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シャロン 7 沈鬱な夜会 2
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夜会当日までの期間、殿下は一度も顔を出してはくれなかった。
サボった分の仕事が忙しいのだと兄たちは口にしたけれど、どうもそれだけではなさそうだ。
一応、書類上は夫婦。けれどもそれだけだ。
シャロンは憂鬱な気分でリオが届けに来たドレスに袖を通す。
袖がないので腕が完全に露出されてしまう点が気になったが、他に肌は出さない。ただぴったりと体に沿うので胸の形が強調されているようで恥ずかしかった。
「もう少し、なんとかなからなかったのですか?」
「シャロン様がしっかりと確認しなかったのでしょう? 任せたのであれば文句は言わないでください」
ぴしゃりと冷たいリオの声に反論などできない。
そして、夜会の場に出るのだからと、メイドではなくリオが化粧をすることになった。
昨今のデザイナーは化粧まで出来なくてはいけないのかと驚きつつ、その手際の良さに感動する。
普段メイドが施してくれる化粧はシャロンの素材をそのまま活かすような物が多い。華美ではなく、ややアレクシスと似た目元を強調するような仕上がりになる。
けれどもリオの化粧は違った。
華やかな彩りがあることは間違いない。それに加え、柔らかさがあるのだ。シャロンの目がここまで柔和な印象に変化するなどと考えたこともなかった。
「まあ……これが私?」
いつもとあまりに違いすぎて、思わず鏡を見つめてしまう。
「シャロン様は父親似ですね。目元がカラミティー一族そのものですのでやや鋭さを感じる方もいるでしょう。そこをそのまま化粧をすればきつい印象を与えてしまいます。本人の性格と合いません」
軽く貶されているような気がするが、仕上がりに満足したので特に反応はしないことにする。
それよりも気がかりなのは殿下の反応だ。
彼はこんなシャロンを見て、どんな反応をしてくれるだろう。そう考えただけで緊張してしまう。
「私、殿下の隣に立っても……恥ずかしくありませんか?」
「この私が仕上げたのだから当然です」
リオは愚かなことを訊ねるなとでも言うような視線を向ける。
けれどもシャロンは全く落ち着かなかった。
普段であれば夜会当日は随分と早い時間に殿下自ら迎えに来てしまうと言うのに、今日はジェフリーと来いと命じられている。
一体どうなっているのだろう。
殿下は絶対に兄たちを同伴者にしたがらなかったというのに。
そう短くはない期間彼に会えなかったせいだろう。急激に不安が増幅してしまう。
「シャロン、準備できた?」
のんびりとしたジェフリーの声が響く。
本当に、兄が同伴する。そう実感すると落ち着かない。
胸の奥がざわついてしまっている。
「……はい」
「あ、今日はなんだか可愛らしい雰囲気だね」
似合っているよと褒めてくれる彼は、軍の服ではなく礼服を身に纏っている。本来であれば軍に所属しているのだから軍の礼装をするべきなのに、今日はシャロンに合わせてくれたのだろうか。
「お兄様がきちんと礼装をしていると不思議な気分になりますね」
「うーん、実はもうタイを外したいところ。礼服って窮屈でイヤだよね」
勲章で重くならない分軍服よりもマシかなと口にするけれど、本来であれば礼服を身に纏ったときは勲章も身に着けなくてはいけないはずだ。
「ジェフリー様、妹に恥をかかせるおつもりですか?」
呆れたようなリオの声に、ジェフリーは笑う。
「今日は軍と関係ない個人的な参加だから勲章つけなくてもいいって殿下が言ってくれたんだ。軍服やだー、軍服着なきゃいけないなら兄さんに代わってもらうーって言ったら折れてくれたよ」
そんな理由で同伴を断られそうになったシャロンの立場は本当に低すぎる。
情けない気分になったところでそっと頬に触れられた。
「冗談だよ。まあ、礼服がイヤだって言ったのは本当だけど。今日の僕は兄さんを止める役目だから」
「え?」
「……うん。今度はいくら損害賠償請求されるか……」
ジェフリーは遠い目になっている。
夜会に参加するだけのはずなのに、一体どうなっているのだろう。
そもそも、シャロンは本当に参加していいのだろうかと不安になってしまう。
「……私……晒し者になるのでは……」
すっかりと忘れてしまいそうになっていたが、前回の夜会で重罪人扱いされている。見世物になってしまうのではないだろうか。
そう、考えると僅かに足が震えた。
「……見世物、にはなると思うよ? でも、シャロンは殿下の……慣れておかないと、ね?」
奥さん、と言おうとして暈かしたジェフリーにシャロンはくすぐったい気分になった。
奥さん。庶民的な響き。けれども嫌な気分ではない。
なんとなく胸の奥が熱くなる。
たったそれだけの言葉が、少なくともあの紙きれに署名した事実だけは存在するのだと思わせてくれる。
「ほら、急がないと。殿下、本当は着飾ったシャロンを見たくてうずうずしてるんだから」
ゆっくり、手を引かれる。
扉の枠に頭をぶつけてしまうほど背が高い彼は歩幅も大きい。けれどもシャロンに合わせてゆったりと歩いてくれる。
馬車までの道のり、自然と早足になった。
ようやく会える。
そう思うと胸が弾む。
「このお化粧、殿下のお好みだといいのですが……」
「んー? あの人、シャロンならなんでもいいと思うよ?」
気遣いの方向性が迷子な兄の言葉に少し傷つく。
けれども車輪の音に逸る気持ちが些細な傷を癒やしてくれるようだった。
サボった分の仕事が忙しいのだと兄たちは口にしたけれど、どうもそれだけではなさそうだ。
一応、書類上は夫婦。けれどもそれだけだ。
シャロンは憂鬱な気分でリオが届けに来たドレスに袖を通す。
袖がないので腕が完全に露出されてしまう点が気になったが、他に肌は出さない。ただぴったりと体に沿うので胸の形が強調されているようで恥ずかしかった。
「もう少し、なんとかなからなかったのですか?」
「シャロン様がしっかりと確認しなかったのでしょう? 任せたのであれば文句は言わないでください」
ぴしゃりと冷たいリオの声に反論などできない。
そして、夜会の場に出るのだからと、メイドではなくリオが化粧をすることになった。
昨今のデザイナーは化粧まで出来なくてはいけないのかと驚きつつ、その手際の良さに感動する。
普段メイドが施してくれる化粧はシャロンの素材をそのまま活かすような物が多い。華美ではなく、ややアレクシスと似た目元を強調するような仕上がりになる。
けれどもリオの化粧は違った。
華やかな彩りがあることは間違いない。それに加え、柔らかさがあるのだ。シャロンの目がここまで柔和な印象に変化するなどと考えたこともなかった。
「まあ……これが私?」
いつもとあまりに違いすぎて、思わず鏡を見つめてしまう。
「シャロン様は父親似ですね。目元がカラミティー一族そのものですのでやや鋭さを感じる方もいるでしょう。そこをそのまま化粧をすればきつい印象を与えてしまいます。本人の性格と合いません」
軽く貶されているような気がするが、仕上がりに満足したので特に反応はしないことにする。
それよりも気がかりなのは殿下の反応だ。
彼はこんなシャロンを見て、どんな反応をしてくれるだろう。そう考えただけで緊張してしまう。
「私、殿下の隣に立っても……恥ずかしくありませんか?」
「この私が仕上げたのだから当然です」
リオは愚かなことを訊ねるなとでも言うような視線を向ける。
けれどもシャロンは全く落ち着かなかった。
普段であれば夜会当日は随分と早い時間に殿下自ら迎えに来てしまうと言うのに、今日はジェフリーと来いと命じられている。
一体どうなっているのだろう。
殿下は絶対に兄たちを同伴者にしたがらなかったというのに。
そう短くはない期間彼に会えなかったせいだろう。急激に不安が増幅してしまう。
「シャロン、準備できた?」
のんびりとしたジェフリーの声が響く。
本当に、兄が同伴する。そう実感すると落ち着かない。
胸の奥がざわついてしまっている。
「……はい」
「あ、今日はなんだか可愛らしい雰囲気だね」
似合っているよと褒めてくれる彼は、軍の服ではなく礼服を身に纏っている。本来であれば軍に所属しているのだから軍の礼装をするべきなのに、今日はシャロンに合わせてくれたのだろうか。
「お兄様がきちんと礼装をしていると不思議な気分になりますね」
「うーん、実はもうタイを外したいところ。礼服って窮屈でイヤだよね」
勲章で重くならない分軍服よりもマシかなと口にするけれど、本来であれば礼服を身に纏ったときは勲章も身に着けなくてはいけないはずだ。
「ジェフリー様、妹に恥をかかせるおつもりですか?」
呆れたようなリオの声に、ジェフリーは笑う。
「今日は軍と関係ない個人的な参加だから勲章つけなくてもいいって殿下が言ってくれたんだ。軍服やだー、軍服着なきゃいけないなら兄さんに代わってもらうーって言ったら折れてくれたよ」
そんな理由で同伴を断られそうになったシャロンの立場は本当に低すぎる。
情けない気分になったところでそっと頬に触れられた。
「冗談だよ。まあ、礼服がイヤだって言ったのは本当だけど。今日の僕は兄さんを止める役目だから」
「え?」
「……うん。今度はいくら損害賠償請求されるか……」
ジェフリーは遠い目になっている。
夜会に参加するだけのはずなのに、一体どうなっているのだろう。
そもそも、シャロンは本当に参加していいのだろうかと不安になってしまう。
「……私……晒し者になるのでは……」
すっかりと忘れてしまいそうになっていたが、前回の夜会で重罪人扱いされている。見世物になってしまうのではないだろうか。
そう、考えると僅かに足が震えた。
「……見世物、にはなると思うよ? でも、シャロンは殿下の……慣れておかないと、ね?」
奥さん、と言おうとして暈かしたジェフリーにシャロンはくすぐったい気分になった。
奥さん。庶民的な響き。けれども嫌な気分ではない。
なんとなく胸の奥が熱くなる。
たったそれだけの言葉が、少なくともあの紙きれに署名した事実だけは存在するのだと思わせてくれる。
「ほら、急がないと。殿下、本当は着飾ったシャロンを見たくてうずうずしてるんだから」
ゆっくり、手を引かれる。
扉の枠に頭をぶつけてしまうほど背が高い彼は歩幅も大きい。けれどもシャロンに合わせてゆったりと歩いてくれる。
馬車までの道のり、自然と早足になった。
ようやく会える。
そう思うと胸が弾む。
「このお化粧、殿下のお好みだといいのですが……」
「んー? あの人、シャロンならなんでもいいと思うよ?」
気遣いの方向性が迷子な兄の言葉に少し傷つく。
けれども車輪の音に逸る気持ちが些細な傷を癒やしてくれるようだった。
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