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第一章 一ノ谷来栖の女装が美しい 4
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校門を出て、最寄り駅まで早足で向かった。
急ぎの用もないのに走りはしないし、一分一秒を競うほど生き急いでいるわけではないのだが、乗れる限り最も早く出る電車に乗りたいという気持ちはある。
来栖が通ると、道行く人々が、同じ高校の生徒もそうでない通行人も、一様に目で追ってきた。
こういう時、優越感が、ないわけではない。ただ、そのために女装しているわけでも、美しく装っているわけでもない。
たまに、ちやほやされるのが気持ちよくて女装やメイクをしているんだろうと陰口を叩かれているのは来栖も承知している。
気持ちよくないわけではない。ただその気持ちよさは、来栖にとってはあまりにも虚ろ過ぎた。そんなものよりも、単純に、今の自分が到達できる一番先まで行きたいという欲求がある。
スポーツはそれなりにできた。勉強も、成績は上位の常連だ。
だが、一番になったことはない。生活と時間の大部分をつぎ込んで、それらで一番になりたいと思ったこともない。
他人を抜かしてトップに立つことには、あまり燃えない。
その代わり、自分が一人で突き詰められることには、熱くなるたちだった。
それを来栖は自覚している。今はその性質が、女装とメイクに出ているというだけだ。
駅までは、来栖がやや急ぎ足になれば、十五分というところだった。
学校の外は少々の田園風景を経て住宅地へ、そしてささやかなビル通りの向こうに駅がある。
冬枯れの始まった乾いた下草に挟まれた道を歩き、見慣れた家々を通り過ぎて、ビル通りへ出る直前。来栖は、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
さっきの今では、見間違えようがない。
「壇ノ浦さん?」
「え? あっ、一ノ谷くん?」
「よ。まだこのあたりにいたのか。どこか寄ってたのか?」
「あ、いえ。私、歩くの遅くて……。美乃梨はおうちの用事があるので、先に行ってもらいました」
あやめが、恥ずかしそうにうつむく。
歩行速度についてコンプレックスを刺激してしまったのかもしれないと、来栖は胸中で自省した。
来栖は、あやめの横に並ぶと、ゆっくりと歩き出す。
「駅まで、一緒に行こうぜ」
「えっ。でも、遅い人と合わせて歩くの、大変じゃないですか?」
「大丈夫だろ。大は小を兼ねるっていうし」
「な……なにか違うような気がしますけど……」
そうして二人は歩き出したが、確かに、通常よりも短い歩幅で歩くのは、慣れていないと難儀ではあった。極力それを表に出さないようにしながら、来栖は足の速度を調整する。
「一ノ谷くん、さっきは本当にすみませんでした」
「はは、いいって。しかしさっきの件とは、なにか別の思い出作っておいたほうが健全かな」
「健全、ですか?」
「だって君、さっきのことばかり思い出してたらいたたまれなくなりそうだろ。壇ノ浦さん、駅ついたらどっち方向?」
「え? ええと……」
あやめの乗る電車は、来栖のそれとは逆方向だった。
「そうか、じゃあもう数分の間になにか、印象に残る話をしてみよう」
「す、すみません。私、話題とか乏しくて」
「そんなの、同級生で気にすることじゃないけどさ。そういえば壇ノ浦さんて、なんで同級にも敬語なんだ? 屋島さんとは中学からのつき合いだって言ってたけど、それでも敬語だよな」
えへへ、とあやめが照れたように笑う。
彼女の笑顔を来栖が見たのは、これが初めてだった。
「私、そのほうがしゃべりやすいんです。家族にも敬語なので、変だって言われます」
「へえ……。あ、おれのこと、クルスって下の名前で呼んでいいよ」
「えっ!?」
あやめが、来栖の顔を見上げる。
「長いだろ、イチノタニって。最初はよくても、だんだん、名前呼ばれて五文字分も待ってるのもどかしくなるんだよ。だから仲いいやつには、下の名前で呼んでもらってるんだ」
「な、仲良く、……」
「言っただろ、君には好感を抱いてるって」
あやめは、ひえ、と妙な声を出してからつぶやいた。
「えっと、じゃ、じゃあ、クルス、くん」
「そうそう。屋島さんにもそう言っておいてくれ。こんなのは別に遠慮いらないよ」
「はいっ。……美乃梨、元気になるといいんですけど」
先ほどまでと一転、あやめの表情がふっと沈む。
「やっぱり、しょげてるか」
「さすがにまだ、元通りではないですね。美乃梨、梶原先輩が初彼だったんです。最初、先輩のほうからつき合おうって言ってきたんですよ。廊下で美乃梨を見かけて、かわいかったからって。夏休みの前くらいに」
にもかかわらず、今度は来栖を見初めて、見た目だけしかよく知らない相手――しかも男――とつき合うために、その彼女と別れたのか。
そう思うと、来栖としては美乃梨につらい思いをさせたのは悪かったが、ろくでなしと早めに別れることができて、むしろよかったのではないかという気もしてしまう。
「初めのころは、美乃梨が先輩に押し切られている感じで、戸惑っているところもあったんですけど。それでも美乃梨は男の子から好かれてうれしそうだったし、いろんなところに二人で出かけるのも楽しそうでした。だから私も、先輩っていい人なんだなって思って。なのに……」
あやめが息苦しそうになった。来栖から見えないように、その顔を伏せてしまう。
「……泣いてるか?」
「泣いてませんっ。というより美乃梨のほうが、さっきは普通にふるまってましたけど、この前まで凄く泣いてて……自分がいけなかったんだ、女の子として全然だめだったんだって、自分を責めて……美乃梨に、なにも悪いところなんてないのに。悔しいです……」
来栖は、最初に、あやめが食ってかからんばかりの剣幕だったのを思い出した。
「美乃梨、中学のころから人がよくて誰にでも親切だから、男子からも人気があったんです。髪長くてきれいですし、もてるんですよ。でも同じクラスの男子たちって、そういう女子をわざとからかう人たちだったんですよね。大きな声で、笑いながら、意地悪して」
「ああ……そういうやつら、分かる気はする」
同じ男子の来栖から見ても、そういう手合いは、猿みたいだなとしか思えなかったが。
「だから美乃梨、自分が男の子から好かれるってあまりぴんと来てなかったそうなんです。そんな時に……」
「猿の群れから逃れて高校に来たら、急に、しかもアッシュグレーの長髪なんて先輩がぐいぐい来たと。そんなに強気なら、まあ顔もかっこいいんだろうな、それなりに」
あやめがぱっと顔を上げる。その目元には涙がにじんでいた。
「そうなんですっ。いかにもおれはもてるんだぜーって感じで、自信満々で、なんだか女子の扱いとかいろいろこなれててっ。美乃梨の周りに、それまでそんな人いませんでしたから」
あやめは、両の手をこぶしにして力説した。
その調子であちこち連れ回してデートを繰り返せば、それは楽しい思い出がたくさんできただろう。
それだけに、来栖から見ても、美乃梨といい加減な別れ方をした梶原樹なる人物は好きになれなかった。
まあその一因がおれにあることは忘れちゃいけないがな、と己を戒めはしたが。
そんな話をしていたら、もう駅に着いてしまった。
「ああ、なんかあっという間だったな」
順番に自動改札をくぐり、上階で左右に分かれているホームの手前、それぞれの上り階段の中間で、二人は立ち止まった。来栖は右、あやめは左のホームへ上がって電車に乗る。
「壇ノ浦さんてクラスどこ? おれ、1-A」
「私、1-Bです。美乃梨は1-Cで」
「へえ、近いな。また会うこともあるだろうから、よろしく。それじゃ――」
そう言いかけて、来栖はぴたりと言葉を止めた。
「――あのさ」
「はい? いち……クルスくん?」
「一応、念のため。おれは今日のことで、君に怒ってもいないし、嫌悪感も持っていない」
はう、とあやめが身を固くした。
「むしろ逆だ。さっきも言ったけど、ちゃんと言い直すよ。友達思いなんだな、君も、屋島さんも。おれはむしろ、君に――君の誠実さに、好感を持っている。そういうの、助かるんだ。思いやりのある、いいやつと接するっていうのは、そう……助かる」
駅の構内を歩く人々が、来栖の美しさと、その来栖と向き合っている女子高生に、遠慮がちながら好奇の目を向けてくる。
最初はそれを気にしていた様子のあやめも、今は来栖の言葉に聞き入っていた。自分は今、大事なことを言われているのだと自覚して。
「それだけ、はっきり伝えておこうと思って。それじゃ、またな」
来栖は身をひるがえして、右手の階段を上り始めた。
ホームへ出れば、向かいのホームにあやめも上がってくるだろう。そうしたら手を振ろう。
なんてことを考えていたら、後方は階段の下から、大声で名前を呼ばれた。
「クルスくんっ!」
「え!? な、なんだ!?」
来栖が振り返ると、階段の下で、あやめが赤い顔をして立っていた。
恥ずかしいならそんな大声を出さなくても下まで降りていくのに、と来栖がきびすを返しかけたところで、あやめが再び叫ぶ。
「私も、壇ノ浦って名字が五文字なので、下の名前で大丈夫です! 私だけ名前呼びも忍びないので!」
忍びないという意味がよく分からなかったが、ひとまず反論する気も起きなかった。
「お、おお。あやめ……さん?」
「呼び捨てでも!」
「じゃ、じゃあ、あやめで。おれもクルスでいいよ、くんなしで」
「ありがとうございますっ! 私、クルスくん――クルスのことを、最初、誤解というか、勝手に勘違いしていましたっ! クルスは、見た目もとってもきれいですが、人柄もいいと思います! あと制服もよく似合っています! うちの制服って、スタイルいい人ほど合うんですよね!」
「あ……ありがとう!? ど、どうした突然!?」
周囲の人々は、もう遠慮なく、何事かと二人を見比べている。
クルスはそうした視線には耐性があったが、あやめには、そもそもそれが目に入っていないようではある。
あやめは、微笑んでいるようだった。
「私のこと、思いやりがあるって言ってくれましたけど、クルスのほうがよっぽどですよ!クルスこそ『いいやつ』です! ……私、愚かにも心ないことをクルスに言ってしまったので! 今の私が思っていることを、すっかりしっかり告げておこうと! ……今度は、誤解しないように……。そ、それじゃ!」
そう言って、あやめは自分のホームへと続く階段へ向かった。
来栖はしばらくぽかんとしていたが、思い出したように階段を上る。
ホームへ出ると、ちょうど電車が滑り込んできた。
ドアが開き、人が下りるのを待って、来栖はとことこと車両に乗り込む。
ドアが閉じ、振動とともに電車が走り出したあたりで、来栖はふと向かいのホームを見た。
真っ赤な顔をしたあやめが、両頬を手で挟んでいる。
笑い出しそうになって、慌てて来栖は口元を引き締めた。しかし、かすかに、小刻みな吐息が漏れてしまう。
なんだ、今のは。
おれは、なにを見たんだ。なにを聞いたんだ。考えれば考えるほど、なかなか面白い場面だったよな、今の。
なんなんだ、あの子は。
気を抜くと、表情が笑顔を形作りそうだ。
そうなればもう、笑い声を出すのをこらえられないだろう。
電車の中は混んでいた。公共の場である。奇行とみられる行いは、慎まなくてはならない。
だが、たった今起きたことは、来栖にとって面白過ぎ、ありがた過ぎ、楽し過ぎた。
美しくなるのは楽しい。これからも、ずっと自分なりの最高峰に美しくありたい。心からそう思う。
だが、それに付随するトラブルは、時にその意欲をくじくほどに不愉快でもある。
いつか自分はその不愉快さに負けて、こうありたいと思い描く自分を手放してしまうかもしれない。
その日が来るのが、来栖は怖かった。
しかし、今日。
なんとなくその日が来るのが遥か向こうへと遠ざかってくれたような、そんな気分で、来栖は暮れなずむ空を見ていた。
見た目と中身を同時に褒めてもらえたのは、久しぶりだった。
急ぎの用もないのに走りはしないし、一分一秒を競うほど生き急いでいるわけではないのだが、乗れる限り最も早く出る電車に乗りたいという気持ちはある。
来栖が通ると、道行く人々が、同じ高校の生徒もそうでない通行人も、一様に目で追ってきた。
こういう時、優越感が、ないわけではない。ただ、そのために女装しているわけでも、美しく装っているわけでもない。
たまに、ちやほやされるのが気持ちよくて女装やメイクをしているんだろうと陰口を叩かれているのは来栖も承知している。
気持ちよくないわけではない。ただその気持ちよさは、来栖にとってはあまりにも虚ろ過ぎた。そんなものよりも、単純に、今の自分が到達できる一番先まで行きたいという欲求がある。
スポーツはそれなりにできた。勉強も、成績は上位の常連だ。
だが、一番になったことはない。生活と時間の大部分をつぎ込んで、それらで一番になりたいと思ったこともない。
他人を抜かしてトップに立つことには、あまり燃えない。
その代わり、自分が一人で突き詰められることには、熱くなるたちだった。
それを来栖は自覚している。今はその性質が、女装とメイクに出ているというだけだ。
駅までは、来栖がやや急ぎ足になれば、十五分というところだった。
学校の外は少々の田園風景を経て住宅地へ、そしてささやかなビル通りの向こうに駅がある。
冬枯れの始まった乾いた下草に挟まれた道を歩き、見慣れた家々を通り過ぎて、ビル通りへ出る直前。来栖は、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
さっきの今では、見間違えようがない。
「壇ノ浦さん?」
「え? あっ、一ノ谷くん?」
「よ。まだこのあたりにいたのか。どこか寄ってたのか?」
「あ、いえ。私、歩くの遅くて……。美乃梨はおうちの用事があるので、先に行ってもらいました」
あやめが、恥ずかしそうにうつむく。
歩行速度についてコンプレックスを刺激してしまったのかもしれないと、来栖は胸中で自省した。
来栖は、あやめの横に並ぶと、ゆっくりと歩き出す。
「駅まで、一緒に行こうぜ」
「えっ。でも、遅い人と合わせて歩くの、大変じゃないですか?」
「大丈夫だろ。大は小を兼ねるっていうし」
「な……なにか違うような気がしますけど……」
そうして二人は歩き出したが、確かに、通常よりも短い歩幅で歩くのは、慣れていないと難儀ではあった。極力それを表に出さないようにしながら、来栖は足の速度を調整する。
「一ノ谷くん、さっきは本当にすみませんでした」
「はは、いいって。しかしさっきの件とは、なにか別の思い出作っておいたほうが健全かな」
「健全、ですか?」
「だって君、さっきのことばかり思い出してたらいたたまれなくなりそうだろ。壇ノ浦さん、駅ついたらどっち方向?」
「え? ええと……」
あやめの乗る電車は、来栖のそれとは逆方向だった。
「そうか、じゃあもう数分の間になにか、印象に残る話をしてみよう」
「す、すみません。私、話題とか乏しくて」
「そんなの、同級生で気にすることじゃないけどさ。そういえば壇ノ浦さんて、なんで同級にも敬語なんだ? 屋島さんとは中学からのつき合いだって言ってたけど、それでも敬語だよな」
えへへ、とあやめが照れたように笑う。
彼女の笑顔を来栖が見たのは、これが初めてだった。
「私、そのほうがしゃべりやすいんです。家族にも敬語なので、変だって言われます」
「へえ……。あ、おれのこと、クルスって下の名前で呼んでいいよ」
「えっ!?」
あやめが、来栖の顔を見上げる。
「長いだろ、イチノタニって。最初はよくても、だんだん、名前呼ばれて五文字分も待ってるのもどかしくなるんだよ。だから仲いいやつには、下の名前で呼んでもらってるんだ」
「な、仲良く、……」
「言っただろ、君には好感を抱いてるって」
あやめは、ひえ、と妙な声を出してからつぶやいた。
「えっと、じゃ、じゃあ、クルス、くん」
「そうそう。屋島さんにもそう言っておいてくれ。こんなのは別に遠慮いらないよ」
「はいっ。……美乃梨、元気になるといいんですけど」
先ほどまでと一転、あやめの表情がふっと沈む。
「やっぱり、しょげてるか」
「さすがにまだ、元通りではないですね。美乃梨、梶原先輩が初彼だったんです。最初、先輩のほうからつき合おうって言ってきたんですよ。廊下で美乃梨を見かけて、かわいかったからって。夏休みの前くらいに」
にもかかわらず、今度は来栖を見初めて、見た目だけしかよく知らない相手――しかも男――とつき合うために、その彼女と別れたのか。
そう思うと、来栖としては美乃梨につらい思いをさせたのは悪かったが、ろくでなしと早めに別れることができて、むしろよかったのではないかという気もしてしまう。
「初めのころは、美乃梨が先輩に押し切られている感じで、戸惑っているところもあったんですけど。それでも美乃梨は男の子から好かれてうれしそうだったし、いろんなところに二人で出かけるのも楽しそうでした。だから私も、先輩っていい人なんだなって思って。なのに……」
あやめが息苦しそうになった。来栖から見えないように、その顔を伏せてしまう。
「……泣いてるか?」
「泣いてませんっ。というより美乃梨のほうが、さっきは普通にふるまってましたけど、この前まで凄く泣いてて……自分がいけなかったんだ、女の子として全然だめだったんだって、自分を責めて……美乃梨に、なにも悪いところなんてないのに。悔しいです……」
来栖は、最初に、あやめが食ってかからんばかりの剣幕だったのを思い出した。
「美乃梨、中学のころから人がよくて誰にでも親切だから、男子からも人気があったんです。髪長くてきれいですし、もてるんですよ。でも同じクラスの男子たちって、そういう女子をわざとからかう人たちだったんですよね。大きな声で、笑いながら、意地悪して」
「ああ……そういうやつら、分かる気はする」
同じ男子の来栖から見ても、そういう手合いは、猿みたいだなとしか思えなかったが。
「だから美乃梨、自分が男の子から好かれるってあまりぴんと来てなかったそうなんです。そんな時に……」
「猿の群れから逃れて高校に来たら、急に、しかもアッシュグレーの長髪なんて先輩がぐいぐい来たと。そんなに強気なら、まあ顔もかっこいいんだろうな、それなりに」
あやめがぱっと顔を上げる。その目元には涙がにじんでいた。
「そうなんですっ。いかにもおれはもてるんだぜーって感じで、自信満々で、なんだか女子の扱いとかいろいろこなれててっ。美乃梨の周りに、それまでそんな人いませんでしたから」
あやめは、両の手をこぶしにして力説した。
その調子であちこち連れ回してデートを繰り返せば、それは楽しい思い出がたくさんできただろう。
それだけに、来栖から見ても、美乃梨といい加減な別れ方をした梶原樹なる人物は好きになれなかった。
まあその一因がおれにあることは忘れちゃいけないがな、と己を戒めはしたが。
そんな話をしていたら、もう駅に着いてしまった。
「ああ、なんかあっという間だったな」
順番に自動改札をくぐり、上階で左右に分かれているホームの手前、それぞれの上り階段の中間で、二人は立ち止まった。来栖は右、あやめは左のホームへ上がって電車に乗る。
「壇ノ浦さんてクラスどこ? おれ、1-A」
「私、1-Bです。美乃梨は1-Cで」
「へえ、近いな。また会うこともあるだろうから、よろしく。それじゃ――」
そう言いかけて、来栖はぴたりと言葉を止めた。
「――あのさ」
「はい? いち……クルスくん?」
「一応、念のため。おれは今日のことで、君に怒ってもいないし、嫌悪感も持っていない」
はう、とあやめが身を固くした。
「むしろ逆だ。さっきも言ったけど、ちゃんと言い直すよ。友達思いなんだな、君も、屋島さんも。おれはむしろ、君に――君の誠実さに、好感を持っている。そういうの、助かるんだ。思いやりのある、いいやつと接するっていうのは、そう……助かる」
駅の構内を歩く人々が、来栖の美しさと、その来栖と向き合っている女子高生に、遠慮がちながら好奇の目を向けてくる。
最初はそれを気にしていた様子のあやめも、今は来栖の言葉に聞き入っていた。自分は今、大事なことを言われているのだと自覚して。
「それだけ、はっきり伝えておこうと思って。それじゃ、またな」
来栖は身をひるがえして、右手の階段を上り始めた。
ホームへ出れば、向かいのホームにあやめも上がってくるだろう。そうしたら手を振ろう。
なんてことを考えていたら、後方は階段の下から、大声で名前を呼ばれた。
「クルスくんっ!」
「え!? な、なんだ!?」
来栖が振り返ると、階段の下で、あやめが赤い顔をして立っていた。
恥ずかしいならそんな大声を出さなくても下まで降りていくのに、と来栖がきびすを返しかけたところで、あやめが再び叫ぶ。
「私も、壇ノ浦って名字が五文字なので、下の名前で大丈夫です! 私だけ名前呼びも忍びないので!」
忍びないという意味がよく分からなかったが、ひとまず反論する気も起きなかった。
「お、おお。あやめ……さん?」
「呼び捨てでも!」
「じゃ、じゃあ、あやめで。おれもクルスでいいよ、くんなしで」
「ありがとうございますっ! 私、クルスくん――クルスのことを、最初、誤解というか、勝手に勘違いしていましたっ! クルスは、見た目もとってもきれいですが、人柄もいいと思います! あと制服もよく似合っています! うちの制服って、スタイルいい人ほど合うんですよね!」
「あ……ありがとう!? ど、どうした突然!?」
周囲の人々は、もう遠慮なく、何事かと二人を見比べている。
クルスはそうした視線には耐性があったが、あやめには、そもそもそれが目に入っていないようではある。
あやめは、微笑んでいるようだった。
「私のこと、思いやりがあるって言ってくれましたけど、クルスのほうがよっぽどですよ!クルスこそ『いいやつ』です! ……私、愚かにも心ないことをクルスに言ってしまったので! 今の私が思っていることを、すっかりしっかり告げておこうと! ……今度は、誤解しないように……。そ、それじゃ!」
そう言って、あやめは自分のホームへと続く階段へ向かった。
来栖はしばらくぽかんとしていたが、思い出したように階段を上る。
ホームへ出ると、ちょうど電車が滑り込んできた。
ドアが開き、人が下りるのを待って、来栖はとことこと車両に乗り込む。
ドアが閉じ、振動とともに電車が走り出したあたりで、来栖はふと向かいのホームを見た。
真っ赤な顔をしたあやめが、両頬を手で挟んでいる。
笑い出しそうになって、慌てて来栖は口元を引き締めた。しかし、かすかに、小刻みな吐息が漏れてしまう。
なんだ、今のは。
おれは、なにを見たんだ。なにを聞いたんだ。考えれば考えるほど、なかなか面白い場面だったよな、今の。
なんなんだ、あの子は。
気を抜くと、表情が笑顔を形作りそうだ。
そうなればもう、笑い声を出すのをこらえられないだろう。
電車の中は混んでいた。公共の場である。奇行とみられる行いは、慎まなくてはならない。
だが、たった今起きたことは、来栖にとって面白過ぎ、ありがた過ぎ、楽し過ぎた。
美しくなるのは楽しい。これからも、ずっと自分なりの最高峰に美しくありたい。心からそう思う。
だが、それに付随するトラブルは、時にその意欲をくじくほどに不愉快でもある。
いつか自分はその不愉快さに負けて、こうありたいと思い描く自分を手放してしまうかもしれない。
その日が来るのが、来栖は怖かった。
しかし、今日。
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スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
網代さんを怒らせたい
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
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