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◇ストーカー被害⑤

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 今日の棚野さんは饒舌だ。
 いつもはこんなに次から次へと言葉を発する人ではない。
 必死に言い募る姿が棚野さんらしくなくて、少々驚いた。

「……ごめんなさい」

 だけど棚野さんの提案をのむわけにはいかない。
 付き合っていくうちに好きになればいい?
 それは無理だ。私にはどうしてもできそうにない。
 恋愛というものを長年していないから、私の恋愛センサーは錆び付いている。だからそんな器用なマネはできないのだ。
 もっとシンプルに、好きだと思える相手と出会えたときに恋愛をしていきたい。……ただそれだけのこと。

「なんで?」
「え?」
「もしかしてあの人? 俺と付き合うより、あの人がいい? 好きなの?」

 聞かれている内容がわからなくて小首をかしげる。

「あの人って……誰のことを言ってるんですか?」

 こんなにあせる棚野さんは今まで見たことがない。
 異様な雰囲気の中、私は小さな声で尋ね返した。

「ほら、萌奈ちゃんが言ってた人。以前傘を買いにきたとかいう。雑誌にも載ってて、王子様って騒いでた人だよ」

 ―― 日下さんだ。
 どうして今、その名前が出てきてしまうのだろう。
 昨日、日下さんとカフェで話して……棚野さんとは付き合えないなとそのときに確信はしたけれど。

 綺麗な笑顔を見せてくれた日下さんに、私はドキドキした。
 何気ないことを話していてるだけでも楽しかった。
 長年恋愛をしていない私だが、恋の始まりというのは、そういうことが一番大事ではないかと思えたから。

 胸の高鳴り、蕩けそうになるような高揚感。
 相手を恋愛対象として見たときに、それがあるかないか。
 その判断基準がわかったような気がしたのだ。

「ひなたちゃん。あの人、既婚者だよ?」

 おぞましいものでも見るかのように、棚野さんがクイッと顔をしかめた。
 日下さんを軽蔑しているみたいだ。
 棚野さんは私を心配してくれているのだろうけれど、あからさまなその表情に引いてしまう。

「わかってます。日下さんは関係ありません」

 これ以上誤解させないように、彼は関係ないと言い切った。
 私もきちんとわかっている。日下さんには家庭がある。
 だから日下さんとどうにかなりたいだなどと夢にも思っていない。日下さんだってそんな気はない。

 せっかく久しぶりにドキドキできる男性に出会えたのに残念だとは思うものの、恋愛対象にしていい人ではないと理解している。
 好きになってはいけない人だ、と。
 でも、棚野さんとの交際を断るのは日下さんの存在が大きいからではない。

「私、棚野さんと交際できるかどうかだけをきちんと考えました」

 決して日下さんのせいではない。そこを誤解されるのは承服できない。
 棚野さんに対してドキドキできるか。
 それを考えたとき、日下さんに感じたような胸の高鳴りは残念ながら棚野さんにはなかった。
 きっとこの先もそれは見込めないと思う。
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