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一章

36、甘えられて【3】

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 どうすればいいんだ。
 俺は片手に籠を担ぎ、片手でレナーテの手首を握りしめつつ盛大に混乱していた。

――えー? 副団長、女と付き合ったことないんですかぁ? 騎士は恋ですよ、ロマンスです。騎士道にもとりますねぇ。
――そうそう。主の若いお嫁さんと、道を外れた恋愛に突き進むのは、本当に騎士のロマンですよねぇ。

 いかん。若い奴らの言うことは当てにならん。
 俺は空を仰いだ。そこに答えが書いてある訳でもないのに。

 上空では風がないのか、青すぎる空にぽっかりと綿のような雲が浮かんでいる。
 ふとレナーテの手から力が抜けた。

「……ごめんなさい」
「そう、それ。ごめんな。俺は……え?」

 レナーテの謝罪の言葉は、吹く風に散らされそうなほどに幽かだった。
 というか、なぜ俺は謝られているんだ? 彼女の小さな願いを無下に断ったのは俺なのに。

 籠を砂浜に落とし、両手で彼女の肩を掴む。そして、俺の方を振り向かせた。強制的に。
 こちらを向いたレナーテはうつむいて、表情がちゃんと見えない。
 薄紅の愛らしい唇は、硬く引き結ばれ。伏せた睫毛が微かに震えている。

「我儘を言って、ごめんなさい。エルヴィンさまがお優しいから、わたし……増長していました」
「増長って、え? 俺に林檎を食わせることが?」

 こくこく、とレナーテは小さく頷く。

「エルヴィンさまに無理強いをしようとしたことが、恥ずかしいの」
「いや、そんな。人目が無ければむしろ嬉しいくらいで……その」

 あぁ、なんと言えばうまく伝わるんだ。
 レナーテ、君といちゃいちゃしたいんだ。だが、人通りのある場所でそれはできないし。今、家に戻っても使用人が働いているし。

 あ、人目がなければいいのでは?
 俺は閃いた。

「帰ろう、レナーテ」
「え? でもお散歩は?」
「いつでも出来る」

 俺は籠とレナーテをそれぞれ左右の腕で抱え上げ、さっき降りたばかりの階段を上がっていった。

 気持ちには鮮度があるんだ。俺の気持ちは強いから、鮮度が長持ちするが。レナーテは俺ほど強烈な情熱ではないだろうから。時間が経てば「もういいんですよ。気になさらないで」などと言いかねない。

 断じてそれはいかん。

◇◇◇

 あの、何がどうなっているのでしょう。
 わたしは頭が混乱して。ただ振り落とされないように、エルヴィンさまの頭にしがみついていました。
 片腕で抱き上げられているものですから。エルヴィンさまの腕は、わたしの太腿の裏に入っていて、背中は支えられていないのです。

 状況が理解できずに瞬きを繰り返している間に、エルヴィンさまは浜辺から湖畔の遊歩道へと上がってしまわれました。

 優美な白鷺が、嘴に細い魚をくわえながら「あら、もう帰るんですか?」とでも言いたげに、こちらを眺めています。
 帰るつもりなんてないんですけど。
 まだろくに歩いてもいないんですけど。歩かせてもらえないんですけど。

 最近、同じようなことがありました。あれは騎士団の詰所からでした。
 エルヴィンさま。何をお考えなのかしら。
 
 遊歩道に上がると散策している人がいるので、エルヴィンさまに抱き上げられて彼の頭にしがみついているわたしは、じろじろと見られます。注目の的です。

 あの、林檎を食べさせるとかよりも、こちらの方がよほど恥ずかしいんですけど。
 
 見ないで。わたし、もう大人なんです。こんな子どもみたいに運ばれて、恥ずかしい。
 わたしはエルヴィンさまの頭に両腕をまわして、お日さまの匂いのする少し硬い髪に顔を埋めました。
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