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三章

14、一人で帰りたい

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 数日後、勤務を終えた私は宿舎に向かおうとして、ふと何も買い置きがないことに気づいた。
 このままでは夕食を食べ損ねてしまう。明日の朝食もない。

 仕方ないな、夕市に立ち寄って食料を仕入れてくるか。
 宿舎への道を曲がらずにいる私を訝しんで、エーミルが顔を見上げてくる。
 さらりとした銀の髪が、夕日のせいで黄金色に輝いて見える。

 そう、退勤時間が同じ日は途中まで一緒に帰るのが習慣になってしまった。
 もっともエーミルは自宅から、私は王宮内の宿舎なので、門につく前に別れるのだが。

「叔父さま、宿舎に戻らないんですか?」
「買い物に行く」
「じゃあ、ぼくも叔父さまと一緒に行こうっと」

 弾んだ声だけではなく、エーミルは足取りまで弾んでいた。

 なんでだよ。お前、一人暮らしじゃないし、使用人が何でも用意してくれるだろ? と思ったが、思うところがあるのかもしれないと、考え直した。

 きっとまっすぐに屋敷に帰ると、父親に仕事のことを質問攻めにあうのだろう。
 しかもバート殿下はお小さいから、宮殿からお出にならない限りは護衛というほどの任務もない。
 時間をかけて信頼関係を築き、ほんの些細で微妙な変化からも、殿下の異変を察することが必要になる。
 その為にも常日頃から私は姫さまに、エーミルはバート殿下のお傍に控えるのだ。

 エーミルの父は、私の兄だが。性格的に「王子と蝶を追いかけた? そうか、若輩者だからまともな仕事をさせてもらえないのだな」などと真顔でエーミルに告げるのが容易に想像できる。
 初出勤からあるていど日も経っているが。親の心配が、逆に鬱陶しい時期かもしれないな。

「夕食は何にするんですか?」
「決めてはいないが。簡単に済ませようかと」
「えー、ぼくお腹が空いたから、ちゃんと食べたいです」

 なんで? やっぱり家に帰れよ、お前。
 呆れた表情を浮かべてしまっていたのだろう。エーミルは「だって、いろいろあるじゃないですか」と口を尖らせた。
 少年はいいね、拗ねた顔が似合うから。おじさんがそんな顔をしたら奇妙すぎて気味が悪いんだぞ。

「やっぱり、マルティナさまに叔父さまが求婚なさるなんて一大事じゃないですか」
「げほっ」
「あ、大丈夫です。父さんには内緒にしておきます。そもそも言ってませんし。相手は王女さまですからね、やはり陛下や王太子殿下のお許しがないといけません」

 すまん。もうお許しはいただいているんだ。
 いかん、動悸がしてきたぞ。今日は辺りに人がいないから、ここぞとばかりに突っ込んでくるなぁ。

「ぼくね、嬉しいんですよ。叔父さまのことが大好きですから。あまり家には寄ってくれませんが」

 エーミルは夕空を見上げて語りだす。
 茜色に染まる雲を眩しそうに眺めながら。

 やめてくれ。おじさん、本当に恥ずかしいんだぞ。

「叔父さまが話してくださる王太子殿下や妃殿下、それにマルティナさまのことは、子どもの頃からわくわくして聞いていました。だからかな、年齢の近いマルティナさまのことを一方的に親しく思えて。きっと叔父さまが、王族の方々ととても近しくて信頼されているから、親近感を覚えるんでしょうね」

「……もうそれくらいにしてくれ」

 我が甥っ子は無邪気だからこそ、容赦がない。
 悪い子じゃないんだ、それはよく分かっている。だがな、秘めたいこともあるだろう? お前にはまだ難しいかな?

「マルティナさまは、パーティで何度か拝見したことがあります。叔父さまが姫さまの背後に控えている時の彼女は、とても柔らかな表情で。叔父さまが席を外すと、気弱そうに叔父様を目で探していらっしゃるんですよ。ご存知でしたか? その表情が、とても寂しそうなのに愛らしいんです」

 ご存じありません。
 私が不在の時の姫さまの表情を、どうして私が知ることができるんだ。

「あのな……一つ訊きたいんだが。どうして兄さんのことは『父さん』で私のことは『叔父さま』なんだ?」
「え? ぼく、父さんと叔父さまで呼び方を変えてましたか? あ、ほんとだ」

 困ったようにエーミルは微笑んだ。
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