愛されるべきかわいい女の子たちの敵がいつもおれ

クナリ

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第一章 一ノ谷来栖の女装が美しい 3

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「くっ……今一ノ谷くんに廊下に出ていってもらえば、ドアの音が鳴り、ここに人がいたことが美乃梨にばれます……。かといって今外に出ずに、美乃梨と一ノ谷くんをここで会わせるというのは……」

「なあ、なんだってんだよ?」

「こ、こちらです!」

「え!?」

 あやめは、ひときわ大きな食器棚の陰に来栖を連れ込んだ。
 そしてそこから出さないと言わんばかりに、自分が蓋になるようにして、来栖の体を自分の体で奥まで押し込んでくる。

「お……おい?」

「しっ。出てはいけません」

 身長も体重も来栖のほうが上なのに、小柄な女子の体には、有無を言わせない迫力があった。気圧されるままに、来栖は身動きも声を出すこともせずに、大人しく棚の陰に収まる。どうも来栖の人生は、男よりも女に圧倒されることが多いように、本人には思えた。
 二人の体が静止するのと、もう一人の女子生徒――美乃梨というらしいが――が準備室を覗き込むのは、同時だった。

「あれ、あやめ? こっちにもいない? ええ、どこ行ったんだろう。あやめー?」

 ぱたん、と家庭科室へのドアが閉じる音がした。
 美乃梨の気配も遠ざかっていく。
 来栖は小声で訊いた。

「なあ……壇ノ浦さん? 事情はよく見えないけど、君は隠れる必要なかったんじゃ」

 あやめも小声で答える。

「私の身を挺してでも、一ノ谷くんを美乃梨の前に出て来させないためです。あなたは、こんなにも一方的な私の言うことなんて、聞く必要ないわけですから」

「いや、あんな圧で言われたら、ひとまず言うこと聞いちまうけど」

「圧? 圧だなんて、私……」

 そこで、来栖を見上げるあやめと、そのすぐ上から見下ろしている来栖との視線が、その距離わずか十数センチの近さでぶつかった。
 あやめが、小さな声で「わあ……」とつぶやいたのが聞こえる。

 それは、来栖には見慣れた光景だった。
 偶然の事故や、相手の明確な意志による作戦により、時々この距離で女子と見つめ合うことがある。
 すると、程度の差はあれ、必ず女子は来栖の美しさに圧倒される。
 来栖の瞳の輝きを吸い込んだかのように、女子の瞳も輝き出す。

 ある程度の距離があればともかく、至近距離での来栖の顔面は、あまりにも強烈らしかった。
 ひどい時には、女子の腰が砕けて座り込んでしまう。
 女装していると多少その威力は和らぐのだが、ここまで近いとその緩和効果も期待できない。

 もちろんそれは恋愛感情の類とは別物なのだが、どうであれ来栖にしてみればあまりいい気持ちはしない。男が一方的に女の子を圧倒するようなことは、それが力であれ美しさであれ、よくないことだと思っている。

「う……あ」

 ほんの少し頬が赤らんだあやめが弱弱しく息を吐いた時、来栖は自分が恥ずべきことをしていると思い、眉根を寄せた。
 ――ああ。この感じ。久しぶりに、男じゃなく女の子に好きになられちまう……

 だが、この時の女子生徒――壇ノ浦あやめは、きゅっと唇を引き締めると、自分からしっかりとした足取りで来栖と離れた。

「一ノ谷くん……本当にきれいな人ですね。くらくらしそうです」

「それはどうも。……お褒めの言葉の割には、視線がきついね?」

「それは、……すみません。でも今、一ノ谷くん、私に好きになられてしまうんじゃないかと、そう思ったでしょう? だから顔をしかめたんですよね」

 そうずばり言われると、自分がひどい思い上がりをした人間に思えて、苦々しかったが。
 まあね、と不承不承、正直に答えた。

「無理もありません。一ノ谷くんには、よくあることなのでしょうから。でも、……安心してください」

「安心って、なにが……おい?」

 ずい、とあやめが歩を進めてきた。
 再び接近したおかげで、またしても二人の瞳がまばゆい光を交換する。
 しかし、あやめは落ち着いて言い放った。

「私は、一ノ谷くんのことなんて、絶対に好きになりません」

 すると、くるりと体をひるがえしたあやめは、家庭科室へと歩いて行った。
 最後に、振り返って言う。

「お騒がせしました。もうご迷惑はおかけしませんので。それでは」

 そしてあやめは、準備室を出ようとしたが。

「あれ? あやめ、やっぱり準備室にいたの?」

 ひょい、と家庭科室から顔を出してきた美乃梨がそう言った。
 細く黒いフレームの眼鏡に、太めの眉が乗り、黒髪のロングヘアが背中まで伸びている。ものすごく個性的というわけではないが、一度見ればそれなりに記憶に残りそうな格好だ。
 同じ一年のようだし、どこかで見かけているのかもしれないが、少なくとも来栖は知り合いではない。

「あっ、み、美乃梨!? まだこっちに来てはいけません!」

「どうして? なんで今さっきはいなかったの?」

「それは、えーとその、そう、準備室でかくれんぼをしていました」

「いやそんなわけないでしょ……って……」

 そこで、美乃梨の視線が準備室の中を軽く巡った。
 もう隠れる暇も意味もなく、絶世の美女装男子はあっさりと見つかってしまう。

「……どうも」

「え……なっ……一ノ谷くん!? なんでここに……!」

 来栖はそれなりに学内で有名人なので、偶然居合わせた人間にそう言われることは時々あった。
 しかしこの美乃梨の驚きようからすると、やはり、さっきまでなにかしら話題にしていた当の人物が現れたことに動揺しているのだろう。

「そう、一ノ谷来栖だけど。……さっき、おれの話してた? おれ、君になにかしたかな」

 改めて来栖が記憶を掘り起こしても、二人の女子の顔も名前も全く心当たりがない。
 美乃梨がかぶりを振る。

「あ、ううん、違うの。噂っていうか、一ノ谷くんにはとばっちりっていうか」

「よかったら、聞かせてくれよ。一応、おれが関係者なんだろ?」

 首を突っ込まずに立ち去ることもできたのだが、さすがに泣いていた女子をそのままにしておくというのは気が咎める。

 答えてきたのは、美乃梨ではなくあやめだった。

「そうです、一ノ谷くんは思いっきり関係者です。私の聞いたとおりであれば、あなたの薄情さと、性悪さと、いい加減さには驚きを禁じえません」

「ほお。ずいぶんな言われようだな。ますます事情を聞きたいね」

 やや遠慮がちな美乃梨に比べて、どうもあやめのほうが来栖への当たりがきつい。
 来栖とて、顔立ちが美しいからといって決して世の万人に好かれるとは思っていないが、さすがに初対面で「あなたなんて好きにならない」と言い放つのは、さすがに失礼なのではないか。特に、「なんて」のあたりが。
 そう思うと、つい来栖のこめかみに力が入った。

「ち、違うよあやめ。一ノ谷くんは全然悪くなくて」

「どこが悪くないんですかッ、彼はとっても悪人じゃないですか! 本当なら、美乃梨の心の平穏のために、ここで会わせたくはなかったんですけど」

 あやめが来栖をにらみつける。

「うんうん。悪いけど、美乃梨さんて言ったっけ。おれ、そちらの壇ノ浦さんの話が聞きたいなあ」

「あ、ご、ごめんなさい。私、屋島やしま美乃梨といいます。あやめとは中学からの友達で」

 そこで、美乃梨は二歩ほど後ずさりした。
 代わりにあやめが前に出てくる。そして、来栖と向かい合った。

「うんうん、友達思いなんだな、壇ノ浦さんは。で、おれがどうしてどんなふうに悪人なんだ?」

「はい、お答えします。一ノ谷くん、あなたは――」

 あやめは、手を開いて指先をそろえて伸ばし、その手をびしいと来栖に向けた。さすがに、人差し指で人を指すほど礼儀知らずではないらしい。

「あなたは、この美乃梨の恋人である、二年の梶原樹かじわらいつき先輩を、つき合う気もなく、そもそも好きでもないのに、その美貌を用いてかどわかしたのでしょう!」

 かどわかした、という言葉を口にする人間を、来栖は生まれて初めて見た。

「ああ……はいはい」

「認めましたね!? 梶原先輩をもてあそんで、二人の破局の原因を作ったことを!」

「いいや。全然」

「しかも、聞けば一ノ谷くんは、女性が恋愛対象だというではないですか。にもかかわらず彼女持ちの先輩を誘惑し、遊び半分で別れさせ、美乃梨を悲しませるなんて、断固として許せませ……え?」

 あやめが、ゼンマイの切れた古いおもちゃのように、ぴたりと動きを止める。

「ん? どうした?」

「……今、なんて言いましたか?」

「なにって、君の指摘に対してノーだと言ったんだ。その梶原なんとかいう先輩なんて、全然知らん。一度相槌を打ったのは、またこのパターンかよと思っただけだ」

 あやめがたじろぐ。
 その様は、強敵を前にした小動物のようで少しユーモラスではあった。

「そ……そんなはずありません! 梶原先輩は、一ノ谷くんに誘惑されたって言ってたんですよ!?」

「じゃあ、嘘ついてるんじゃないか。その先輩」

「う、嘘って……そんな……」

 そこで、おずおずと美乃梨が出てきた。

「あやめ、ちょっと整理したほうがいいよ」それから来栖に対して、「一ノ谷くん、梶原先輩の名前は憶えてなくても、外見ならどうかな。一ノ谷くんより少し身長が高くて、髪型はアッシュグレーのロングヘア。耳に十字架のピアスしてる人で、一週間くらい前に告白されたと思うんだけど」

 髪型を言われて、ようやく思い当たった。さすがにそんな頭の人間に告白されれば、覚えている。

「ああ、いたいた。あいつかあ。もちろん、にべもなく速攻振ったぞ。その時が初対面だから、誘惑なんてしてないし、する理由も……ああっと――」

 同時に、記憶がよみがえってくる。

「――そうだ。何度断っても食い下がってきて、しつこかったんだよな。『どうしてつき合ってくれないんだ』ってずうっとへばりついてくるから、確か……『あんた彼女とかいないのかよ?』って訊いたんだ。そしたら、『下級生とつき合ってる』って……」

「……美乃梨のことですね」とあやめ。

 来栖は冷や汗をかき始めた。

「それでおれが、『彼女持ちとつき合えるわけねえだろ』って言ったんだ。そしたらあいつ、『じゃあ別れてくればつき合ってくれるんだな』って……」

 そろ、と来栖は美乃梨を見る。
 美乃梨はやるせないふうに苦笑していた。
 仕方なく、来栖が続ける。

「それであの男、次の日またおれのところに来て『別れたぞ、つき合ってくれ』って……」

 あやめが、なんとなく事情を察してきたのか、先ほどまでよりも格段に弱い語調で訊いてくる。

「……それで、一ノ谷くんはなんて答えたんですか?」

「……充分条件と必要条件の違いについて端的に説明して、完全に容赦なくばっさりと、二度とおれの前に現れられないくらい、一思いに振り切ってやった……かな」

 美乃梨が口を開く。

「うん……たぶんその次の日くらいに、梶原先輩、私のところに来たんだ。よりを戻そうって。一ノ谷くんに誘惑されて、一時の気の迷いだったんだって。でも私はもうそんなの無理だったから、そのまま別れたの……。先輩、同じ話をあやめにもして、私との復縁を取り持ってもらおうとしたみたいで、たぶんその時あやめにでたらめを吹き込んで――」

 来栖は、そこで耐え切れなくなり、ばっと腰を折った。

「悪かった、屋島さん。おれ関係者だった。その破局、おれのせいだ」

 美乃梨の慌てた声が、来栖の後頭部に降ってくる。

「やだ、ち、違うよ!? それで別れるくらいなんだから、私と梶原先輩はその程度だったんだよ!」

「でも、おれの不用意な発言がなければ、少なくともそんなわけの分からん仕打ちを屋島さんが受けることはなかった。おれの手落ちだ。……告白されることに慣れて、雑になってたんだ。おれは芸能人でもインフルエンサーでもないのに、恥ずかしげもなく思い上がって……」

 ぎり、と来栖は自分の歯ぎしりの音を聞いた。

「い、一ノ谷くん、いいんだよ。私は……ううん、ほかの誰も、一ノ谷くんと同じ思いはしてないし、できない。だから一ノ谷くんの気持ちを同じようには分かってあげられないけど、でも話を聞いてる限りじゃ、毎月数えきれないくらい告白されてるんでしょう? それなら、全員に丁寧に接するなんて無理だよ。それくらいは、私にだって分かるから、ね」

 美乃梨の気遣いに、あまり頭を下げ続けるのもよくないかと思い、来栖は重い頭を上げた。
 そして、気づいた。
 美乃梨の隣で、あやめが、来栖よりもさらにきつい角度で深々と頭を下げている。腰の曲がり具合は、ほとんど九十度近い。

「うお!? だ、壇ノ浦さんどうした!?」

 あやめが震える声で答えた。

「この度は……本当にご迷惑をおかけいたしまして……申し訳ありません……」

「い、いやいいっていいって! 話聞いてただろ!? 正直その先輩には問題があると思うけど、おれの手落ちもあるんだよ。な、頭上げてくれ」

「あ、会わせる顔がございません……理性に欠ける行動をした旨、まことに申し訳なく、重々に……」

 小柄な女子に謝られるというのは、結構男心にこたえる。
 放っておけば土下座までしそうな勢いのあやめの背筋を、美乃梨に言って伸ばしてもらった。
 真っ赤な顔で歯を食いしばりながら目を閉じているあやめに、来栖は努めて穏やかに声をかける。

「屋島さんのためだったんだろ? おれはむしろ、君に好感を抱いてる部分もあるんだ。友達がそんな目にあわされたら、怒るのも、冷静に判断しきれないことがあるのも無理ないさ。……おれにも、大事な友人がいるからな」

 そんなふうに落ち着いていられたのは、静二のことを思ったためだ。彼がないがしろにされていたら、来栖だって冷静ではいられない。
 だからこそ来栖は、あやめの暴走を受け止めることができていた。
 そのあやめの唇が緩み、ようやく言葉が出てくる。

「私、半信半疑ではあったんです……彼女のいる男子を誘惑なんて、校内でそんなことする人いるのかなって。でも、本物の一ノ谷くんを直で見たら、あまりにきれいなので……そんなこともあるのかもしれないって、……どうかしてました、私……」

 おれの容姿にはそんな効果もあるのか、と胸中でつぶやく来栖。あまりありがたい効果ではない。

「いいんだって。おれ、準備室で少し用事があるからまだいるけど、二人はもう帰りなよ。あっと、なにか部活やってるのか?」

「あ、はい、美乃梨は家庭科部で、私は帰宅部です。今日は家庭科部がお休みなので、誰も来ていませんけど。私たちも、これで帰ります」

「そうか、じゃあな」

 そうして二人と別れた来栖は、残りの片づけを済ませて、自分も帰途に就いた。
 いろいろと、慣れたつもりでも思いがけないことが起こるものだということを思い知らされた日だった気がする。
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