愛されるべきかわいい女子たちの敵がいつもおれ

クナリ

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第一章 一ノ谷来栖の女装が美しい 2

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 まだなにかを言おうとして、口をぱくぱくさせている男子生徒だったが。
 その後ろに、ぬっともう一つの人影が表れた。今度は女子生徒だ。背格好からすると、彼女も一年生らしい。

「ああっ! やっぱり、宇治うじくん! 一ノ谷くんのところに来てた!」

「うわっ、粟津あわづさん!? うえ、く、苦しいよ」

 男子生徒――宇治というらしい――は、女子生徒に胸倉をつかまれて目を白黒させている。
 粟津という女子生徒は、来栖にも見覚えがあった。確か1-Eクラスで、一年の中でもトップクラスの美少女だと話題になった女子だ。
 とはいえそんなことで騒ぐ浮わついた生徒は、この高校ではごく一部だったが、粟津はピンクのメッシュが入った長髪をツインテールにしているので、そんな噂がなくても否が応にも目立つ。

「まさかとは思ったけど、本当に一ノ谷くんとつき合おうとするなんて! あたしというものがありながらッ! 一学期の期末試験で、勉強教えてくれながら告白してきたのは宇治くんのほうじゃん!? なのになんで!?」

「しょ、しょうがないだろ、僕は一ノ谷くんを好きになっちゃったんだから! ちゃんと別れ話はしたじゃないか!?」

「あたしは全然納得してない! 宇治くん男の人が好きってわけじゃないでしょ!? じゃあなんで一ノ谷くんを好きになるのよ!?」

「そ、それは……」

「それは!?」

 そう言われて、宇治が、ちろりと来栖を見やる。そして、頬を赤らめて言った。

「……見た目……?」

 粟津が絶句する。それから、ゆっくりと来栖を見た。
 来栖と目が合うと、それまでしかめられていた粟津の顔が目に見えて緩んでいく。そして、つぶやくように言った。

「……一ノ谷くん……」

「ん?」

「……確かに今日も、すっごくきれいだね……」

 粟津の握力が弱まったらしく、宇治が解放されてたたらを踏む。それでも、彼の視線はいまだに来栖に釘づけになっていた。

「だよね……本当……一ノ谷くん、まじで美しい……」

 その顔面にチョップくらいしてやりたくなった来栖だったが、なんとかその衝動に耐えた。

「……おう。ありがとうよ。じゃ、どうやらおれへの話は済んだみたいだから、後は二人でやってくれい。じゃあな」

 完全に威勢も毒気も失ってしまった二人の目の前で、来栖は教室の引き戸をぴしゃんと閉めた。
 しかしこれでは自分を含めクラスのみんなも帰れないと気づいて、後方の静二の苦笑とクラスメイトの困惑を感じながら、来栖は今度ははっきりと、その口から長く息を吐いた。

 女装した自分は、少なくとも接近して凝視しない限りは、誰がどう見ても、絶世の美女なのだ。
 それは、とうの昔に認めた。
 女装のおかげで手にしたメリットや、気づきは多くある。それは貴重な経験だと思う。
 だが、招かざるトラブルも多発する。

 迷惑がらずに、ある程度はそれらを受け止めるべきなんだろうな。後ろ向きなのか前向きなのかよく分からないふわふわした悟りを、来栖が胸に抱くのは、すでに数十回目だった。



 翌日の火曜日。
 放課後、来栖は、家庭科準備室の片づけに来ていた。
 来栖は家庭科部に所属したことはなく、知り合いもいない。ただ、担任の教師が家庭科部の顧問で、なかなか準備室を片づける暇がないと嘆いていたのだ。

 ちらかったものを整頓するくらいならやりましょうか、と来栖のほうから言い出した。
 担任には、ジェンダーレス制服もあるのにわざわざ女子の制服を着て登校する来栖に他学年の教師たちから苦言が呈されていたのを、先頭に立ってかばってくれた恩がある。

 家庭科準備室の中は、食器や道具をしまう箇所が棚にラベルを貼って明示してある。そのためラベルにさえ従っておけば、来栖が勝手に片づけることで、家庭科部員がどこになにがあるか分からなくなってしまうということがない。
 おかげで、片づけは特に手間取ることもなくはかどった。

 これは時間さえあればできる作業なので、つまるところ、教師にその時間がないのが問題ではある。
 先生って激務って本当なんだな、と来栖がひとりごちていると、隣の家庭科室から、ドア越しに誰かの声が聞こえた。

 家庭科室と家庭科準備室はドア一枚でつながっているが、それぞれの部屋は廊下側にもドアがあるので、家庭科室を通らなくても準備室には入れる。来栖も、直接準備室に入っていたので、家庭科室に人がいるとは気づかなかった。

「う……うう……」

 最初はうめき声かと思い、誰かけがでもしているのかと慌てたが、来栖が家庭科室へのドアを開けようとすると、その声が鳴き声であるらしいことに気づく。
 ノブを握りかけた手を止め、来栖は耳をそばだてた。家庭科室には、どうやら二人のに人間がいるらしい。会話が聞こえる。

「泣かないでください、美乃梨みのり。元気を出して……」

「く、うう……ありがと、あやめ。ごめんね、心配かけて」

「美乃梨が謝ることじゃありません。私こそ、親友が苦しんでいるのに、なにもできないなんて……自分の無力さが、情けない限りです」

 すると、泣いていたほうの声の主が、小さく吹き出したようだった。

「いいんだよ、こんなの、本人以外にどうしようもあるわけないでしょ。私と彼氏の問題なんだもん。……ちょっと、顔洗ってくるね」

 そして、一人が出て行った気配がする。
 来栖には盗み聞きするつもりはなかったが、だいぶデリケートな話のようだ。ここは、いないふりをしてやり過ごすし、すぐに忘れてやるしかないだろうと気配を消す。
 しかし。

「美乃梨、……なにか、元気づけられるものでも作ってあげられるでしょうか……。手早くできる、甘いものでも……」

 残ったもう一人がそう独り言を言った。
 そして、準備室のほうへ近づいてくる足音がし出した。
 準備室には大型の冷蔵庫がある。
 状況からして、どうも一人はなにかの事情があって泣いており、それを慰めていたもう一人が、準備室にあるものを使った菓子でも振る舞おうとしているようだ。

 とりあえず、来栖はドアから離れた。
 そのまま準備室から出ようかと思ったが、廊下側のドアの開閉音がすれば、どの道ここに人がいたことは知れるだろう。
 どこの誰に盗み聞きされたのかと不安がらせるよりは、ここにとどまったほうがいいか。
 そんなことを考えて、来栖は準備室の壁に寄り掛かり、家庭科室に続くドアのほうを眺めた。

 ドアが開いた。
 入ってきたのは、一人の女子生徒だった。来栖と同じ、一年生らしい。まだ来栖の存在には気づいていない。
 黒髪のセミロングで、どちらかといえば地味ないでたちをしている。寿永高校では新入生でも初歩的なメイクをしている生徒がちらほらいたが、この女子は化粧っ気はみじんもない。
 身長は来栖よりも頭一つ分は低く、すらりとした体つきは、女性というよりはお人形のような愛らしさがあったが。

(……これ、髪の毛、家で切ってるんじゃないだろうな)

 そう思わせるような毛先のがたつきから目をそらしつつ、来栖は、声をかけるタイミングを逃して女子生徒を眺めた。
 女子生徒は一直線に冷蔵庫へ向かうのみで、部屋の端で突っ立っている来栖にまだ気づかない。

「ああ、でも私が美乃梨よりも上手に作れるものなんてありませんね……果物でもあれば、切りましょうか……なんて、そんなに都合よく……」

 女子生徒はまったく視線をこちらに向けない。
 このまま黙っているのも、盗み見をしているようでよくないか。そう思った来栖は、なるべく刺激の少ない緩んだ声音で呼びかけてみることにした。

「あ、こんにちはー」

 自分でもなんだそれはと思うような間の抜けた挨拶だったが、自分の存在を知らせる以上の意味を持たない声掛けなど、なんと言っていいのか正解が分からない。
 まあ多少は驚かせてしまうだろうな、とは思ったのだが。

「きゃ、えっ……? ひえ、あ……あっ?」

 一瞬目を見開いて悲鳴のような声をあげかけた女子生徒が、こちらにぱっと向き直り、来栖の姿を視認して、今度は目をしばたたかせながらその声をしぼませる。
 来栖はその様子を見ていて、ああ、男の声で呼びかけられたから悲鳴上げそうになったけど、姿を見たら女だから少し安心して、でも声と姿のギャップに戸惑ってるんだな、と勝手に分析した。

「驚かせて悪かった。ちょっとここら辺の片づけしてたんだ。すぐ消えるよ。なにか話してたみたいだけど、なにも聞いてないから。それじゃ」

 そう言ってそそくさと出ていこうとした時、来栖は、違和感を覚えた。
 今の今までただ戸惑っていただけだったはずの女子生徒が、あっけにとられたように固まって、こっちを見ている。

「あなたは、……一ノ谷、来栖……さんではないですか……。どうしてあなたが、今ここに……?」

「今言っただろ。ここの整頓に来ただけだって」

「私たちの話を、……聞いていたんですか……? 本人が、ここで……?」

「それも言ったぞ、なにも聞いてないって」

 実際、不穏な話題だと推測できただけで、内容らしい内容は全く聞き取れていない。
 だが、来栖はふと、別のことが気になった。

「本人? 本人って言ったか? おれの話をしてたのか? えーと……」

「……私は、壇ノ浦だんのうらあやめといいますが……あなたは……神がかった地獄耳、でなければ、本当に偶然、だというんですか……?」

「壇ノ浦さんか。どんなこと言ってくれてたのかは分からんが、後者が当たりだ。偶然だよ。……でもその様子だと、あまりいい話をしてくれてたわけじゃないみたいだな」

 あやめはまだ、驚きのために全身を強張らせていた。だが来栖の顔にばっちりと焦点を合わせたその視線には、確かに、非難のような、敵意のような、攻撃的な意志が見て取れる。
 さすがにぶしつけ過ぎると思ったのだろう、あやめなりにその意志を隠そうとはしているようだったが、隠しきれていないせいで、むしろ視線の圧力が際立ってしまっていた。

 その時、廊下からぱたぱたと小走りの音が聞こえてきた。
 あやめが、弾かれたように体の動きを取り戻す。

「美乃梨が帰って来ましたか……いけない」

「いけないって、なにが? おれ絡みなんだよな? 言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」

 廊下と家庭科室の間のドアが、がらりと開かれる音がした、

「あれ? あやめ、いないの? あ、準備室の扉開いてる。あやめ、そっち?」

 近づいてくる足音。
 あやめがびくりとひるんだ。
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