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第二部 虚構の楽園
11籠絡と懐柔②
王は、ナシェルをうろたえさせ、その本心の一端を吐き出させたことに満足したようであった。髪に口づけた唇が耳朶へと滑り降り、ここぞとばかりに、続きの告白は閨の中で聞かせてくれ……と誘う。
ナシェルは耳朶を噛まれて誘惑に落ちかけ……我に返り、熱い腕を振りほどいた。
「やめてください……。お話があって参ったと申し上げたでしょう」
「そんなのは後にしろ。無粋だな……」
「いいえ、話を聞いていただきます。こっちは着たくもない服を着て夕餉に同席してやったんだ。約束でしょう」
「……」
思わぬ逆襲に王は軽く降参の意を示して眉を上げ、胸の前で腕を組む。
「では手短に話せ、何なのだ一体……」
「エベール・サロニエルの事です」
その名を聞くなり冥王の秀麗な眉がぐっと降りる。第二王子に対する彼の態度は、端から見ても恐々とするほど冷淡なものだった。ナシェルへの溺愛と、反比例するかのように。
「虚無界を下賜されると伺いましたが真ですか?」
「……まだ正式には発表しておらぬがな。栄誉なことであろう。それがどうかしたか」
「私は反対です。なぜ今ごろになってエベールにあんな僻地を?」
「僻地とは失礼ではないか。今とてヴェンディート公の領地だぞ」
「公はよろしいのです。公の敏腕は冥府の陛下のお側において充分発揮されております。彼にとっても、広大な領地を託されれば内務卿職と兼務するのは至難でありましょう。領地が取るにたらぬ辺境の荒野だったからとて、宮廷内の誰も内務卿たる彼を軽んじますまい。
ですが、エベールは違う。一見栄誉なことに思えるかもしれないが、無位無冠の王子が虚無界の領主に封じられ領地に籠ることになれば、見る者によってはますます彼の立場は貶められます。父上、一体どういうおつもりなのですか」
「そなたがそんなにあれの肩を持つとはな。一体どういう魂胆だ?」
「はぐらかさないで下さい」
「……」
冥王は目を逸らした。しばしの沈黙がおりる。
ナシェルは辛抱強く王の言葉を待った。
「余はな……、あれを我が子とは思うておらぬ。あれは魔族の子だ。我ら神族とは全く異なるものだ」
「ですが、あれも父上の御子でありましょう」
「女公爵と契ったのは今も後悔しておる。神と魔が契ったところで神の子が成せるはずもないものを……。
あれ以来、間違っても二度と半魔の子など成さぬように側女を抱く時さえ注意深くせねばならぬ」
「半魔? それがエベールを疎む理由ですか? あまりに拙悪です」
ナシェルは云い募った。己がエベールの肩を持つ理由とて拙悪なことには変わりないが。
「そうではない……。あれの強欲さを感じるのだ。あれはな……、余の闇の神司を欲するがゆえに余の寵愛を受けることを望んでおる。『自分も力を注がれさえすれば神になれる』と信じておるらしい。浅はかなことだ。
余を見るときのあの男娼のごとき媚びた目つきに、余はどうしても耐えられぬのだ」
父上の、力?
ナシェルは口中で繰り返した。
それを浴び、受けるのは、生粋の神族の子である己だけに許された特権。まさかエベールが僭越にもそれを望んでいたとは……。
「余はあれを遠ざけたい。王子と名乗らせることにも抵抗があるくらいだ。領地をやる代わりに王子の称号をとりあげ、臣下の列に加えてしまおうかとも思っておる」
「父上、それはなりませぬ。エベールの母たる女公爵の立場もございます。
ご不快は承知の上で申し上げますが、やはり魔族の筆頭である彼を第二王子として厚遇し、相応の冠位をお与えになるべきです。でなければ、女公爵の反感を買うどころか、陛下は魔族全体の尊厳を軽んじていると臣どもの間で邪な噂が立ちかねませぬ。
この広大な冥界を治めていくためには魔族たちの協力が不可欠だ、ゆえに臣らを大事にせよと、陛下は私にはつねづね仰っておられるではありませんか。……だからこそ」
冥王は眼を閉じてかすかに唸った。血のごとき赤き双眸を目蓋に隠すと、王の顔はナシェルのそれと全く変わらない。
ただ、額に輝く宝石の色が異なるだけ。
ナシェルは王が瞳を閉じてもなお、その額を飾る紅玉の吸い込まれそうな色の誘惑と戦わなければならなかった。
「……大儀なことよ、己の不始末とはいえ」
「不始末なればこそ、今は短慮愚行を慎まれませ。エベールや臣たちに恩を売ることはよくても、怨恨を買うことはなりませぬ」
常識ぶって冥王を諭しながら、ナシェルの胸の内では冷静な己が嘲笑する。
どの面下げて愚行を慎めと? とんだお笑い種だ。
……王妃を孕ませ、子まで産ませ、いまだに真実を隠し通しているお前が。
だが、しばしの沈黙ののち、冥王は顔を上げてゆっくりと頷いた。
「……短慮愚行か。そこまで云われては再考せざるを得まいな。分かった、ナシェル。そなたの云うとおりだ。もう少しよく考えよう。よくぞ諭してくれた」
ナシェルは珍しく話が通ったので内心で快哉しつつ、さらに踏み込んだ。
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