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第二部 虚構の楽園
10籠絡と懐柔①
……ナシェルは王の居室へ戻ると煌びやかな長衣をかなぐり捨てて己の服に着替えた。面倒なのでずるずるのまま帰ってしまおうかと一瞬考えたが、その格好は乗馬にあまりにも適さない。
羽織ってきた漆黒のマントが見つからない。侍官を呼ぶのも面倒なので服の前釦を留めながら己で探す。床に散らばった馬鹿げた衣装を腹立ち紛れに蹴散らした。見つからない。
身を屈めたときに、額に嵌めた例の銀の額環が床に落ちた。
中央に蒼の宝石が輝くそれを、ナシェルは王への苛立ちを込めてあらぬ方へ蹴り飛ばした。
がぉん、と激しい音がして、それはちょうど開かれつつあった扉に命中して、落ちた。
「危ないではないか」
すんでのところで危険を回避した王は、転がったそれを優雅な物腰で拾い上げながら入ってくる。
「何を拗ねておる? 揃いの衣装がそれほど嫌か」
「……」
「それとも余に反対して欲しかったのか? 取り乱して、結婚など許さぬと怒り出せば良かったかな」
「……よくもしゃあしゃあとそんなことが云えますね?
私を神司で束縛して服従させておきながら、一方ではそなたの好きにすればよいなどと! これじゃ掌で踊らされているようなものだ。
ルゥと結婚すればいいだと? 貴方は私に、他の者を愛するなと云ったじゃないか! 貴方のものでいろと! 貴方の本心はどっちなんだ!!
中途半端な自由を与えられて……檻からやっと飛び立ったと思っても、いつも更に大きな檻の中に居ると気づくだけだ。何なんだ、いったい……貴方は、私を、どうしたいんだ!?」
……いじめたい。
一瞬浮かんだその台詞を脳裏で打ち消しながら、セダルは王子の銀の額飾りを黙って指で撫でた。
息をついたナシェルは我に返り、俯いて舌打ちする。
……なんだこの状況は。まるで茶番ではないか。
王は小さい頃から私に執着してきたくせにここへ来て急になぜだか懐の大きいところを見せ、私は王の束縛から逃れたいと常々思ってきたにも関わらず、ここへきて王が期待したような反応を見せなかったことに苛立っている……。私は……父に何を云わせたかったのだ?
「……分かった、すまぬ。そなたが混乱するのも無理はない。よく考えもせず安易に発言したと思われても仕方がない。謝ろう」
暫くの沈黙ののち、セダルは額環を弄びつつそう云った。
「だがなナシェル。余の言葉にはひとつも嘘はないのだ。そなたへの愛と同様に。
あれは云い方が悪かったようだ。王女を娶れ。こう云えばよかったのだな」
「だから、どうして……そう仰るのです……」
「それがこの冥界のためだからだ」
冥王は額環に傷がないのを確かめナシェルの額に嵌めなおした。
王子を見つめるその双眸がいつになく真剣味を帯びた。
「いつか余の跡を継げ。そうせねばならぬ。そのときにそなたの傍らに、あの命の女神が居るべきなのだ」
「おっしゃる意味が判りませぬ。なぜそのような日が来ると? 我らに命の終わりは無いはずです。父上は……その時どうなさるのか?」
冥王はナシェルの後ろに廻り額環の留め金をかけながら言葉を濁す。
「…いつでもその時のための覚悟はしておけ、ということだ」
「覚悟! 何の覚悟をせよと!? その時とはいつのことです!」
「大丈夫……落ち着いて。今すぐではないよ。そなたはこれからも、今までどおり余の側におれ」
もうそれ以上何も訊くなとばかりに、しなやかな腕が背後から伸びてナシェルの躯を絡めとる。
王が話していることの真意が判らずナシェルはうろたえる。冥王の言葉はいつになく歯切れの悪いもののように感じられた。この会話の本質はどこにあるのか、それが知りたくもあり、正答を見出すのが怖くもあった。
「意味が分からない……。私には何処へも行くなといつも命じておきながら…孤独への恐怖を繰り返し私に語っておきながら、貴方はそのときになったら私を置いてどこかに行くつもりか? 私を貴方の二の舞にして!」
巻きついてくる腕の中でナシェルはもがいた。
「死の影の王、そなたは余とは違う。そなたを孤独にはさせぬ」
「貴方の話をしているんだ! 私をこれだけ苦しめておきながら、勝手にどこかに行くことなど許さない!」
よく恥ずかしげも無くこんなことが云えるな、と一方では揶揄する己がいた。しかし敢えてナシェルにそう発言させるほど、王の話の内容は衝撃であった。
「ふふ…聞いたぞ。愛の告白だな、それは」
「ちがう……!」
……違わない。ただ正直に頷くのが嫌なだけだ。
違う……違う!
神司の呪いで私をがんじがらめにしたまま去るのは卑怯だと云っているのだ。
重苦しい愛から逃れようとしてきた努力が、水の泡だから。
壁際の姿見が、乱雑に散らばった衣装を踏んで佇む双面の神々を映し出している。
ナシェルはひとつに溶けたその姿を鏡越しに見つめた。
背中から腕を廻し彼の黒髪に口づける王の表情は、読み取れぬ。
ただ焦り、狼狽した己の貌だけがこちらを見ている。
いつもこうだ。半身は追いかけてくるように見せかけて、実のところその影を己に追わせているのだ。
結局最後に跪かされるのはいつも己のほう。
逃げ惑いながら振り返り、見失い、失ったのかと恐れてとまどい蒼ざめるのは己のほうだ。
どうしてくれるのだ。許せない。
こんなにも私を狂わせる貴方を。
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