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第二部 虚構の楽園
9 晩餐の席で③
ナシェルは一同を見渡しながら尊大に宣言した。ルゥが生まれてからというもの漠然と心に秘めていた意思だった。
父の目を白黒させてやりたくて、おぼろげだった考えが思わず口をついて出た、といったほうが当てはまるかもしれないが。
視線は公爵たちを向いていたが、実際にはその台詞は、冥王ただ一人に向けられたものである。
己を溺愛し、狂った愛の鎖で縛る半身が、どういう反応を示すか見ものであった。
ナシェルは息を呑む列席者たちを眺め渡し、高脚杯に注がれた葡萄酒をゆっくりと口に運ぶ。
公爵達は最初“冗談だろう”という顔で一笑しようとしたが失敗し、やがて絶句し、夕餉の間はシーンとした静寂に包まれた。
掌の上で杯を回し、貴腐葡萄の白がもたらす芳醇な甘みと香りを、そしてその場に漂う沈黙をもナシェルは堪能した。
何を云いだすのだ、という顔を高齢の3公爵はしている。
『王女は妹だぞ』と云いたいのだろう。
若いファルク・ヴァルトリス公爵だけが面白そうに唇を持ち上げた。
へえ、王女は本当は『娘』なのに? とその顔は云っている。
だが、問題はそんなことではない。
冥王が、寵愛するナシェルに、そもそも妻を娶ることを許すのかという命題なのだ。
たっぷりと間を置いてから、ナシェルは半身に視線を遣った。
さて、どういう顔をしているか?
冥王の嫋かな手が、卓上の果実皿から葡萄の房を取り、そのうちの一粒を指で摘んで、口に放り込む。
この期に及んでまだ食事をしているのは冥王ただ一人であった。
果実の汁に濡れた指を手拭で拭いながら、王は顔をこちらへ向けた。
三つの紅玉の瞳は静かな嗤いを湛えたまま。
…いや違う。額環の中央できらめくルビーに飾られた、二つの赤き双眸だ。
ナシェルは臆することなく、王のおだやかな双眸を睨み返した。
……あくまで己を支配し続けるつもりか? どうするのだ?
ナシェルの挑戦的な眼差しを甘い果実とともに吟味するかのように、王はゆっくりと口を動かしている。
果実を飲み込んだかと思うと不意に口元が綻び、とうとう冥王は言葉を返した。
「……それが順当であろうな」
「……!?」
ナシェルは耳を疑った。
何と云った……?
順当だと?
当然という意味で云っているのか?
これだけ私を…神司という鎖で支配し、追い詰めておきながら…
何が……順当なのだ!
挑発したのは自分であることも忘れ、ナシェルは呆然と父王を見つめた。
セダルはこともなげに云い放ったあと、再び果実に手を伸ばしている。その口が再び動いて、呆気にとられている家臣たちに説明するように、
「ここに居る死の神の后と為るべきは『神族』でなければならぬ。またこれに見合うほどの高位の女神ともなればそもそも数も限られるが、ここ冥界には、その条件を満たす者が偶然にも存在する。王女が……な」
ナシェルは飲み干した高脚杯を、底に残った葡萄酒が撥ねるほどの勢いで卓に置いた。
ガンッ、というその甲高い音で、我に返ったのは公爵達だった。
「な…何を仰っておられます、殿下も……陛下も」
ヴェルキウス公ジェニウスが一同を代表して言上する。
「姫君は、殿下の妹御にあらせられるのですぞ!?」
年長者の二公爵が強く同意を示す。ファルクは目を閉じたままほくそ笑み、この成り行きを傍聴する姿勢。
わなわな…と肩を震わせはじめた王子の代りに、王は家臣たちに応ずる。
「妹? ああ……そうか、そなたら魔族の間では近親婚は忌まれているのだったな」
「無論でございます」
「まあしかし、神族の間でそれを云ってしまったら、子孫繁栄など到底無理な話だからな…。
だいたい余の二人の亡き妻、ティアーナも、セファニアも、そもそも余の妹だし」
「な、何ですと……?」
「初耳でございますぞ!」
「妹かどうかなど、誰も訊かなかったであろうが」
「そのようなこと、誰が考えつきますか。そういう問題ではございません!」
「まあ、とにかく王子が王女を后とすれば良い。ただそれだけのことだ。
神の位にある者にとって血縁関係は、大した問題ではない。むしろ近しい司を持つ者同士が交わることは、互いの力を増幅させたり、より大きな力を持つ子孫を生み出すとして、逆に喜ばれておる」
我々二人のように、とは冥王は云わなかったが、ナシェルに向けられた含み笑いは言外に告げている。
「どうした、死の影の王?……余が許すこと、それほど奇異か」
奇異に決まっている。いっそ不気味なほどだ。
余以外の者を愛すな、側に居よと云ってみたり。
余を孤独にするなと云ってみたり。
そのように言葉で縛りつけておきながら、あっさりと……
王女を娶ればいいだと!?
ナシェルが両手を卓につき立ち上がった勢いで、椅子が大きく後ろに傾いだ。
弄ばれる不快感はいまや頂点に達していた。
ジェニウスたちが唖然と見上げてくる。王と王子の間に何が起こっているのか、彼らは分かっていない。
「いいえ陛下、お許しいただき有難うございます。二言はございませんでしょうな!」
ナシェルの怒りの理由をこの場で唯一、正確に察知し得る冥王は、ナシェルの目まぐるしい百面相にとうとう笑い声を漏らした。
「二言? 二言はないよ」
「諸公……お先に失礼する!」
公爵達は突然足音も高くその場を出て行ったナシェル王子の後姿を、瞬きも忘れ見送った。
「ど……どうされましたのか、殿下は?」
冥王は粒の無くなった葡萄の房をぽいと皿の上に放りながら宣う。
「まだまだ子供だな。いとけないことよ……」
それまで面白そうに王子の表情の変化を傍観していたファルクが、奏上した。
「放っておいてよろしいのですか? 陛下。きっとあのまま暗黒界へお帰りになりますよ」
「いや、大事な話があって来た、とか申しておったからな……まあしかし、あの立腹ぶりでは本当に帰ってしまうかもしれぬな。……よし、諸君、このへんでお開きにしよう。今宵は楽しかったぞ」
王子と瓜二つながらまったく別人のように澄ました表情で立ちあがった王を、一同は立礼で見送った。
「ヴァルトリス公、貴公は何か知っておるのか? 殿下はなぜ急に機嫌を損ねられたのじゃ?」
王の辞した後、そう尋ねる三公爵に対して、ファルクは意地悪な笑みではぐらかした。
「まあ色々あるんですよ…、陛下と殿下の間にはね」
それにしても実の娘(対外的には妹)を后にすると云い出すとはね…陛下も賛同なさったし……神族というのはやはり理解の範疇を超えているな、と毒の公爵をして思わしめるのだった。
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