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第二章

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「じゃあ、少しだけ我慢しててね」

 そう言うが早いか、レーヴェン殿下は私の手の甲に────口付けた。
ハッと息を呑む周囲の人々を他所に、魔力を注ぎ込む。
やがて適量に達したのか魔力の流れを止めると、軽くリップ音を立てて手から離れた。
その瞬間、兄とリエート卿が物凄い速さで私を掻っ攫っていく。

「な、何をなさるんですか!?魔力注入はキスしなくても、出来るでしょう!?」

「そうですよ!いきなり、手の甲にチューなんてマナー違反です!」

 レーヴェン殿下にキスされた方の手を掴み、リエート卿は抗議した。
かと思えば、制服の袖でゴシゴシと手の甲を拭う。
『後でしっかり洗わねぇーと』と焦る彼を前に、兄は

「いや、デビュタントで同じことをやったお前が言うな!」

 と、怒鳴りつけた。
『お前も同罪だ!』と目をつり上げる兄は、リエート卿を蹴り飛ばす。
そして、私を抱き込んだ。

「とにかく、リディアに寄るな!触れるな!話し掛けるな!」

「お、お兄様……お二人とも悪気はないんですし、そこまで怒らなくても……」

「ダメだ!こいつらは甘やかしたら甘やかした分だけ、付け上がる!」

 疑問形ですらない物言いで、兄は二人の本質を決めつけた。
『いいか?あいつらはケダモノだ!』と力説する彼の傍で、リエート卿とレーヴェン殿下は視線を逸らす。
あまりにも酷い言われように傷ついているのか、それとも図星なのか……二人とも、反論はしなかった。

 まあ、今のお兄様には何を言っても火に油だものね。
黙って聞き流すのが、一番かもしれないわ。

 などと考えていると────ルーシーさんが、パンッと手を叩いた。

「その話は後にしてもらえますか?時間、ないんですけど」

 クイクイッと親指で掛け時計を示し、ルーシーさんは『今、何時か分かる?』と尋ねる。
とても、とても優しい声色で……。
表情だって一応笑顔だが、目は全くと言っていいほど笑ってなかった。
『あっ……これはかなり怒っている』と感じ取り誰もが口を噤む中、ルーシーさんは少しだけ……本当に少しだけ雰囲気を和らげる。

「ご理解頂けたようで、何よりです。では、時間もないので手短に話しますね」

 『時間』という単語を強調して言いつつ、ルーシーさんは一歩前へ出た。

「レーヴェン殿下の役割は、先程話した通りです。リエート様とニクス様は基本待機でお願いします。また、私は出来るだけリディアと一緒に過ごし、隙を作るよう努めます。リディアはひたすら、ターゲットからの接触を待ってちょうだい」

 怪しまれる可能性を危惧しているのか、ルーシーさんは『こっちから接触しないように』と言い聞かせる。
あくまで、それは最終手段にしたいのだろう。

「その後のことは状況を見ながら、各々判断してください。もちろん、作戦を立てることが出来るならそれに越したことはありませんが……場合によっては、突発的に事を進めなければなりません。いつでも、動ける準備だけしておいてください」

 一瞬たりとも気を抜かぬよう注意し、ルーシーさんはこちらに目を向けた。
恐らく、『一番気を張っていないといけないのはリディアだ』と言いたいのだろう。
どことなく不安そうな眼差しを前に、私は笑って頷く。
『心配いらないよ』と示すように。

 きっと、ルーシーさんは罪悪感のようなものを抱いているんだわ。
囮作戦を言い出したのは、彼女だから。
と言っても、囮役は当初自分でやる予定だったみたいだけど。
それに反対したのは、私。
だって、野外研修の件で少なからず怖い思いをしたルーシーさんに『また攫われろ』なんて……そんなのこくすぎるもの。

 『それに一度やってみたかったの、こういうやつ』と笑い、私はちょっとワクワクする。
だって、スパイミッションみたいで面白そうだから。
もちろん、命の懸かっていることなのでおふざけ気分でやるつもりはないが。
『でも、興奮するのは仕方ないよね』と思いつつ、私はギュッと手を握った。

「わたくし、完璧に囮役を演じてみせます。なので、皆さんあとは任せました」

 と、意気込んだのはいいものの────まさかこういう展開になると思わず、固まってしまう。
だって、今私の目の前に土下座しているターゲットが居るから。
個室に居るとはいえ、かなり思い切った対応である。
絨毯に頭を擦り付けるターゲットの前で、私は額を押さえた。

 作戦開始三日目にして、食いついてきてくれたのは凄く嬉しい。正直、助かるわ。
でも、こうくるとは思ってなかった。
ここへ連れてこられた当初は『睡眠薬を飲まされるかも』とか、『いきなり、頭を鈍器で殴られるかも』とか思っていたから。

 『接触数分で色々おかしくなってきた……』と苦悩し、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
一瞬、部屋に仕掛けでもあるのかと疑うが……至って普通の応接室である。
『ターゲットからも特に悪意は感じないし……』と戸惑う中、相手は

「お願いします、リディア嬢!────アガレス様の生贄になってください!」

 と、懇願してきた。
まさかの直球で要求を伝えてくるターゲットに、私は硬直。
ひたすら、目を白黒させた。

 えっ?そんなにハッキリ言ってしまって、いいの?
もっと、こう……スマートに?悪役っぽく?やるべきでは?

 交渉や脅迫を予想していた私は、オロオロと視線をさまよわせる。
────と、ここでターゲットはガンガンと床に頭を打ち付け始めた。

「お願いします!生贄を差し出さないと、私の命が……」

「わ、分かりました!分かりましたから!一旦落ち着いてください────学園長・・・!」

 耐え切れず声を掛ける私に、ターゲット改めジャスパー・ロニー・アントス学園長は顔を上げた。
エメラルドの瞳にこれでもかというほど涙を溜めている彼は、とてもじゃないが魔王の協力者・・・に見えない。
ただ、あの態度や口ぶりからして四天王アガレスを保護・強化しているのは間違いなく彼だろう。

 魔王に脅されて、やっているのかしら?
ルーシーさん曰く、超進化はされていないみたいだから。
本当にただ第三者として、協力しているだけ。
まあ、生徒を生贄にしようとしているのはいただけないけど。

 『ゲームのシナリオでは、本当に一人犠牲になっているし……』と嘆息し、眉尻を下げる。
どう対応しようか迷う私の前で、学園長は先程の発言を了承と捉えたのかパッと表情を明るくした。

「い、生贄になって頂けるんですか……!?」

「えっ?それは、あの……」

 期待の籠った眼差しを向けられ、私は言葉に詰まる。

 囮役としては、『はい』と答えるのが無難なんだろうけど……あっさり了承して、信じてもらえるだろうか?
逆に怪しまれるのでは?
少なくとも、普通は嫌がる……わよね?

 完全に想定外の事態ということもあり、混乱する私は正解が分からなくなった。
ああでもないこうでもないと頭を悩ませながら、目を白黒させる。

「えっと……そうですね、まずはシテンノーアガレス様?について教えてください。どなたかも分からないのに、『生贄になる』という決断は出来ませんから。出来れば、先にお会い出来るといいのですが……」

 『紹介してほしい』と申し出る私に、学園長はスッと目を細めた。

「もちろん、いいですよ。ただし────アガレス様にお会いしたら、もう二度とこちらへは戻って来れません。生贄になるにしろ、ならないにしろ秘密保持のため軟禁させてもらいます」

 穏やかな口調でありながらどことなく圧を感じる物言いに、私は一瞬怯んでしまう。
『どんなに腰が低くても、この人は歷とした悪人なんだ』と思って。

 まだ直球で頼み込んでくるだけ、マシかと思っていたけど……そんなの誤差でしかないわよね。
だって、学園長のやっていることは世界の滅亡を後押しする行為だもの。

 『見た目や態度に誤魔化されてはダメよ』と自分に言い聞かせ、小さく深呼吸する。
バクバクと鳴る心臓を宥めつつ、私は駆け引きについて思い返した。

 確か、こういう時は────

「では、考える時間をください。今すぐ決めるのは、ちょっと難しいです」

 ────押してダメなら引いてみろ、だったわね。
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