ります。でないと私が寂しいですから」

 胡玲は子供のようににっこりと微笑んだ。同僚の医官たちは、そんなあどけない表情の胡玲を見たことがなかったのだろう。驚いたように瞠目している。

 鳩児の状態に緊急性はないと判断したのだろ。医官たちは普段通りにしゃべっている。
 担架に乗せられた鳩児を運んでくれたのは、居合わせた宦官だった。
 鳩児が運ばれていくのを見送った女性たちは、それぞれの仕事場へと向かった。

「由由。わたしがむしろを返してくるわ」
「えー、食堂なら一緒に行こうよ」

 他の女官や宮女たちと違い、司燈は早朝の仕事を終えている。翠鈴と由由のふたりで、筵と鳩児に水を飲ませた碗を返しにいった。

「やっぱり翠鈴は頼りになるわ」
「いや、もういいから。普通のことをしただけだから」

 あまりにも褒めらえると、反応に困ってしまう。土の匂いのする筵に、思わず顔を埋めそうになったほどだ。

 食堂で筵を返却しながら礼を告げた翠鈴は、厨房にいる女官に声をかけた。確認したいことがあったのだ。
「うずら豆を料理として出す予定はありますか?」と。

 朝食後の洗い物の水音が聞こえる調理から、責任者である女官が出てきた。
 食堂も朝食を提供する忙しい時間は終わったが、片づけがあるので長居はできない。

「うずら豆?」
「甘い八宝粥パーパオツォウに、うずら豆を用いますよね」

 翠鈴は問うた。小豆や三角豆、花生ピーナッツ蓮子はすのみなど八種の豆で作った甘い八宝粥にはうずら豆も用いられる。陳皮で香りがつけられ、祝いの席では白玉が入る。

 豆は乾燥しているので、戻すのに時間がかかるから。宮女たちが利用する食堂で、八宝粥を作るなど現実的ではないが。

「あー、八宝粥には使うね。でも、うずら豆は仕入れてないわ」

 女官に礼を告げて、翠鈴は食堂を出た。

「どうしたの? なんで豆のことを訊いたの?」

 由由が翠鈴の後を追う。手の中のうずら豆を、翠鈴は握りしめた。
 五、六粒の豆なのに。その硬さの中に鳩児は何を閉じこめているのだろう、と翠鈴は訝しんだ。

 ◇◇◇

 後日。体調の戻った鳩児が翠鈴の部屋を訪れた。
 顔色はよくなっているが、やはり元々痩せているからだろう。どうにも「元気」という風には見えない。

 まだ消灯までには時間がある。廊下からは宮女たちの話す声が、水面に起こるさざ波のように聞こえてきた。

 部屋の中にも入らず、礼を告げて立ち去ろうとする鳩児を、翠鈴は呼びとめた。
 鳩児の持つ油灯ようとうの明かりに、細い影が廊下の壁に伸びる。

「預かっていた物を返すわ。ちょっと待って」

 預かるも何も、翠鈴が勝手に拾っただけなのだが。あんなにも握りしめていたのだから、きっと大事なうずら豆なのだろう。
 落ちていた五粒の豆は、布に包んである。
 受け取った鳩児は翠鈴の顔を見上げて、おどおどしながら包みを開いた。

「ひっ」

 か細い悲鳴を鳩児は上げた。寝台に座っていた由由が、驚いた様子で立ちあがる。
 ばしんっ。開いた扉に叩きつけられたうずら豆が、床に落ちていった。

 なるほど、やっぱりね。翠鈴は目を細めた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。