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第一部 血族
6 王妃②
セファニアはきっと、自分を本当に愛しているわけではない。ナシェルにもそれは判っていた。しかし、そんなやり方以外、彼は想いを遂げる方法を知らなかったし、天上界の女神が、闇の世界に属する自分などを少しでも心から愛するわけなどないと、最初から思い込んでもいた。
そして何よりナシェルはそのころ、『間に父を挟む』という異様な三角関係に苛立ち、苦悩の原因を作った父王にどんな手段であれ復讐してみたいと思っていたのだ。だから、彼女を無理矢理に辱めた。そして一方的に溺れた…。
それゆえに彼女から「身籠った」と聞いたときは、戸惑いや罪悪感ばかりに苛まれたことは確かだ。喜びなどあるはずがない。
望んで生まれてくる子ではない。それでもセファニアは産むと云った。どうして……。
「継母上、その子を産むというご決断に、変わりはないのですか。ますます命を縮めることになります」
ナシェルがそういっていくら諭しても、セファニアの決断は変わらない。
彼女の儚げな翠色の瞳の奥には、強い決意が感じられた。
「ナシェル。よく聞いて頂戴。このお腹にいる子の生まれてくる意味を。
私の力は弱まってしまったけど、まだ命の女神としての神司を失ったわけではないわ。こんな体では、もう、ここでは長くは生きられないけど……生まれてくる子にはこの冥界の血も流れている。私は、私の司をすべてこのお腹の子に受け継がせるつもりなの」
「受け継がせるとは……どういう意味です。この子が命の女神となって……じゃあ貴女は」
セファニアは微かに、ゆっくりと首を振る。口に出さずとも、意味するところはひとつしかない。
「そんな……!」
「大丈夫よ、ナシェル……私はこのお腹に、私自身の生まれ変わりを身籠ったのよ。こんなことができるのも、この神司のおかげかしらね。
とにかく、貴方の冥界の血をも受け継いだことで、この子はきっと、冥界でも強く生きていけるようになる。私はそれに賭けて、生まれ変わるつもりなのよ」
異母弟エベールの水晶玉の中に映ったあの娘の姿……、確かに、セファニアに生き写しだった。
「生まれ変わる……。貴女の記憶を留めたまま?」
「記憶は……そうね、覚えていることも、思い出すことも、ひょっとしたらあるかもしれないわ……」
「セフィ、貴女が生まれ変わり、私の子になると……。私の血を受け継いで、この冥府でもう一度育つと……そういうことなのですね?」
セファニアは静かに頷き、微笑む。
「だから私を失ったと、冥王も貴方も、悲しむことはないの。ただ、この子を、慈しみ、大事に育てて欲しいだけ。この子は私自身も同然なのだから……」
俄かには信じがたい話だが、彼女ほどの上位の神であれば可能なのだろうか……。ナシェルは彼女の言葉を聞き漏らすまいと、そのか細い声に耳を澄ませ、やがて彼女の落ち着いた口調に己も平静を取り戻した。
「継母上。そんなことがもし可能なら……、もう一度やり直したい。
新しく生まれ変わったら、今度こそ……私を愛してくれますか」
「……今でも愛しているのよ、世辞ではなく」
セファニアの愛とはきっと己の求める愛とは異質のものだろうと、心の底では判っていた。
だが今は、その言葉を信じ自惚れよう……。
「……長居するとまた侍女たちが騒ぎ出しかねません、今日はこれにてお暇させていただきます」
ナシェルはもっと寄り添っていたい気持ちを堪え、立ち上がった。
これ以上ここにいてはだめだ……。自分を、抑え切れなくなる。
「継母上、どうかご自愛くださいますよう」
突然立ち上がったナシェルを、王妃は怪訝そうに見上げる。
ナシェルは瞳に現れてしまいそうな気持ちを隠すため、踵を返した。
「侍女を呼び戻して参ります」
セファニアが無言で、ただじっと己を見詰めてくる気配を背に感じる。
呼び止めないでくれ。振り返ってしまえば、私は何をするか分からない……。
セファニアはしばらく何を云うべきか考えるように押し黙っていたが、やがて一言、
「お元気で……」
と呟いた。永遠の別れの言葉のように重く。
セファニアはもう長くはない。冥王の眼を盗んで会う機会など、もう二度とないかもしれない。
振り返ってもう一度口付けしたい衝動に駆られる。それを抑え、ナシェルは後ろ髪引かれながら寝室を後にする。
彼を引き止める言葉は、とうとうかからなかった。
◇◇◇
行きがけに異母弟エベールと出会った露台には、もう人影は見えない。
セファニアは、生まれ変わると云った。
そのために、身篭ったのだろうか?
そのためだけに?
……愛の、証ではなく。
それ以上は、考えたくはなかった。
ナシェルは左右に首を振って、わだかまる想いを打ち払う。
もう、会えぬかも知れぬな……。
ぼんやりとそんなことを考えつつ歩むナシェルは、不意に前方からこちらに歩み寄ってくる足音を聞き、視線を上げた。
「……!」
一瞬、幻覚かと眼を疑った。
目映いばかりの宝石が散らばる、漆黒と濃紫のローブ。何枚も重ねたそれを煩わしげな様子もなく翻し、真っ直ぐにこちらを目指してくる、ひとりの長身の男。
ゆったりした足音に、微かな衣擦れの音が重なる。その人物の姿をはっきりと確認した瞬間、ナシェルは息を止めた。
思わず目を伏せ、そんな自分の態度を訝しく思われるのではないかという恐怖から、目を上げる。
「……陛、下」
うっすらと微笑を浮かべ、ナシェルにむかって両手を広げたそれは、ナシェルの今もっとも会いたくない相手であったのだ。
「吾が子よ……久しぶりであるな」
そして何よりナシェルはそのころ、『間に父を挟む』という異様な三角関係に苛立ち、苦悩の原因を作った父王にどんな手段であれ復讐してみたいと思っていたのだ。だから、彼女を無理矢理に辱めた。そして一方的に溺れた…。
それゆえに彼女から「身籠った」と聞いたときは、戸惑いや罪悪感ばかりに苛まれたことは確かだ。喜びなどあるはずがない。
望んで生まれてくる子ではない。それでもセファニアは産むと云った。どうして……。
「継母上、その子を産むというご決断に、変わりはないのですか。ますます命を縮めることになります」
ナシェルがそういっていくら諭しても、セファニアの決断は変わらない。
彼女の儚げな翠色の瞳の奥には、強い決意が感じられた。
「ナシェル。よく聞いて頂戴。このお腹にいる子の生まれてくる意味を。
私の力は弱まってしまったけど、まだ命の女神としての神司を失ったわけではないわ。こんな体では、もう、ここでは長くは生きられないけど……生まれてくる子にはこの冥界の血も流れている。私は、私の司をすべてこのお腹の子に受け継がせるつもりなの」
「受け継がせるとは……どういう意味です。この子が命の女神となって……じゃあ貴女は」
セファニアは微かに、ゆっくりと首を振る。口に出さずとも、意味するところはひとつしかない。
「そんな……!」
「大丈夫よ、ナシェル……私はこのお腹に、私自身の生まれ変わりを身籠ったのよ。こんなことができるのも、この神司のおかげかしらね。
とにかく、貴方の冥界の血をも受け継いだことで、この子はきっと、冥界でも強く生きていけるようになる。私はそれに賭けて、生まれ変わるつもりなのよ」
異母弟エベールの水晶玉の中に映ったあの娘の姿……、確かに、セファニアに生き写しだった。
「生まれ変わる……。貴女の記憶を留めたまま?」
「記憶は……そうね、覚えていることも、思い出すことも、ひょっとしたらあるかもしれないわ……」
「セフィ、貴女が生まれ変わり、私の子になると……。私の血を受け継いで、この冥府でもう一度育つと……そういうことなのですね?」
セファニアは静かに頷き、微笑む。
「だから私を失ったと、冥王も貴方も、悲しむことはないの。ただ、この子を、慈しみ、大事に育てて欲しいだけ。この子は私自身も同然なのだから……」
俄かには信じがたい話だが、彼女ほどの上位の神であれば可能なのだろうか……。ナシェルは彼女の言葉を聞き漏らすまいと、そのか細い声に耳を澄ませ、やがて彼女の落ち着いた口調に己も平静を取り戻した。
「継母上。そんなことがもし可能なら……、もう一度やり直したい。
新しく生まれ変わったら、今度こそ……私を愛してくれますか」
「……今でも愛しているのよ、世辞ではなく」
セファニアの愛とはきっと己の求める愛とは異質のものだろうと、心の底では判っていた。
だが今は、その言葉を信じ自惚れよう……。
「……長居するとまた侍女たちが騒ぎ出しかねません、今日はこれにてお暇させていただきます」
ナシェルはもっと寄り添っていたい気持ちを堪え、立ち上がった。
これ以上ここにいてはだめだ……。自分を、抑え切れなくなる。
「継母上、どうかご自愛くださいますよう」
突然立ち上がったナシェルを、王妃は怪訝そうに見上げる。
ナシェルは瞳に現れてしまいそうな気持ちを隠すため、踵を返した。
「侍女を呼び戻して参ります」
セファニアが無言で、ただじっと己を見詰めてくる気配を背に感じる。
呼び止めないでくれ。振り返ってしまえば、私は何をするか分からない……。
セファニアはしばらく何を云うべきか考えるように押し黙っていたが、やがて一言、
「お元気で……」
と呟いた。永遠の別れの言葉のように重く。
セファニアはもう長くはない。冥王の眼を盗んで会う機会など、もう二度とないかもしれない。
振り返ってもう一度口付けしたい衝動に駆られる。それを抑え、ナシェルは後ろ髪引かれながら寝室を後にする。
彼を引き止める言葉は、とうとうかからなかった。
◇◇◇
行きがけに異母弟エベールと出会った露台には、もう人影は見えない。
セファニアは、生まれ変わると云った。
そのために、身篭ったのだろうか?
そのためだけに?
……愛の、証ではなく。
それ以上は、考えたくはなかった。
ナシェルは左右に首を振って、わだかまる想いを打ち払う。
もう、会えぬかも知れぬな……。
ぼんやりとそんなことを考えつつ歩むナシェルは、不意に前方からこちらに歩み寄ってくる足音を聞き、視線を上げた。
「……!」
一瞬、幻覚かと眼を疑った。
目映いばかりの宝石が散らばる、漆黒と濃紫のローブ。何枚も重ねたそれを煩わしげな様子もなく翻し、真っ直ぐにこちらを目指してくる、ひとりの長身の男。
ゆったりした足音に、微かな衣擦れの音が重なる。その人物の姿をはっきりと確認した瞬間、ナシェルは息を止めた。
思わず目を伏せ、そんな自分の態度を訝しく思われるのではないかという恐怖から、目を上げる。
「……陛、下」
うっすらと微笑を浮かべ、ナシェルにむかって両手を広げたそれは、ナシェルの今もっとも会いたくない相手であったのだ。
「吾が子よ……久しぶりであるな」
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